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9章 壊れていく日常

◆回想―"正義の味方"

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 ――その男は、変な色の火をまとう変な男だった。
 
「やあ、クライブ君。君の剣直ってるぞ、ホレ」
「わー、ありがとうございます!」
 
「親方」が珍しくにこやかに接している相手は、赤いスカーフを巻いた竜騎士の男。
 青髪に青眼。このディオールの隣国ノルデンとは反対隣のロレーヌという国の人間の特徴らしい。
 火とか抜きにして、見た目からして既に色がうるさい。しかし、それより何より。
 
 周りと調和しない色、その色にも合わない名前。
 あいつが名乗った瞬間、そして名前を呼ばれた瞬間、あいつの炎がゆがむ――気持ち悪かった。今名乗っている名前は本当の名前じゃない、そう思った。
 グチャグチャのパズルのピースのように、何も一致しない正しくない色。
 こいつは嘘つきだ。院長と同じの嘘つき野郎だ。許せない、嫌いだ。
 
 何より「名前がいくつもある」ということが許せない。
 ……俺は、俺にはただ一つの名前すら与えられなかったのに、どうしてこいつは。
 
 そういう行き場のない苛立ちをぶつけたら殴り飛ばされた。
 親方と同じに、どこに攻撃がくるか見えていたがかわせなかった。圧倒的パワーとスピードだった。
 こいつが違う名前を名乗っているということは、決して触れてはいけないことだったらしい。
 ゆらめく炎は、こいつの怒りの度合いの強さを表していた。
 
 その後「親方」がやってきて、男の頭に拳を落とした。
 男は俺を指さし「こいつの態度が悪い、名前を侮辱してくる睨みまくってくるし助けてやったのに」などと散々喚きちらす。
 しかし「親方」は男を一喝。そして俺は男の前に引きずり出されて、頭を思い切り殴られた。
「全然喋らないくせに客に暴言を吐くとは、謝れ」と怒鳴られ、さらにもう一発殴られる。
 メシを抜きにしてやる と言われ仕方なく謝ってやったが、男は納得いかずまだギャーギャーと喚いていた。
 そんな男に「親方」はまた拳を振り落とし、「騎士の訓練受けてる人間が子供を殴り飛ばすとはどういうことだ、お前も謝れ」とまた怒鳴った。
 それを受けて男は俺に謝罪をした。
 
 ――理解が及ばない出来事だった。
 前の孤児院もその前の孤児院も、何かあれば「お前が悪い」という前提の元に話は進み、最終的に俺は謝る。
 ところが「親方」はまず男を殴って怒鳴った。男の話を聞いて俺のことも殴ったが、俺と男を二発ずつ。俺を特別にこき下ろすということがなかった。
 それに「親方」に怒鳴られたからとはいえ、男も俺に謝罪をした。
 副院長は「カラスが悪者な方が座りがいい」「カラスになんて謝らなくていい」とか言っていたが、そうじゃないんだろうか。
 そういえばこの男も「親方」も、一連の流れで俺を「カラス」とは一度も言わなかった。
「おかみさん」も俺が何か失敗をしても「仕方ないね」と言うだけで罵ったりはしない。
 
 ――お前はゴミじゃない、人間だ。人間は生まれた時から人間だ。
 
 キャプテンの言葉がふっと頭をよぎる。
 この2人や「おかみさん」にとっては、俺はゴミでもなければカラスでもなく、人間なんだろうか。
 分からない。考えを整理するのには時間がかかる。
 
 前の孤児院で、いくつかのサイコロが合体したような6面体のパズルが流行っていた。
 小さい立方体のそれぞれに色がついていて、ぐるぐると回して面の色を合わせる……そういうおもちゃだった。
 自分の考えや気持ちを整理するのはそれに似ている。
 俺は時間をかけても1面くらいしか合わせることができなかった。
 頭の中であのキューブを回すように情報と考えをまとめて揃えようとしても、なかなかうまくいかない。
 
 
 その後こいつはなぜか俺に本当の名前を明かしてきた。
「カイル」という名前らしい。そっちの方が合っていると言うとなぜか泣かれた。
 怒ったり泣いたり笑ったり、あの色のキューブみたいに感情がくるくると変わる忙しい奴だ。疲れないんだろうか?
 本人曰く、「ずっと笑ってるより疲れなくていい」らしいが、よく分からない。
 
