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第六章(その4) 不問者木塚悟(2)

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 頴娃えいインターまで下ると、知覧警察署、指宿警察署の捜査員を乗せた車両が次々と池田湖方面へ向かうのと出くわした。一部の捜査員を残して、被害者の頭部が発見された池田湖周辺の捜査に振り分けられたのだろう。
『胡乱な民間人の情報では警察は動かないが、いかに怪しげな人物であろうと、県警刑事課の刑事がもたらす情報源なら、動いても構わない。失敗しても誰も責任は負わなくてすむ。なるほどね』
 瀬ノ尾の口元に冷笑が浮かんだ。
『しかも、胡乱な民間人の身元も保証することにも繋がるわけだ。木塚の情報は、最初に戸田刑事が確認してある。信頼できる情報だ、と』
 なるほどうまく作りあげられた話だが、おれは信じているわけじゃない……。
 と瀬ノ尾は考えている。
――何の裏付けもなく勘や運だけで見つけられるものか。何かの裏でもない限りは無理な相談だ。木塚が犯人でなければ、犯人と深い接点があるに違いない……。

 戸田と瀬ノ尾がようやく到着すると、池田湖畔の廃業したレストランの駐車場跡に仮の指揮所が設けてあるのが確認できた。ふたりは、指揮所のテントの中に木塚と箕面《みのお》巡査長の姿を確認して近づいていった。
 戸田の姿に気付いた木塚が、手を挙げて近づいてくる。木塚は軽く頭を下げ、うんざりした表情で上空を指さした。二機の報道ヘリが轟音を上げてひどく低空を旋回していた。カメラマンがヘリから身を乗り出して撮影しているのが見える。
『打ち落とせば静かになるかもな……。あの距離ならオレの腕でも射程範囲だ』
 戸田がつぶやいた。
 何発か、戸田の鼻先で小さく拳銃を模した指鉄砲が弾けた。 
 立ち入り規制線の周囲には、新たな名所見学としゃれ込んだ観光客の集団が、三々五々入れ替わり立ち替わりしている。
 そこに徐々に報道関係の車両が集まり始めている。
 すぐに、報道関係車両の移動を促す警官の拡声器の声が響きだした。
 木塚の助言で発見された頭部は、廃業して放棄された二軒のドライブインのうち南側の旧開聞町側の建物の中にあった。建物一階の、当時観光の目玉だった池田湖の大ウナギを飼育していた大水槽の中、伸び放題の雑草の中に無造作に置かれた木箱の中にあった。
 木箱は古い茶箱で、縦七十センチ横四十五センチ高さ五十センチほどあり、杉板で内部には錆びかけた亜鉛メッキの薄い鉄板、ブリキ板が貼ってあった。茶箱には鋸屑が詰められ、頭部はその中に埋まっていた。
 現場は、鑑識課員が文字通り虱潰しに遺留品の採取確保にあたっていて、戸田の入る余地はない。やむなく、戸田は指宿警察署の年若い捜査員から、
『頭部の切断面の形状から、先日、頴娃町の上別府で発見された遺体と同一人物の者と思われること。鋸屑については、比較的新しいものであること。現場周辺から発見された下足痕《げそこん》(足痕跡)は、ひとりのもので比較的鮮明なものが採取されたこと。茶箱から被害者以外の血痕ならびに指紋が発見されたこと。建物の出入り口、水槽からも同一人物と見られる指紋が採取できたこと。被害者には歯の治療痕があること』
 を聞き出した。そして、
「戸田警部補。まだ推論の域を出ませんが、被害者の喉元と首筋の切断部には生活反応が確認できません。左右の首筋を斬りつけての失血死、その後数時間の間に頭部を切断したのだろうと考えられます。胴体の切断面も同じようなものでした」
「うん。それは読ませてもらった。ご苦労様……、と。ついでで悪いんだが、茶箱に、多分底の隅の方でもいいんだが、焼き印は確認できなかったですか?」
「焼き印? ですか。いや、報告は受けてないですが……。今確認してみます」
「いや。忙しいんだから、ついででいい。どうせ、箱の製造元を当たるのに焼き印は調べて当然だから……。古い茶箱なら焼き印があるかもしれないと思っただけだし」
 その通りです、と言うなり、捜査員は駆けだしていった。
『だが、ここまでの捜査報告が上がるのは今日深夜。遺留品が科捜研に届くのも似たような時間か。それまでは、この件に付いて調べるのは難しいな』
 若い捜査員の弾むように駆けていく後ろ姿を眺めながら、戸田はぼんやりと考えていた。
『鋸屑が詰められた箱の中の首……。たぶん、これまでの件とは何の関連性もない。別件だと確信できるが、何かが同じ気がする。何か大事なことが同じなんだが』

