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15章 祈り(前)

9話 過つ友

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「カイル、入るぞ」
「ああ」
 
 ノックをして、カイルの部屋に。
 カイルはベッドで所在無げにごろごろしていたが、ゆっくりと身体を起こして少し笑って見せた。
 
「……具合は」
「ああ……熱は少しあるけど、最初よりはだいぶマシかな。レイチェルが薬を色々用意してくれてたから」
「そうか」
「…………教皇猊下げいかに呼ばれたって?」
「!」
 
 話を切り出すよりも先に、カイルが問うてきた――ルカから話を聞いて、相当に気になっていたのだろう。
 
「ああ。……リュシアン王太子もいた」
「お、王太子殿下が? なん……で」
「友人のセルジュを助けた礼、あと色々な話と説明を」
「…………」
「というわけで……話が4つばかりある」
「4つも……あるのか……」
「……」
 
 苦笑いしながら、カイルがそう呟く。
 数ヶ月前俺が赤眼になった時、今と全く同じ場面があった……それを思い出しているのだろう。
 あの時と今で立ち位置が逆だ。あの時あいつからの話は確か、2つだった。
 
「まず、聖女を目覚めさせた件について。お前には何の罰も下らないそうだ」
「え、そうなのか……俺はてっきり」
「教皇と王太子が言っていたから間違いない」
 
 教皇とセルジュ、そして王太子によれば、歴史上こういったことが何度かあったそうだ。
 目覚めさせた者は死罪になったらしいが、いずれも500年から1000年も昔……宗教が絶対的な権力を持っていた頃のこと。
 今はそんなことをしても何もならない、という考えが一般的らしい。
 
「……俺からすれば『何を当たり前のことを』としか思えないが」
「まあ……お前は、そうだよな」
「……ともかく。お前には罰は下らないし、お前の情報も公開されない。安心しろ」
「情報……そうだ、お前新聞読んだか?」
「新聞? ……!」
 
 カイルの視線の先――テーブルの上に、新聞がいくつも乱雑に置かれていた。
 あれはおそらく、俺が買って隊長室に置いておいたものだ。
 出かける前に隠しておくべきだった――どの新聞にも、今のカイルに見せるべきでない情報が網羅されている。
 
「いろんな新聞社のやつ何部か読んだけど……全部、全然イリアスのことが書かれてないよな。『光の塾の残党の仕業』とかって。……確かにあいつは光の塾の残党だけど、不自然な書き方だよな。しかも何かよく分からない嘘が書かれてる。目覚めさせられた聖女と共に、聖銀騎士団長のセルジュが行方をくらましてるって……」
「…………」
 
 カイルの頭上に火の玉が浮き上がり、小さく渦を描き始める。
 
「なんなんだ、これ? ……お前、知ってる?」
「……ああ、知ってる」
「!」
 
 予想外の返答だったらしく、カイルが俺を凝視してくる。
 "火"が少しずつ大きくなり、様々な色が混じり出す。
 
「2つ目の話になるが……イリアスは、もうすぐ死ぬ」
「え?」
「お前も見ただろう。あの日、奴の手首が腐り果てたように落ちて……禁呪の使いすぎだ。肉体は姿を保てず、全身崩れて死ぬらしい」
 
 ――魂を費やし続けた者の最後に訪れるのは、死ではない。魂は砕け散りどこにも還らず、無に帰す。
 数ヶ月前砦に何度も来ていた"A"という女と同じに、イリアス・トロンヘイムという人間は跡形もなく消える。
 姿形、声、名前……そして、奴に関わった記憶の何もかもが消え、最初から存在しなかったことになるという。
 
