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15章 祈り(中)

33話 少しだけ、未来の話を(前)

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「グ……グレンさん」
「ん?」
 
 フランツが去って、ジャミルも仕事に出かけたあと。
 みんなそれぞれ自室に戻ったので、食堂はわたしとグレンさん二人きりになった。
 
 ――声をかけるのに勇気が要った。
 でも、声をかけたはいいものの、言葉が出てこない。
 何を言えばいいんだろう。
「大丈夫ですか」とか?
「辛いことがあったら話して」とか?
 
 何か違う気がする。
 何を聞きたいんだろう。何を言いたいんだろう。わたしは彼に、何を思っているんだろう……?
 どうやっても言葉が出てこないので、わたしはグレンさんの手を取ってぎゅっと握った。
 
「……レイチェル?」
「か、会議の最後にね。グレンさんが、手を離したのが、い、いや……だったの」
「…………」
 
 やっと口から漏れ出たのは、だだをこねる子供のような言葉。
 彼は数日後大きな戦いを控えている。それに今日は「無理だ」なんて言って閉じこもるくらいの出来事があった。
 どう考えても今の彼にかける言葉じゃない。負担になりたくないと思っているのに、どうしても我慢ができなかった。
 彼は何も言わずわたしの手を握り返し、その手と反対の手でわたしを引き寄せ軽く肩を抱いた。
 わたしはそのまま彼の胸元に額を軽くつけ、目を閉じる。
 
「……部屋で話そう」
 
 彼の言葉に、わたしは無言でうなずく。
 ――どうして彼に気を遣わせてしまっているのだろう。
 今気遣われるべきは、どう考えたって彼の方なのに……。
 
 
 ◇
 
 
 飲み物を持って、グレンさんの部屋に。
 2人並んでソファーに腰掛ける――ローテーブルに載っている飲み物はレモネードだ。「ココアを飲む気分じゃない」と言うので、今日はそちらを用意した。
 彼はレモネードも好きだ。でも、いつもの飲み物じゃないというだけでわけもなく不安になる。
 そばにいるのに、なんだか遠く感じてしまう……。
 
「…………明日、また魔物退治に行くの」
 
 レモネードを一口飲んでからそう問うと、グレンさんは小さく首を振った。
 
「いや、行かない。……レイチェルは、明日学校は……痛っ」
 
 言葉の途中で、わたしは彼の肩に小さく拳をぶつけた。
 
「明日、日曜だもん。学校じゃないもん」
「ああ……そうだったか。すまない、このところずっと一緒だったから、曜日の感覚が――」
「全然一緒なんかじゃないもん。魔物退治ばっかり行ってたじゃない。頼まれてもないのにいっぱい依頼取って……」
「…………レイチェル」
 
 口をついて出てくるのは自分勝手でわがままな言葉ばかり。
 きっと今、ひどい表情かおをしている――それを見られたくなくて、わたしは彼の肩に顔をひっつけてうつむく。
 
「……バカ」
 
 ――5日ほど前のこと。
 とある依頼のため、グレンさんとカイルはモルト山のアントンという人の元へ。
 そこにはなんと、イリアスがいた痕跡こんせきがあった。
 アントンさんが森で倒れている彼を発見して、家へ連れ帰り看病をしたという。
 
 そこでのイリアスは、わたし達の知っている残虐な人間ではなかった。
 妊娠中の奥さんを気遣って、家の手伝いをしたり、子供達と世間話をしたり……とても心優しい青年だったらしい。
 どういう意図かは分からないけれど、「聖女様が目覚めたので魔物が強大化している、早く逃げろ」という注意勧告まで。
 けれどアントンさんの行動が遅かったため一家は魔物に襲われ、全滅。
 その場に居合わせたイリアスは魔物を倒し、死んだアントンさん達を蘇らせた。
 彼にとっては貴重だったはずの血の宝玉をなげうってまで……。
 
