埋(うずみふ)腐 ――警部補戸田章三の日常(仮題)

三章企画

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第七章(その5)取引

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  六月九日、午後七時半。
 明日、六月十日日曜日の午過ぎという約束だったにもかかわらず、かつ連絡もせず、戸田は四階の伊沢弁護士事務所を訪ねようとしていた。
 むろん、稲村直彦に対する聴取内容の文書など用意できていない。
 エレベーターを降りると、廊下を曲がり損ねたのか、伊沢事務所ではなく、トイレに突き当たった。この際とばかりに戸田がトイレに入ると、隅に置いてある業務用の大型掃除機が目に付いた。乾湿タイプ、水も吸い込める四十五リッター収納の人の腰回り腰高さ位の大きさのものだった。用を足しながら、
――こいつを掃除に拘っていた瀬ノ尾に見せたらどんな反応を示すかな……。
とふと思い浮かんだとき、理容室で見た透明ケースに入ったマネキンの頭が重なった。
――そうか、首桶か。あいつに頭が入れば……。くそ、早く出きりやがれ。
 さすがに出残っている小便を途中で切り上げて、掃除機の中を覗くわけにもいかない。
 戸田は苛々しながら待った。
 しかし、こんな時に限って、細々長々と小便が続く。
 箕面巡査部長の時もそうだった。
――百パーセント首が見つかる。
 そう聞いたときに、何故か逆のことを考えた。
 見つかるのは隠れているのと同じことだと。
 自分に見えない、見落としていただけのことだった。
『よし出きった』
 しまい込んでチャックをあげた瞬間、太股に暖かいものが滴ったが気にしていられない。掃除機の蓋(吸引装置でもある)を開ける。収容タンク回転型で予想通り頭を入れるだけの十分なスペースがある。
 白バンから血液反応がでなかったことで、下川畑課長は
――うまく血抜きが出来て……
 と言った。
 人間の血液は、体重の七、八パーセントだとされる。
 四十八キロ前後だった津田純子の場合、四キロ弱四リッター程度に過ぎない。
 食肉解体用のミートソウを使ったと確認できたときに、オプションの血抜きや屑吸取用のバキューム装置に思い及んでいれば、掃除機で吸わせたことに気づいたろう。そして、頭部に複数人の髪切り屑が付着していた理由にも自然と思い当たる。
「髪切屑の付着は、意図じゃない、犯人の失態だ。お前は、お前だという印鑑を押したんだ。見てろよ、すぐに追いつく」
 思わず声を上げていた。
「君、そんなところで何をしてるんだね。掃除機なんか開けて……」
 不審者に対するあからさまな視線と声音だった。
 虚を突かれてさすがに戸田は狼狽した。
「いや、怪しい者じゃ……。あ、鹿箭島県警刑事課の戸田と言うものです。ちょっと事件絡みでヒントを見つけたものですから、つい……」
「戸田さん? 身分証は? 私は、弁護士の伊沢ですが」
「ええ。明日昼過ぎから、伺うことになっていた戸田です」
 戸田がバッジを提示すると、伊沢弁護士はちょっと考え、
「予定外ですが、ちょっと時間が空いたし、今からやりますか?」
「口頭でよければこちらに異存はありませんが」
 話は決まり、
「その前に……」
 戸田は渡辺係長に連絡を入れた。
「イソザキ理容室に、収納タンク回転型の業務用掃除機を持ち込んだ者がいます。どうやら、頭部を掃除機に入れて持ち歩いた際に、髪屑が付着した可能性が大です」

