31日目に君の手を。

篠宮 楓

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26日目~28日目 原田視点

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「……そうで……、……し」
「……ったく……」

 微かに聞こえてくる声に、意識が浮上した。
 ……俺、どうしたっけ?
 原田は痛む頭と動こうにもぴくりともしない体に眉を顰めながら、状況を把握しようと瞼に力を込めた。
 
 ……あれ?

 開かない。
 薄くは開くのかぼんやりと明かりが見えたけれど、それだけだ。
 おかしい。俺、ホントにどうしたっけ……

 回らない頭をなんとか叩き起こしながら、思い返せるところまで記憶をたどる。
 確か今日は、合宿が終わって……アオの家に来たんじゃなかったっけ。で、なんか寒気がするから寝転がったところまで……、覚えてるんだけど……。

 普通なら一瞬で思い出すようなことなのに、酷く時間がかかる。
 そして、酷く体が重い。

「……おねが……す」

 さっきから聞こえてくる声は、誰なんだ ?記憶が正しければ、ここにいるのはアオとあの三人だけのはずなんだが……それとは違う初老と言い切れる穏やかな声。
 それと――

「あぁ、この子ホント馬鹿だから」

 ……なんだ今の、物凄く聞きたくない声だけはっきり聞き取れるとか。

 重い瞼をこじ開けるように何とか力を込めて、声のした方へと目を向ける。
 うすぼんやりとした中、横に座る人と立っている二人の人影。ぼんやりとしすぎて顔は見えないけれど、確実に今の声はあれだ。
 あれだよ、あれ。

「あー? 麗しの姉の声で目開けたわよ、この馬鹿」
「あ、本当だ……」

 姉だよ;;

 麗しじゃねぇ、うるせぇからだ。

 立っていた一人が、腰を屈めて原田の顔を覗き込む。
「大丈夫? ……色惚け」
 最後ものすごい小さい声でぼそりと原田の耳元で呟くと、姉の三和はにんまりと笑って体を起こした。
「じゃあ、本当に申し訳ないんだけどよろしくお願いします」
「あ、はい。こちらこそすみません……」
 それに応えるのは、アオだ。
 っていうことはもう一人は……

「じゃ、私もそろそろ帰るから。安静にさせてやって。まったく、保護者がこれじゃ叱ってもらうわけにもいかないじゃないか。早く元気になってこの娘の食生活を見てもらわんと」
 愚痴か、病人に向って愚痴か。
 しかも保護者って。

 また明日来るからとそう言って消えた人影は、きっと村山先生だろう。歩き出した村山先生を追って、三和とアオも姿を消した。


 その後姿を見送って、原田は天井に視線を移すと大きく溜息をついた。それさえも体に負担がかかるらしく、肺から絞り出す様に吐き出した二酸化炭素は唇に熱さを伝える。
 きしむ間接、熱い体。
 痛む喉、重い頭。

 あー、やっちまったか。

 原田は内心納得して、こじ開けていた瞼を閉じた。
 あのまま熱出して、寝込んだって所だろう。三和がいるのが不思議だけれど、家族の中で唯一運転できるのは姉だけだからそれで連絡がいったのかもしれない。
 思いの外冷静に考えている自分に、自嘲する。

 辻の言う事、聞いてりゃ良かった。アオに迷惑かけちまった。

「……ななしくん、目、覚めてるの?」
「……」
 いつの間に戻ってきたのかゆっくり目を開けると、傍で原田を覗き込んでくるアオの姿がぼんやりと目に映った。
「……」
 口を開こうにも、上手く筋肉が動いてくれない。神経は熱で麻痺しているのか、歯医者で麻酔でもうたれたような感覚だ。
「……大丈夫じゃないよね、ほんと……無理するんだから」
 辛そうなその声に、ぴくりと指先が動く。けれどその先は、無理だった。もどかしくて、布団の中で指先だけを無駄に動かす。

 アオはそんな原田に気が付かず正座している自分の膝の上で、ぎゅっと両手を握りしめていた。
「ごめんね、ごめん。ななしくん、本当にごめんね」
 原田は否定する言葉を吐けない事をもどかしく歯噛みしながら、よく見えないアオを見上げる。
「俺、は……だいじょ……ぶ」
 なんとか絞り出した声は、熱の為かのどの炎症のためか掠れていて。
「ななしくん、しゃべっちゃだめだよ」
「み、やげ……。けいた……い」

 アオの言葉を遮るように口にすれば、アオは視線を彷徨わせて頷いた。
「……前みたいに写真撮ってきてくれたんだね。ありがとう……」
 ありがとうと言う割には、アオの握りしめられた手が白くなるほど力が入ってしまったのに気付く。

 アオは悪くないのに。
 俺が、ただの阿呆だっただけで。
「あのね、安静にしていた方がいいって。だから、ゆっくり休んでね。ゆっくり、寝て――」
 ぼんやりとした視界に、泣きそうなアオの表情。
 胸が、ぎゅ、と締められる。
 
 今日、来なけりゃよかった。
 アオにこんな顔させて。
 アオにこんな思いさせて。

「手……」

 何とか呻いた言葉に、アオははっとしたように握りしめていた手を離した。すぐに指が伸ばせないほど、力を込めていたらしい。
 膝に置かれた手は原田の視界から、消える。

 それでも、一瞬だったけど見えてしまった。
 赤く色づいた、細い線。
 あれは、きっと……爪の――

「ア、オ……」
「うん、早く、目瞑って。寝ちゃうんだよ、ななしくん」

 ふわりと撫でられた、頭。
 気持ちいいと思うけれど、それ以上に。


 手、触れたい。
 俺のせいで傷の出来たその手に――
 アオは悪くないって、そう伝えながら――

 いや、ただ単に触れたいだけかもしれない。
 だな、触れたいだけだろう。

 久しぶりに会えたアオに、好きな人に触れたいだけだ。

 ……熱にやられたかな、俺の脳味噌。

 そんな事を考えながらも、本能は阿呆な欲求を訴え続ける。
 けれど、動かない体。自分の気持ちとは反比例に、重くなる瞼。

「ごめんね、ななしくん」
「な、で……そ……」

 そんなに、謝る? アオは、悪くないのに。

 何度も何度も謝るアオの声を聞きながら、原田は意識を手放した。
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