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10章 "悲嘆"

18話 悲嘆

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 あの後、アルゴスをそのままにはしておけないので、気絶しているうちにカイルとジャミルが彼を牢屋に運んだ。
 牢屋があることは知っていたけど、まさか使うことになるなんて……。
 
 アルゴスを運んだあとは倒れてしまったグレンさんを砦の中に。
 熱が高いままで歩くのもままならない状態だったけれど、泥の上に思い切り倒れたから服も身体も泥まみれ。
 まずはお風呂に……とカイルとジャミルが入浴の介助をしようとしたけど「1人で入れる」と断られたそうだ。
 今彼はまた、医務室で倒れるように眠っている。
 
 わたし達も雨と泥まみれのためお風呂に入ったけど、冷え切った身体はなかなか温かくならなかった。
 
 
 ◇
 
 
 お風呂から上がったあと、食堂でグレンさんのためにと作っていたポトフを食べていた。
 怒りながら作った割にはちゃんとできている。
 
「…………」
 
 ようやく色々と考える時間ができたけど、うまく消化できない。
 今日の出来事は今までの人生の中で規格外のことばかりだったからだ。
 
 赤眼の人、傷つけられて血を吐くジャミル、泥人間、血の宝玉の声、目の前で繰り広げられる命の取り合い、そして、赤眼になってしまった彼のこと。
 なんで急にああなったんだろう? 図書館で会った時からそうだったの?
 どうして、わたしにだけ何も言ってくれないの。嘘つかないって言ったのに。
 
『嫌われるんじゃないかと思って』――。
 
「……っ」
 
 ああ、ダメだ、また泣いてしまう。
 自分の部屋にいたら大泣きしてしまうから食堂に来たの。
 ここなら人の目があるから、泣くの我慢できると思ったけど……でもやっぱり無理かもしれない。
 悲しいし悔しいし、自分が情けない。
 
 そんな風に考えていたら、頭の上にポンと何かが置かれる感覚がした。
 
「ジャミル……?」
 
 顔を上げると、ジャミルが立っていた。
 少し笑いながらわたしの頭をポンポンとした後、目の前に飲み物の入ったカップを置いてくれた。
 
「……これ、なあに?」
「ハニージンジャーミルクティー。あったまるぜ」
「……ありがとう」
 
 わたしがお礼を言ってカップに口をつけると、彼もわたしの向かいに座って自分の分の紅茶を飲む。
 温かくて、甘くておいしい。
 しばらくするとジャミルは紅茶の入ったカップを両手で包みながら口を開いた。
 
「……オレさ」
「?」
「オレ、実は親と仲良くねえんだわ」
「え……うん。そう、なんだ……」
 
 急に何の話だろう?
 よく分からないけど、真剣な表情をしているから口を挟まずに耳を傾けることにした。
 
「家じゃオヤジもオフクロもオレに気ぃ遣って話題を選んでてさ……自分のせいだってのにオレはそれがすげえ嫌で、全寮制の学校に行って親と顔合わせないようにして、たまに帰ってきても全然口聞かなくなっちまってさ。カイルが戻ってからも今ひとつ会話できてねえ。ウィルも親の前に一切出てこねえし……多分今も好きじゃねえんだと思う」
「…………」
「何が言いてえかって言うと……そういう親だけど、オレはやっぱりあの黒い剣拾ったことは言えなかったんだよ。『そんな剣拾いやがって』『出て行け、帰ってくるな』とかって言われて、見捨てられたらどうしようって。嫌ってるくせに勝手だよな」
「…………」
「オレはだから、グレンが赤眼のことをオマエだけには知られたくないっていうの、分かるんだよ。信用してないとかじゃなくてさ……ただただ、知られたくねえんだ。だから……許してやってほしいんだよな」
「……ジャミル……」
「……泣くなよ、……いや、いいか。泣け泣け、その方が健康だし」
「……もう……!」
 
 テーブルに涙がボタボタとこぼれる。
 淹れてくれた紅茶にまで入って……せっかく絶妙な味加減なのに台無しになっちゃうな。
 ここ数日、みんなが気遣ってくれていたのにイライラをぶつけて困らせた自分に重なってしまって余計に泣けてくる。
 
「……ああ、もう、駄目だな!」
「!」
 
 食堂の扉が乱暴に開け放たれて、不機嫌顔のカイルが頭をガシガシ掻きながら入ってきた。その後ろにベルもいる。
 
「……カイル? どうしたの」
「あの赤眼の人に色々聞いたんだけど、何も聞けなかったの」
「……あの人、気がついたんだ。ベルも一緒にいたの?」
「ええ……あんなことした人だけど、ちゃんと傷は治療しないとね」
「捕虜を乱雑に扱ったらこっちが罪に問われる可能性あるしな」
「…………」
 
