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9章 壊れていく日常

◆回想―血だまりのような

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「いやあ、私の教え子が黒天騎士団の、しかも北軍将ほくぐんしょうだなんて私も鼻が高いよ!」
「………………」
 
 なぜ俺はここに来てしまったのだろうか。
 数時間前に戻れるなら、自分を殺してやりたい――。
 
 
 ◇
 
 
 数日前のこと。
 軍は出せないが、個人的な用事で来訪中に偶然とでも言えば角も立たないだろうと思って転移魔法でリューベ村を訪れた。
 近辺を探り密かに退治しておこうと思っていた矢先、村から火の手が上がっているのが見えた。
 武器を持った牛型の魔物が数匹。自警団員らしき者が応戦していたが、戦い慣れていないようでどう見ても勝ち目はない。
 放っておけば彼らは殺され、村も壊滅してしまう。結局俺がそこに割り込んで、全ての魔物を退治してしまった。
 
 自警団員が名前を聞いてきたが「名乗るほどの者ではありません」「民を助けるのは我々の仕事です」と言って立ち去った。
 
「民を助けるのは我々の仕事」――我ながら空寒くて笑ってしまう。
 
 そういうことを微塵も考えていないとは言わないが、村が襲われているのを見たときは正直躊躇ちゅうちょした。
 このまま放っておけば副院長もろともここは滅びる。
 そうすれば少しは溜飲が下がるだろうか――そんなようなことを考えた。
 
 そしてそうしなかったのは正気に返ったからではなく、無礼を働いた村を助ければ自分の株が上がると考えたからだ。
 全くの打算。人助けのつもりなど微塵もない。人命と個人的恨みを天秤にかけた。
「誇り高き黒天騎士」が聞いてあきれる。
 
 
 ◇
 
 
 そして――今。俺はまた、リューベ村に来ていた。
「礼がしたいのでこちらへ来て欲しい」という副院長の手紙を受けて。
 
 それならそちらから来いと思った。
 だがもしかしたら、過去の仕打ちを悔いて謝罪があるかもしれない――そんな一縷の望みもあった。
 とっくにわかりきっていたことなのに、俺は何を期待していたんだろうか?
 
 副院長――今は院長をしているらしいがどうでもいい――は、昔と同じ汚い笑顔で聞いてもいない近況を喋ってくる。
 
 ノアは村に戻ってきて、自警団の団長をしている。
 息子のレスターは魔術学院の特等学科を出た。
 私が育てた子はみんな優秀だ――。
 
 どうなっているんだ。記憶でも失っているのか。
 
 それに、俺は知っている。
 村民が出し合った金で成り立っている自警団を「大した魔物も襲ってこないのに無駄だ」などと言い自分は金を出さず、あげく解体せよなどと村長に持ちかけ自警団員と揉めたことを。
 そして、魔法を使えない自分と違い魔術の才のある息子レスターを妬み、「学費がない」と言って進学を阻んだことを。
 結局レスターは奨学金を利用して魔術学院に通って、今も働きながらその返済をしているという。
 
 ちらりと見える孤児院は昔のまま。改装された形跡はない。
 石造りだが古い建物……例えば地震や、先日の魔物のように巨大なモノが体当たりしてきたら崩壊するかもしれない。
 対してこの男の家の離れには、収入に不釣り合いなほどの立派なワインセラー。
 
 この男は罪を背負わない。だが人の功績は一から十まで自分のもの。
 金も功績も誇りも、全て人から掠め取ったものでこの男は形作られている――。
 
「……私が出てからも、ノルデン人を何人か引き取っていたそうですね。お嫌いだったはずなのに、何故ですか」
「え? まあ、孤児はやっぱりカ――、ノルデン人が多いからね」
「……構いませんよ。"カラス"と言っていただいて」
「は、はは……そんな、」
「立派なワインセラーをお持ちのようですね」
「……! ハハッ、そうなんだよ!」
 
