99 / 115
第3章 大狼討伐戦
第60話 不意の事故
しおりを挟む
センゼリカ王都。今宵、流れるままに燃ゆる都。
配備された改良型バリスタは4基。
その射程の更に上空。見えた機影は麦粒。
夜の闇に紛れ、内部まで入り込まれる寸前。
粒は斥差で捉えられた。
「撃てい!当たらずとも、牽制にはなる。資材半数まで撃ち放て」
威力、速さ、連続性、飛距離。性能は旧型とは比べ物にはならない。
タッチーと言う異世界の少年は、果たして何処まで予測しこれを我らに寄越したのだろう。
マクベスが居れば。それは適わぬ願いだ。
彼は先んじて東へと向かった。
飛翔スキル。飛行に類する手段を持つ者が今、王都には居なかった。
少年からの忠告が無ければ、上空など見てもいなかった。
感謝しよう。
ヒオシ。娘を頼む。
-スキル【万象】
並列スキル【迂曲】発動が確認されました。-
太い鏃が飛んで行く。
防衛に張った風の壁を突き破り。
高みを冒す方舟を。
たった1本操るだけでも、全身が痛む。
振り上げた拳からは既に血が滴り落ちていた。
クイーズブラン王国。王国騎士団長の任に就いて十年以上。後人が上手く育たず、引退は出来なかった。
悔やむのは…。いやそれは止めよう。
あの子は人並の幸せを掴んだのだ。
これ以上は親の勝手。名乗りもしていない親をどうして父と呼べようか。
「ペンダー様!」
近くの兵士が叫んだ。
私も歳だ。齢五十を越えればガタも来る。
命。命を賭けるなら今正に。
片膝が落ち掛けた。奥歯を砕かんと噛み堪える。
「狼狽えるな!命は何れ尽き果てる。穿て。魂を込めろ」
隣接から放たれた鏃に術を加えた。
更に加速する一矢。私は報いなければならない。
国に。家族に。ロンジーとリンジーに。
面白いではないか。最後に戦う者たちが、闇に組する者たちだとは。
これは聖戦。
-スキル【万象】
並列スキル【迂曲】【散弾】同時発動されました。-
一矢から二矢。二矢から三矢。
遙か上空で変貌を遂げる鏃。
膝が笑う。視界が霞む。
色濃い闇が、視界を遮り狭めた。
ペンダーの心根が止まったのが早いか。
方舟の壊滅が先だったのか。
彼の膝が地に着く前に。
夜空を焦す火花を見る事は適わず。
血に塗れた歯を見せ、口端を釣上げ、満足そうな表情を浮べてペンダーは逝った。
-スキル【森羅】
ブラッディスキル【万象】を継承しました。
これに伴い、最上位スキル【森羅】は、
【森羅万象】へと進化しました。-
-----
出遅れた。かなり超絶出遅れた。
妹の真っ白なお目目が眩しい。寧ろ痛ぇ。
「…兄様は何時になったら、出立されるのですか?」
こっちが聞きたいわ!
装飾に割かれた時間が丸で無駄。
東の加勢に向かう手筈だったのに。
本気で無駄な足止めを喰らった。
-スキル【不遇】
並列スキル【遅延】発動されていました。-
何だか最近運が悪い。強奪持ちのあの爺さんが間違えて消去を持って行った頃からな気がする。
ここまで来ると、気の所為では済まされない。
いっそ出てくの止めよかなぁ…。
「皇帝陛下!舟の準備が整いました」
急激に流れが変化したのを感じた。…んだと…。
もしや望みとは反対方向に進むのか?
