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終章 未来へ

幸せにならなきゃ ※挿絵あり

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 解散したあと、砦の鍵を返すためポルト市街の冒険者ギルドへ。
 わたしとグレンさんと、それからカイルも一緒だ――。
 
「鍵返して終わりと思ってたのに、書類だなんだで結構時間取られたな」
「借りる時も色々書かされたぞ」
「へえ……。俺、そういう系はさっぱりだからなあ……」
 
 カイルが後頭部をガシガシ掻きながらぼやく。
 ギルドに着いたのは12時過ぎだったけれど、色んな手続きでかなり時間を取られてしまった。
 時刻は昼の1時。
 
「カイルはこのあとどうするの?」
「今日はこの近くの宿屋に泊まって、明日朝早くに発つよ」
「そうなんだ」
「じゃ、俺そろそろ……」
「ま、待ってカイルっ……!」
「ぐっ……!?」
 
 あっさり去ろうとするカイルを、首に巻いているストールをむんずとつかんで引き止めた。
 想定よりも強い力が出てしまい、カイルの首がグッと後ろにのけぞる――焦ってストールを離すと、カイルが首元を抑えながら抗議のまなざしでわたしを見てきた。
 
「……レイチェル~……」
「あ、わ、わ、……はい」
「俺はねえ、強いよ? けど、首絞められたら普通に死ぬからね?」
「はう、ごごごご、ごめんなさいです……」
 
 横にいるグレンさんが「恐ろしいものを見た」とでも言いたげに目を伏せ、顔を横にそらす。……でも心なしか、口の端が吊り上がってるような……?
 
「ごめん本当、あのあの、えっと……カイル! もしよかったら、うちでごはん食べていかない?」
「え……?」
「あ、ごはんって言っても、用意はなくて……パン屋さんでパン買って食べようって思ってて……どう?」
「……俺は別に構わないけど。いいのかな、お邪魔しちゃって」
「大丈夫だよ! ね、いいよね、グレンさん」
「ん? うん」
 
 グレンさんの服の裾を引っ張って尋ねると、了承の言葉が即座に返ってきた。
 その様子を見て、カイルが「ふふっ」と笑う。
 
「愛されてるなあ、レイチェル」
 
 カイルの冷やかしに顔が赤くなると同時に、胸がギュッとなってしまう。
 
 ルカもベルもポルト市街に住んでいる。ジャミルは酒場に行けば会える。セルジュ様やフランツには、ポルト市街やシリル様の教会で偶然出会うことがあるかもしれない。
 けど、カイルだけは違う国――竜騎士団領へ行ってしまう。
 次会えるのはいつになるんだろう。伯爵の位をもらった上、リタ様と結婚することになるなら、もうめったに会えなくなるんじゃないのかな……。
 
 
 ◇
 
 
 グレンさんのアパートの1階にあるパン屋さんでそれぞれ好きなパンを買い、3階のグレンさんの部屋へ。
 カイルはここに来るのは初めてだそうだ。ずっと砦でやりとりしてたし、わざわざ来る必要ないもんね……。
 
「飲み物入れるから座ってて。コーヒーでいいかな?」
「うん」
 
 カイルを招き入れて、ダイニングに座ってもらった。わたしとグレンさんは飲み物の用意。
 わたしとグレンさん、それからカイルの分のカップを出し、お湯で温める。
 
 ――このアパートでは出番はないかと思ってたけど、お客さん用のカップを買っておいて良かった。
 これを最初に使うのがカイルになるとは思わなかった。けど、なんだか相応しい気もする。
 
「カイルはコーヒーに砂糖とミルクいるんだっけ?」
「いらないよ」
「わーお、大人~」
「ははっ、何言ってんの」
 
 用意した飲み物をテーブルに置いて、買ってきたパンを食べる。
 グレンさんはチョコレートが挟まったデニッシュパンを食べている。お気に入りの一品だ。
 カイルはイチゴとクリームチーズのパン。他にも2つくらいイチゴのパンを買っている。
 やっぱり、こういうのにも個性が出るなあ……。
 
