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15章 祈り(後)

38話 こころ弱きもの(1)

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 ――なんでオレはいつもこう、ふさわしくない場面にばかり居合わせるんだ。
 
 グレンが無礼な男に絡まれてブチ切れているとき、セルジュ様が光の塾の真実を知らせに来たとき、そして赤眼の男アルゴスが乗り込んできたとき……いつもいつも、違うヤツがそこにいてくれればなんとかなったであろう場面にオレが「初期配置」されていて、毎回何の役にも立たない。
 
 今回はもう、その極みだ。
 なんでよりにもよってオレがこの男――イリアス・トロンヘイムに出くわすんだ……!
 
 砦でグレンから「イリアスが街を徘徊しているらしい」と聞いてはいた。けど、こんな薄暗い路地裏にいるなんて誰が思う?
「倒れて何度も教会に運び込まれているらしい」とも聞いた。
 昨日はここで倒れてそのまま……ってことだ。
 オレが出勤したときからいたんだろうか? 全然気付かなかった。
 ……いや、それより、何より……。
 
(赤眼……!!)
 
 薄闇の中、イリアスの眼がぼんやりと赤い光を放っている。
 
 ――ああ、合点がてんがいった。
 なんで死にかかっているのに、魔石の防護が厚いシルベストル邸の礼拝堂に来られるのか。
 以前グレンが赤眼になった時、「魔力が高まっている」と言っていた。
 実際アルゴスとの戦いで奴が放った魔法はとんでもない威力だった。あのあとぶっ倒れたのに、"天蝕呪イクリプス"なんていう呪いの術までやってのけた。
 イリアスはグレンと違い、魔法を専門としている紋章使い。紋章は額に宿っていて、その魔力は絶大だ。
 奴の紋章が閃くと頭の中に大きな異音が響いて、行動不能に陥るという。カイル、グレン、ルカ、アルノー、それにセルジュ様……誰1人それに抗うことはできなかった。
 そんなモノを持っている奴が、さらに魔力が高まるという赤眼になって……。
 
「…………」
 
 イリアスは何も言わない。表情なくこちらに目を向けているだけだ。
 
『万が一遭遇したら、逃げてくれ。追いかけたりもしてこない……いや、できないと思う』
 
 ――そうだ、"逃げ"一択だ。
 いくら魔力が高まっているとはいえ、こんなところで行き倒れるくらいに弱っている。
 無駄な行動は取りたくないはずだ、オレみたいなザコに構っている余裕はないだろう。
 そう考え無言できびすを返すと、肩にいるウィルが突然上空へ飛び立った。
 
「!!」
 
「ガァ、ガァ」というけたたましい鳴き声が響き渡る。
 黒に近い紫色をした羽根が空を舞い、地面に落ちる前にフッと消える――それを目で追っていると、イリアスと視線がかち合ってしまった。
 オレが目をそらすよりも先にイリアスが口を開き、「ジャミル・レッドフォード君」と呼びかけてくる。
 驚き肩をすくめるオレを見て、イリアスは目を細め口角を上げた。
 
「ねえ……」
 
 奴が何か言いかけると同時に、舞い落ちた濃紫こむらさきの羽根がオレの眼前を横切り、一瞬だけオレとイリアスを分断する。
 羽根が顔の前を通りきり視界にイリアスが再び登場すると、奴は喜色満面の笑みを浮かべていた。
 
「ねえ、……弟さんは……元気?」
「……!!」
 
 ――血が逆流するような感覚。
 あまりのことに、息を吸って拳を握る程度のリアクションしか取れない。
 だがそれでもイリアスを高揚させるには十分だったようだ――くぐもった声で笑いながら、イリアスはまた口を開く。
 
「さっさと屈服すれば、あそこまで痛めつけたりしなかったのに……ああ、嫌だ。僕はねえ、ああいう諦めの悪い奴が一番嫌いなんだ」
「…………っ、どういう……つもりだ……!」
「心配をしているんだよ。嫌いとはいえ少しやりすぎてしまったからね。……ねえ、弟さんの具合は――」
「お心遣い感謝します。お陰様で弟は元気です」
「そう。それは良かった」
「……元気だよ。毎日毎日綺麗に剣研いで魔物を斬りまくってる、……てめえをどう殺してやろうかって考えながらだ!!」
「…………」
 