だとしたら。
「行くの止めようかなぁ」
「全機準備万端です。巨大狼程度、空から一網打尽に屠りましょう」
成程ねぇ。意志に反するか。
「行きたくないなぁ」
不本意を口にしながら、渡し板に足を掛けた。
気怠そうに舵に手を掛け、拡声器を取った。
「予定の全機。発進(待機)せよ!」
ドッグ口が開いた。
整備済の三十隻。本営機が先頭に。
残りを引き連れ、飛び立った。
「勝利(敗北)は我らに!愛しい妹よ、後は任せた」
面倒くせえ!一々反意を念じなければ成らないなんて。
いっそ無口を貫くか。
「ヴェルガ陛下。ご指示を」無理やね。
「全艦、全速前進(のんびり)在るのみ。一路、大山脈エイラー。ベンジャムの真上を圧し通る。途中塞がる同種の機影は全て敵と見なせ。(適度に)殲滅艦隊戦へと移行する。命を捧げ(大切に)よ」
高く高く飛び立つ飛空挺を歓喜で見送る人々。
その中に、蠢くのは反意の塊。
反政府組織、ネフタリヤの人員。
斯くして反乱は成就する。
「兄様の許可は下りている。臆するな。元老院、貴族院の老害を叩き潰せ!」
ネフタルの号声が冷たく木霊した。
それは、ヴェルガ(藤原)の意志の範囲を外れたからかも知れない。
大きな歴史の変化点に気付けた者は誰一人居なかった。
-----
三人の娘たちは良くやった。
それぞれ重傷ではあるが、命に別状は無い様だ。
死神の呪いは消えたのだろうか。
過信は禁物だが、これはあの少年たちが流れを変えてくれたからに違いない。
舟は三隻共に破壊し尽くした。
敵の残存も残り僅か。この程度なら後は軍兵に任せ、村へと帰還するのが最善と思える。
「回復は自分たちで出来るか?」
「ご心配には及びません。自力で町へと戻ります」
「疲れましたが大丈夫です」
「し、死ぬかと思った…」
見るからに満身創痍なのだが。ここは気丈なる振舞いを称えよう。
「ゴルザ様。剣を」
「それはもうお前の物だ。代わりにこれを貰い受ける」
馴染みの長剣の鞘当てを手渡した。
大剣を貰ったはいいが、収める為の鞘入れが無い。
しばし逡巡していると。
「これを」
エストマがBOXから取り出したのは、大剣用の鞘の上部部分。後の2人もそれぞれ中段と下段を出して寄越した。
組み上げ式の鞘。この様な技巧が在るとはな。
大剣も鞘も異常な軽さ。白銀の大盾の裏側に斜めで取り付け背負った。違和感を丸で感じなかった。
我が身と同時に呪いを受けた長剣と三人娘に別れを告げ、軍馬に跨がった。
村までの帰路の途上。思わぬ一群と出会した。
「ゴルザ殿!」
村の警護を任せておいた当人がだ。
「エムール…。ここで何をしている」
「いえ、村は何事も無い。娘殿との交際の許可を得ようと一刻も早く挨拶にと」
こいつは、一体全体何をほざいているのだ。
戦時に何を根拠に何事も起きないと。これだから王族は信用出来ない。
今現在ターニャは全く関係が無い。
怒りと殺意が湧いたが、三兄弟の長兄である皇太子まで屠っては暴妃との戦争が起きてしまう。
期待した私が愚かだったのだと諦める事にした。
「今直ぐ村に戻る。その話はこの大狼との戦況が落着いてからだ」
しかしターニャとの交際だと?申し込むのは自由だが、我が子が受け入れるとは思えない。
父としての怒りが再び湧いたが自重した。
それより何より。少年から預かった書物を村に置いたままなのが気になる。
あれの重要性は誰にも言っていなかった。
責めてこの者には伝えるべきだったかも知れない。
BOXからの強奪を懸念した上で、村のある人物に手渡した。中身を知らねば気取られる心配は少ないと踏んだのだが。
中身を読んでも単なる初級の魔道書。真の意を理解していなければ読み解けはしない。当然私も。
エムールを連れ、村へと急いだ。
-----
サイカル村の村長、トルルバの自宅にて。
ゴルザが居ないこの好機。
本を渡せる者が居るとしたら、村の住人の誰かだ。
誰も居なければ本人が持っている可能性が高くなる。
気配を探る。勿論魔道書の。
村の住人が数十人に対し、国軍兵士が百を越えている。
様子からしても、書の所在は確度が高い。
脅威と成りそうな者は見当たらなかった。
ゴルザの眼を欺く為に時間を浪費し朝になってしまった。
鼻歌交じりに朝食作り。
フィーネはご機嫌でトルルバとの朝食を作っていた。
鍋で湯を沸かし、一旦分厚い鍋敷きに置いた。
鍋敷きにしては厚く大きく重宝した。
ゴルザに言われた通りに使っている。
採れ立ての野菜や果物をナイフで刻んだ。
タッチーとヒオシは元気にしているだろうか。
ナイフを握る度に思い返していた。
鼻歌と思い出と料理で忙しく、背後に迫る人の気配には一切気付いていなかった。