 そのことがあってから、グレンさんとカイルはギルドで魔物討伐の依頼を積極的に取ってくるようになった。
 毎日朝早くに、「たくさん返り血を浴びるだろうから」と、大嫌いなはずの黒い服を着て出かける。
 そして夕暮れ時、出かける時とは違う服を着て帰ってくる。
 浴びた返り血はギルドにあるシャワー室を借りて綺麗に流し、血濡れの服はそこで捨ててきているらしい。
 
「……帰ってきたら、いっつも目つきが鋭くって。でも、近づいたら石けんのいい香りがするの。……変なの。よく分かんない、配慮」
「すまない。魔物を斬っていると無心になれるからと思って……悪い癖だな。でももう魔物退治には行かないから」
「……本当?」
「ああ。……行けない、という方が正しいか……。ギルドマスターに怒られたんだ。しばらく出禁だって」
「出禁?」
「『2人ともやりすぎだ。憎しみがこもっているんじゃないか、そんな感情で剣を振るな、頭を冷やせ』と」
「ほんとだ。……かっこ悪い」
「…………、そうだな」
「今日は魔物退治行かないみたいだしって思ってたら、帰って来るなりすぐに閉じこもっちゃうし。……さ、寂しかった」
 
 彼の服の袖をぎゅっと握って消え入りそうな声でそう言うと、彼は「レイチェル」と呼びながらわたしの頬に手をやって顔を上げ、自分の方へ向かせた。
 眉尻が下がっている。あまり見ない表情だ。
 
「ごめんなさい。わたし……もっと、他に聞きたいこと言いたいことあったのに……」
「いい。不安にさせてすまない。1人で考える時間が必要だった。……汚い感情まみれの顔も見られたくなかったし」
「……フェリペ・フリーデンのこと……?」
 
 わたしの問いに、彼は静かにうなずく。
 
「俺はイリアスよりもあの男の方こそ憎い。でも、もういない。苦しみを理解してもらって、綺麗に消えていった」
「………………」
「今の自分の気持ちが分からない。処理に時間がかかる」
「……じゃ、じゃああの、グレンさんも、"告白"してみるのは、どうですか」
「……告白?」
「そう。溜め込んだのを魔物退治なんかで晴らさないで。わたしも重いのを背負わせてほしい、だってこれからもずっと一緒に歩いて行くのに」
「気持ちは嬉しいけど、聞くべきじゃない。失望されたくないし」
「……失望。これまでも結構、してきたと思うけど……」
 
 その言葉に彼は目を細め、ソファーに思い切り寝転がった。
 こういう時いつも彼はわたしのひざに頭を置くけど、今回は反対側――ソファーの肘掛けの方に頭を置いた。
 さっきのわたしと同じに、表情を見られたくないのだろう。顔に手の甲を当てているため口元しか見えない。
 そこから一拍も間を置かないうちに、フッと鼻で笑う声が聞こえてきた。
 
「……全然、逃がしてくれないんだな」
「そうよ。わたし、結構しつこいのよ。知ってるでしょ」
「……そう、かな」
「わたしは聖女様でも司祭様でもないから、いい言葉なんか何も返せないけど……。顔見られたくないなら、見ないようにするから」
 
 言いながら、わたしはソファーの背もたれにかけてあるブランケットを取って手渡した。彼はそれを無言で受け取り、顔にバサリとかぶせる。
 
「……フェリペは、俺やイリアスが受けた拷問を考えた奴だった。そいつの魂がシリル司祭の術で具現化した。……子供の姿をしていた」
「子供……?」
「ああ。目を潰されて泣いていた」
 
 ――グレンさんの口から、シリル司祭による"ゆるし"の詳細が語られる。
 会議でカイルから聞いたのは、「フェリペは罪を告白してシリル神父に赦され、天に昇っていった」という大まかな流れだけだった。
 けれど実際はもっと重苦しく、彼にとって耐えがたい場面だったようだ……。
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