埋(うずみふ)風――風が吹いたら死体が見つかり、ぼくは少女を殺す夢を見る

三章企画

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少女を殺す夢を見ないために(その3)

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 それから二、三日の間、少し頭が重いことを除けば平穏な日が続いた。
 考えても逃げてしまうことには近づかない方がいい。
 しんどいが、向こうから来るのを待って、その時対処するしかない。
 ぼくは、諦めの境地になっていた。

 工場長は四日の昼からやってきて、受注したバラの堆肥の搬出に出かけた。
 運び終えて家に帰るばかりになった工場長が、ぼくの作業している貯蔵棟の方へやってきた。何か言いたげな顔をしている。ここは、気付いてもなにも聞かない方がいい。ぼくは気付かぬ振りをした。
「木塚、あれだ。買った堆肥をどう使おうとかまわんが、ちゃんと使ってもらいたいよな」
 そうですね。ぼくはついうっかり返事した。
「だろう。初めての客だったから、堆肥を水に打たせて腐らせでもすると、悪臭もでるし、土壌改良の効果もでなくなるので、使い残しにはシートでも掛けて水気を防いで下さい。そう言ったんだ。するとな、腐らせて匂いがするような奴の方が効くんだ。黙ってろだとさ。相手は、お前と似たような年の若造だぞ。腹が立ったが、ぐっと堪えて、だな。帰ってきた」
 しかし、結局堪えきれなくなって、今爆発しているわけだ。ぼくは、ひそかにため息を付きながら堆肥の山から下りて、小一時間工場長に付き合った。
 工場長の話を聞きながら、――確かに一度に三トンもの堆肥をバラで購入する人間が、植物の肥培管理に全く疎いとは、少々考えにくい。
 かと言って素人が大量の堆肥を購入するのも不自然だ、とは感じた。
 ただ、我々の仕事には肥培管理の指導は入っていない。聞かれれば、農協なり、市町村なり県なりの指導員を紹介する程度のことで、頼まれた商品を納入して代金をもらえればそれで終わりだ。
「もらうものをもらったら、それでいいじゃないですか」
 ぼくが水を差して、工場長が頷いてその話はおしまいになった。

 翌五日の正午過ぎ、小雨の中を押領寺さんがやってきた。いきなり、
「今日は犬のことじゃない。深刻な話があって相談に来た」
 と切り出してきた。
「木塚さん。あんた、犬は無理でも、殺されたかどうかは無理でも、人が埋まっているところは見つけられるんだろう?」
 ぼくは曖昧に頷く。嫌な予感がしたが、押領寺さんの場合は、犬であっても一度引き受けている。ごまかすことは難しかった。
「見つけてくれないか。うちの近所の夫婦が行方不明になっている」
 ぼくは耳を疑い、自分でも血の気が引いていくのがわかった。まずいことになりそうだ。
「押領寺さん。それは警察のほうが……」
「一昨日の夜、嫁に行った娘から相談があった。両親が一週間近くまったく音信がない。気になって来てみると、姿が見えない。一緒に住んでいる次男は、ふたりは連休に旅行に行ったが、行き先は知らないと言っている。確かに鞄や衣類はなくなっているが、何も言わずに長旅をするような両親じゃないし、母親の方は高血圧の持病があって、長期の旅行自体できるような体調じゃなかった。なにか変な感じがすると」
 押領寺さんはぼくを見つめた。押領寺さんの中では結論が出ているのだろう。もしかすると、次男が関わって両親に何かをしたのではないかと思っているのだろう。
「娘さんの話だと、庭で何か燃やした跡があって、弟に聞いたら、畳をひどく汚したんで燃やしたと答えたそうだ。畳も新しいのが入っていたそうだ。それに家に続く菜園が掘り返されいて、それには堆肥を入れて土作りをすると言ったそうだ。昨日の夕方見に行ったら、確かに堆肥が山盛りになっていた」
 それは、とぼくは渋った。
「まともな受け答えのような気もしますが、疑えば切りはないし、もうしばらく待ってみたらどうです。連休も明日までだし、ひょっこり帰ってくるんじゃないですか」
「次男というのは、立てこもりと言うのか、一年くらい前に仕事を辞めてずっと家に閉じ籠もっている。ほとんど人付き合いもしない。たまに見るわたしらも気になっていた。むろん両親も心配していた。その息子を置いたまま、誰にも、娘にすら行き先も告げずに旅行して、連絡がつかなくなるなんて考えられるか」
 立てこもり? ああ、引きこもりのことか。ぼくは一瞬笑いそうになった。が、事態は深刻なようだった。笑うわけにはいかない。
「娘は両親のことを心配している。本当に旅行に行っただけかも知れない。もしかすると、弟が何かしでかしているのかもしれない。どちらにしても、早くなんとかしたい。苦しいよ、木塚さん。誰かが背中を押さないと駄目なんじゃないかね。わたしのときみたいに」
 わかりました、とぼくは答えた。見に行くだけですよ、と。
「娘さんに連絡が付けば、今日でも構いません。でも、一度切りにして、あとは警察にでも……」
「そのつもりでいる。頼む。見つからなくてもいいんだ。わたしが、木塚さんに来てもらって、納得したように」
 その日、五月五日の午後五時半過ぎ、ぼくは押領寺さんのハウスに出向き、押領寺さんと所在不明の夫婦、日高さんの娘と合流して日高さんの家に向かった。市道から少し入った農道沿いで周囲には人家は見えない。建物の周囲には、二、三メートルほどの高さのハマヒサカキの生け垣が防風林代わりに植え込まれている。
 ぼくは、押領寺さんとふたり車を降りて生け垣を超えて中に入っていった。ゆらゆらと途切れ途切れに、あの風が吹いてくる。ぼくは、押領寺さんの肩を掴んだ。建物と菜園を仕切る生け垣越しに堆肥が見え、ちらちらとオレンジ色の薄い光の染みが瞼の裏で踊っていた。
「ありますよ。たぶん、あの堆肥の下です」
 朝からの雨にずぶ濡れになった、山積みされた堆肥越しに、死後の腐敗臭がかすかに漏れだしている。こうしておけば、確かに一見堆肥の腐敗臭としてごまかせるだろう。
 もう長居は無用だった。押領寺さんは、そのまま日高さん夫婦の娘さんを促して警察に向かい、ぼくは自分の部屋に戻った。
 フローリングの床に腰を下ろし、つぶやいた。
「なあ、一城、美奈子さん。ぼくは、いずれどこかで君を見つけだす日が来るんだろうな」
 閉じた瞼の裏でオレンジ色の光の染みが踊っていた。
『できれば、生きている君と会ってみたかった』
 ほんの二三日前には、あれほど鮮明に焼き付いていた彼女の顔が、今思い出そうとするとどんどん曖昧になり消えていく。記憶が分解され溶けて消えていく。そんな感じだった。
 ぼくは思い出すのを諦めた。どうせ今夜の夢に見る。
 だが、その夜ぼくは夢を見なかった。
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