フィーネはナイフを手にしたまま、野菜を鍋に投入しようと不意に身体を反転させた。
サクッ。柔らかい肉でも切った様な感覚。
「なっ…」驚いた拍子に更に深く突き入れた所でナイフを手放した。
「ぐわっ」
倒れ込んだトルルバではない人。脇腹から夥しい量の血を流していた。
見た事もない知らない人。
「だ、大丈夫ですか?」
驚きと恐怖で錯乱。倒れた者に手を伸ばそうとした際に熱湯入りの鍋の取っ手に手が当たり、中の湯を不審人物の上から打ち撒いて掛けてしまった。
「ぎゃー!!」
「ご、ごめんなさい!あーどうしましょう。い、今綺麗な手拭いを持って…」
狼狽え目を離した間に、男の姿は血痕とナイフを床に残して消えてしまった。
初めての感触と所業に怯え、手の震えが止まらない。
「どうした!?」
異様な様子に飛び起きたトルルバが、台所で腰を落とし震えるフィーネに掛け寄った。
「私にも、何が何だか。気付いたら、隣に男の人が居て、ナイフで刺してしまいました」
震えながらも答えるフィーネの前には、転がった鍋とナイフと血溜りを湯で流した様な跡が在り、ゆらゆらと湯気が立っていた。
「怪我は?火傷は?」
「わ、私は大丈夫です。私は…」
確かに見た目に異常は無さそうだ。
「知らぬ者だったのか?」
「はい…。全く見た事がない人でした」
「落着くまで休んでいなさい。今日の炊き出しの当番は誰かに代わって貰うとしよう」
「はい…」
「朝食はお隣さんにでも頼む。気が晴れたなら共に食べに行こう」
「ありがとうございます。そうさせて貰います」
無理矢理立たせ、フィーネの自室に送った。
台所に戻り、痛む腰を叩き直しながら眺めた。
皿に移す前の果物を手に取り口へ運んだ。
生臭い血の臭いが鼻に付く。
何かが足りない。
見渡しても、台所はフィーネに任せ切りだったのでそれが何なのかは解らなかった。
トルルバはゆっくりと首を鳴らして考えたが、暫くすると諦め簡単に片付けを施し、隣家へと向かった。
知らぬが仏や神為れど。
彼らは失った物の大きさを知らず。
今日も変わらぬ日常を過ごした。
配備された改良型バリスタは4基。
その射程の更に上空。見えた機影は麦粒。
夜の闇に紛れ、内部まで入り込まれる寸前。
粒は斥差で捉えられた。
「撃てい!当たらずとも、牽制にはなる。資材半数まで撃ち放て」
威力、速さ、連続性、飛距離。性能は旧型とは比べ物にはならない。
タッチーと言う異世界の少年は、果たして何処まで予測しこれを我らに寄越したのだろう。
マクベスが居れば。それは適わぬ願いだ。
彼は先んじて東へと向かった。
飛翔スキル。飛行に類する手段を持つ者が今、王都には居なかった。
少年からの忠告が無ければ、上空など見てもいなかった。
感謝しよう。
ヒオシ。娘を頼む。
-スキル【万象】
並列スキル【迂曲】発動が確認されました。-
太い鏃が飛んで行く。
防衛に張った風の壁を突き破り。
高みを冒す方舟を。
たった1本操るだけでも、全身が痛む。
振り上げた拳からは既に血が滴り落ちていた。
クイーズブラン王国。王国騎士団長の任に就いて十年以上。後人が上手く育たず、引退は出来なかった。
悔やむのは…。いやそれは止めよう。
あの子は人並の幸せを掴んだのだ。
これ以上は親の勝手。名乗りもしていない親をどうして父と呼べようか。
「ペンダー様!」
近くの兵士が叫んだ。
私も歳だ。齢五十を越えればガタも来る。
命。命を賭けるなら今正に。
片膝が落ち掛けた。奥歯を砕かんと噛み堪える。
「狼狽えるな!命は何れ尽き果てる。穿て。魂を込めろ」
隣接から放たれた鏃に術を加えた。
更に加速する一矢。私は報いなければならない。
国に。家族に。ロンジーとリンジーに。
面白いではないか。最後に戦う者たちが、闇に組する者たちだとは。
これは聖戦。
-スキル【万象】
並列スキル【迂曲】【散弾】同時発動されました。-
一矢から二矢。二矢から三矢。
遙か上空で変貌を遂げる鏃。
膝が笑う。視界が霞む。
色濃い闇が、視界を遮り狭めた。
ペンダーの心根が止まったのが早いか。
方舟の壊滅が先だったのか。
彼の膝が地に着く前に。
夜空を焦す火花を見る事は適わず。
血に塗れた歯を見せ、口端を釣上げ、満足そうな表情を浮べてペンダーは逝った。
-スキル【森羅】
ブラッディスキル【万象】を継承しました。
これに伴い、最上位スキル【森羅】は、
【森羅万象】へと進化しました。-
-----
出遅れた。かなり超絶出遅れた。
妹の真っ白なお目目が眩しい。寧ろ痛ぇ。
「…兄様は何時になったら、出立されるのですか?」
こっちが聞きたいわ!