 あの、と木塚が遠慮がちに声を掛けてきた。
「これから、わたしはどうすればいいんでしょうか?」
「そうですねえ」
 と戸田は黙り込んだ。
「戸田さん。わたしは聞かれたことには全て答えたんですが、ただ……。何故あそこにあったかについては、答えようがないんです。怪しい限りですが、これだけはなんとも」
 木塚は困り切った表情を浮かべている。
 確かに木塚は、切断した頭部の場所という、犯人しか知り得ないことを知っていた。切断された胴体の遺棄場所は、彼の実家の近くでもある。土地鑑があり、今のところ動機は不明だが、当日のアリバイは確認されているし、現場から採取された指紋と木塚の指紋は、素人が見てもわかるくらいに違っていた。
「木塚さん。確かに勘というだけでは説得力がありません。そこに遺体があるという推論を組み立てられる何か、は思いつきませんか。でないと、今後かなり厄介なことになっていくでしょうね」
 今度は木塚が黙りこんだ。例えば、と戸田は口を出した。
「インターネットのサイト上で見た記憶があるとか……」
 木塚は首を傾げた。
「いえ。市内の事件なら幾つか興味深いものを見た記憶もあるのですが、こっちの方は……」
「なるほど、はっきりと覚えていないが、なんとなく。そういうことですか。それなら、うちのサイバー班にでも当たってもらいましょう。そうだな、瀬ノ尾」
 戸田は瀬ノ尾に水を向けた。瀬ノ尾は怪訝な表情を浮かべている。
「お前も担当のひとりだったんじゃないか。忘れていると言うことは、仕事をしていない。そいういうことになるな」
「いや、あれこれ起きすぎて対応できなくて」
 瀬ノ尾は狼狽して言い訳した。
 木塚は戸田を見つめている。
 木塚なりに戸田の真意を探ろうとしているのが、その表情から窺えた。
「木塚さん。ということでいいかな」
 戸田は静かに念を押した。木塚も安心したように頷く。木塚を見つめている瀬ノ尾の表情だけが険しくなっていく。
「さ、瀬ノ尾。帰るとするか。ここにいたって現場には入れない。報告書は深夜でなきゃ上がってこない。遺留品も科捜研送りの車の中。することはないぞ」
「ですが、戸田さん。周囲の聞き込みだけでも……」
 戸田は笑い出した。
「やるなら、この辺の聞き込みは、深夜の方がいい。池田駐在の近所は別として、この辺に人家なんてない。むしろ深夜徘徊のカップルでも捕まえて聞く方がいいくらいだ。でしょ、木塚さん」
 木塚は気の毒そうに頷いた。
「それよりも瀬ノ尾。お前、タイヤ痕を見たか? 鑑識の連中が鮮やかに出してあったのがわかったろう」
「ええ、かなりはっきりした痕跡でした。スカイライン方面から来て、急ハンドル切って
ドライブイン跡に頭から進入し、バックしてスカイライン方面に戻っていった。見事なまでの急ブレーキ、急発進だと、鑑識も言ってましたね」
 そういうことか、と木塚が呟いた。
「何か?」
 戸田が聞きとがめた。ええ、木塚は静かに話し出した。
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