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【第3部】13章 切り裂く刃
17話 闇のはざまから呼ぶ声
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次の日。
やはり、カイルは戻らない。
グレンさんがカイルの代わりに飛竜のシーザーにエサをあげている間、わたしは朝食の準備。
食堂にやってくると、テラスの近くのテーブルにジャミルが突っ伏していた。
釈放されてから自宅には戻らず、ここでカイルの帰りを待ちながら酒場の仕事に行っているそうだ。
傍らには鳥の姿を保てない使い魔が、またゲル状の塊として彼のメガネと共にべちょりと横たわっている。
「……ジャミル」
思わず呼びかけてみたものの、なんと言葉をかければいいか分からない。
ベルがいなくなった上に、カイルもいない。
待っていても帰ってこない。
あると思っていた当たり前の日常が、訪れない。
"あの日"と同じことが、繰り返されている……。
しばらくしてからジャミルは顔を上げ、テーブルに雑に置いてあるメガネを取ってかけ直した。
「……静かだな」
「うん」
「グレンとルカと、それからお前と……最初の頃と同じメンツだ。でももうあの頃と状況がちがう」
「うん……」
「ベルがいなくなっちまって、それにカイルが……オレが、また、オレのせいで」
「やめようよ。グレンさんも『関係ない』って言ってたじゃない。カイルも絶対そんなこと思ってないよ」
「…………」
――5年前カイルがいなくなったとき、わたしは落ち込むジャミルに何も言えなかった。
何か言おうにももう付き合いがほとんどなくなっていたから、ふんわりとした綺麗事しか言えない。
それなら何も言わない方がいいと思ったから。
でも、今度はちゃんと中身のある言葉を届けられる。
「大丈夫だよ。何かあったって、グレンさんもルカもいる。ジャミルにだって使い魔がいるじゃない。みんなの力でカイルを助けられるよ」
「……アイツが、オレの助けなんか必要かな」
「要るよ。お兄ちゃんだもん」
「そりゃ、そうだけどよ……」
ジャミルが苦笑いしながら、またテーブルに顔をぺたりとくっつける。
そんな彼の顔の周りを、ウィルがピィピィ鳴きながらうごうごと這い回る――まだスライムの形状だけど、昨日より活動的だ。
「カイルに、ベル……ここんとこずっと、2人に寄っかかりすぎだったなって思って」
「いいじゃない、別に。誰にも寄りかかれなかったら潰れちゃうよ。わたしも……グレンさんがああなったとき、なんにもできないってくじけそうだったよ。でも、ルカが励まして立たせてくれた。みんながいたから潰れないで済んだの。みんな、誰かの助けが必要だよ」
「誰かの、助け……か」
ジャミルが顔の前にいるウィルを指でつつくと、ウィルの身体がぷるぷる震える。
「……最近、夢を見るんだ。ベルが泣きながら『助けて』ってずっと呼んでんだ」
「夢? って、まさかまた闇の……」
「いや……ただの、オレの願望じゃねえかな。……みっともねぇ」
「みっともなくなんかないよ。わたしも、グレンさんに『助けて』って言ってもらいたかったもん。……たった1人、大事な人に求められたいって、そんなおかしいことかな?」
「……そっか。けどやっぱ、オレのは願望で妄想なんだよなぁ。誰かにめちゃくちゃ必要とされたい、みたい、な……?」
彼の言葉の途中で空気が揺れ、窓を閉め切っているはずの食堂に生暖かい風が吹いた。
そう感じたのと同時に、テーブルの上にいるウィルがグネグネと蠢き始め、その身体から紫色の煙が立ち上る。
「きゃっ……!」
「レイチェル! ジャミル!」
「グレンさん……!!」
ウィルの気配の変化を感じたらしいグレンさんが転移魔法で現れ、すぐさまわたしに駆け寄りわたしをその背に隠した。
ジャミルはウィルから少し離れた位置まで下がり、ウィルの様子を見ている。
