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第5章 巫女として
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「――玉衣様」
「……!」
大兄の声にふと我に返った洞主は、すぐに居住まいを正し日嗣に向き直る。
「……恐れながら、彼女をお使いになりたいと仰られるのは例の、〝御霊祭〟であらっしゃいましょう。貴方様が剣気にて穢れをお祓いになった水霊を、御自ら淡島の水の護りになさると――すでに高天原より内示を頂戴し、私も調整を進めて参っておりますが」
「ならば話が早い。内、あれには巫女舞の一を舞わせたい。卦を見るに、幸い日も十分にある。今からでも仕込みは間に合おう」
「お……お待ちくだされ、巫女舞の一とは……!」
そうして日嗣の言葉が増えるたびに緊張感を増していく部屋の空気に、当の神依本人は居心地の悪そうな顔をして身を縮ませてしまう。そして足を崩しがてらほんのちょっと席を下がると、一体何がどうなっているのかを禊に囁き問うた。
「禊……みたままつりって、何?」
「後できちんとお話いたしますので、この場では」
「……わたし、どうしたらいい?」
「それは……、……」
言いかけて、上座の神の視線に気付いた禊は神依を仕草で促し前を向かせる。神依もそれに気付き、いつもと違う言葉遣いや雰囲気の日嗣にただ黙して言葉を待った。
「お前は、私があの禍津霊の首と胴を断つ瞬間を見ていたであろう」
「……はい」
「御霊祭とは、その魂に神名を与え神として祭り上げる儀式のことだ。今は殯に服す龍の、魂が離れぬよう結んだ玉の緒を解き、巫女が舞にてそれを興す。その魂に天津神である私が神名を与える神詞を詠み、神と成す。その新たな神から了承と、天津神への服従が宣誓されたなら、巫女はそれを受け淡島の人間として新たな神への服従を誓う」
「あー、簡単に言うと、殯ってのは火葬や埋葬をせずに遺体を安置しておくことな。お前もじかに見てたからわかるだろ? あれを、儀式を通じて神と巫の力で新たな神として祭り上げるんだ」
(や……ややこしい……)
神依は日嗣をてっぺんに据えた三角形と矢印の図を頭に描きながら、なんとかその仕組みを理解していく。猿彦の説明だけでもいい気がしたが、もし自分が関わることならばきちんと知っておきたかった。
事の発端になった子龍は相変わらず腕に巻きついている。退屈なのかずっと目をつむって布の間に顔を埋めて寝ているようだったが、神依のふとした仕草に目を開き、きょろきょろとそこにある者たちを見比べた。
「あの……わたし、後からこの子に名前をつけてあげようと思ったんですけど……、それももしかしたら、やめておいた方がいいですか?」
「……!」
それに禊や洞主たちが驚いたように息を呑んだが、猿彦だけは笑って応じてくれた。
「はは、すげぇこと考えるな。まあ今はチビっこくて可愛くても、後々でかくなったときにどんな影響が出てくるか俺たちにもわかんねえからなあ。名前ってのはそんだけ重いモンなんだ。それに――龍ってのは、俺たちともまた違った輪の中で生きる神さんだからな。なかなか扱いが難しい」
「そうなんですか……」
だが、それを日嗣は興そうとしている。
「でも……じゃあ、あの龍は……生きているんですか?」
「……魂は留まっている。それを転じさせてやれば、神としての肉の器も新たに成されよう」
「……」
神依はあの日のことを思い出しながらちらりと腕の子龍を見る。
あのとき日嗣と龍が話していたのは、きっとこのことだったのだろう。だけどそれなら……あの可哀想な龍も、満たされるような気がした。穢れに犯され貶められた矜持も、自分を襲った罪の意識も綺麗にそそいで洗い去って。
「――まあ確かに、言われてみりゃ適任っちゃあ適任なんだよな。結局一番の当事者は神依だしな」
「猿彦さん」
「いいか、魂を神に据えるのは確かに孫だけど、その神の魂の質は巫女舞にかかってくる。肉体が死んだ魂ってのは大抵うんと沈んでるかうんと荒ぶってるかのどっちかだけど、今回は間違いなく前者だ。だからこそ、当事者である神依がどんだけ心を寄せてやれるかで、神としての質はだいぶ変わる」
「え……え? 神様の質って?」
二人の神を交互に見れば、日嗣がそれを受ける。
「巫女舞は魂を興し、あるいは鎮め、もっとも和……和やかな状態に近づけるものだ。今回は水神としての名を下すが、魂の力が弱ければ弱い神しか生まれず、治める川や池は水が枯れ、あるいは滞りが起きるであろう。逆に魂が荒ぶったままなら人に御せぬ神になり、その川や池は氾濫を起こし、他の命を蝕むものになろうな」
「っそ――そんな大事なことをわたしにって……!」
それを聞いた神依は慌てて頭を振った。
あの龍のためにも、もし自分にも何か役立てることがあればとは思ったが――事は予想以上に大きいものだったらしい。
「洞主様……!」
「うむ……」
助けを求めるように洞主を見れば、彼女もまた困ったような、難しそうな顔をしながらも言葉を接いでくれた。
「仰せのとおり、今回に限っては神依が誰よりも適任たることは私も承知の上。しかしながらまだ巫女としての経験もなく、ましてや御前に立ち、舞の芯をなす一の場はあまりにも荷が――」
が、日嗣はといえばその言い分を聞くだけ聞いた後、
「もう決めた。――私が決めたのだが?」
「……、左様か。そうまで申されては……致し方なきこと。……良いように」
(……え? あれ?)