装飾に割かれた時間が丸で無駄。
東の加勢に向かう手筈だったのに。
本気で無駄な足止めを喰らった。
-スキル【不遇】
並列スキル【遅延】発動されていました。-
何だか最近運が悪い。強奪持ちのあの爺さんが間違えて消去を持って行った頃からな気がする。
ここまで来ると、気の所為では済まされない。
いっそ出てくの止めよかなぁ…。
「皇帝陛下!舟の準備が整いました」
急激に流れが変化したのを感じた。…んだと…。
もしや望みとは反対方向に進むのか?
だとしたら。
「行くの止めようかなぁ」
「全機準備万端です。巨大狼程度、空から一網打尽に屠りましょう」
成程ねぇ。意志に反するか。
「行きたくないなぁ」
不本意を口にしながら、渡し板に足を掛けた。
気怠そうに舵に手を掛け、拡声器を取った。
「予定の全機。発進(待機)せよ!」
ドッグ口が開いた。
整備済の三十隻。本営機が先頭に。
残りを引き連れ、飛び立った。
「勝利(敗北)は我らに!愛しい妹よ、後は任せた」
面倒くせえ!一々反意を念じなければ成らないなんて。
いっそ無口を貫くか。
「ヴェルガ陛下。ご指示を」無理やね。
「全艦、全速前進(のんびり)在るのみ。一路、大山脈エイラー。ベンジャムの真上を圧し通る。途中塞がる同種の機影は全て敵と見なせ。(適度に)殲滅艦隊戦へと移行する。命を捧げ(大切に)よ」
高く高く飛び立つ飛空挺を歓喜で見送る人々。
その中に、蠢くのは反意の塊。
反政府組織、ネフタリヤの人員。
斯くして反乱は成就する。
「兄様の許可は下りている。臆するな。元老院、貴族院の老害を叩き潰せ!」
ネフタルの号声が冷たく木霊した。
それは、ヴェルガ(藤原)の意志の範囲を外れたからかも知れない。
大きな歴史の変化点に気付けた者は誰一人居なかった。
-----
三人の娘たちは良くやった。
それぞれ重傷ではあるが、命に別状は無い様だ。
死神の呪いは消えたのだろうか。
過信は禁物だが、これはあの少年たちが流れを変えてくれたからに違いない。
舟は三隻共に破壊し尽くした。
敵の残存も残り僅か。この程度なら後は軍兵に任せ、村へと帰還するのが最善と思える。
「回復は自分たちで出来るか?」
「ご心配には及びません。自力で町へと戻ります」
「疲れましたが大丈夫です」
「し、死ぬかと思った…」
見るからに満身創痍なのだが。ここは気丈なる振舞いを称えよう。
「ゴルザ様。剣を」
「それはもうお前の物だ。代わりにこれを貰い受ける」
馴染みの長剣の鞘当てを手渡した。
大剣を貰ったはいいが、収める為の鞘入れが無い。
しばし逡巡していると。
「これを」
エストマがBOXから取り出したのは、大剣用の鞘の上部部分。後の2人もそれぞれ中段と下段を出して寄越した。
組み上げ式の鞘。この様な技巧が在るとはな。
大剣も鞘も異常な軽さ。白銀の大盾の裏側に斜めで取り付け背負った。違和感を丸で感じなかった。
我が身と同時に呪いを受けた長剣と三人娘に別れを告げ、軍馬に跨がった。
村までの帰路の途上。思わぬ一群と出会した。
「ゴルザ殿!」
村の警護を任せておいた当人がだ。
「エムール…。ここで何をしている」
「いえ、村は何事も無い。娘殿との交際の許可を得ようと一刻も早く挨拶にと」
こいつは、一体全体何をほざいているのだ。
戦時に何を根拠に何事も起きないと。これだから王族は信用出来ない。
今現在ターニャは全く関係が無い。
怒りと殺意が湧いたが、三兄弟の長兄である皇太子まで屠っては暴妃との戦争が起きてしまう。
期待した私が愚かだったのだと諦める事にした。
「今直ぐ村に戻る。その話はこの大狼との戦況が落着いてからだ」