 自慢のワインセラーの話を振られると、苦虫を噛み潰したような顔をしていた副院長が満面の笑みになった。
 
「それでね、その中から礼の品を用意したんだよ」
「礼……?」
「そうだよ。とっておきの一品だ」
 
 副院長がいそいそと、布にくるまれた瓶を取り出す。
 包みを開けると、三羽のカラスが輪のようにつながったロゴのラベルが貼ってあるワインが姿を現した。
 
「……カラスの、黒海……」
「ああ、知っていたか。これは西ロレーヌ地方の――」
「西ロレーヌ地方でかつて生産されていた赤ワインです。200年ほどの歴史がありましたが、今は生産されていません」
「……あ、ああ、その通り」
 
「あるノルデン貴族がこの品の製造業者に『カラスの黒海という名前は我が国の孤児への差別を助長する、製造を中止しろ』と持ちかけました。……その話が広まって以来黒髪ノルデン人にこれを渡すという風習が生まれたそうです」
「……そ、そう、なのか……はは」
「生産されていないというのは語弊がありますね、正確には……製造業者が『そのような意図は全くない、歴史あるこの製品がそのようなことに使われるのは残念だが、製造は中止にできない』と反発して大いに揉めました。結局製造業者側が折れて、今は名前を変えて製造販売しています。"渡り鳥の大海"という名前です」
「…………っ」
 
 副院長は目を左右に泳がせ、口をパクパクさせながら額の汗を拭い出す。
 何だこいつは。
 知らないとでも思っていたのか? それとも、酒の意味を知っていても黙って受け取ると思っていたのか?
 ……どこまでもどこまでも、この男は、
 
「……なぜ、これをわざわざ仕入れて俺に渡した」
「た、た、たまたまだ。そんな意図は知らなかっ……」
「仮に知らないとして……この酒のこのラベルのバージョンはプレミアがついているかというとそうでもない……元々高級ワインでもないのだから、高くても1万は切るだろう。……あの魔物どもを退治した報酬としては、安すぎる……」
 
 俺が立ち上がると、副院長は「ヒッ」と息を吸う。……だが、口は減らない。
 
「な、なんだ!? 結局金なのか!? 卑しい奴だ、騎士は民の命を守るのが仕事――」
「俺の中の"民"に、お前は含まれていない……!」
「ヒイッ!?」
 
 応接のテーブルを乗り越え、副院長の胸ぐらを掴み壁に叩きつける。
 そしてテーブルに置いてある"カラスの黒海"を逆手に持ち、ゲホゲホと咳き込む副院長の頭の真上の壁にぶち当てた。
 けたたましい音とともに瓶が粉々に砕け、副院長の頭に赤ワインが血のようにこぼれる。
 
「ひ、ヒィ……ッ! や、やめてくれ……、た、確かにこんな酒を選んだのは悪かった。だがここまで怒ることはないだろう!? 君は騎士だろ、一般人に暴行を働けばただでは済まない、地位を失いたくはないだろ……ヒッ!」

 手に残ったままの瓶の残骸を首に突きつけてやると、殺されると思ったのか息を呑んで黙る。
 
「この酒では足りない」
「え……」
「もっと、高級なものの所まで案内しろ。……あるだろう? あの立派なワインセラーに。それで、手打ちにしてやる」
 
 
 ◇
 
 
「よせ! やめろ! 火は……」

 ワインセラーの中は暗くてよく見えない。たいまつ代わりに火を灯してやると、副院長は間抜けな声を上げた。
 
「た、頼む……そんな大きな火……温度が上がりすぎるとワインが、ワインの品質が――」
「……一番高級なワインはどれです」
「ヒッ!? ……い、一番奥、だ……」
 
 瓶を突きつけると副院長がまた気持ち悪い声を上げ、奥を指さした。
 一番奥。はしごを登り、最上段にあるワインを手に取る。
 
「――これか」
「そ、そうだ。それを持って行け。おい、君が私を憎んでいるのは分かるがもう昔のことだろう、君も立派な大人なんだからいつまでも根に持っていないで、過去のことは水に流して――」
「……俺は酒を飲めない」
「……は? 何だ、何の話……」
「だが一応、将軍をやっていて、貴族との会食の機会もある。ワインの値打ちくらい知っている……これは、高級なものじゃない……!」
 
