埋(うずみふ)腐 ――警部補戸田章三の日常(仮題)

三章企画

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第七章(その4) 家族

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「早急に中央署への確認が必要ですね」
「いや、間違いなく中央署のミスだ。だから監察は戸田、お前に仕事を押しつけたんだ」
 ずっと聞き耳を立てていたらしい係長が断定した。
「いや、係長。自分が担当させられてるのは、連続殺人事件以降の報告書ですし、論理の流れもちと違う気が……。ああ、瀬ノ尾」
 渋面を浮かべた渡辺係長を後目に、戸田はゆっくりと言った。
「中央署は俺からあたろう。下手にほじくると連鎖が怖い。本来なら白バンから指紋を採取した一月前にはこの結果が出てなくちゃならんのだからな」
 中央署の打越刑事係長は直ぐに掴まったが、
「コロさん。津田純子絡みの白バンから、今更ながら稲村の指紋が出ましたけど、一体どういうことです?」
「どうもこうもない。今頃になって入力されたから、出たんだろうが。動機なんぞ知るか。こっちは、三人目の被害者と身内の不祥事の始末でひどい有様な上に、致命的な捜査ミスまで出てるんだ。もう、ぐちゃぐちゃで眼も当てられん。他に用がなけりゃ切るぞ」
 直ぐに逃げられた。とりつく島もない。
 ふと戸田の脳裏に磯崎課長のことばが浮かんだ。
『所有者の登録し忘れて公道走らせるような馬鹿者……。こういうことか』
 瀬ノ尾が戸田を見ている。
「稲村が逃走用の車両を準備していたと言う出目《でめ》、あるのとないのとじゃ罪状大きく変わってきますね」
「ああ。ただ、警察はそいつを見逃して、その結果別な事件に使われた……。そんな批判も出る。それから先の、風当たりのことは想像したくないな」 
「じゃあ、戸田。想像しないでおけ」
 渡辺係長が立っていた。
「稲村には、逃走用の車両を準備する面での計画性はなかった。というのが捜査報告だ。偶然触ったものについては、市民の義務として聴取に応じる用意があるそうだ。聴取内容については弁護士を通じて欲しいそうだが、それは仕方ないな」
 なるほどね、と戸田は苦く笑った。
「係長は、この件ご存じだったんですか」
 戸田の質問には答えない。
「明日は日曜だが、昼からでよければわざわざ時間を割いて、聴取内容の打ち合わせに応じてくれるんだそうだ。なるべく話の分かる捜査員、というのが弁護士《あちらさん》のご希望だったが、話のわかるものはいないが、暇な者はいるから向かわせると返事しておいた。聴取内容を文書にして持っていくように」

 ――わたしは暇ですか……。
 戸田はこぼしながら伊沢弁護士事務所の住所のメモを受け取った。
 鹿箭島市内易居町とある。
 裁判所のある山下町を中心に、隣接する名山町、易居町、長田町には司法関係の事務所が入ったビルが多い。
 稲村の雇った弁護士事務所のあるビルもそのひとつで、大通りをはさんで向こう側には、小川町の再開発ビルが見えるはずだった。
「それから戸田。遺留品を勝手に持ち出すのは本来犯罪行為だ。わかってるな。持ち出すのなら、もう少し身だしなみに気を配るんだ。今日は髪くらい切っておけ」
「すみません、もう二ヶ月伸ばしっぱなしなもんで」
 戸田はひどく神妙に頷いた。
 戸田が何か言い返すのを期待していたのだろう。
 瀬ノ尾が当てが外れたと言う表情で戸田を見やった。
「じゃあ、係長。二時間ほど席を外しますんで」
 渡辺係長は黙って頷き、戸田は瀬ノ尾を無視したまま席を立った。