しかしターニャとの交際だと?申し込むのは自由だが、我が子が受け入れるとは思えない。
父としての怒りが再び湧いたが自重した。
それより何より。少年から預かった書物を村に置いたままなのが気になる。
あれの重要性は誰にも言っていなかった。
責めてこの者には伝えるべきだったかも知れない。
BOXからの強奪を懸念した上で、村のある人物に手渡した。中身を知らねば気取られる心配は少ないと踏んだのだが。
中身を読んでも単なる初級の魔道書。真の意を理解していなければ読み解けはしない。当然私も。
エムールを連れ、村へと急いだ。
-----
サイカル村の村長、トルルバの自宅にて。
ゴルザが居ないこの好機。
本を渡せる者が居るとしたら、村の住人の誰かだ。
誰も居なければ本人が持っている可能性が高くなる。
気配を探る。勿論魔道書の。
村の住人が数十人に対し、国軍兵士が百を越えている。
様子からしても、書の所在は確度が高い。
脅威と成りそうな者は見当たらなかった。
ゴルザの眼を欺く為に時間を浪費し朝になってしまった。
鼻歌交じりに朝食作り。
フィーネはご機嫌でトルルバとの朝食を作っていた。
鍋で湯を沸かし、一旦分厚い鍋敷きに置いた。
鍋敷きにしては厚く大きく重宝した。
ゴルザに言われた通りに使っている。
採れ立ての野菜や果物をナイフで刻んだ。
タッチーとヒオシは元気にしているだろうか。
ナイフを握る度に思い返していた。
鼻歌と思い出と料理で忙しく、背後に迫る人の気配には一切気付いていなかった。
フィーネはナイフを手にしたまま、野菜を鍋に投入しようと不意に身体を反転させた。
サクッ。柔らかい肉でも切った様な感覚。
「なっ…」驚いた拍子に更に深く突き入れた所でナイフを手放した。
「ぐわっ」
倒れ込んだトルルバではない人。脇腹から夥しい量の血を流していた。
見た事もない知らない人。
「だ、大丈夫ですか?」
驚きと恐怖で錯乱。倒れた者に手を伸ばそうとした際に熱湯入りの鍋の取っ手に手が当たり、中の湯を不審人物の上から打ち撒いて掛けてしまった。
「ぎゃー!!」
「ご、ごめんなさい!あーどうしましょう。い、今綺麗な手拭いを持って…」
狼狽え目を離した間に、男の姿は血痕とナイフを床に残して消えてしまった。
初めての感触と所業に怯え、手の震えが止まらない。
「どうした!?」
異様な様子に飛び起きたトルルバが、台所で腰を落とし震えるフィーネに掛け寄った。
「私にも、何が何だか。気付いたら、隣に男の人が居て、ナイフで刺してしまいました」
震えながらも答えるフィーネの前には、転がった鍋とナイフと血溜りを湯で流した様な跡が在り、ゆらゆらと湯気が立っていた。
「怪我は?火傷は?」
「わ、私は大丈夫です。私は…」
確かに見た目に異常は無さそうだ。
「知らぬ者だったのか?」
「はい…。全く見た事がない人でした」
「落着くまで休んでいなさい。今日の炊き出しの当番は誰かに代わって貰うとしよう」
「はい…」
「朝食はお隣さんにでも頼む。気が晴れたなら共に食べに行こう」
「ありがとうございます。そうさせて貰います」
無理矢理立たせ、フィーネの自室に送った。
台所に戻り、痛む腰を叩き直しながら眺めた。
皿に移す前の果物を手に取り口へ運んだ。
生臭い血の臭いが鼻に付く。
何かが足りない。
見渡しても、台所はフィーネに任せ切りだったのでそれが何なのかは解らなかった。
トルルバはゆっくりと首を鳴らして考えたが、暫くすると諦め簡単に片付けを施し、隣家へと向かった。
知らぬが仏や神為れど。
彼らは失った物の大きさを知らず。
今日も変わらぬ日常を過ごした。
0
あなたにおすすめの小説