 そのことがあるまで俺は名前を誰にも教えていなかったが、「自分が名乗ったのだから教えてくれ」と言われたので教えることにした。
 なぜだか分からないが、そうしなければいけない気がした。
 
「これからよろしく」と言われたが別にそういう気はない。
 特に話すこともないが、来るごとにこいつは親しげに話しかけてきた。
 汚い感情を持っているわけでもなさそうだから好きにさせておいて、俺はこいつがやたらとペラペラ話しているのをただ聞いていた。
 別に俺は構わないけどこいつは何が楽しいんだろうか? 不思議でたまらない。
 
 
 ◇
 
 
 また別の日、昼休憩が終わった後。
 店の前を掃除していると、ヒソヒソクスクスという笑い声が聞こえてきた。
 いつものことだ。また誰かが何かしてくる気だ――石やゴミを投げたり、水でもかけるつもりだろう。
 無視してそのまま掃除を続けていると、今度は何か大きな足音と共に「ビシャッ」という水の音が聞こえた。
 
(……?)

 水の音がしたが、俺にはかかっていない。不思議に思って顔を上げてみれば――。
 
「ああああ、冷てえー! 何すんだよお前らぁ」
「あ……」
「え、え……っ」
 
(……カイル)
 
 ――カイルだ。さっきの足音はこいつが駆け寄ってきた音だった。俺が水かけられそうなのを見てわざわざ猛ダッシュで来たらしい。
 なぜ、そんなことをするんだろうか……ちょっとよく分からない。
 
 男2人が、カイル――というより、あいつの腕に巻いてある赤いスカーフを見てバケツを手にアワアワしている。
 赤いスカーフは隣国の竜騎士団領の竜騎士の証。
 こいつは騎士としての経験はまだ浅いらしいが、一般市民にすぎない男達に比べれば力の差は歴然。
 そんなのに汚水をぶっかけてしまったら焦るのも当然だ。
 カイルは濡れた髪をかき上げながら、男2人ににじり寄る。
 
「あー、なんだよこの水、くっせえなー。トイレ掃除かなんかの水か? よくも俺の一張羅を台無しにしてくれたなぁ、お前ら。覚悟はできてんだろうな~」
「あ、ち、ちが……こいつが、勝手に、お、俺は止めたんですけど」
「な、何言ってんだ、お前が……いや、あの、違くて……カ、カラスに行水させてやろうってこいつが……」
「……カラス?」
 
 "カラス"という言葉を聞いたカイルの眼光が鋭くなる。
 
「カラスって何かな? 今ここにいなくない? どういう意味かなぁ……何か暗号的な? 俺この辺の常識に疎くてさぁ、教えてくれない?」
「え、えっと……」
 
 延々とカラスの定義を尋ねてくるカイルに、男達は「あの、あの」「そんな」とか言いながら、とうとう「泥棒やってる汚いノルデン孤児のことです」と蚊の鳴くような声で答えた。
 が、それでもカイルの気は収まらないようで、男達を下から見上げながらツカツカと歩み寄る。騎士なのにチンピラみたいだ。
 しかもびしょびしょのままだ。トイレ掃除の水か何か知らないが、近寄られたら多分臭いだろう。
 
「ふ~~ん。それで、こっちの少年がそのカラスだっていうの?」
「そ、そうです」
「で、水をかけてやった」
「は、はい……」
「俺にかけるつもりじゃなかったってこと?」
「はい」
「ハハッ! そっかぁ~」
「あ! はは……」
「……だったら余計に許さないが??」
「ヒッ……!?」
 
 カイルは目を見開いて男達の頭と首根っこを掴んだ。
 笑いを誘ったことで許されると思ったらしい男達は理解不能の事態に涙目になっている。
 
「……何か盗まれた?」
「い、いえ」
「盗まれてないんだ」
「はい……」
「で、なんで水かけようと思ったの?」
「あの、えっと……」
「汚い、臭いとか? それだったら綺麗な水かけろって話だよな。だって今俺めっちゃ臭くない? ねえ」
「……」
「知ってる? 本物のカラスっていうのは毎日風呂入ったりして意外と綺麗好きらしいぜ。まあ確かにゴミ漁ったりしてるけど、よく見れば羽根とかツヤツヤなんだ。カラスの行水とかいうけどちゃんと身体は綺麗に保ってんだってさ~。物知りだろ、俺? あはは」
 
(……何の話だ、これ……)
 