 二十分後の六時十七分、戸田は易居町のビルの一画にある一○○○円カットのスピーディ理容室にいた。
 まるで子どものようだと自分でも思うが、戸田は床屋の椅子に長く座っているのが大の苦手で、とにかく短時間で髪が整えられればそれでよかった。
 店員が髪をあたっている僅かな時間、戸田はぼんやりと正面の鏡を眺めている。鏡には戸田と一緒に店内の風景が写り込んでいた。諸道具を乗せたワゴンや観賞用の鉢、奧には整髪料や理容器具を並べ立てた棚。棚の上にはカツラを被せた何体かのマネキンの首が、透明なケースに入れて置いてある。
『あのマネキンとカツラで練習をするんだろうが、今のおれには首が入っているようにしか見えん』
 戸田は自嘲して、胸ポケットに手を当てた。
 中には持ち出した遺留物、日高秀子の毛髪が入っている。
 通常の全身が揃った遺体なら、司法解剖も面倒な手続きも終わって遺族の許に返っているはずだったが、日高秀子の頭部だけの遺体は、まだ霊安室に保管されたままだった。
『初七日だからな。せめて遺髪だけでも持って行ってやらなきゃ』
 それが、独りよがりな感傷に過ぎないことは、戸田には十分わかっていた。
 それを渡辺係長が黙認したことも、そのために弁護士との打ち合わせに戸田を指名したことも……。
『有り難いんだか、有り難くないんだか、やっぱり有り難いのか……』
 胸元を押さえながら、大きなため息を付いた戸田の肩口に、切り終えた髪のくずを吸い取る掃除機のノズルがゆっくりと近づいてきた。
 その音を聞きながら、瀬ノ尾がやけに白バンの掃除と掃除場所に拘っていたことを思い出していた。
 確かに瀬ノ尾が拘るように、強力な、家庭用ではなく業務用の掃除機器がある場所で、使える場所で清掃されていることは想像できた。それ以上に、荷台から採取された髪屑を除けば、津田純子の遺留品だけしか発見されないのは、いかにも不自然過ぎた。
 何か理由があるはずだった。
 やむを得ぬ理由か、意図した理由かが。
 それは荷台から採取された他人の髪の切り屑にも言えた。
 失態なのか意図なのか……。
 いくら考えてみても、小川町の日高秀子のマンションに着くまでに答えがでるはずもなかった。
 
「鹿箭島県警の、戸田と申しますが」
 インターホン越しに声を掛けると、はっきりとした沈黙の後で、日高秀子の父、秀次郎の声が、
「どうぞ、開いてますからお上がり下さい」
 それだけを告げた。
 部屋の一角の箪笥の上には、小さな仏壇が置いてあり、その後ろの壁に日高奈津子、秀子姉妹の写真が掛けてあった。
 写真が遺影だと飲み込むには余りにも幼すぎ、楽しそうな表情だった。
 まるで、ほんの少しだけ遠くの学校にでも通っていて、しばらく帰ってこない。その代わりに自分が満喫しているそこでの生活をそのまま家に送り届け、部屋にいる者も一緒に味わっている。ただそれだけの写真に見えた。
 戸田は、小さな仏壇に遺髪を納め、ふたり分の香典を置き、しばらく拝んだ。振り向くと、正体の抜けたようにぼんやりと座っている秀子の両親、日高夫妻の姿があった。数え切れないほど警察が押収した秀子の身の回りの品と一緒に、両親の心も根こそぎ持ち出されたかのように見える。戸田は何を話すべきか躊躇した。玄関口で罵声を浴びせられ、叩き返されても不思議ではなかったが、何も言わず招き入れてくれた。戸田は畳に手を突き深く頭を下げた。
「何とも、申し上げようがありません」
 もう、と感情も抑揚も力もない声で母親が言った。 
「二度と来ないでください」
 戸田にはことばがない。
 ですが、と戸田の肩を起こしながら秀次郎が静かに言った。
「必ずもう一度だけ来てください。この子にほうびを持って……」
「きっと……」
 戸田はそれだけをやっと、口にした。
 部屋を辞した戸田は、共有通路の壁に額を打ち付けた。

 彼女が言い残したことば……。
「この眼に焼き付ける」
 そのことば通り、彼女は手がかりを焼き付けていた。
「ちくしょう。俺は、俺は……」
 県庁の展望レストランでふたり分のパフェが食べられもせず、常温で溶けていったように、戸田の心の中で幾つもの感情が、捻り合い輻輳しながら、ゆっくりと熔け落ちていった。戸田の情温、それは今何度になっていたのだろう。
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