 
 
「……カイルは、これからどうするの? 竜騎士団領に帰るんだよね」
「……うん。そう、だねえ……」
「……?」
 
 パンを食べ終わったあとお皿を片付けて飲み物を入れ直し、場所をリビングのソファーに移した。
 食べている間ずっと砦の思い出話で笑い合ってたのに、自身の話を振られた途端カイルは顔を曇らせてしまう。
 
「カイル? どうしたの……」
「ああ、ごめん。そう、竜騎士団領に戻るよ」
「冒険者は? 続けるの?」
「そのつもり。けど、ちょっと……」
「?」
「うん、……ちょっとさあ、揉めてんだよね……」
 
 言いながらカイルはコーヒーを一口啜り、大きな溜息をついた。
 
「揉めて……?」
「跡目争いか何かか?」
「!」
 
 グレンさんの言葉にカイルが少し目を見開く。
 跡目争い――カイルがリタ様と結婚するから、将来は彼がユング侯爵になるということだろうか。それで、他の貴族の人が怒って……?
 ……と、そこまで想像したところで、カイルが「いや」と否定の言葉を発した。
 
「……それは大丈夫なんだ。竜騎士団領って男系だんけいだから、爵位得たところで俺には何の継承権もない。ゲオルク様の甥が次の侯爵になるって決まってるし。揉めてるのはもっと、他のことで……」
「それって……聞いても大丈夫?」
 
 そう問うと、カイルは困ったように笑って肩をすくめた。
 
「そうだなあ、ちょっと……聞いてもらおうかな。俺には全くどうしようもなくってさ」
「…………」
 
 服の胸元をぎゅっと握りながら、カイルはまたコーヒーを啜る。
 
 ――「どうしようもない」ってなんだろう。
 あんなに辛い思いをしたのに、まだ彼が何か背負わないといけないんだろうか?
 わたし、何も考えずにはしゃいじゃったな……。
 
「何から話せばいいのか……。レイチェルは前聞いたと思うけど、俺あっちで勇者みたいな扱い受けててさ。……本当は全然違うのに」
「うん……」
 
 確か、帰還したリタ様がお父様のゲオルク・ユング侯爵に「自分が邪悪な者の手に落ちる前にカイルが封印を解いて、ずっと守ってくれていた」と話し、それに感激した侯爵がカイルに"竜伯"の称号を授け、娘との婚姻も認めた……という話だった。
 
「表向きにはそうなってるけど、実際リタの口から本当のいきさつは伝わってるんだ。そのいきさつの中にはセルジュが自分を刺したことも含まれてて。それでセルジュの母上――イザベラ様っていうんだけど、その方がめちゃくちゃ怒っちゃってさ」
「……怒ったって、誰に? ……カイル? リタ様?」
「いや、ゲオルク様。イザベラ様はゲオルク様の妹君なんだ」
「……?」
 
 ――セルジュ様があんな目に遭ったことにいきどおるのは分かるけど、どうしてゲオルク侯爵に矛先が行くのだろう。
 よく分からなくてグレンさんの方を見やるも彼も分からないようで、首をひねっている。
 
「……なぜ? 兄妹喧嘩か?」
「まあ、そんなような感じかな。イザベラ様と……あとゲオルク様の弟君のラルス様も加わって、兄上の糾弾大会が始まっちゃってさ。以前からゲオルク様に色々不満抱いてたらしいんだよね。まずはゲオルク様の親としての在り方から始まって、あとはもう『大体兄上は~』って話ばっかり。正直俺は全く関係ないんだけど、疲れちゃうんだよね……」
 
 そこまで言ったところでカイルはソファーにもたれかかり、気怠そうに虚空を見つめた。
 
「……まあ、それは『勝手にやっててくれ』でいいとして。一番参ってるのが、じいちゃんのことで――」
「"じいちゃん"? って、ロジャーおじいさんって人のこと?」
「ああ――うん、そう」
 
