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2章 ロランと泥の人形
13話 とある青年の追憶(前)
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明るく笑う人だった。
あの人にまた会いたい、お礼を言いたい……。
2024年9月。
田中奨は、世話になった人に会うために昔住んでいた街を訪れていた。
関わりは少なかったが、彼との出会いがあったからこそ今の自分があると、そう思っている……。
◇
奨がその人と出会ったのは、中学2年生の時。通っていた学習塾で、国語の講師として現れた。
「こんちは~ 初めまして。安田先生の代理で来ました、栢木です~。名前はこう書くよ。覚えたってな~」
そう言って、彼はホワイトボードに大きく自分の名前を書く。
(軽……)
国語の「安田先生」は30代くらいの落ち着いた人だったが、今回来た「栢木先生」は茶髪の大学生。
下の名前は倫理と書いて「ともみち」――堅い名前だが、髪色と話し方から「軽い、チャラい」としか感じられない。
この人が勉強なんか教えられるのだろうか、と不安に思った記憶がある。
が、意外にも――と言うと失礼だが、授業は分かりやすかった。
また、チャラくもなかった。「手紙は受け取ってくれないし、連絡先どころか誕生日も血液型も教えてくれない」と、彼に憧れている女子が嘆いているのを何度か目にした。
「おーっす田中君~。調子どう? 分からんとことかない?」
この先生はよく自分に話しかけてきた。それも、毎回「分からんことない?」と聞いてくる。
毎回「特にないです」と返しているのだが、「この子に分からないことなんかないだろう」と思われがちな奨にとって、「分からないことがきっとあるだろう」と他の生徒と同様に接してくれる人は貴重だった。
中2の冬。奨は塾で母と大喧嘩を繰り広げたのち、塾を辞めた。
それ以来、奨は学校に通えなくなっていた。あの大喧嘩は同じ学校の生徒も見ていた。噂が広まっているのではと考えると、怖くて人前に出られなかった。
学校や塾の人間に遭遇すると思うと、街にも出られない。
出かけられるのは平日の昼だが、そんな時間に中学生がうろうろしていたら補導される可能性がある。
――息苦しかった。4月から父方祖父母の家に行くことになっているが、時期を早めてもらえないだろうか……そんなことを考えていた。
しかしある日、どうしても欲しい本があったため、奨はこっそり家を抜け出して本屋へ向かった。
運良く補導されることなく本屋に辿り着き、目当ての本を買うことができた。
その帰り、あの栢木先生に出会った。
声をかけると笑顔で再会を喜んでくれて、泣きそうになった。
泣くのをなんとかこらえて最後にお礼の言葉を伝えた。そのまま去ろうとすると呼び止められ、なぜか「アップルパイいるか」とこちらに差し出してきた。
餞別か何かのつもりだったのだろうか。正直、今も分からない。
公園のベンチに座って、先生と食事をした。
プライベートの先生は授業中よりもさらに軽かった。
先生は不思議な人だ。あまり話すのが得意でない奨から、次々と言葉を引き出す。
わざとなのか意図的なのか、会話の端々でボケるから、ついツッコんでしまう。
お笑いはあまり見ないし人から笑いを取ろうと思ったこともないが、自分も根底のところでは“大阪人”らしいと気がついた。
こんな気楽な話をしたのはいつぶりだろう。
友達と中身のない話をして、馬鹿をやって笑い合って……勉強漬けになってからはそんなことができなくなっていた。
人と話すのは得意ではないが嫌いなわけじゃないのに、どうして……。
そんなことを考えていると涙があふれてきて、先生の前で号泣してしまった。
先生は背中をさすりながら、奨の話を聞いてくれた。
母親に部活を辞めさせられたこと、マンガやゲーム、その他勉強に邪魔な物を勝手に捨てられたこと。
母親が遊びに来ていた奨の友達の悪口を言い、それを当人に聞かれて絶交されてしまったこと。
それらが積み重なって頭にモヤがかかり、何も頭に入らなくなって成績が下がったこと……。
いい言葉だけ言って別れるつもりだったのに、汚い気持ちを洗いざらい吐き散らかしてしまった。
先生は「聞くだけしかできない」と詫びてきたが、それでもありがたかった。
