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9章 壊れていく日常

◆エピソード―レスター:交差することのない人生(前)

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 彼は僕の友達だった。
 口数はあまり多くなかったけれど、不思議なもの――人の"火" と"色"が視えるようで、よくその話をしてくれた。
 自分達とはまるで世界の視え方が違う。ノアとエマと僕は、その話を聞くのが好きだった。
 
 ノアとエマの二人がいなくなってからは唯一心を許し合える存在だった。
 それなのに僕は彼の力が発現した時、助けを求める彼に対し何も言葉を発さずその力の恐ろしさにただ打ち震えるだけだった。
 あの時の彼の顔が忘れられない――全てに見放された、絶望に満ちた瞳。
 
 彼をいびり続けた僕の父。それ以上に彼は僕のことを恨んでいるだろう。
 
 僕は、彼を裏切ったも同然なのだから――。
 
 
 ◇
 
 
 彼が最初にここに来た時、父はまだ彼に好意的だった。
 積極的に話しかけたり「困ったことがあったら言ってね」なんて優しく声をかけていた。
 でも反応はいつも悪かった――今にして思えば当然だろう。
 前にどんな生活をしていたのか知らないが、故郷が滅び去り全てを失ったのだ。人の死もたくさん見ただろう。
 大人でも心を閉ざしてしまう出来事だ。そっとしておくのが最良だったように思う。
 
 ある日、父は「お絵かきをしよう」と彼にもちかけた。
 でも彼は怯えるように呼吸を荒くして首を振り「モノづくりをしたら神様にバツを下される」と繰り返すばかり。
 思い通りにいかない彼に父はイライラを募らせていき「そんな神様はいない」「ウソをつくな」「やりたくない言い訳に神を使うな」などと声を荒げ、最後には無理矢理にクレヨンを握らせた。
 そして「なんでもいいから描け」と大声で命じたが、彼は怯えるようにクレヨンを握りしめたまま体中を掻きむしり、やがて座り込んで嘔吐してしまった。体には蕁麻疹ができていた。
 それを見た父は彼に詫びるどころか「清掃業者を最近入れたばかりなのに、汚い」と罵った。
 
 父が彼をいびるようになったのはそれからだ。
「カラス」と侮蔑の言葉でことあるごとに呼びかけ、「自分の妹が死んだのは薄汚いノルデン人のせいだ」などと人前で罵倒を繰り返す。
 
 父の妹――叔母がノルデンの内乱に巻き込まれノルデン人に殺されたのは本当だ。
 でも話によれば仲は良くないどころか最悪だったという。
「ノロマで馬鹿で物を考えたことがない」というのが父による叔母の評だ。祖父が徹底的な男尊女卑主義でありそれにならう形だった。
 そんな家族と縁を切りたい叔母はノルデン人と駆け落ちして、その先で死んでしまったらしい。
 仲が悪くともやはり家族だから死ねば悲しいのだろうかと思っていたが、自分が年を重ねていくうちにどうやらそうではないらしいと分かってきた。
 
 父は「かわいがってきた妹を無残な形で奪われた悲劇の兄」という役が欲しかったのだ。
 そして、そんな自分が「かわいい妹を奪った憎い人間と同じ人種、だけど家族を失った哀れな子供」を引き取り献身的に尽くす。
 早い話が、自分を良く見せるためのパフォーマンスだ。それなのに、相手が全くそれに乗ってこない。
 それを許せず「ノルデン人に妹を殺された」という事実を武器に使い彼をいびり抜いた。
 その後何人か引きとったノルデンの孤児に対しても同じだった。
 
 虚栄心に満ち満ちた卑小な人間、それが僕の父だった。
 
 
 ◇
 
 
 それから十数年後のこと。
 このリューベ村を度々魔物が襲うようになった。どうやら近辺に棲みはじめたらしい。
 自警団の団長が家にやってきて「村のみんなで金を出し合って傭兵を雇って退治してもらおう」と持ちかけてきたのでもちろん了承した。
 微力ながらも自分も協力すると言ったが、妻が妊娠中だったこともあり断られた。
 
 集まった金で冒険者ギルドに依頼を出そうと自警団員が街へ出かけていった日のことだった。
 件の魔物がまた村を襲った。自警団員の主力が出てしまった時に限って、だ。
 残った自警団員はまだあまり戦い慣れていない者ばかり。皆、ある程度の死者は仕方ないかもしれないなんて腹を括っていた。
 
