埋(うずみふ)風――風が吹いたら死体が見つかり、ぼくは少女を殺す夢を見る

三章企画

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ぼくが変わり、夢が変わり、少女が変わる(その3)

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 帰ると郵便受けの中に、川南多津子さんからの封書が入っていた。
 夫であった川南雄一の失踪宣告が受理されたこと。
 公報に掲載後、生存の申し出がなければ戸籍を抹消すること。
 これまでの厚誼についての感謝などが記されていた。
 これで彼女は、何の心配もなく、全く新しい人生を始められるというわけだった。
 それに引き比べ――、とぼくは思った。
 かなり複雑な気持ちで一城美奈子の似顔絵を画像データに取り込み、幾つものサイトや掲示板にアップしていった。五年以上も昔のことについて、どれだけの反応があり、どれだけの効果があがるかはわからない。
 現実の彼女と会っているのなら、ぼくの活動圏内を似顔絵片手に地道に聞き回る方が、むしろ早道だったろう。
 戸田刑事が、莫大な広さのウッドチップの山の中に残された、ほんのわずかな血痕を見つけ出せたように、その在処《ありか》すら特定できれば、検出することができる。
 人の存在も同じように、在処すら特定できれば、見つけ出すことができる。
 その在処には、諦めずに虱潰しに捜し続ければ、いつかは辿り着く。
 ぼくは窓を開けた。
 六月の、湿ったひんやりとした風がゆっくりと入り込んでくる。
 入り込んだ風の流れの端で、無造作に床に放り出した川南多津子さんの手紙が揺れている。封書の先の、これも無造作に置かれたままの、堆肥センターから持ち出した肥料サンプルの段ボール箱が目に留まった。この中のサンプルの古いものは、川南さんが堆肥センターで働いていた頃のものもあるはずだった。
――そう言えば、あの頃のぼくは、夢も見ず、風にも遇わなかった。何の因果でこうなったのか。
 ぼくは苦く笑った。
 同時に、以前川南さんと一城美奈子をペアにして探してみよう。
 そう考えたことも思い出した。
「駄目モトで、奥さんに聞いてみるか」
 ぼくは声に出して言ってみた。
「潰せるものは全部潰して、あとのことはそれから考えよう」と。

 川南多津子さんが指定した日曜――。
 六月十日の昼過ぎ、ぼくは一城美奈子の似顔を携えて、K市花野町けのちょうの川南家を訪ねた。アパートの二階の一室。きれいに片づけられてはいたが、狭い二Kの部屋だった。
「生きている者は生活しないといけませんから」
 多津子さんは眼を細めて恥ずかしそうに笑った。
 夫の雄一さんの失踪後、どういう経緯でこのアパートに落ち着いたかはわからないが、彼女の日に焼けた健康そうな姿と、屋外に干された作業服は、彼女が僕らと同じような外仕事をしていることを物語っていたし、さりげなく見渡した室内には、雄一さんの写真はおろか、影を感じさせるものは何ひとつなかった。
 ふたりの間には子どももなかったし、どこかで完全に吹っ切っている。
 そう思えた。
――これなら切り出しやすい。 
「どうぞ、もう冷たいものでもいいでしょうから」
 多津子さんがテーブルの上に、コースターと麦茶を入れたコップをふたつ置き、それで、と切り出した。
「川南に関することで見て欲しいものって、なんでしょうか」
 ぼくは、テーブルの上に無造作に似顔絵を拡げ、彼女の方に押しやった。
「この女性ですが、見覚えはありませんか。雄一さんが失踪した七年ほど前に、見かけているかと思いまして……」
 多津子さんはテーブルの上の似顔絵を手に取ることもなく、顔を近づけることもせず、ひどくぼんやりとした笑みを浮かべて眺めていた。その曖昧な笑みを浮かべた表情からは、彼女の感情の変化も掴みようがない。
 彼女は、ぼんやりとした口調で言った。
「冷たいうちにどうぞ。あ、やっぱり暖かいものがよかったでしょうか」
「いえ。おかまいなく」
 ぼくは麦茶のコップに手を伸ばした。
「この人がなにか」
「ええ。川南さんの知人かどうか、奥さんが知ってらっしゃるのではないか、と」
 ほんの一瞬彼女の表情が曇ったように見えたが、すぐに曖昧な笑みが浮かんだ。
――女出入りの烈しかった川南さんとの、人に言えない過去が胸を過《よ》ぎっているのだろう。曖昧な笑みを浮かべているのも、彼女なりに身構えているせいかもしれない。
  そうも思った。だが、もう川南さんはいないし、おそらく彼女の気持ちも実質的には切れているはず。気にすべきではない。
「事情があって、この人を捜しているんですが、ご存じありませんか。よく見てください」
 ぼくは、似顔絵を彼女の方に、もう一度大きく押しやった。似顔絵はテーブルの上から半分はみ出し、落ちそうになった。彼女はゆっくりとした動作で手を伸ばし、落ちそうな似顔絵を掴んだ。ぼくはコップを取り一口飲んだ。
「川南さんは女性の知り合いも多かったようですし、ぼくも何度か、その知り合いと一緒のところに出くわしました。奥さんも全部はご存じないと思いますが、その子だけでも見覚えか、名前に覚えはないか、と」
 彼女は似顔絵を取ろうとして下を向いたきりで、表情がうかがえない。
 ぼくは、もう一口飲んだ。
「たぶん、一城美奈子という名前だと思うんですが、違うかも知れません」
「かずしろ、みなこ。――さあ、どうだったか」
 彼女は下を向いたまま、くぐもった声で答えた。
「ゆっくりでいいんです。思い出したことがあったら、いつでも連絡してもらえれば……」
「あの、川南のことについてはもう……」
 彼女はゆっくりと顔を上げた。明らかに嫌悪の表情を示している。
 いや、とぼくは呟くように言った。
「この件に関しては、実は、ぼくの問題なんです。どうしても探し出したくて、川南さんと接点があればというか、あって欲しかったというか。縋るような思いで来てみたんです」
 はぁ……。
 彼女はぼくの真意を探るような、強ばった怪訝な表情を浮かべている。
「なんとか思い出せませんか」
「川南がいれば何かわかったかも知れませんが、ご存知のようにいませんし……。それに、いないかもしれないその人のことは、なおさら私にはわかりません」
「ですよね。奥さんが言うように、いないかも知れない、見つからないかも知れないとは思うんですが、どうしても捜し出さなきゃいけない理由がありまして。――思い出したら、いや、思い出さなくてもいいので、なにかあったら、連絡してもらえるだけでも」
 え、ええ。
 口ごもった彼女の顔には、何かを言い損ねたような、何か棘でも刺さったような表情が一瞬通り過ぎていった。
 ぼくは、何か言い損ねたろうか、聞き損ねたろうかと、問いかけるように彼女をまじまじと見た。彼女は、すぐに俯いて言った。
「約束はできませんけど……」
「ええ、それでもかまいません」
 そうは口にしたものの、物足りない結果だがこれで終わりだろうと思っていた。
 今後のことは、あまり期待できない。
 ぼくは、コップに残った麦茶を一気に飲み干した。
 彼女もゆっくりとコップに口を付けている。一口飲んでコップをテーブルに戻した彼女の、潤んだ唇がひどく艶めかしく見えた。その潤んだ唇だけがまるで意志を持った生き物のように蠢いていて、今にも蝶のように飛び立ち、ぼくに近づいて来るようにすら思えた。ぼくは思わず目をそらした。
――同じ光景をどこかで見た気がする。
 いつ? 
 どこだった?
 夢で?
 そうか、夢で見たんだ。
 酒に酔った彼女、一城美奈子が口移しに何かの薬を含んだアルコールを流し込み、ぼくは唇を重ねたまま気を失った夢……。
『何を考えているんだ……』
 ぼくは跳ね上がるように立ち上がった。

