埋(うずみふ)腐 ――警部補戸田章三の日常(仮題)

三章企画

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第六章(その1) 巡査部長瀬ノ尾政一(3)

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 午後二時を回った頃になって、瀬ノ尾が渡辺係長に声をかけた。
「甲突川の一件で中央署に確認に行きたいんですが」
 渡辺係長は、顔も上げずに払いのけるように手を振って答えた。
「定時連絡。経費節減のため公用車禁止。中央署だけなら自腹で行けるだろ」
 瀬ノ尾は顔をしかめた。今日、瀬ノ尾はバスで出勤している。
 歩けと言うことか、と想いながらも瀬ノ尾は食い下がっている。
「緊急事態が……」
「お前たちにはない」
 瀬ノ尾は黙った。渡辺は黙者を鞭打つかのように、
「瀬ノ尾、人間は、なに足歩行の動物だったかな」 
「え、ええ。二足歩行ですか」
「そうそう、自足歩行……。わかってるじゃないか」
「……」
「あの係長。こっちが一段落したら、アルファード、中央署経由で瀬ノ尾を拾って吉野町のリサイクル・センターに行きたいんですが、構いませんか」
 戸田がゆっくりと割り込む。ぐっ、という妙な喉声がして係長が咳払いをした。
「今日確実に掃除をするんなら使っていい。警備課から苦情が出てる。お前たちが汚したままにしてあるそうだ」
「だそうだ。瀬ノ尾。お前、車を掃除をしてから乗って行きな」
 戸田はすまして笑った。瀬ノ尾はまた顔をしかめた。

 結局瀬ノ尾は、砂糖割り増しの紙カップのコーヒー片手にガソリンスタンドのウィンドーにもたれかかって、洗車機から出てくる公用車を眺めていた。
 威勢のいいスタンド従業員のことばに、瀬ノ尾はつい生返事した。ひとりが運転席周りを拭きはじめ、ひとりが車の中に掃除機のノズルを突っ込んだ。ゴミを吸い込む強力なモーター音が聞こえるとともに、瀬ノ尾はノズルから長々と続いている掃除機のホースに目をやった。ホースは事務所脇の据え付け型の掃除機本体まで続いていて、使用していないノズルが二口ぶら下がっている。
『結局、業務用の結構強力な掃除機でなきゃ、役に立たないんだよな……』
 瀬ノ尾はぶらさがったままのノズルを眺めながら、何度か購入したものの使い物にならず苦い思いをした通販のハンディクリーナーのことを思い出していた。
『誰もが一度は通る道、と……』 
 苦笑いしながら呟く瀬ノ尾の視界に、這いつくばるようにして車体のゴミを拾い拭き掃除をする従業員の姿が眼に入った。ふと、遺留物の微物採取用のフィルムを張り付けている鑑識課員の姿が重なった。
『誰もが一度は通る道か……』
 瀬ノ尾はきれいになった公用車を見つめて呟いた。
 その時、何かが引っかかった。
 何だろう? 
 もどかしい思いを抱いたまま、瀬ノ尾は中央署に向かった。
 