たった一言でそれを押し通すと、調整のために洞主を残し他の者にはあっさりと退室を命じた。
「……!」
大兄の声にふと我に返った洞主は、すぐに居住まいを正し日嗣に向き直る。
「……恐れながら、彼女をお使いになりたいと仰られるのは例の、〝御霊祭〟であらっしゃいましょう。貴方様が剣気にて穢れをお祓いになった水霊を、御自ら淡島の水の護りになさると――すでに高天原より内示を頂戴し、私も調整を進めて参っておりますが」
「ならば話が早い。内、あれには巫女舞の一を舞わせたい。卦を見るに、幸い日も十分にある。今からでも仕込みは間に合おう」
「お……お待ちくだされ、巫女舞の一とは……!」
そうして日嗣の言葉が増えるたびに緊張感を増していく部屋の空気に、当の神依本人は居心地の悪そうな顔をして身を縮ませてしまう。そして足を崩しがてらほんのちょっと席を下がると、一体何がどうなっているのかを禊に囁き問うた。
「禊……みたままつりって、何?」
「後できちんとお話いたしますので、この場では」
「……わたし、どうしたらいい?」
「それは……、……」
言いかけて、上座の神の視線に気付いた禊は神依を仕草で促し前を向かせる。神依もそれに気付き、いつもと違う言葉遣いや雰囲気の日嗣にただ黙して言葉を待った。
「お前は、私があの禍津霊の首と胴を断つ瞬間を見ていたであろう」
「……はい」
「御霊祭とは、その魂に神名を与え神として祭り上げる儀式のことだ。今は殯に服す龍の、魂が離れぬよう結んだ玉の緒を解き、巫女が舞にてそれを興す。その魂に天津神である私が神名を与える神詞を詠み、神と成す。その新たな神から了承と、天津神への服従が宣誓されたなら、巫女はそれを受け淡島の人間として新たな神への服従を誓う」
「あー、簡単に言うと、殯ってのは火葬や埋葬をせずに遺体を安置しておくことな。お前もじかに見てたからわかるだろ? あれを、儀式を通じて神と巫の力で新たな神として祭り上げるんだ」
(や……ややこしい……)
神依は日嗣をてっぺんに据えた三角形と矢印の図を頭に描きながら、なんとかその仕組みを理解していく。猿彦の説明だけでもいい気がしたが、もし自分が関わることならばきちんと知っておきたかった。
事の発端になった子龍は相変わらず腕に巻きついている。退屈なのかずっと目をつむって布の間に顔を埋めて寝ているようだったが、神依のふとした仕草に目を開き、きょろきょろとそこにある者たちを見比べた。
「あの……わたし、後からこの子に名前をつけてあげようと思ったんですけど……、それももしかしたら、やめておいた方がいいですか?」
「……!」
それに禊や洞主たちが驚いたように息を呑んだが、猿彦だけは笑って応じてくれた。
「はは、すげぇこと考えるな。まあ今はチビっこくて可愛くても、後々でかくなったときにどんな影響が出てくるか俺たちにもわかんねえからなあ。名前ってのはそんだけ重いモンなんだ。それに――龍ってのは、俺たちともまた違った輪の中で生きる神さんだからな。なかなか扱いが難しい」
「そうなんですか……」
だが、それを日嗣は興そうとしている。
「でも……じゃあ、あの龍は……生きているんですか?」
「……魂は留まっている。それを転じさせてやれば、神としての肉の器も新たに成されよう」
「……」
神依はあの日のことを思い出しながらちらりと腕の子龍を見る。
あのとき日嗣と龍が話していたのは、きっとこのことだったのだろう。だけどそれなら……あの可哀想な龍も、満たされるような気がした。穢れに犯され貶められた矜持も、自分を襲った罪の意識も綺麗にそそいで洗い去って。
「――まあ確かに、言われてみりゃ適任っちゃあ適任なんだよな。結局一番の当事者は神依だしな」
「猿彦さん」
「いいか、魂を神に据えるのは確かに孫だけど、その神の魂の質は巫女舞にかかってくる。肉体が死んだ魂ってのは大抵うんと沈んでるかうんと荒ぶってるかのどっちかだけど、今回は間違いなく前者だ。だからこそ、当事者である神依がどんだけ心を寄せてやれるかで、神としての質はだいぶ変わる」
「え……え? 神様の質って?」
二人の神を交互に見れば、日嗣がそれを受ける。
「巫女舞は魂を興し、あるいは鎮め、もっとも和……和やかな状態に近づけるものだ。今回は水神としての名を下すが、魂の力が弱ければ弱い神しか生まれず、治める川や池は水が枯れ、あるいは滞りが起きるであろう。逆に魂が荒ぶったままなら人に御せぬ神になり、その川や池は氾濫を起こし、他の命を蝕むものになろうな」
「っそ――そんな大事なことをわたしにって……!」
それを聞いた神依は慌てて頭を振った。
あの龍のためにも、もし自分にも何か役立てることがあればとは思ったが――事は予想以上に大きいものだったらしい。
「洞主様……!」
「うむ……」
助けを求めるように洞主を見れば、彼女もまた困ったような、難しそうな顔をしながらも言葉を接いでくれた。
「仰せのとおり、今回に限っては神依が誰よりも適任たることは私も承知の上。しかしながらまだ巫女としての経験もなく、ましてや御前に立ち、舞の芯をなす一の場はあまりにも荷が――」
が、日嗣はといえばその言い分を聞くだけ聞いた後、
「もう決めた。――私が決めたのだが?」
「……、左様か。そうまで申されては……致し方なきこと。……良いように」
(……え? あれ?)
たった一言でそれを押し通すと、調整のために洞主を残し他の者にはあっさりと退室を命じた。
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