 手からワインの瓶を離した。地面に落ちた瓶が鈍い音を立てて割れ、床に赤い水たまりを作る。
 
「ヒッ、ヒイイイッ! な……何を、どういう、つもり」
「副院長にとって、ここは何ですか」
「"何"って何だ? おい、さっきから話が何も通じて――」
「……十数年集め続けたワインは、さぞかしうまいでしょうね……人の助成金で、買った酒は!」
 
 はしごに座ったまま先ほど割った瓶の隣にあるワイン瓶を手に取り、地面に叩きつける。
 
「じょ、じょ、助成金、なぜそれを……いや、今更それがなんだ!? たかだか月数万だ、今のお前ならその何倍ももらって――! や、や、やめろ頼む、火だけは……っ」
「……そこを動くな」
 
 左手から大きな火球を生み出すと、火の明るさに照らし出された副院長の影が長く伸びる。
 そのまま左手をかざし紋章に念じると、影が立体化して空間に浮き上がり副院長を羽交い締めにした。
 影縛バインドという魔法だ――しばらく奴は動けない。
 
「ぐげっ……!」
 
 一旦はしごを降りて、苦悶の表情を浮かべながら影による緊縛から脱しようともがいている副院長の元に歩み寄る。
 
「た、頼む、頼む、あの馬鹿でかい火球を消してくれ、引火してしまう! ワインが台無しに……」
「もう一度聞くが、ここはあんたにとって何だろう……積み重ねた歴史かな、それとも小さな王国だろうか……」
「なんなんだ、さっきから!? ……そうだ、ここは私の大事な空間だ、国だ、財産だ! だから、」
「そうですか……ふふ……」
「……?」
「それが聞けて、よかった」
 
 手近な棚にあるワインを一つ手に取り、床に叩き落とす。
 
「ああっ……!」
「……よくも散々惨めな思いをさせてくれたな。どうせお前は謝らない……だから」
「や、やめろ! お願いだ――」
「俺は、俺の仇を取る。そこでお前の歴史と国が破壊されるのを終わりまで見ていろ――!」
 
 目についたワインの瓶を片っ端から落として割っていく。
 酒臭い……俺は酒が飲めない。少し飲んだだけで倒れる体質だ。匂いだけでも頭がぐらぐらする。
 香り高いというワインも数多くあるが、俺には全て同じ……血や吐瀉物としゃぶつの方がマシだと思うくらいだ。
 「やめろ」という副院長の絶叫、懇願。瓶が割れる音、そしてワインの水音。全て頭に反響して頭痛と吐き気がしてくる。
 
 途中で奴は嗚咽し始めた。

 ――何を泣いているんだ。
 ここにある大量の酒に化けた金があれば、俺は汚く暗い穴蔵で臭くて食いどころのない虫や動物を、時には吐きながら食べたりしなくてよかった。

 
 よくも、惨めな思いをさせてくれた。
 
 
 よくも、虐げてくれた。
 
 
 よくも、
 
 
 よくも、
 
 
 よくもよくも、よくもよくも――……!!
 
 
 ◇
 
 
 ――数百本あるワインを全て破壊し尽くした後。
 
 影縛バインドはもう解けているのに、副院長は天を仰いで涙と鼻水を流してピクリとも動かない。
 
 赤ワインばかり貯蔵していたワインセラーの床は血の池のようだ。
 歩くとワインがはねて衣服が濡れる。臭くて不快だ――速く戻って風呂に入りたい。
 最後に副院長の胸ぐらをつかみ「このことを言ったらお前の罪も明らかにする」とだけ言い残し、転移魔法で戻った。
 
 
 まだ、やることがある。
 まだ、足りない。
 カードはまだ持っている、どうやって使ってやろうか……そんな風に考えていた時だった。
 
『どうして』
 
(……?)
 
『どう、して……どうして……』
 
(なんだ……?)
 
 ぴちゃぴちゃ、ズルズルという水の音と共に、子供のものと思しき声が聞こえる。
 辺りを見回しても、誰もいない。頭の中に声が響いている。
 
(幻聴……?)
 
 疲れているからだろうか。興奮しているからだろうか。眠れば聞こえなくなるだろうか。
 最初はそうやって軽く考えていたが、その"声"と"音"は止むことはなく、やがて断続的に頭の中に響くようになっていった。
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