 六月七日午後三時過ぎ。
 中央署に着いた瀬ノ尾は、
「ご苦労なことだな」
 いかにも皮肉めいた打越刑事係長のことばに引きずられながら、資料室に向かっていた。
「で、本当の用件は何だ」
 打越のことばに瀬ノ尾は、口ごもった。打越の意図がわからない。
「美津濃の事件は終わっている。津田・日高事件との関連性はないはずだ。なのに一体、何の用があるんだかね」
 いや、と瀬ノ尾は呟いた。
「有島殖産と小山田の倉庫のことが気になるとしか、自分でもわからなくて……」
「いいさ。戸田から、エンジンカッターを持ち出された小山田の○○建設関係の報告書を準備しといてくれと念を押されている。その報告書からでいいんだろう?」
 ええ、まあ、と瀬ノ尾は口の中でもごついた。
「鑑識の未整理写真も見せて置いてくれ、だとさ。お前ら、何を探そうとしているんだ?」
『俺の方が聞きたいくらいだ』
 瀬ノ尾はことばを呑み込んだ。
「自分らの捜査あそびに他人を巻き込んで、いい迷惑をかけるんじゃないぞ」
 さらに付け加えられた打越の冗談めかしたことばが、さすがに瀬ノ尾の癇に障った。
「自分はまともな捜査にも加われず、途中までであちこち振り回されて、結局何をしているかわかりません。どれもこれも中途半端なまま。大泊の件だって途中で外されなければ今になって調べに来ることもなかったはずです。成果が上がりそうになると、飛ばされる。どうしてここまで干されないといけないんです。そんなに係長は戸田さんを嫌ってるんですか。戸田さんだってそうだ。自分が独自捜査をしようとすれば、手を回して戸田さんの捜査をやらせようとする」
 打越は、不思議そうな表情で瀬ノ尾を見つめている。
「お前、何もわかっとらんかったんだな」
「なんのことですか」
「渡辺係長は戸田を手元に置いておきたいんだ。いつでもどこでも何が起きても、起きれば直ぐに戸田を送り込みたい。だから、どの事件も専任させておきたくない。それが本音だ」
「嘘でしょう」
「お前は、お前らの成果が上がりそうになれば直ぐに飛ばされる。そう言ったな。それでいいんだよ。直接的な成果を上げるのは、個人じゃない。あくまでも所轄でなくちゃいけない。だろ?」
 打越は、不服そうな瀬ノ尾を置き去りにして出ていった。
「いずれわかる」
 そんなこと言われても困るんだが、と呟きながら、瀬ノ尾は鑑識の未整理写真を広げ始めた。
 
 六月七日午後三時二十分。
 戸田がアルファードを訪れたとき、店内には二十代後半の会社員風の男性客がいた。
「バッテリーの持ちが悪くなったんで、いっそ解約したいんだけど……」 
 男はそう言ってカウンターに充電器と携帯電話を置いた。
「新規はどうします?」
 カウンターの中の朝倉が尋ねると、男は首を振った。
「しばらくは、箱の中だけにするよ……」
「わかりました。残りの通話料と使用料で三千……。三千円の払い戻しになります」
 手早くパソコンのキーボードを叩いていた朝倉がモニターを見ながら精算し、男は三千円を受け取ると出ていった。
「携帯のレンタルですよ、戸田さん」
 朝倉はカウンターに置かれた携帯電話を片づけながら、笑った。
「箱って?」
「店舗型のテレクラのことでしょう。例の事件以後、出会い系サイトがあれこれ厳しくなりましたから、ちょっとしたテレクラブームになりつつあります」
 そうか、と戸田は言った。
「すまんが、レンタル携帯の貸し出しリストを見せてもらえるか」  
「番号だけですが」
 と朝倉は答えた。
「そのうち通話記録用の承諾書もいるんでしょう」 
「だな。そのときは頼むとしますかね」
 戸田は、口調とは裏腹に冷ややかに朝倉を見つめた。戸田の視線に気付いた朝倉は、薄く笑った。
「聞かれないことは答えない。それが長くやっていくコツですので」
 戸田は黙ったまま、朝倉の差し出した七件の電話番号のリストを見つめている。
「最初は、テレクラ用のプリペイドカードを買いに来るお客さんに頼まれましてね。口コミやネットでだんだんに広まって、一時期は二十件近くにもなりましたが、もうけの割にはトラブルも多くて、今くらいの数が一番いいようですが、そろそろ潮時でしょう」
――協力的に見せるには、核心を外して饒舌に喋る……ということか。
 なるほどね、と戸田は笑った。
「貸出人の名前が解らなくて支払いはどうしてるんですか? ここへ持ち込みですか?」
 ええ、と朝倉は答えた。
「プリペイドカードを買いに来るついでに来ます。情報交換もありますし」
「無条件で貸しっぱなし……ということか。リスキーだな」
「ええ。誰が使っているかわからないようにする。それが最大の条件、最大の売りですから……。もっとも、無条件じゃありませんよ、商売ですから。当店独自のプリペイドシステム、は大袈裟ですか。前払いシステムを取ってます。月額一万円前後で、賃貸料・通話料込み。期日までに支払いが確認できなければ、自動的に止まります」
「それはあれかな。前月分の使用料に賃貸料もろもろを加算した金額を、今月分として電話に請求する。期日までに所定の口座に支払いがあれば、こっちで本来の口座に移し替える。支払いがなければ、そのまま休止にするということだろう」
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