ブラック企業で心身ボロボロの社畜だった俺が少年の姿で異世界に転生!? ~鑑定スキルと無限収納を駆使して錬金術師として第二の人生を謳歌します~
楠富 つかさ
ファンタジー
ブラック企業で働いていた小坂直人は、ある日、仕事中の過労で意識を失い、気がつくと異世界の森の中で少年の姿になっていた。しかも、【錬金術】という強力なスキルを持っており、物質を分解・合成・強化できる能力を手にしていた。
そんなナオが出会ったのは、森で冒険者として活動する巨乳の美少女・エルフィーナ(エル)。彼女は魔物討伐の依頼をこなしていたが、強敵との戦闘で深手を負ってしまう。
「やばい……これ、動けない……」
怪我人のエルを目の当たりにしたナオは、錬金術で作成していたポーションを与え彼女を助ける。
「す、すごい……ナオのおかげで助かった……!」
異世界で自由気ままに錬金術を駆使するナオと、彼に惚れた美少女冒険者エルとのスローライフ&冒険ファンタジーが今、始まる!
俺、何しに異世界に来たんだっけ?
右足の指
ファンタジー
「目的?チートスキル?…なんだっけ。」
主人公は、転生の儀に見事に失敗し、爆散した。
気づいた時には見知らぬ部屋、見知らぬ空間。その中で佇む、美しい自称女神の女の子…。
「あなたに、お願いがあります。どうか…」
そして体は宙に浮き、見知らぬ方陣へと消え去っていく…かに思えたその瞬間、空間内をとてつもない警報音が鳴り響く。周りにいた羽の生えた天使さんが騒ぎたて、なんだかポカーンとしている自称女神、その中で突然と身体がグチャグチャになりながらゆっくり方陣に吸い込まれていく主人公…そして女神は確信し、呟いた。
「やべ…失敗した。」
女神から託された壮大な目的、授けられたチートスキルの数々…その全てを忘れた主人公の壮大な冒険(?)が今始まる…!
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
唯一無二のマスタースキルで攻略する異世界譚~17歳に若返った俺が辿るもう一つの人生~
専攻有理
ファンタジー
31歳の事務員、椿井翼はある日信号無視の車に轢かれ、目が覚めると17歳の頃の肉体に戻った状態で異世界にいた。
ただ、導いてくれる女神などは現れず、なぜ自分が異世界にいるのかその理由もわからぬまま椿井はツヴァイという名前で異世界で出会った少女達と共にモンスター退治を始めることになった。
湖畔の賢者
そらまめ
ファンタジー
秋山透はソロキャンプに向かう途中で突然目の前に現れた次元の裂け目に呑まれ、歪んでゆく視界、そして自分の体までもが波打つように歪み、彼は自然と目を閉じた。目蓋に明るさを感じ、ゆっくりと目を開けると大樹の横で車はエンジンを止めて停まっていた。
ゆっくりと彼は車から降りて側にある大樹に触れた。そのまま上着のポケット中からスマホ取り出し確認すると圏外表示。縋るようにマップアプリで場所を確認するも……位置情報取得出来ずに不明と。
彼は大きく落胆し、大樹にもたれ掛かるように背を預け、そのまま力なく崩れ落ちた。
「あははは、まいったな。どこなんだ、ここは」
そう力なく呟き苦笑いしながら、不安から両手で顔を覆った。
楽しみにしていたキャンプから一転し、ほぼ絶望に近い状況に見舞われた。
目にしたことも聞いたこともない。空間の裂け目に呑まれ、知らない場所へ。
そんな突然の不幸に見舞われた秋山透の物語。
解呪の魔法しか使えないからとSランクパーティーから追放された俺は、呪いをかけられていた美少女ドラゴンを拾って最強へと至る
早見羽流
ファンタジー
「ロイ・クノール。お前はもう用無しだ」
解呪の魔法しか使えない初心者冒険者の俺は、呪いの宝箱を解呪した途端にSランクパーティーから追放され、ダンジョンの最深部へと蹴り落とされてしまう。
