埋(うずみふ)腐 ――警部補戸田章三の日常(仮題)

三章企画

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第六章(その6) 不問者木塚悟(4)

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「お前は……」
 瀬ノ尾が木塚に詰め寄り、木塚は戸田を中心とした円なりに時計回りに逃げた。
「他には?」
 戸田は瀬ノ尾を目で制して、木塚を促した。
「ええ。特に気になったのは、犯人は被害者の血液入りのコンドームを口の中に詰め込んでいるというものでした。ここまで来ると、スレ主の妄想としか思えないのですが、そのスレッドに関するコメントが……」
「それはどこのサイトだ?」
 木塚も今度は逃げ切れなかった。詰め寄って木塚の胸ぐらを掴んだ瀬ノ尾が、何度も揺すぶった。
「どこだ」
「瀬ノ尾、何をしてる。とにかく離れろ。でない木塚さんがしゃべれんだろうが」
 戸田が引き離した。
「すまない、木塚さん。どれがとは言えませんが、公表していない事実が含まれています。それが意味するところと、瀬ノ尾がしてしまったことを、察してください」
 ええ、木塚は襟を整えながら話を続けた。
「察しています。そのコメントですが、もう一度見ようとしたときには削除されていて、見つけられなかったんです」
 戸田は瀬ノ尾と顔を見合わせた。
「じゃ、思い出せる限り聞かせてもらえますか」
「コメントに書いてあったのは、コンドームを被害者の血液で満たして体に挿入するのは、売春に対する嫌悪感、不浄感で、生理と同様に妊娠することもなく、ただ発情して止まない雌のように己が汚れているばかりでなく、接触した男も汚す存在だ、と」
 戸田は小さく呟いた。勝手な理屈だ。だが……。
「だから殺した。木塚さんたちはそう考えるわけですか。でもそれだけじゃ、動機としては弱すぎる」    
「ええ。犯人は、被害者に対する思い入れ以上に、注目されること自体を望んでいます。ネット上で複数の掲示板に書き込みをし、瞬時に消しても、おそらく、別の掲示板や別の形でネット上に自分の犯した犯罪の軌跡を誇示する可能性があります。特定できないように、しかし、自分だとわかるような形で……。だから、本来だと事件は犯人が捕まるか、ゲーム風に言えば、設定した全てのステージをクリアするまで、レベルアップしながら続くのだろうと考えたのですが、ゲームの途中で、例えば模倣犯の出現でゲームの進行を邪魔をされたとなると、事態が大きく変わってくる。進行を修正する方向で、何らかの形で動き出すのではないかと思うんです」
 なるほど、と戸田は考えた。
――過去の幾つかのいわゆる猟奇的な事件での犯人の行動は、警察の目が自分に向けられていないと感じると示威的な行動を起こすのが常で、その多くは、新たな犯行よりも自分に目を向けさせるためとしか思えぬ挑戦状や犯行声明のようなものが多かった。当然、模倣犯によって自らの犯行の刻印が否定されることになると、特に自分の犯罪の模倣犯は許せないだろう。当初の計画には予定していなくても、新たな犯行を起こすなりなんなりの行動を起こすと考える方が自然か……。それに、これまでのような型にはまった調書上の動機なんてものに囚われない方がいいかもしれないか。だが、彼らより精神的に成熟していると言った木藤巡査のことばも気になる……。
 思いつつ戸田は、
「で、木塚さん。書きこまれた事件の詳細についてですがね。あなたは、犯人が書いたものだと感じましたか? それとも、風評、都市伝説のようなものだと感じましたか? いえ、具体的でなくても構いません。直感的な、そう印象でもいいんです。あなたが言った警察関係者が情報を流しているかもしれないという話も気になりますし」
 木塚が答えるまで少しの間があいたが、戸田には木塚が慎重にことばを選んでいるように思えた。
「読んでいて、どちらの方向にも信憑性がある書き込みもあるとは感じました」
「どちらの方向にも? と言いますと?」
 聞きとがめた戸田が返事を促すと、木塚の顔に言いにくそうな表情が浮かんだ。
 戸田はさらに促し、木塚が重くなった口を開いた。
「あの。一部ですが、書かれている内容は同じで入手ソースが違うもののように受け取れたんです。言いにくいのですが、警察の内部情報からと、犯人からの情報と……。そんな風に。そのどちらにしても、犯人か、犯行の実体に極めて近い人間が書き込んだ情報……。そんな印象を強く受けました」
 アドレスなどは? と戸田が促した。
 木塚は首を振った。
「残念ながら、読み返しに行ったときにはもう……」
 それは、と戸田は言った。
「確かに残念でしたね」 
「俺も残念だと思いますよ。いろんな意味でね」
 と瀬ノ尾が口を挟んだ。
「で、戸田さん。どうするんです?」
 瀬ノ尾の目は冷ややかに木塚を捉えている。
「データに上書きしてなきゃ、拾い出せる可能性は残ってる。もっとも、提供してもらえそうもないですけどね」
 明らかに皮肉の込められた瀬ノ尾のことばに、木塚は曖昧に二三度首を振ると、ため息を付いた。
「瀬ノ尾さん。どうしても、と言いますか。正式に要請があれば提出しますよ。その前に、少し時間をもらえれば、可能な限り復元とリサーチをやってみますが」
 それでも、と戸田は言った。
「じゅうぶん助かります。何か気付いた時点で速やかに連絡していただければ結構です」
「戸……」
「それでいいな、瀬ノ尾」
 たしなめた戸田のことばに渋々頷いた瀬ノ尾に対して、木塚が追い打ちをかけるように、さも人ごとのような口調で呟いた。
「今の時代、見ず知らずの他人を手に掛けるような穿った犯罪者にとっては、証拠を隠すより本人が隠れる方が逃げやすいと思いますよ。瀬ノ尾刑事」
 瀬ノ尾の細かい表情は確認できなかったが、想像できた戸田は苦笑した。
 確かに自分の若い頃の凶悪な犯罪は、と戸田は思った。
――よほどのことがなければ、被害者と犯人との間にかなり密接な人間関係が存在したものだったが、今は木塚の言うように、犯行の動機どころか被害者に繋がる接点すら見出せないことがある。犯行の証拠はあっても、犯人に繋がる証拠がない。素早く逃げられたら、いくら証拠が残っていても追いつめられない……。
「でも、この犯人は隠そうとしていませんし、隠れようともしていません。犯人がわずかに動いただけの足跡が、それが逃げ隠れする為だけのものでも、たったひとつ増えただけで、捜査は進むのでしょう?」
 木塚はまっすぐふたりを見つめている。
 間髪を入れず瀬ノ尾が口を挟んだ。
「そうさ。逃げようとして遠離っていく足跡でもな、残せば逃げるどころか、かえって近づくことになる。それを見つけるのが警察の仕事ってもんだ」
 瀬、口を開きかけた戸田の胸が幽かに揺れた。胸の携帯が揺れていた。
「戸田。支障がなければ、あっても、すぐに帰れ。緊急事態だ」
 携帯電話を耳に当てる前に渡辺係長の声が響きわたり、戸田が耳を当てたときには切れていた。
 