 吐き捨てるようにそう言って、カイルは大きなため息を一つ吐いた。
 そしてわたし達の一つ向こうのテーブルのイスにどっかと座る。
 
「落ち着けよ…………こっち座れ、ホラ」
 
 ジャミルにそう促され、カイルは頭を掻きながらわたし達のテーブルにやってきた。
 そしてわたしの隣にあるイスを引き、テーブルの短辺の方に置いて座る。
 それを見たジャミルは苦笑いしながらカイルとベルの分の紅茶を運んできた。
 
「……ありがと、ジャミル君」
「ああ……ほら、オマエもまず飲めよ」
「…………」
 
 カイルは不機嫌そうな顔でため息を一つ吐いて紅茶をすする。
 一切冷ますことなく口に入れたため「あっつい!」と言いながらカップをゴンと置いて口をおさえた。
 そして「何やってんだよ」とジャミルが冷たい水をすぐに持ってきてカイルに渡し、続いてテーブルにこぼれた紅茶を拭いた。
 涙目で氷水を飲んでいるカイルを見てわたしは少しホッとしてしまう。
 
 ――ああ、カイルだ。険しい顔で戦っていた彼も今の彼も、同じ人物だ。
 彼はわたし達の知らない「戦い」という非日常を知っている――それだけのこと。
 元軍人だったカイル、それにグレンさんも、いざという時に「相手の命を獲る」という選択肢を持っている。
 そういう彼らじゃなかったら、わたし達は多分殺されていた――。
 
 やがてカイルは紅茶に息を吹きかけながらわたしの方を見て口を開いた。
 
「レイチェル……ごめんね。グレンのこと黙ってて」
「あ、ううん……」
「俺達も本当は教えたかったんだけど、口止めされてたから……それに知られるまでになんとかできないかって思って色々調べてたんだけど、駄目だったよ」
「色々、考えてくれてたんだね……ありがとう」
 
 わたしがそう言うと、カイルは少しニコッと笑ったあとイスにもたれかかって天を仰いだ。
 
「……あの男からも何か解決の糸口が見つけられないかって思ったけど、全く会話どころじゃなかったな……」
「今も何も喋らないの?」
「暴言ばっかりめちゃくちゃ喋るよ。ただ肝心なことは一切喋らない。あのヤバい義手や血の宝玉についても何も聞き出せずじまいだ。全く、なんであんなのが来たんだか……」
「…………」
 
「……オレ、全然戦えなかった……情けねえ」
「ジャミル君」
「仕方ないさ、対人戦の経験ないんだし。ていうかあんなの魔物でもなかなかいないよ……さすがに俺も恐ろしかったしな」
「いや……あのオッサンはもちろん怖えし、対人戦にビビってたっていうのもあるんだけど……」
 
 そこで一旦言葉を句切って、ジャミルはカップに少しだけ残っている紅茶に目を落とした。
 
「……戦いながらよそごと考えちまってて」
「よそごと?」
「……なんでこのオッサンは闇に堕ちたんだろう、コイツと自分との違いはなんだろう、とか」
「…………」
「あと名前が……なんでそんな名前なんだろうって、さ」
「名前……? 呪詛名みたいなこと?」
「たぶん」
「前来たあの女は"愚か"だったよな。『アルゴス』にも何か意味があるのか?」
「…………"悲嘆ひたん"」
 
「悲嘆……」
 
 
 ◇
 
 
 ――その夜。
 
 今日の出来事のせいで全く眠れなかったので、グレンさんの様子を見るついでに医務室に睡眠導入剤を取りに行くことにした。
 
(あれ? グレンさん……)
 
 砦の廊下を、グレンさんがフラフラと歩いているのが見えた。
 トイレかと思ったけれど、医務室にも一室ある。
 食堂にもお風呂にも用がなさそうだし、一体どこへ――。
 
(牢屋……?)
 