そこで出会ったのは封印された邪龍。解呪の能力を使って邪龍の封印を解くと、なんとそいつは美少女の姿になり、契約を結んで欲しいと頼んできた。
彼女は元は世界を守護する守護龍で、英雄や女神の陰謀によって邪龍に堕とされ封印されていたという。契約を結んだ俺は彼女を救うため、守護龍を封印し世界を牛耳っている女神や英雄の血を引く王家に立ち向かうことを誓ったのだった。
(1話2500字程度、1章まで完結保証です)
ギャルい女神と超絶チート同盟〜女神に贔屓されまくった結果、主人公クラスなチート持ち達の同盟リーダーとなってしまったんだが〜
平明神
ファンタジー
ユーゴ・タカトー。
それは、女神の「推し」になった男。
見た目ギャルな女神ユーラウリアの色仕掛けに負け、何度も異世界を救ってきた彼に新たに下った女神のお願いは、転生や転移した者達を探すこと。
彼が出会っていく者たちは、アニメやラノベの主人公を張れるほど強くて魅力的。だけど、みんなチート的な能力や武器を持つ濃いキャラで、なかなか一筋縄ではいかない者ばかり。
彼らと仲間になって同盟を組んだユーゴは、やがて彼らと共に様々な異世界を巻き込む大きな事件に関わっていく。
その過程で、彼はリーダーシップを発揮し、新たな力を開花させていくのだった!
女神から貰ったバラエティー豊かなチート能力とチートアイテムを駆使するユーゴは、どこへ行ってもみんなの度肝を抜きまくる!
さらに、彼にはもともと特殊な能力があるようで……?
英雄、聖女、魔王、人魚、侍、巫女、お嬢様、変身ヒーロー、巨大ロボット、歌姫、メイド、追放、ざまあ───
なんでもありの異世界アベンジャーズ!
女神の使徒と異世界チートな英雄たちとの絆が紡ぐ、運命の物語、ここに開幕!
※不定期更新。最低週1回は投稿出来るように頑張ります。
※感想やお気に入り登録をして頂けますと、作者のモチベーションがあがり、エタることなくもっと面白い話が作れます。
ハズレ職業の料理人で始まった俺のVR冒険記、気づけば最強アタッカーに!ついでに、女の子とVチューバー始めました
グミ食べたい
ファンタジー
現実に疲れ果てた俺がたどり着いたのは、圧倒的な自由度を誇るVRMMORPG『アナザーワールド・オンライン』。
選んだ職業は、幼い頃から密かに憧れていた“料理人”。しかし戦闘とは無縁のその職業は、目立つこともなく、ゲーム内でも完全に負け組。素材を集めては料理を作るだけの、地味で退屈な日々が続いていた。
だが、ある日突然――運命は動き出す。
フレンドに誘われて参加したレベル上げの最中、突如として現れたネームドモンスター「猛き猪」。本来なら三パーティ十八人で挑むべき強敵に対し、俺たちはたった六人。しかも、頼みの綱であるアタッカーたちはログアウトし、残されたのは熊型獣人のタンク・クマサン、ヒーラーのミコトさん、そして非戦闘職の俺だけ。
「逃げろ」と言われても、仲間を見捨てるわけにはいかない。
死を覚悟し、包丁を構えたその瞬間――料理スキルがまさかの効果を発揮し、常識外のダメージがモンスターに突き刺さる。
この予想外の一撃が、俺の運命を一変させた。
孤独だった俺がギルドを立ち上げ、仲間と出会い、ひょんなことからクマサンの意外すぎる正体を知り、ついにはVチューバーとしての活動まで始めることに。
リアルでは無職、ゲームでは負け組職業。
そんな俺が、仲間と共にゲームと現実の垣根を越えて奇跡を起こしていく物語が、いま始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる