キセキ

吉野 那生

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邂逅

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遥か昔、ヴォルクの名を持つ1人の若い悪魔がいた。
彼は少々変わっていて、誰よりも力強く大空を翔ける事を喜びとし、早く飛ぶ事に誇りを感じていた。
艶やかな漆黒の翼を羽ばたかせる姿は、遠目には黒い大きな鳥のようだった。


ある時…空を切り取ったような蒼い瞳を煌かせ、彼は眼下に広がる世界を見下ろした。
そして血の色をした巨大な満月を背に、彼は何か小さく呟いた。 

  

冥界において最高位の魔力を持つヴォルクにとって、自らの姿を完全にヒトと同化させる事は、呼吸するのと同じくらい容易い事だ。

数え切れないほど長い時間、人間界にいるおかげでヒトの言葉や生活習慣については熟知している。
それに同種の者であったとしても、彼の「気」を察する事は相当困難な筈だ。
それくらい彼は巧妙に自身の「本性」を隠し、ヒトに溶け込んでいた。

パッと見ただけでは、彼がヒトなのかそうではないのか分かる者など、まずいないと言えるだろう。

 とはいえ、彼ほどの魔力を持つ者でも異なる世界に留まるにはいくつかの条件がある。

その世界の存在に完全に同化する事。
人間界でなら、ヒトになりきる事が最低限の条件だ。
魔力の使用も基本的に禁じられているが、自身の生命に関わる場合においてのみ認められている。
また真実の名を明かし、本来の姿を現す事は、いかなる場合においても禁じられている。

異世界では、姿を変え名を偽って過ごさなければならないのだ。
もし禁を破ればたちどころに冥界から追放され、翼と永遠の生命とを失ってヒトとして一生を終えなければならなくなる。

それはある意味、永遠の命を持つ者にとって自殺に等しい行為だった。 



ブブブブブブ

ポケットの中の携帯が振動し、着信が入った事を知らせてきた。

彼は携帯を取り出し、相手を確認してから通話ボタンを押した。 

「ダニエルだ」

 彼の名はダニエル。
もちろん真実の名は別にあるのだが、人間界でも彼はそう呼ばれていた。

「分かった分かった、すぐ戻るから」

通話を終えた彼は、慣れたしぐさでポケットからコインを取り出し、地下鉄の券売機の前に立つ。

目的地まで7駅。
コインを入れてボタンを押し、出てきたチケットを摘むと彼は人波の中に消えていった。    

 *
      
所謂、通勤ラッシュの時間帯。

超満員の電車にソフィアは揺られていた。
最初は何とかつり革を掴んでいたが、人の波に押されあっという間に手を離す羽目になってしまった。
せめて精一杯踏ん張るものの、電車が揺れるたびに周りの人に押され無理な姿勢を強いられていた。

「きゃ!」 

またしても電車が大きく揺れた弾みで、すぐ脇に立っていたダニエルの胸に顔から突っ込んでしまう。

「す、すみません…」

「いや」

顔を上げ声をかけると、ダニエルは驚いたように僅かに目を見張った。
しかしすぐに目を逸らした彼は、何事か考え込むような素振りで目を伏せた。 

ソフィアはそんな様子に訝りながらも、見知らぬ相手を凝視し続けるのも憚られ、スッと目線を戻した。 

そんな彼女を、ダニエルは内心震える思いで見つめていた。 


ヒトと同化させてはいるが、彼女の纏う「気」には覚えがあった。



——彼女はもしかして、あの時の……? 

脳裏に凛とした眼差しがまざまざと蘇り、ダニエルの胸はまるで切り裂かれでもしたかのように痛んだ。

同時に、得体の知れない感情がじわじわと込み上げてきて、彼はグッと奥歯を噛みしめた。


——こんな…互いの住む世界とは異なる世界で。
姿を変え名を偽った状態で、星の数ほどヒトがいる中で、再び出会う事があるだなんて。


もしかしたら、奇跡とはこういう事をいうのではなかろうか。 
窓ガラスに映る2人は、他のヒトとなんら変わらない姿をしている。


彼女も…おそらく自分が「悪魔」だとは気付いていないだろう。
そう確信する程度には、ダニエルは自分の本性を隠しヒトに同化する術について自信を持っていた。  


それにしても…と、ダニエルはぼんやり思った。

互いに翼を持つ者同士だというのに、両者のイメージはまるで正反対だ。 

今はヒトとしての姿を保っているが、記憶の中の彼女は汚れなき純白の翼を持っていた。
彼女達「天使」は、文字通り神の使いとして敬われ愛される存在として、ヒトに認知されている。

一方、艶やかな漆黒の翼を持つ彼は「悪魔」と呼ばれ、ヒトを騙して誘惑し、たぶらかす存在として忌み嫌われ恐れられている。 


そしてそんな2人の、これが運命の邂逅であった。 
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