 彼の歩いていく方向には、アルゴスのいる牢屋しかない。
 距離を取りながら後をつけると、やはり彼は地下牢へ続く階段を下りていった。
 
「…………」
 
 ――胸騒ぎがする。
 一体なぜ、何の用事があってそんな所に行くのだろう……。
 
 
 
「……なんだぁ、オイ、赤眼カラス! 見世物じゃねえぞ!」
「…………」
「全くよお、何のためらいもなく人の腕を斬り飛ばしやがって、人の心がねえのかお前は! くそったれ!!」
「…………」
 
 カイルが言った通りに、暴言だらけだ。
 左腕がなくなったために身体のバランスが取りづらいようで、壁にもたれかかってグレンさんを指さし唾をまき散らしている。
 彼の傍らにはあの黒い剣――らしきものが転がっていた。
 白い布でくるんだうえに何か書いた札が貼ってある。ベルが用意したものだろうか?
 以前ジャミルが「捨てても戻ってくる」と言っていた。取り上げることができずああやって封をしているのかもしれない。
 
「ああ~~、俺は明日にも処刑されちまうんだろうなぁ~ 悪いことをしちまったからなぁ~」
 
 グレンさんが何も言わないのをいいことに、アルゴスは大きな声で意気揚々と軽口を叩く。
 
「カラスの兄さんよぉ、俺を捕まえて正義の味方気取りか知らないが、"明日は我が身"だぜ!」
「…………」
「"人を殺しまくった恐ろしい赤眼"のイメージがなあ、世間に広まっちまって、お前さんはな~んもしてなくても吊し上げられて処刑される! ざまあみろだぜ! ワハハハハ」
 
「やめて……っ!」
 
 牢の階段の上の方から様子をうかがっていたけれど、酷い暴言を聞いていられず彼の前に駆け寄った。
 言葉も表情もなく立ち尽くしていた彼は、わたしを見て驚いた顔をしている。
 
「……レイチェル? どうして」
「こっちに歩いて行くのが見えたから……、ねえ、もう行こう? なんでこんな所に来たの……」
「ハハッ! 女にかばわれていい気なもんだぜ」
「…………!」
 
「おい、よく聞けよカラス! 俺が殺しまくったのは銀髪貴族よ。俺はあの銀バエどもが憎い。一匹残らず駆除してやりてえんだ。……だが同時に、俺はおめえらカラスも憎い! カラスのクソガキのせいで、再出発したくても『ノルデン人はイメージが悪い』っつって誰も雇っちゃくれねえ。なんで俺の家族は死んだのにおめえらみてえのが他人様のモン掠め取りながら、太陽の光の下でのうのうと生きていやがる!! 卑怯者がぁ!!」
「やめてっ!! やめてよおっ……!!」
 
 彼の前で大きく両手を広げて懇願する。
 頭が痛い。涙がこぼれる。
 両手広げたって、わたしよりも全然大きい彼を隠すことはできない。でもわたしにはそれしかできない。
 テオ館長が以前「言葉は呪文、人の心を切り裂く」と言っていた――こんなひどい言葉の刃から、少しでも彼を守りたかった。
 
「…………レイチェル」
 
 グレンさんがわたしの肩に手を置いた。伏せた睫毛から見える赤い瞳は心なしか潤んでいるように見える。
 相変わらず手も腕も熱いし立っているのも辛そうだ、こんな身体を引きずってまでこの人に面会しに来たのはなぜなの?
 
「もういいから。自分の部屋に」
「いやだよ! グレンさん、グレンさんも一緒に戻るのじゃなきゃ、わたし」
「フッ……ハハハハッ……!」
「!!」
 
 後ろからアルゴスの高笑いが聞こえる。
 ――今、何か笑うところがあっただろうか?
 理解ができなさすぎて怖い。頭の奥がギュッとなる感覚を覚える。
 
「カラスの兄さん、『グレン』というのがお前さんの名前かい……フフッ」
「…………」
「そりゃあオジサン達がガキンチョの頃に流行った、量産型の名前だぜぇ。色男のくせに、意外と冴えねえ名前だなぁ! ハッハハハ――」
「……な……っ!」
 
 その時、ガン、というけたたましい音がした。
 グレンさんが鉄格子を殴りつけた音だった――渾身の力を込めたのか、ぶつけた拳から血がにじみ鉄格子を伝って流れていく。
 
「……名前を! ……名前を、侮辱するな!!」
 
 さきほど鉄格子を叩き付けた時の音よりも大きい声が狭い地下牢に響き渡った。
 血がにじむほどに拳を握り、さっき鉄格子を殴った際の血と混じって冷たい石の床にポタポタと落ちる。
 
「この……名前は、誇り高き海の男の名前……」
「グ、グレンさ……」
「……だから、堂々と名乗りまくれ、誇れって、そう……っ、あんたが、そう言ったんじゃないか!!」
「……え……」
 
「何が、"アルゴス"だ……あんたの名前は、"グレン・マクロード"だろう!!」
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