埋(うずみふ)腐 ――警部補戸田章三の日常(仮題)

三章企画

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第七章(その6) 崩落

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 長い沈黙の後、戸田は、
「瀬ノ尾、車を捕まえに行くか」
 とだけ言って、瀬ノ尾の返事を待たずに外へ出ていった。
 慌てて後を追いかけた瀬ノ尾が、
「車って、車両運搬車ですか」
 訊くと、戸田は凄味を見せて笑った。
「ああ、常田を埃が出るまで叩く。やつは、ティアラの購入に関して大泊から便宜を受けている。支払いは現金とはかぎらん。場合によっては懲戒免職もあり得るが、かまわんか」
「俺は馘首にはなりませんよ。上司の暴走を止めに行くだけですから……。戸田さんこそ、その年で失職したら困るんじゃ」
 水を向けると、戸田は笑った。
「俺は茶作りするか、菓子屋になるから、別に困らん」 
――そうだったんだよな……。
 瀬ノ尾が小さくつぶやいて、頭を下げた。 
「いざというときは、俺も使ってください」

 午後十一時過ぎ、ふたりは上竜尾町の常田のアパートを監視していた。
 常田がアパートを出たら拘束して職質を掛ける。その手はずだった。
 一時間、二時間、三時間、既に灯りの消えている常田の部屋に動きはない。
 やっと三時前、一階から子ども泣き声が聞こえて、その部屋の灯りが点く。
 小声であやしているのが聞こえた。
 やがて、常田の部屋にも灯りが点き、階段を下りてくるのが聞こえた。
「来るぞ」
 戸田と瀬ノ尾は、常田の死角に回り込みながら、ティアラに近づいていった。
「常田さん、ちょうどよかった。話を聞かせてもらえるかな」
 戸田が口火を切った。
 連行した常田を物陰に停車していた公用車の後部座席に押し込んだが、室内灯は点けない。
 近くの街灯の明かりが、緊張して強ばった常田の表情を薄暗く照らし出している。
「私は前にも言った。必要だと思えばなんでもすると。今度は私の知り合いが殺されたんだ。前ほど容赦はできない」
「戸田さん」(と瀬ノ尾が煽った)
「な、なんのことか……」
「常田さん、あなた、大泊さんに頼まれて車両運搬車で車を運んだことがあるね」
「いや」
「そう。じゃあ、答えなくていいよ常田さん。私はあなたの体に訊くから」
 戸田は冷たく言い放った。異変を察して車内の僅かな隙間を逃げようと足掻く常田の手を掴み、指の間にボールペンを挟み込むと一気に捻りあげた。
 あ……。
「いけない戸田さん、それは、やっちゃだめだ」
 瀬ノ尾が常田に覆い被さって、戸田の手を押さえた。
「運んだ、運んだよ」
 常田が泣き声をあげた。
「話すからもうやめてくれ」
 