ウィルの身体から紫色の煙がどんどん吹き出て、部屋中が紫色に染まる――。
「一体、どうした!?」
「分かんねえ、急に、煙が吹き出て……!」
「……な、何、あれ!?」
バリバリという音を立てながらウィルの姿が黒色の渦へと変わっていく。
しばらくすると音が止み、渦の中から何か聞こえてきた。
『ひっ……う、う……』
人の……女性の泣き声だ。
これは、この声は……。
「ベル……?」
ジャミルが一言つぶやく。
――そうだ。この声はベルのもの。ベルがすすり泣く声が聞こえる……。
『ひっ……うっ、ジャミル君、ジャミル、君……』
「……ベ、ベル……」
渦の中心から聞こえる恋人の悲痛な呼び声――引き寄せられるようにジャミルが渦へと歩み寄っていく。
「ジャミル……!」
グレンさんが何かを言いかけてやめる。
「危ない」とか「近寄るな」とか言おうとしたのかもしれない。
でもあの渦は、ジャミルの使い魔ウィルが姿を変えたもの。
使い魔が主人の恋人の声を使って、主人を危険に晒すなんてことは考えられない。
でも、この状況はあまりに異様だ。そのままにしていいのか、引き留めるべきなのか、グレンさんにも判断がつかないのかもしれない。
「ベル、なのか、一体、どうし……」
『たすけて……ジャミル君』
「ベ、ベル……」
『ジャミル君っ、たすけて……たすけて……!』
「……ベル……、ベルッ!!」
ジャミルがベルの名前を大声で唱えると、その呼びかけに応えるように渦がバチバチという音とともにグワッと拡がってジャミルを覆う。
「ジャミル……!!」
締め切っているはずの食堂に、立っていられないほどの強い風が巻き起こる。まるで、わたし達の追随を拒むように……。
「くっ……!」
「きゃあっ……!!」
次の瞬間渦が素早く閉じ、ジャミルの姿が渦ごと消えた。
紫に染まった部屋が一瞬で元の色に戻る。
「ジャ、ジャミル……うそ……」
テラスの窓から気持ちのいい朝日が差し込み、周辺の森からは鳥の鳴き声が聞こえる。
――静かだ。
今仲間が目の前から消えた以外全くいつもと変わりのない、静かで、のどかな、いつもの朝――。
やはり、カイルは戻らない。
グレンさんがカイルの代わりに飛竜のシーザーにエサをあげている間、わたしは朝食の準備。
食堂にやってくると、テラスの近くのテーブルにジャミルが突っ伏していた。
釈放されてから自宅には戻らず、ここでカイルの帰りを待ちながら酒場の仕事に行っているそうだ。
傍らには鳥の姿を保てない使い魔が、またゲル状の塊として彼のメガネと共にべちょりと横たわっている。
「……ジャミル」
思わず呼びかけてみたものの、なんと言葉をかければいいか分からない。
ベルがいなくなった上に、カイルもいない。
待っていても帰ってこない。
あると思っていた当たり前の日常が、訪れない。
"あの日"と同じことが、繰り返されている……。
しばらくしてからジャミルは顔を上げ、テーブルに雑に置いてあるメガネを取ってかけ直した。
「……静かだな」
「うん」
「グレンとルカと、それからお前と……最初の頃と同じメンツだ。でももうあの頃と状況がちがう」
「うん……」
「ベルがいなくなっちまって、それにカイルが……オレが、また、オレのせいで」
「やめようよ。グレンさんも『関係ない』って言ってたじゃない。カイルも絶対そんなこと思ってないよ」
「…………」
――5年前カイルがいなくなったとき、わたしは落ち込むジャミルに何も言えなかった。
何か言おうにももう付き合いがほとんどなくなっていたから、ふんわりとした綺麗事しか言えない。
それなら何も言わない方がいいと思ったから。
でも、今度はちゃんと中身のある言葉を届けられる。
「大丈夫だよ。何かあったって、グレンさんもルカもいる。ジャミルにだって使い魔がいるじゃない。みんなの力でカイルを助けられるよ」
「……アイツが、オレの助けなんか必要かな」
「要るよ。お兄ちゃんだもん」
「そりゃ、そうだけどよ……」
ジャミルが苦笑いしながら、またテーブルに顔をぺたりとくっつける。