 イリアスの顔から表情が一瞬消え、すぐにまた張り付いた笑顔に戻る。
 
 ――こいつとは会話ができない。
 何を言ったって無駄だ、ここ数日の仲間の話で分かっている。
 質問には全く答えない。
 舞台役者のごとく身振り手振りや台詞を言うタイミングが全て決まっていて、聞いてもいないことを長尺で勝手に喋り出す。
 会話が成立するのはこっちが聞きたいことと奴が言いたいことのタイミングが合致した時だけだ。
 話をした時点で、相手をした時点でこっちの負け。
 会話が云々だけじゃない。こいつは今弱っているが、それでもオレよりは断然強い。
 紋章を持っている、赤眼で魔力が高まっている――相手をしちゃいけない、無視してそのまま逃げるのが正解だ。
 
 けど、こんな侮辱を受けて何も言わず立ち去るなんて、できるわけないだろう……!!
 
「……よくも……」
 
 ――許せない。許せないんだ。
 こいつのせいで一体どれだけのものが壊れた?
 言ってやりたいことが山ほどある。それなのにどういうわけか、全く言葉が出ない。
 数日前セルジュ様に筋違いの怒りをぶつけた時にはあれほど口が回ったのに。
 
「……よくも……っ、よくも……!!」
 
 上空からウィルが飛来してイリアスのそばへ着地した。
 攻撃はせず、なぜかイリアスの近くの地面をついばんでいる。
 言いたいこと、やりたいことがあるなら自分でやれ――そういう意思表示だろうか?
 だが、口からは「よくも」しか出てこない。
 イリアスは何も言わない。ただ不気味な笑みを浮かべながらオレを見上げている。
 
 ――何がおかしい。何がおかしいんだ。
 許さない、……よくも、よくも……!!
 
「……よくもカイルを、オレの弟を殺したな! いじめて泣かして、壊したな!! 許さない……オレはお前を、絶対に許さない!!」
 
 許せない。言いたいことが、思っていることが山ほどある。なのにその1割ほども出てこない。
 でも、別にいい。
 うまく喋らなくていい、長々と御託を並べる必要はない、語彙も比喩もいらないだろう。
 今の自分と、弟がいなくなった当時の自分……その両方がこいつにぶつけてやりたい言葉は、何だ……!!
 
「何もかも全部お前のせいだ! 返せよ、弟を!! 人殺し……、人殺しっ!!」
 
 狭い路地裏に声が反響する。
 こんな物騒な言葉を大声で叫んでいるのに誰も来ない。
 街は時が止まっているように静かだ――朝になり活動し始めた街の喧噪が、一切耳に入らない。
 オレの叫びを聞いたイリアスの顔から表情が消える。しかしすぐに困ったような表情で肩をすくめながら「フフッ」と笑って見せた。
 
「……ごめんね?」
「な……」
 
 予想外の返答に頭が真っ白になる。
 こんなに気持ちも言葉も響かないなんてことがあるか?
 オレの反応を見たイリアスはニタリと笑い、また口を開いた。
 
「……ジャミル・レッドフォード君。いいことを教えてあげよう。僕はね……もうすぐ死ぬよ」
「……え?」
「禁忌を犯しすぎたからね。近いうちに身体が崩れて朽ち果てるんだ。……それは"死"ではなく、"消滅"だ。魂も肉体も溶け消えて、誰の頭からも僕の存在は消える」
「…………」
 
 ――そこまで知っているのか。
 自分がこの世から消えるという話をしているのに、イリアスは楽しそうに笑みを浮かべたまま。
 
「だからねえ、ジャミル・レッドフォード君。僕を殺すなら、今のうちだよ」
「な、……何っ……?」
 
「僕は抵抗しない。くびり殺すなり斬り殺すなり、君の好きにするといい――」
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