 六月八日、午後五時二十七分。
 現場指揮所に出向いた戸田が、その場に陣取っていた指宿署の主任刑事に県警本部へ帰る旨を伝えると、彼は顎で頷いた。
 これは所轄の事件で、例の連続殺人とは違うのだから、県警はさっさと帰れ。
 彼の顎はそう言っていた。
『はいはい、さっさと退散しますよ』
 戸田は口の中で呟やき、殊勝にも口にこそ出さなかったが、瀬ノ尾がふてくされた表情をぶら下げて車に向かう様を、にやにやしながら追いかけた。その戸田の後ろから、満面の笑みを浮かべた池田駐在の箕面《みのお》巡査長が追いかけてきた。
 彼にとっての今日のささやかな賭は、紛れもなく吉と出たのだ。気持ちは分かるが、戸田は、礼とも詫びとも付かぬ怪しげなことばを繰り返し続ける箕面みのお巡査部長に対して曖昧に手を振り、別れの挨拶に代えた。
 戸田は、座った助手席のサイドミラーの中に写っている箕面《みのお》巡査部長の姿こそだんだん小さくなっていったが、振り千切るように振る手の動きだけが妙に大きくなっていくように感じて、思わず失笑した。
 隣では、ハンドルを握ったまま瀬ノ尾が首を傾げている。
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