 行き倒れていたカイルを拾って面倒を見てくれていた人だ。彼の"クライブ・ディクソン"という名前は、その人がくれたものだと聞いた。
 
「今回のことで俺ぶっ壊れちゃっただろ? それで、じいちゃんが激怒しちゃって」
「激怒……ゲオルク様に?」
「そう。じいちゃん、俺がガキの時にめちゃくちゃぶっ壊れたとこ見てるから、それ思い出したんだろうね。『貴方は何回この子を壊す気だ』って……」
 
 ――問題の根は深い。ロジャーおじいさんの気持ち、リタ様とゲオルク侯爵、そして侯爵とその弟妹の関係性など、複雑多岐にわたる。
 
 奥様を早くに亡くしたゲオルク侯爵は一人娘のリタ様を溺愛し、娘の欲しがる物を全て与え、望みはなんでも叶えていた。カイルがリタ様の小間使いになったのもその一環。
 その一方、しつけや教育など子育てにおいて厳しいことは侍女や家臣に全て丸投げで、嫌な役は一切やらなかった。
 侯爵の弟妹がたびたび「それではリタのためにならない」と進言するも聞く耳を持たず、甘やかし続けた。
「真名の意味と重要性」というものは親から子へとしっかり受け継がなければいけなかったのに、それもしなかった。
 その結果、幼いリタ様は真名を、伴侶でもない全くの他人――カイルに教えてしまった。
 それがカイルの心を打ち砕く要因になり、世界の破滅の危機まで招いてしまう……。
 
 ロジャーおじいさんはゲオルク侯爵に剣を教えていたこともある人。
 だから、他の人よりは侯爵に正面切って物申すことができる。今回のことを受け、初めて侯爵に怒りの感情を露わにしたそうだ。
 
『貴方の気まぐれでクライブを小間使いにしたり辞めさせたり、それで今度は『娘と結婚させるために爵位を与える』? どれほど好き勝手をすれば気が済むのです、わしの息子を馬鹿にするのもいいかげんにしてください!』と……。
 
 
 
「……おじいさん、カイルのことすごく大事に思ってるんだね……」
「そうだね。16年、家族として過ごしてきたから。『息子が欲しかったら貴方が襟元を正して、ちゃんと筋を通してからにしろ』ってさ。……なんか、俺の方がお嫁さんみたいになっちゃってて」
 
 少し両手を広げ、肩をすくめてカイルは笑ってみせる。冗談めかしてるけど、きっと内心は穏やかではないだろう。
 
「俺自身が何か責め立てられてるわけじゃないんだけど、ちょっと……いや、すごい憂鬱なんだよね」
「……カイル」
「って言っても、帰らないわけにもいかないからな」
 
 言いながらカイルが、カップを持って立ちあがる。
 
「というわけで、そろそろ行こうかな。コーヒー、ごちそうさま。あっち持ってけばいい?」
「そのままでいいよ……ねえカイル、また遊びに来てね。いつでも歓迎するからね」
「はは、ありがとう。けど、前みたいに気軽に来るわけにもなあ。新婚家庭だし」
「……好きにすればいい」
「え?」
 
 グレンさんがぶっきらぼうにそうつぶやき、カイルが目を丸くする。
 
「昔、俺のいる場所はマードック武器工房だった。そばには親方夫婦がいた。場所とそばにいる人間が置き換わってるだけだ。お前はそこに空を飛んでやってくる。……昔から、何も変わらないだろ」
「…………」
 
 しばらくの沈黙のあと、カイルは「ありがとう」と笑った。
 
 
 ◇
 
 
「あ……」
「ん?」
 
 カイルが去ったあと。
 ダイニングテーブルを拭いていたグレンさんが、テーブルに置いてあった"ある物"を手にして渋い顔をする。
 
「あれ、それって財布?」
「ああ。あいつ、忘れていったんだ。ちょっと届けてくる――」
「待って! わたしが行きます」
「え? でも」
「いいからいいから! わたし意外と足速いのよ」
 
 彼の手から財布をひったくって、アパートを飛び出した。カイルが出てからそんなに経っていない。きっとすぐに追いつくはず――。
 
(……いた!)
 
