愛を知らない空っぽ屍霊術師は、泥の人形に泡沫の恋をする

天草こなつ

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2章 ロランと泥の人形

10話 倫理:特進Aクラスの田中君(後)

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「……あ~、すんませ~ん、ちょっと前いいッスか~?」
 
 考えた末、田中親子の間に割って入った。
 会話の切れ目を伺いながら、さも「今この場に現れましたよ」といった体を装って……。
 
 ――小学校の時の、「大縄飛びでなかなか入れない人」の気持ちが今ようやく分かった。
 何度か「今だ」という瞬間があったのに、怖じ気づいてしまって入れなかった。
 
「いやーすんません、ここに原チャ停めとってー。……あー、田中君。お疲れ~」
 
 田中君に笑顔を向けたあと、その笑顔を貼り付けたまま田中母に「どうもー」と会釈をしておく。
 田中母はバツが悪そうな顔で会釈を返してきた。さきほどまでの会話を聞かれたと思ったのかもしれない。
 
 会話のスキを伺っているとき、この人は倫理ともみちについても触れていた。
「あの茶髪の女遊びしてそうな人、まさかあれも先生とちゃうやろね」なんて言っていた。
 
 ――何度でも言いたいが茶髪は地毛だ。色もそんなに明るくない。
 女遊びなんかしたことはない。女性が寄ってくることは多いが、付き合うまでに至ったケースは少ない。
 むしろ、属性に寄ってこられることが多いから「あまり好きではない」まである。
 それなのに全く酷い偏見だ。傷ついた。
 
(なんであんなん言われなアカンねん、腹立つな~)
 
 心の中で毒づきながら、バイクを後退させる。
 広い場所まで押し歩いたあとヘルメットを被ってバイクにまたがり、最後に田中君にイイ笑顔を向けて「ほなまたね、田中君~!」と、アホみたいに元気いっぱいに叫んでからその場をあとにした。
 
(『なんで助けてくれへんねん』って思われたかな……)
 
 話の流れを切っただけで何も解決していない。が、あれが自分にできる精一杯だった。
 あのまま話を打ち切って帰宅してくれていたらいいのだが……。
 
 
 ◇
 
 
「すみません! 田中奨の母ですけども!」
 
 あれから、田中君の母親がたびたび乗り込んでくるようになった。
 田中君の成績は下降の一途を辿っており、期末テストの平均点数は前よりもさらに10点下がっていた。
 1学期と比較すると20点下がっていることになる――このままだと、特Aクラスにはいられない。Bクラス……いや、下手をするとCクラスまで落ちるかもしれない。
 
 小中学生は繊細だ。学校、家庭などの問題が成績に直結するケースが多い。
 優秀だった田中君の成績があんなに落ちたのも、そういった問題を抱えているからに違いない。
 講師陣の誰もがそう考えていたが、田中母はそれを「そちら側に問題があるからだ」と言ってはばからない。
 田中君と同じ学校に通う子によると、学校にも同じように突撃して教師を困らせているのだという。
 
 学校はともかく塾は不満ならばいつでも辞められるはずだが、田中母はなぜかそれを言い出さない。
 意図が不明すぎて、塾長は頭を抱えていた。
 やがて田中母について他の生徒やその保護者から苦情が出始めた頃、事件は起きた。
 
「もうええかげんにしてくれや! アタマおかしいんじゃ!!」
 
 度重なる母親の突撃に耐えかねた田中君が、職員室で母親と喧嘩を始めたのだ。講師や他の生徒、何人もの人間が見ている前で……。
「もう塾を辞める」と言い出す田中君に、「これから受験生なのに辞めてどうする、行く高校がなくなる」と金切り声で叫ぶ母親。
 田中君はそれに対し「高校も大学も行かん」と怒鳴り、続けざまに「オマエが嫌いな"底辺労働者"になるから、縁でも何でも切ったらいい」と言い放つ。
 
「底辺労働者」とはずいぶんな物言いだ――おそらく母親が、日頃からそういった言葉で人を貶めているのだろう。
 息子の剣幕に言葉を失った母親を見て、田中君はさらに叫ぶ。
 
「大学行ってへん、働いたこともあらへん……それやのになんでそんな偉そうに人を馬鹿にできんねん! オマエがそんなんばっかり言うからオレの周り誰もおらんようになったわ!!」
 
 そう叫んでカバンを床に叩き付け、田中君は退室していった。
 母親は茫然と立ち尽くしていたがしばらくしてから我に返り、「待ってよ奨ちゃん!」と叫びながら床に落ちているカバンを拾い上げ、こちらを見ることなく足早に退室していった――。
 
 
 
 数日後の土曜日、田中君の父親が菓子折を持って塾に現れた。
 単身赴任をしていたために家庭内の状況をほとんど把握できていなかったそうだ。
 退塾の手続きをしたあと、入り口のドアのところで「ご迷惑をおかけして本当に申し訳ございません」と深々と頭を下げて去って行った。
 
 ――嵐のようだった。
 自分はもちろん、田中君の授業を受け持っていた講師陣も塾長も、全員が蚊帳の外だった。
 今考えても、あの時自分に何ができたのか分からない……。
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