「時間も時間ですから、手短にいきましょう」
 と戸田は切り出した。
「まず、稲村被告が四月八日午前九時頃、小山田町の○○建設倉庫にエンジンカッターを取りに行った際、倉庫近くで白のライトバンを見たかどうか。または、その前後、白のライトバンのボンネットを開けたのは、いつ、どこだったか? 逃走用に使うかかどうかは、こちらには関係ないことですので、要はいつどこで触ったかについて聞かせてもらえれば結構です。ご存じのように、稲村被告の指紋の付着したライトバンは、津田純子殺害事件で使用された重要証拠ですので、お忘れなく」
「それは回答してあります。四月八日の午前九時過ぎ、エンジンカッターを取りに行った際に、なんとなく触った、と。それ以上はなんとも申し上げようもなく……」
「被告は、四月十日の深夜から翌十一早朝に掛けて祇園之洲公園付近にいたはずですが、公園内の公衆電話付近で人影を目撃しなかったかどうか。見たとすれば、どのような人物だったかを聞きたいのです。その時間、公園の公衆電話から数回に渡って、連続殺害事件の最重要人物に対して電話を掛けた節があります。これも是非……」
 伊沢弁護士は微かに眉をひそめた。
――公園付近に潜んでいた経緯については、詳細を把握していないらしい……。
 と戸田は推測した。
「さらに、十日早朝からから十一日早朝に掛けて、アリストに乗って移動していたが経路は思い出せないと供述調書にありました。この点については、目撃情報もほとんどなくて確認できていません。もし、実際は十日のある時間からアリストではなくて別な車両で移動していたのなら、その事実を確認したい。例えば車両運搬車で移動していたとか……。ここからは相談なんですが、もし車両運搬車であれば、その入手経路が知りたい。あくまでも知りたいのは、入手経路であって、移動経路ではないんです。そちらの事件の公判内容がアリストで逃走していたとなっていても、こちらは一向に構わないんです。こちらの事件では、車両運搬車が頻繁に使われている形跡があります。何かルートがあれば、その糸口を掴みたい。ただそれだけのことでして」
 伊沢はあからさまな渋面を浮かべている。
「こちらには利のない取引ですね。戸田さんの言う事実が確認できたとしても、そちらが組織として隠し通す保証はない」
「確かにその通りです。あくまでも、私個人の虫のいいお願いですから……」
「わかりました。相談するだけしてみましょう。聴取内容はそれだけですか」
 ええ、それで全部です、と戸田は笑った。
「ところで、検察の調書には、稲村被告が四月九日の深夜、花野の自宅に一端アリストで帰宅して、よく十日の早朝にアリストで出かけて所在が掴めなかった。とあったでしょう」
「ええ」
「アリスト、運転してたのは、稲村じゃなくて、今村みさおですよ」
「それは、事実なのか。すでに検察は……」
「刑事の勘は物証と状況証拠と自白でしか裏付けできませんし、今村みさおには完全黙秘するようにアドバイスしてありますし。ただ……」
 戸田はにんまりと悪人の笑みを浮かべた。
「美津濃美穂が被害者だと知っていて、たぶん加害者は稲村直彦だと把握している。その中でどういう経緯かわかりませんが、彼女がいわば囮になった。彼女は稲村に気がありますが、ふたりの関係がどんなものかはわかりませんよ。でも、心証かなり悪いでしょうね」
「……」
「伊沢先生、そういうことで、車両運搬車の件、よろしくお願いします」
 
 戸田が県警刑事課に戻ったのは午後九時半を回っていた。
 瀬ノ尾は未だ残っていて、大泊関連の報告書を漁っていた。
「戸田さん、大金星かもしませんね。おれは、白バンが稲村の返答待ちになったんで、大泊洗ってました」 
「なんか出たか」
 瀬ノ尾は首を振った。
「四月二十八日、祁答院町の祁答院ゴルフクラブでゴルフ。午前九時四十分頃受付。十五時三十分頃精算して解散。十八時から天文館で打ち上げ。二十時解散。すぐに二次会。一時過ぎまでつき合っていたようです。八時半にオオセで津田純子を拾って、流合で乗り換えても間に合わない時間じゃないですが、本当にそれだけの時間です」
「スコアは?」
「九十六。ハンディは二十二とかで、ほぼいつも通り……」
「平静を装う堅いゴルフの可能性もあるな……」
「……」
「六月二日、三日はどうだ」
「二日は、入来城山ゴルフクラブで、九時から十五時。後は四月二十八日とほぼ同じです。三日なんですが、二日酔いとかで終日家にいたそうです。車が停まったままだったそうで。ああ、家は吉田町です。一人暮らしなんで近所の証言だけですが」
「こっちも車が動いているのを見ていないのか……」
 戸田は黙り込んだ。
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