そんな彼の顔の周りを、ウィルがピィピィ鳴きながらうごうごと這い回る――まだスライムの形状だけど、昨日より活動的だ。
「カイルに、ベル……ここんとこずっと、2人に寄っかかりすぎだったなって思って」
「いいじゃない、別に。誰にも寄りかかれなかったら潰れちゃうよ。わたしも……グレンさんがああなったとき、なんにもできないってくじけそうだったよ。でも、ルカが励まして立たせてくれた。みんながいたから潰れないで済んだの。みんな、誰かの助けが必要だよ」
「誰かの、助け……か」
ジャミルが顔の前にいるウィルを指でつつくと、ウィルの身体がぷるぷる震える。
「……最近、夢を見るんだ。ベルが泣きながら『助けて』ってずっと呼んでんだ」
「夢? って、まさかまた闇の……」
「いや……ただの、オレの願望じゃねえかな。……みっともねぇ」
「みっともなくなんかないよ。わたしも、グレンさんに『助けて』って言ってもらいたかったもん。……たった1人、大事な人に求められたいって、そんなおかしいことかな?」
「……そっか。けどやっぱ、オレのは願望で妄想なんだよなぁ。誰かにめちゃくちゃ必要とされたい、みたい、な……?」
彼の言葉の途中で空気が揺れ、窓を閉め切っているはずの食堂に生暖かい風が吹いた。
そう感じたのと同時に、テーブルの上にいるウィルがグネグネと蠢き始め、その身体から紫色の煙が立ち上る。
「きゃっ……!」
「レイチェル! ジャミル!」
「グレンさん……!!」
ウィルの気配の変化を感じたらしいグレンさんが転移魔法で現れ、すぐさまわたしに駆け寄りわたしをその背に隠した。
ジャミルはウィルから少し離れた位置まで下がり、ウィルの様子を見ている。
ウィルの身体から紫色の煙がどんどん吹き出て、部屋中が紫色に染まる――。
「一体、どうした!?」
「分かんねえ、急に、煙が吹き出て……!」
「……な、何、あれ!?」
バリバリという音を立てながらウィルの姿が黒色の渦へと変わっていく。
しばらくすると音が止み、渦の中から何か聞こえてきた。
『ひっ……う、う……』
人の……女性の泣き声だ。
これは、この声は……。
「ベル……?」
ジャミルが一言つぶやく。
――そうだ。この声はベルのもの。ベルがすすり泣く声が聞こえる……。
『ひっ……うっ、ジャミル君、ジャミル、君……』
「……ベ、ベル……」
渦の中心から聞こえる恋人の悲痛な呼び声――引き寄せられるようにジャミルが渦へと歩み寄っていく。
「ジャミル……!」
グレンさんが何かを言いかけてやめる。
「危ない」とか「近寄るな」とか言おうとしたのかもしれない。
でもあの渦は、ジャミルの使い魔ウィルが姿を変えたもの。
使い魔が主人の恋人の声を使って、主人を危険に晒すなんてことは考えられない。
でも、この状況はあまりに異様だ。そのままにしていいのか、引き留めるべきなのか、グレンさんにも判断がつかないのかもしれない。
「ベル、なのか、一体、どうし……」
『たすけて……ジャミル君』
「ベ、ベル……」
『ジャミル君っ、たすけて……たすけて……!』
「……ベル……、ベルッ!!」
ジャミルがベルの名前を大声で唱えると、その呼びかけに応えるように渦がバチバチという音とともにグワッと拡がってジャミルを覆う。
「ジャミル……!!」
締め切っているはずの食堂に、立っていられないほどの強い風が巻き起こる。まるで、わたし達の追随を拒むように……。
「くっ……!」
「きゃあっ……!!」
次の瞬間渦が素早く閉じ、ジャミルの姿が渦ごと消えた。
紫に染まった部屋が一瞬で元の色に戻る。
「ジャ、ジャミル……うそ……」
テラスの窓から気持ちのいい朝日が差し込み、周辺の森からは鳥の鳴き声が聞こえる。
――静かだ。
今仲間が目の前から消えた以外全くいつもと変わりのない、静かで、のどかな、いつもの朝――。
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