紅に燃ゆる〜千本桜異聞〜

吉野 那生

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第二幕〜伏見稲荷〜

静御前

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義経様一行が去った後、私達は義経様が静御前と過ごした屋敷へ向かう事にした。



その途中、義経様のお屋敷の前を通りかかった。

見れば、門の辺りに点々と血の跡らしき物が。

ここで、激しい斬り合いが行われたという客観的な証拠に、背筋を冷たいものが駆け抜ける。


人気のないお屋敷は妙に寒々としていた。

昨日訪れた際は沢山の人が出入りして、とても賑やかで活気があったのに。



——ここで郷の方様が命を絶たれた、なんて…。


彼女の遺体はどうなったのだろう…。
ちゃんと葬ってもらえるんだろうか。


思わず立ち止まり、手を合わせる。

ふと、気配を感じ顔を横に向けると、四郎様も静かに両手を合わせていた。


そんな私達を静御前も禅師様も、黙って待っていてくれた。


***


屋敷に戻ったその日から、静御前は床から起き上がれなくなってしまった。


無理が祟ったのか、義経様に置いていかれた事が相当堪えたのか。
あるいはその両方か。

見る間に衰弱していき、辛そうに咳をする姿は見ていられない程だった。

禅師様が懸命に看病するものの、容体はいっこうに良くはならず。
ついには大量の血を吐き、倒れてしまった。




「姉様、お白湯をお持ちしました」

その日は妙に肌寒かった。

薄い肌襦袢では余計に体調が悪化してしまうかもしれない、と起き上がった静御前の肩に綿入れをかける。


文机には先程摘んできた紫苑。

一輪挿しなんて物はないので、徳利を花器の代わりにして日々の花を入れている。


「花言葉、であったか。
紫苑にはどのような意味があるのじゃ?」


この時代には、まだ生け花という文化はないけど、花を愛でる心は昔も今も同じ筈。
少しでも静御前の心を慰めてくれれば、と日々目に付いた花を飾ったり、花言葉にかこつけて色々おしゃべりしてるんだ。

千日紅から紫苑に変わった事に気付き、咳のし過ぎで掠れた声で静御前が問う。
 

「紫苑の花言葉は『貴方を忘れない』です」


お白湯で唇を湿らせた静御前は、淡い笑みを浮かべる。
遠い目をして、義経様の事を思い出しているんだろう。

そんな静御前の邪魔をしないよう、私は息を潜めて見守っていた。


「会いたいの、せめて最後にひとめだけでも」


ポツリと漏らした言葉に、胸が痛む。


「そんな事…最後だなんて、言わないで」

「己の身体じゃ、わかる」


深い、ため息にも似た吐息を漏らし、静御前は私を見つめた。


「正直に云うてほしい。
お静、そなた知っておるのであろう?
九郎様の事も、この先も」


——何故それを…。

驚きのあまり言葉の出ない私に、静御前はふんと鼻を鳴らした。


「お静は嘘が下手じゃ」



——わかってて聞かないでくれてたの?