 ――その後もカイルによる、最近知ったらしい「本物のカラス豆知識」が止まらない。
 果ては、黒髪ノルデン人に対する「カラス」という蔑称がいかに合っていないかという言葉の定義の話にまでなってしまう。
 なかなかしつこい。ヘビみたいだ。
 とんでもなくめんどくさい奴に水をかけてしまった2人が、助けを求めてなぜか俺に目配せしてくるが知ったことじゃない。
 ことの始まりは俺に水をかけようとしてきたことなんだが、忘れたんだろうか?
 ぼんやりと3人のやりとりを見ながら、悪いことはするもんじゃないな とか、
 今仕事中なんだが勝手に店に引っ込んだらあいつ怒るかな とか考えていた。
 
 
 ◇
 
 
「やー、スッキリしたぁ」
「…………」
 
 全てが終わった後、カイルはさわやかに笑う。
 結局あの後もカイルはネチネチと尋問を続け、最終的に2人に「水をかけようとしてすみませんでした」と謝罪をさせた。
 そもそも水はかけられていないし、もうその頃には俺は3人の話を全く聞いていなかったので「はあ……別に」と曖昧な返事しかできなかった。
 
 あいつらににじり寄っていた時は怒りの火が燃えていたが、今はもう怒っていない。
 驚きの切り替えの早さだ。……きっとこいつは頭の中であのキューブを回すのがうまいんだろう。
 
「ていうかお前ももっと怒れよな」
「……さっきのことなら、俺は別に何もされてないし」
「黙って何も言い返さないから相手がつけあがるんだよ、もっと俺は怒ってますアピールしていこうぜ」
「怒ってますアピール」
「うおおおお むかつくぜえええ みたいな」
「……嫌だ。バカみたいじゃないか」
「バカでもいいんだよバカでも。我慢したって誰も賢いなんて思ってくれないんだからさー」
「……あんたはよくあんなに怒れるな。自分のことでもないのに」
 
「当たり前だろ。俺は正義の味方だからな」
「せいぎ」
「何だよ」
「俺の知ってる正義と違う」
「ええ~? じゃあ覚えとけよ。正義にも多種多様のあれがあるんだよ」
「ふーん」
「聞いてんのかよ」
「聞いてるけど……多種多様のあれって?」
「あれっていうのは……あれだよお前」
「……なるほど、あれか」
「そうだ、よく分かったな。褒めてつかわす」
「どうも」
 
 褒美にチョコレートをもらった。
 こいつが来たときは、何もなければ大体こんなくだらないやりとりをしていた。
 大体さっきの汚水事件のように何かがあるわけだが。
 
 ――俺が不当な扱いを受ければ、こいつは烈火の如く相手に怒る。
 
 昔避難所で銀髪のノルデン貴族が俺のパンを取り上げたとき、黒髪の奴が銀髪に怒ったことがあった。
 一見俺のためのように見えたが、実際は「黒髪から搾取する銀髪貴族」に怒りを燃やしていた。
 俺をきっかけにして勝手にケンカを始めて怒鳴り合い罵り合い……自分のせいでそうなったようで居心地が悪かった。
 
 でもカイルのそれは「友達が酷い目に遭ったから、嫌な思いをさせられたから怒る」――そういう単純なものだ。
 俺はそれが嫌だった。なんでもない話だけをしていたい。その方が気が楽になる。
 だから、俺のことで怒ったりしてほしくなかった。あの避難所のやりとりのように、自分のせいでこいつが怒るのを見ていたくなかった。
 
 過去の孤児院での出来事を話せば泣いたり申し訳なさそうな顔をする。それも嫌だった。
 そうされると、いかに自分が普通でない環境にいたのか、そしていかに自分がひどく惨めな存在であるかを自覚してしまう。
 色んな感情がないまぜになって、その整理がうまくいかない。
 頭の中であのキューブをぐるぐる回してみても、一列たりとも揃わず綺麗な色にならない。
 
 俺はどこか欠落している。こいつも親方もおかみさんも、自分を人間扱いする人を理解できない。
 人の気持ちが分からない。自分の気持ちも分からない。
 カイルとは親しいと思うのに、同時に色々と持っているこいつが羨ましくて妬ましくて仕方がない。
 衣食住が保障されて理不尽から守ってもらっているのに、あの光のない穴蔵で人を憎むばかりだったあの頃の方が楽だったなんて考えている。
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