「ふーん、そりゃ気の毒に。……で? それが新聞と、何の……」
「……イリアスの情報を出さないのは、ノルデン人のためらしい」
「え?」
 
 ――王太子曰く、奴の名を載せる場合、ノルデン人の司祭であるということも公表せざるを得ない。出さないのは不自然だからだ。
 だがイリアスはいずれ消滅する。そうすれば聖女の名と同じように奴の名の記述も奴に関する記憶も消え去る。
 しかし、「ノルデン人の司祭である」という記述はそのまま残ってしまう。
 そうなれば、強大化した魔物のせいで不自由な生活を強いられた人間は、いずれその鬱憤うっぷんを罪なきノルデン人にぶつけはじめる。
 奴1人の名と出自を載せるだけで、何百、何千というノルデン人が理由なき暴力と迫害を受けることになる……。
 
「……実際は保身や隠蔽のためであっても、『ロレーヌで暮らす力なき罪なきノルデンの民を守るため』だと王太子に言われたら、俺は『お心遣い感謝します』としか返しようがなかった」
「…………」
 
 カイルは眉間にシワを寄せて黙り込む。
 頭の上で渦巻いている炎に、太い糸のような火が幾重にも巻き付いていく。
 
 ――こいつの火がこんなになっているのを初めて見た。十数年前、初めてこいつが俺に"クライブ"という偽名を名乗ってきた、あの時の火よりもぐちゃぐちゃだ。
 
「……3つ目だ。さっきの新聞の話の続きだ……。聖女はシルベストル邸に、セルジュは今この砦にいるが、2人とも表向きには行方不明ということになっている」
「……なんで」
「それは……そっちはやはり、不祥事を隠すためだ」
「…………」
「次の聖女が就任するか、イリアスが死ぬか……それまでの間、姿を隠す。全て終わってからセルジュは聖女を連れて戻り……邪悪な者から聖女を守り抜いたとして、彼はその功績を讃えられる――そういうシナリオだそうだ」
「"邪悪な者"って何だよ」
「……光の塾の残党」
「そんなのでごまかせるかよ。というか……セルジュはそれでいいのか?」
「納得はしていないようだが、罰の一種としてとらえると言っていた」
「罰……」
 
 彼の甘さが一連の出来事の起因となってしまったことは事実。
 部下の聖銀騎士達はイリアスに操られ、何日も帰っていなかった者もいる。
 だというのに、すでに聖銀騎士達の頭からイリアスの記憶は消え、あの出来事もなかったことになっているという。
 そんな中、彼だけが全ての出来事を記憶している。
 彼は評判が高い人物だ。「行方不明になっていたのは目覚めさせられた聖女を邪悪な者から守り抜いたからだ」という情報が流れれば、皆何も疑うことなく彼を讃えるだろう。
 彼の頭には罪の意識しかないのに、受けるのは賞賛だけ……いくら記憶が消えるとはいえ、どのような責め苦よりもきついかもしれない。
 
「……全部終わるまで、セルジュはここでかくまうってことか?」
「ああ。その見返りというか……イリアスと光の塾について情報を提供してくれる」
「…………そうか」
「!」
 
 俺の言葉を聞いたカイルが薄く笑みを浮かべる。
 不安定で色も一定しなかったカイルの"火"が、血のような赤黒い色へ変わる。
 そして、緩んだ糸車のようだった火がパチパチと燃える音を立てながらだんだんと研ぎ澄まされ、槍の形へ……。
 
「…………」
 
 ――ルカが言っていた通りだ。
 イリアスの話になった時だけ虚ろな瞳に光が灯り、魂がはっきりとした形を成す。
 闇の剣も闇堕ちも赤眼も関係ない。そこに宿るのは純然たる殺意……。
 
『憎むことは不毛だ。前途ある若者が、そのようなことで歩みを止めてはならない』――。
 
 教皇の言葉は絵空事のように思えた。
 だが、この憎悪と殺意の塊のような炎を前にして、彼がああ言った気持ちが理解できてしまう。
 イリアスは憎い。"赦し"なんて分からない。そんなものは無価値だ。
 だが、この憎しみの"火"はそれ以上に無価値だ。行く先を焼き払い、来た道を分からなくする。
 
 こいつのこんな感情もの、見たくない――どうすれば、何を言えば軌道修正できる?
 考えろ、何もないことはないだろう。俺はちゃんとこいつを知っているはずだ。
 
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