「言いたがらぬ事を、無理に聞き出すつもりはなかったでな。
しかし、もう時がない。
冥土の土産に、そなたが知っている事を教えてたも」

この通りじゃ、と頭を下げる静御前。


「ちゃんと言えなくてごめんなさい。
お願いだから頭をあげて」



誇り高い静御前が、私に頭を下げるなんて。

——何だか泣きそう。



冥土の土産なんて言ってるけど…心残りなのよね。
義経様の行く末を見届けられない事が。




「九郎様はこの後、どうされるのじゃ?
どのようなご最期を?」

 
障子の外に四郎様の気配。

彼も気になるのよね、きっと。

義経様の事が。

託された静御前の事が。


そして…静御前に瓜二つの、得体の知れない私の存在が。



「義経様は昔過ごした奥州へ、藤原氏を頼って逃れていくの。

でも藤原氏も代替わりしてね。
新しい当主は、鎌倉からの圧力に耐えきれなくなってしまう。

義経様は衣川という所で兵に囲まれ、自害。

弁慶は義経様の自害を助けるため、堂の前に仁王立ちして沢山矢を射かけられるの。
そのまま立ち往生、と言われている」


「…弁慶殿は最期まで供が叶うたのか」


「でもね、歴史書って勝者が…この場合は鎌倉方が、自分達に都合のいい事だけ残した物だと思うのよ。

書かれている事が真実とは限らないし、触れられていない事、脚色されている事も沢山あると思う。

何より、義経様って人気あるんだ。
衣川で亡くなったとされるけど、実は生きててもっと北まで落ち延びたとか。

何なら日本を脱出して、モンゴルっていう国の王となったとか、色々伝説が残っているの。

皆、義経様の死を認めたくなかったんだよ、きっと」


「…そうか」


それきり、静御前は黙って紫苑を見つめていた。


「九郎様は…抗う事を決して止めぬ。
最後の最後まで足掻き続ける、そういうお方じゃ。

私もお側でそれを見守っていたかった。
共に抗いたかった、たとえどうなろうとも」


やがて、絞り出すように紡がれた言葉。

静御前の最後の望み。



その想いを受け止めた瞬間、私は理解した。
何故、この時代に呼ばれたのかを。



——静御前の想いを、無念を義経様に伝える為。
静御前の代わりに、文句の一つも言ってやる為にここに呼ばれたんだ。


「そなたはこれからも多くの事を目にし、耳にするであろう。
中にはそなたの心を惑わす物も、そなた自身を惑わす物もあるやもしれぬ。

けれど良いか。

沢山の物事を見聞きし、それを見極めるのじゃ。
他人の言葉をたやすく信じてはならぬ。

己自身でよく考え、感じ、得た物を信じよ」



冷たい風が吹き込み、頬を撫でる。


「お静、そなたにはそなたの暮らしがあったであろうに済まなんだ。
しかしそなたに会えて、私は幸せであったぞ。

初めて会うた時から、何やら他人とは思えなんだ。
姿形は確かによく似ておるが、それだけではない。
そなたとおると、どことなく懐かしいような妙に安らぐような、そんな心地にすらなる。

そなたの事は真実、妹と思うてきたのじゃ。
お静、短い間とはいえ姉妹あねいもうととして過ごせた事、誠に幸せであったぞ」


「…静、姉様」


「姉と思うてくれるのなら、どうか最後の頼み、聞き届けてはくれぬか?」


ここでの日々が、走馬灯のように駆け抜ける。
そのどれもが、静御前と共に過ごした大切な時間。


「無理矢理に連れてきた事、幾重にも詫びようほどに…九郎様の行く末を私に代わり見届けてはもらえまいか」



——うん、多分その為に私は呼ばれたんだよ、きっと。


今は…そんな気がしている。



「この上なく厚かましい頼みである事は、百も承知。
しかし…」


必死に頼み込む静御前の肩に手を置き、その言葉を止める。


「わかった。
姉様の願い、引き受けるよ」

「お静、いや、静佳殿…かたじけない」


あちらで唯一の肉親を亡くして、寂しくて心許なくて。
そんな私を妹と呼んでくれた静御前は、いつしか私にとって本当の姉のような存在となっていた。


「自分の元へ突然現れたのには、何か意味があるんじゃないか?って前に言ったよね。

多分そういう事なんだよ。
私が時を超えて過去に呼ばれた理由、それは静様の意志を継ぐ為、なんじゃないのかな」


「過去……。
そなた、何者じゃ?」
 


困惑気味な静御前に、最初で最後の真実を告げる。


「桜宮静佳。
今から八百年くらい後の世界から来たんだ」


***


それから数日後、静御前は義経様と束の間幸せに過ごした屋敷で息をひきとった。


そのお顔は安らかで、早すぎる別れを惜しむ者達の涙を余計に誘った。



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