冬の烏と夏の朱鷺――おとき柳助物語

三章企画

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屋根の上の烏(その2)

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   (二)
 話は、半年ほど前、二月の頃に遡る。  
 常在寺門前町の【ひたちや】から目と鼻の先の、下谷広小路は摩利支天横町徳大寺裏に、柳助という菓子職人が小さな饅頭の店を構えていた。元は鍛冶町の御用菓子司大久保主水の杜氏だったというから、腕は確かだったが、気性には難があった。職人気質が凝り固まってつっ立っている。とでも言えばよかろうか。
 店はいつ開くとも知れず、開いても人によっては売らぬこともある。かと思えば、売り物の菓子を洗いざらい、近所の子らにただで分けたりもした。
 気が向かねば、鍛冶町(旧主大久保家)の依頼でも、すげなく断る。
 鍛冶町の頃からの贔屓筋、芸州浅野侯からの依頼でも一向に構わぬ。
 鍛冶町にいる時分からその気はあったが、致仕して徳大寺裏に店を構えたことで、大久保家の家士という足枷がなくなると、わずかばかりの遠慮もなくなって、文字どおり魚膠にべも砂利もないのである。
 芸州候との仲介に当たってきた赤坂新町の芸州屋藤助は、冷汗をかかされとおした。
「私も御先祖様のように芸州様での宮仕えのままでございましたら、何度腹を切らなばならなかったことか」
 半ば本気で語ったものである。
 その柳助が、常在寺傍のひたちや通いを始めてから、次第に性格が練れてきた。
  同時に、菓子の味の深み、発想の切れともに際だち始めた。
「まず、おときのおかげでございましょう」
 藤助は、しばしば言い切り、それとなく、おときの身請けを勧めたこともあった。お互い惚れ抜いているのが誰の眼にも明らかだったからだ。しかし、これには何故か柳助が頑として首を縦に振らなかった。
 強引に話を進めてへそを曲げられても困るので、話はいつしか立ち消えになったが、ますます腕の深みを増していく柳助の菓子を、芸州候浅野斉賢なりかたが殊の外重用した。
  で、この二月の末に、
「なんとかならぬか」
 と藤助に芸州候直々のご下命があった。今春の帰国の折りに、
「柳助を国元に伴いたい」
 と切り出したのである。これには、さすがに柳助の性分を知る藤助が、
「必ずと言うことでございましたら、お受けできかねます」
 と即答したそうである。すると、芸州候が、
「必ずということでなければ、引き受けるのだな」
 たちどころに切り返したと言うから、よほど柳助(の菓子)に執心していたのだろう。もはや藤助も、
「殿の思し召しは、誠心を持ってお伝えいたします」
 そう答えざるを得ず、事実上柳助を口説き落とすことを引き受けたことになる。
 その柳助は、常の菓子作りの仕事ですら、事情を話して頼み込んでみても、すんなり承諾したためしがない男である。しかも、御用職人まで勤めていた者が、枷を嫌うが故にわざわざ巷間に降りたのである。今さら芸州くんだりまで下向して、名家と言えども一介の大名の録を喰むとは考えにくかった。藤助は、伺候後の数日はため息すら出なかったのである。
 藤助は考えあぐねた挙げ句、斉賢の言った、
「必ずと言うことでなければ引き受けるのだな」
 との一言を逆手に取ることにした。
 奇策というより愚策の類だが、まずは、ともかく柳助を江戸から引っ張り出して西に向かわす。それで、取りあえず藤助の面目は立つ。あとは成り行きに任せて、芸州まで引きずっていくしかすべはない。その柳助を引っ張り出す口実……。
 まず思いついたのは、柳助が、何の信心かはわからぬが、毎月朔日十五日には永田の馬場の山王権現に欠かさず参詣することだった。それほどの信心なら、本社である近江の日枝大社への参詣を勧めてみるのも手かも知れぬと。
 だが、藤助はすぐに頭を振った。
 柳助は、月に二日、必ず永田の馬場まで来て山王権現に参詣しても、参道斜向かいの浅野候の上屋敷に顔を出した例はない。藤助が、ついでだから顔を出すようにと言ったことがあるが、
「筋が違いますので」
 との一言限りだったのを苦く思い出したのである。
 江戸を出て西に向かったはいいが、芸州まで下らずに近江で折り返されても、それはそれで斉賢候は納得なさらないだろう。
――芸州より西に出向かせる、良い口実があればよいのだが……。
 藤助は再び頭を抱え込んだ。
 さらに、二日ほど考え抜いて、やっと結論が出た。
「馬が水を飲まぬなら、飲ませる腕をもった馬飼いをあてがうしかない」と。
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