「お邪魔しました。そろそろ失礼します」
 彼女、川南多津子さんは、いかにもほっとした表情を浮かべている。
 確かに、ぼくは、彼女にとって受け入れたくない用件の客だったろう。
 だが、そのあからさまな態度が、ちょっとだけしゃくに障って……。
 つい口にした。
「ぼくに相談してくれれば、もっと早く川南さんの件の決着がついたかもしれませんね。知ってます? ぼくは、殺された死体を見つけられるんですよ」
 彼女の顔色が変わった。
 いや、むしろ形相が変わった。
 そう表現すべきだったか。
――彼女は叫び声を上げた。
「もう帰って下さい。もう二度と来ないで」 
 ぼくは飛び出すように彼女の部屋を出た。
 ――言い過ぎた。
 これで、川南さんの線から捜すことは完全に無理になった。
 そう思った。
「貴重な休みを使って、いったい何しに来たんだろう」
 自分の部屋に逃げ帰る車の中で、ぼくは声に出してみた。
 川南多津子さんの部屋に、似顔絵を置いたままにしてきたことを思い出したが、取りに戻れるはずもない。もともと彼女に渡すためのコピーだし、原本はある。
「彼女が好きにするさ」
 と口にしてみた。
――部屋にあれば、もしかして、何か思い出したときに連絡してくれるかもしれない。
 ちらりと思ったが、たぶん、ありえなかった。
 それにしても、何故あんな子どもじみたことを口走ったのか。
 時間が経つにつれて、澱が溜まるように後悔が胸にわだかまっていく。
 その澱に、何かが引っかかりまとわりついてくる。
 姿がわからぬまま離れない。
 口を滑らせたことに理由があるとすれば、彼女、川南多津子さんの潤んだ唇と、夢の中の少女、一城美奈子の唇とがリンクしたことにあるのだろう。
 だが、多津子さんは、色白で卵形の輪郭をして、表情は豊かだが、はれぼったい奥二重の丸い小さな眼で、薄い唇をしている。
 一城美奈子は、小さくすっきりした顎を持つ細面の輪郭。くっきりした二重のやや釣り上がった切れ長の大きな目。ふっくらとした唇。対称的だった。
 唯一同じだったのは、長さの程度は違うが、真っ直ぐな長い黒髪だけだったろう。
 それも、今は短く切り揃えている。
 違うな、ぼくは、また口に出していた。
「それは違っている。もっと別な何かだ」
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