「カイル~っ!!」
 
 大声で呼ぶと、カイルが驚いた顔でこちらを振り向く。
 わたしはそのままカイルに駆け寄り、今度はストールじゃなく手をつかんで引き止めた。立ち止まっているから、必要ないのに。
 すぐ追いついたのに、なぜだかすごく息が荒れる……。
 
「レイチェルか……ビックリした、街でその名前呼ばれることないからさ」
「あ……、そっか、ゴメン。呼ばない方がよかった?」
「いいよ、別に。……どうしたの?」
「これ! 財布!」
「え……?」
 
 ずいっと財布を差し出すと、カイルはズボンや胸元をあれこれ探り、首を振りながら大きな溜息をついた。
 
「うわ、……またやらかした。ありがとうレイチェル」
「うん」
「…………」
「カイル? どうかした?」
 
 わたしの手から財布を受け取ると、カイルは無言になってしまう。しばらくの間のあと、目を細めてフッと笑った。
 
「なんでもないよ。……昔、同じように財布を忘れたことがあって。その時はグレンが届けに来てくれたなーって」
「……そうなんだ」
「うん。……レイチェル、グレンのこと、よろしくね」
「よろしく、って?」
「あいつ、心にまだまだ風穴が空いてると思うんだ。……気付いてた? あいつ、自分の住んでるところを"家"って言わないんだよ。"店"とか"部屋"とか"アパート"とか言うんだ」
「あ……」
 
 ――それには気付かなかったけど、確かに彼にはそういう「風穴」が存在している。
 今は言うようになったけど、「ただいま」をなかなか言わなかったし、好きな料理を取って食べるということも分からなかった……。
 
「2人が付き合い始めた時は、レイチェルには重すぎるからと思って言えなかったけど……結婚するから、お願いするよ。あいつのこと、幸せにしてやって。住むところを、"家"にしてやってよ」
「カイル……」
「もちろん、レイチェルも幸せにね。グレンがなんか酷いことしたり言ったりしたら、言ってね。俺がぶっとばしてやるから」
「ふふ。怖い、なあ……」
 
 ――泣きそうになってしまう。
 永遠に会えなくなるわけじゃないと分かってても、彼との別れは何かとても辛い。
 
「……カイル。カイルだって、幸せにならなきゃだめだよ。つらいこといっぱいあったんだもん、幸せにならなきゃウソだよ……」
「ありがとう。もちろん、そのつもりだよ。せっかく運命をねじ伏せてやったんだし」
「うん、……うん」
 
 引き留めるためにとった彼の手をぎゅっと握る。
 ――大きいなあ。昔はわたしと同じくらいだったのに……。
 
「……そろそろ行くよ。レイチェル、ありがとね」
「ん……なにが?」
「色々だよ。あらゆる局面でお世話になったよ」
「そ、そう……? カイルの方がよっぽど――」
「俺はね、レイチェルの可能性を知ってるよ」
「かのうせい、……うん……?」
 
 よく分からないので首をひねると、カイルはおかしそうに「ふふ」と笑った。
 
「……ごめん、変なこと言って。じゃあ、今度こそ行くから。ありがとね。また……会おうね」
「うん! いつでも来てね」
 
 返事代わりに微笑を浮かべ、カイルはわたしの頭を撫でる。しばらくそうしたあと「それじゃあ」と言って、カイルは宿へと歩き出した。途中一度こちらを振り返り、ニコッと笑いながら手を振ってくれた。
 それと同時に、ふわりと温かい風が吹いた。
 わたしも踵を返して、帰路につく。

 (カイル……)

 ――大丈夫だよね。昔みたいにひとりぼっちじゃない。みんながいるんだもん。
 竜騎士団領あっちの空にだって、"いい風"が吹いているのに決まってる。
 
 またね、カイル。
 いつだって飛んできてね。待ってるよ。
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