この鬱屈とした気持ちをどこにも吐き出せないまま過ごしていたら、いつか潰れてしまうかもしれなかった。
あの人にまた会いたい、お礼を言いたい……。
2024年9月。
田中奨は、世話になった人に会うために昔住んでいた街を訪れていた。
関わりは少なかったが、彼との出会いがあったからこそ今の自分があると、そう思っている……。
◇
奨がその人と出会ったのは、中学2年生の時。通っていた学習塾で、国語の講師として現れた。
「こんちは~ 初めまして。安田先生の代理で来ました、栢木です~。名前はこう書くよ。覚えたってな~」
そう言って、彼はホワイトボードに大きく自分の名前を書く。
(軽……)
国語の「安田先生」は30代くらいの落ち着いた人だったが、今回来た「栢木先生」は茶髪の大学生。
下の名前は倫理と書いて「ともみち」――堅い名前だが、髪色と話し方から「軽い、チャラい」としか感じられない。
この人が勉強なんか教えられるのだろうか、と不安に思った記憶がある。
が、意外にも――と言うと失礼だが、授業は分かりやすかった。
また、チャラくもなかった。「手紙は受け取ってくれないし、連絡先どころか誕生日も血液型も教えてくれない」と、彼に憧れている女子が嘆いているのを何度か目にした。
「おーっす田中君~。調子どう? 分からんとことかない?」
この先生はよく自分に話しかけてきた。それも、毎回「分からんことない?」と聞いてくる。
毎回「特にないです」と返しているのだが、「この子に分からないことなんかないだろう」と思われがちな奨にとって、「分からないことがきっとあるだろう」と他の生徒と同様に接してくれる人は貴重だった。
中2の冬。奨は塾で母と大喧嘩を繰り広げたのち、塾を辞めた。
それ以来、奨は学校に通えなくなっていた。あの大喧嘩は同じ学校の生徒も見ていた。噂が広まっているのではと考えると、怖くて人前に出られなかった。
学校や塾の人間に遭遇すると思うと、街にも出られない。
出かけられるのは平日の昼だが、そんな時間に中学生がうろうろしていたら補導される可能性がある。
――息苦しかった。4月から父方祖父母の家に行くことになっているが、時期を早めてもらえないだろうか……そんなことを考えていた。
しかしある日、どうしても欲しい本があったため、奨はこっそり家を抜け出して本屋へ向かった。
運良く補導されることなく本屋に辿り着き、目当ての本を買うことができた。
その帰り、あの栢木先生に出会った。
声をかけると笑顔で再会を喜んでくれて、泣きそうになった。
泣くのをなんとかこらえて最後にお礼の言葉を伝えた。そのまま去ろうとすると呼び止められ、なぜか「アップルパイいるか」とこちらに差し出してきた。
餞別か何かのつもりだったのだろうか。正直、今も分からない。
公園のベンチに座って、先生と食事をした。
プライベートの先生は授業中よりもさらに軽かった。
先生は不思議な人だ。あまり話すのが得意でない奨から、次々と言葉を引き出す。
わざとなのか意図的なのか、会話の端々でボケるから、ついツッコんでしまう。
お笑いはあまり見ないし人から笑いを取ろうと思ったこともないが、自分も根底のところでは“大阪人”らしいと気がついた。
こんな気楽な話をしたのはいつぶりだろう。
友達と中身のない話をして、馬鹿をやって笑い合って……勉強漬けになってからはそんなことができなくなっていた。
人と話すのは得意ではないが嫌いなわけじゃないのに、どうして……。
そんなことを考えていると涙があふれてきて、先生の前で号泣してしまった。
先生は背中をさすりながら、奨の話を聞いてくれた。
母親に部活を辞めさせられたこと、マンガやゲーム、その他勉強に邪魔な物を勝手に捨てられたこと。
母親が遊びに来ていた奨の友達の悪口を言い、それを当人に聞かれて絶交されてしまったこと。
それらが積み重なって頭にモヤがかかり、何も頭に入らなくなって成績が下がったこと……。
いい言葉だけ言って別れるつもりだったのに、汚い気持ちを洗いざらい吐き散らかしてしまった。
先生は「聞くだけしかできない」と詫びてきたが、それでもありがたかった。
この鬱屈とした気持ちをどこにも吐き出せないまま過ごしていたら、いつか潰れてしまうかもしれなかった。
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