 僕は身重の妻を連れて孤児院へ避難した。僕も世話になったあの孤児院だ――僕はそこで職員として働いていた。
 孤児院は石造りで頑丈だ。魔物の襲撃もある程度なら耐えられるだろう。
 でも子供達が震えて泣いているかもしれない――そう思ったからだ。
 行ってみると、当時孤児院の院長になっていた父はそこにはいなかった。
 どうせ自宅の離れのワインセラーにでも隠れているんだろう。
 我が父ながら信じられない――失望と怒りの感情を隠せず孤児院内の雨戸を乱暴に閉めて回っていると、魔物と共に黒い甲冑を身にまとった剣士の姿が目に入った。
 
(あれは……あの鎧は、黒天騎士団じゃないのか!?)
 
 ディオールの北方――このリューベ村の他、カンタール市街などノルデンとの国境近辺を領地としてそれを統治するイルムガルト辺境伯。
 その辺境伯の擁する黒天騎士団といえば、ディオール国内で最強の呼び声も高い。
 しかし彼らはノルデンとディオールの国境の砦で魔物の征伐と見張りをするのが主な役割だ。こんな辺境の村になど来るはずがない。
 だからこそ村の者も傭兵を雇おうと考えた。
 
 ――何が、どうして。
 
 考えている間にも、その騎士は剣を振るい魔物を斬っていく。
 彼はどうやら炎の術剣士のようだ。
 巨大な業物わざものを持った筋骨隆々の牛型の魔物が、彼の振るう炎をまとった剣によってまるで熟れた果実やバターのごとく溶けるように切り裂かれていく。
 その流麗な動きはまるで舞でも見ているかのようだった。雨戸を閉めなければいけないのに、目が離せなかった。
 次々に沈む魔物達。少しは知性のある魔物なのか、状況を不利と見るや逃走を始めた。
 が、逃がすまいと騎士の放った炎の矢が魔物の心臓部を貫き、一匹残らず絶命していく。
 
 村を襲った魔物を全て討伐したあと、彼は居合わせた自警団員に魔物の遺骸の処理方法を教えていった。
 一通り説明を聞いた後、自警団員の一人が「まだ魔物は残っているんだろうか、我々で守り切れるかどうか」と不安を漏らすと、彼は「もう魔物の火は消えたから安心していい」と告げ去って行った。
 名前は教えてもらえなかったそうだが、僕にははっきりと分かった。
 グレン・マクロード――騎士の正体は彼だ、間違いない。
 
 ――騎士になっていたのか。どういう経緯でこの村の危機を知りそして来てくれたのか分からないが、彼のおかげで村が助かった。怪我人は出たものの死者はいなかった。
 できれば直接会って礼を言いたいが、おそらく叶わないだろう。手紙だけでも騎士団に送れば受け取ってもらえないだろうか。
 
 そんな風に考えていたが、甘すぎる幻想はすぐに打ち砕かれることになる。
 
 魔物の襲撃から数日経ったある日。
 父が今回のことを「私がグレンに手紙を送って呼び寄せたんだ」「恩義に報いるくらいの頭はあったようだな」と得意気に言ってきた。
 そして会う人間会う人間に、「私が世話をした子が栄誉ある黒天騎士になるなんてこんなに嬉しいことはない」などと吹聴して回る。
 何も知らない人間は「すごいですね」なんて適当に相槌を打つが、事情を知っている大多数の人間の反応は冷ややかなものだった。
 
 ――あれだけいじめ抜いて放火の濡れ衣を着せて追い出したくせに。
「ここの出身だなんて言わないでね」なんて言っていたくせに。
 
 十数年前、彼を追い出したあともボヤ騒ぎは収まらなかった。捕まった犯人は村近辺を根城にし始めた盗賊――ノルデン人ではなかった。グレンが手引きしただのなんだの、見当違いもいい所だった。
 そしてそれとはまた別の話だが、彼がかつて言っていた「モノ作りをすると神が罰する」という教義の宗教も実在していた。
「光の塾」という、土着の新興宗教だった。
 それら全てに父は「実際ノルデン人の所業は悪いのだから仕方ない」「火が勝手に出るなんて危ないのだから追い出して正解」「そんな気味の悪いカルト宗教知らなくて当たり前」と言って、あくまでも自分でなくグレンが悪いと主張していた。
 
 ――その彼に、どの面を下げて手紙など送ったんだ。
 
 頭が理解を拒否する。
 村を襲う魔物はいなくなったが、この父こそまるで魔物のように思える。
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