 最初は、稲村先輩が仕事の関係で大泊さんに頼まれて、いろんな仕事を引き受けてました。小遣い稼ぎにもなるので、そのうち稲村先輩がおれを大泊さんに紹介したんです。
 仕事の中身はいろいろで、小一時間ばかりですむものから、一日がかりのものまでありました。大泊さんの会社、有島殖産絡みの仕事、取引相手の仕事、その兼ね合いでのサービス仕事、大泊個人の仕事、いろいろあったようでしたが、俺にはその区分はよくわかりません。
 トラックで廃材を運搬したり、貨物を配送したり、時には工事現場で臨時の作業員もやりました。四トン生コン車の運転も、生コン打ちも、車両運搬車で、車も運んだし、俺の空いた時間と作業のタイミングが合えば、やれることはなんでもさせてもらいました。
 夜中に急に呼び出されて、徹夜で生コン打ちやったこともあります。
 皆与志の工場跡地に大きな穴が掘ってあって、そこに生コンを放り込むだけの仕事でした。夜中、あんまり明るくない照明灯点けて、大泊さんとふたりきりでなんか気味の悪い仕事でした。何の仕事かって訊いても答えないし。仕事そのものは大型生コン車を穴まで誘導するだけの簡単なもので、二台の生コン車が穴いっぱいにするのを見てるだけで二時間も掛からずに終わった記憶があります。
 報酬のよかった仕事の中には、発破を運ぶってもありました。
 信管とかマイトとか、帳簿合わせてくすねたやつを保管しといて、いざってときに闇で使うんだそうです。
 口酸っぱく言われたんで、さすがに緊張しましたよ、あの時ばかりは……。
 あれこれやってるうちに、福岡まで出向いてティアラとアリスト、その中にぎっしり詰め込んだあれこれの諸道具を運ぶ機会があって、積み込むのもやったんですが、そのときは稲村先輩も、田上さんも一緒で、まあ一泊泊まりの総出でしたっけ。
 そのときのティアラが妙に気に入って、一端廃車にするというから、なんとか自分のものにしたくて大泊さんに頼むとあっさり絡繰《からく》ってくれました。
 その代わり、今度は借金返済のために、大泊さんの仕事を手伝うようになった感じで。俺、夜も構わないので重宝されたみたい。夜中のしごとは、車とか、ユンボなんか運ぶのがほとんどだったかな。
 出水のスクラップ工場? 
 ああ、運んだ。ライトバンと普通車、何回か運んだ。
 いつ? 
 はっきり覚えてない。
 稲村さんの事件とどうかって? 
 一回はあの後かな。それっきりあそこには運ばない。
 ああ、白っぽいライトバン二台と普通乗用車だったかな。夜のライトの明かりじゃはっきりわかんないんだ。おれ、色弱の気もあるし。
 小山田の○○建設倉庫? 
 あそこは結構運んだ。車も道具も……。
 白のライトバン? 
 運んだかも。
 日にち? 
 どうだったかな、覚えてない。
 稲村さんの? 
 後からじゃなかったかな。
 ああ、吉野のチップセンター。そこから持ってって持って帰った。
 十日? 
 いや、どっちも日曜だった。確かどっちも昼前運んだ。
 うん、頼んで来たのは大泊さんだ。
 どこの車かって? 
 有島殖産のが多いかな、あと、個人のなんとかってとこ、車に名前書いてないから覚えてない。それが二三台あったかも。
 いや、稲村先輩以外運転してたのは、ああ、R解体の田上さんはやってたかも……。
 載せた車の運転? 
 やりません。荷台起こしてワイヤーで引き上げたりずり下ろしたりすればすむから。でないと、動けない車運べないし……。

 常田という気のいい青年は、ひどく危うげな橋を渡らされている。
 いつ落ちてもおかしくない。
 むしろ、この青年が落ちるのを今や遅しと待っている者がいる……。
 戸田は、手荒い真似をしたことを少々後悔していた。
 もっともボールペンを指に挟んでねじ上げたくらいでは、指は折れもしないし、さほど痛くもない。挟んだまま握りしめる方が痛いくらいだが、折られるという恐怖が先に立つ。
 それだけのことだ。
 戸田は、念のために今一度訊いてみた。
「常田さん。あなた、出水のスクラップ工場から最後に車を持ってきたのはいつです? その車の色と車種は?」
「選挙前の土曜日だったかな。薩摩町に入ったとき、耳がつぶれるかと思うくらいやかましかったから。車は白のライトバン。スモークガラスのやつだったと思う」
「どこに、その車はどこに下ろした?」
 瀬ノ尾が勢い込んで訊いた。
「大泊さんが持ってる倉庫」 
「だから、どこ、どこだって?」
「錦江町」
 瀬ノ尾が戸田を見やった。
 戸田は目配せした。
 瀬ノ尾は後部座席を降り運転席に回った。
「常田さん、せっかくだから、これから案内してもらえますか」
 常田が戸田に答える前に車は動き出している。
 常田は頷くしかなかった。
 戸田はさらに訊く。
「大泊さんの倉庫に運んだ車、中を見ましたか」
「全然」
「では……。大泊さんから預かったものは? 処分するようにと言われたものでも構いません。例えば……、掃除機とか」
「ああ、掃除機なら預かってる。梅雨明けに掃除しないようなら捨ててくれって」
「それはどこです?」
「うちの事務所。掃除機はまだ使えるし。どうせ捨てるんなら、使っちまおうと思って……。それに、ちょっとワケありなんで」
「ワケあり?」
「うちの会社の近くにイソザキって床屋があるんだけど、そこの母親とうちの社長が遠縁らしくって、母親が死んだとき俺も手伝いに行った。そのとき、大泊さんの倉庫から掃除機借りて持っていった。綺麗にして返したつもりなんだけど、ばれてたみたいで。それから、大泊さん、鍵持ち歩くようになったし」
 へへ、と常田は困ったように笑った。
 戸田は天を仰いだ。
『やってくれたよ、常田さん……。ここから崩れ落ちてくれ』
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