四人の魔女の物語

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 むかしむかし。
 精霊や幻獣のいた時代。
 一人の魔女が山に囲まれた荒れ地に降り立ちました。
 魔女は見晴らしの良い小さな山の上で手を広げ、くるりと一回りしました。
 すると山のまわりには湖ができました。
 そして北を向いて両手を上げると、湖から2本の川を作りました。
 次は南を向いてさらに2本の川を作り、川の終わりはそれぞれ小さな湖になりました。
 最後に魔女は山をくりぬいて城を作り、そこで暮らすことにしました。

 魔女の作った湖と川はとても不思議で、海に流れ出すこともないのにいつも豊かで清らかな水を湛えていました。
 湖のまわりには草が生え、木が芽生え、森ができました。
 山だらけの荒れ地は、こうして水と緑の大地になりました。

 しばらくすると湖のまわりに、生き物や人々が集まってきました。
 森は豊かな実りを人々に分け与え、人々は魔女に感謝を捧げるようになりました。
 そして老いた魔女は、この土地を聡明な若者に託し、自らを花に変えました。
 若者はこの国のはじめの王様になり、魔女の名プリエラをその花と国の名前にしました。

 プリエラの花は小さな花です。
 つぼみはやわらかな黄色、丸く愛らしい花びらを広げるとほんのり紅く色付きます。
 花は瞬く間に水辺に広がり、この国を美しく彩りました。

 それから長い年月が経ち、精霊や幻獣は失われた時代。
 西から呪いの魔女がやってきました。
 日照りが続き、かと思えば大雨が続き、森は荒れ、作物は枯れてしまいました。
 また、清らかな水を欲した周辺の国が4つの湖と自分たちの国の川をつなげてしまい、あれほど美しかったプリエラの川と湖はついに濁ってしまいました。
 そして恐ろしい病気が入ってきて、多くの人が命を奪われました。
 王様は民の苦難に心を痛め、呪いの魔女に申し出ました。
「すべての呪いは王が引き受けよう」
 こうしてプリエラの民は救われ、王家の血は呪われてしまったのです。

 それから百年。
 山と森に囲まれた美しい国プリエラには、まだ少しの魔女が残っていました。
 そして賢く優しく美しい、国民から慕われる若い王様がいました。
 血が呪われて以降、短命な王家のとうとう最後の一人となった王様は呪いを解く方法を探していました。
 手立ては一向に見つからず、百年経って魔女の呪いは弱まったけれど消えてはいないというのが魔術師たちの見立てでした。
 この王様も長くは生きられないだろうと。

 せめてこの最後の王様に世継ぎをと大臣たちはあちこち探して美しく賢く丈夫な娘を妃にしようと躍起になっていました。
 そんな中、ある魔術師が言いました。
「いっそ魔女に頼っては?」

 魔女は生まれながらに不思議な力を使える女たちです。
 魔術師は魔女の力を研究し、魔女が力を込めた石を使える男たちでした。
 呪いの魔女の力を恐れた百年前の大臣たちは、すべての魔女を北東の湖のそばの森へと追いやっていました。
 その後の魔女たちは魔術師の監視を受けながらその森でひっそりと暮らしていました。

 こうして、王様のもとに一人の若く美しい魔女が連れてこられました。
 森の魔女たちは娘を送り出すときに嘆き悲しみながら言いました。
「城へ連れて行かれたらその先何をされるかわからない。王様も魔女を憎んでいるはずだから。かわいそうに。条件の合う娘はお前しかいないのだからどうかこらえておくれ」
 娘は魔女の印の青い髪と金の目を分厚いフードで隠し、これからの境遇を憂いて震えていました。

 ところが王様はフードを外した魔女を憎むどころかこう言ったのです。
「ひと目見てあなたに心を奪われました」
 まっすぐな目を向け彼女の手を取り、短命な自分の妻にするために無理やり連れてきたことを詫び、それでもどうかこの国のために一緒に生きてはくれないかと懇願したのでした。
「どうか国が守られ、王様が少しでも長生き出来ますように」
 魔女は王様の真っ直ぐなまなざしに心を打たれ、その手を握り返したのでした。




「じゃあ、また寄りますよアリル姫」
「ええ、ありがとうパレチア。エフィカ様によろしくね」
 小山の上部分をくりぬいたようにそびえる城から、青い髪の少女は旅商人を見送った。
 北向きの橋の先で川に沿って道は二手に分かれている。
 キラキラと水が光り、水辺の花が揺れている。
 旅商人はおそらく右の道へ進み、その先の村へ寄った後、さらにその先の大国へと向かうはずだ。

 やわらかな日差しと風が心地よい。
「アリル。体はいいのか?」
「ええ、今日は気分が良いわ、おじい様」
 少女の青い瞳に豊かなひげを蓄えた老人が映る。
 祖父代わりのドリン大臣である。
「イレアのところにか?どれ、ワシが持ってやろう」

 アリルが商人から受け取った数冊の本をドリンに渡すと、小さな本が一冊すべり落ちそうになった。
「おや、これは。大陸の言葉かね?色までついて」
 つまんだ本にドリンが驚いている。
「ええ、そうなの。翻訳して向こうの国で出版したのですって。私この本ちょっと変なお話って思っていたけれど、国の歴史のお話はどこもちょっと変なものだってパレチアは言ってたわ」
「はははそうかもしれんのう」
 ドリンは本を持ち直し、二人は並んでアリルの姉イレア姫の部屋に向かった。

 建国の魔女と、呪いの魔女、そして王に嫁いだ魔女。
 三人の魔女の物語はもともとこの王国内の子どもに読み聞かせるためにつくられた墨摺りの本である。
 小さな絵本の最後のページに描かれているのはアリルの両親。
 王に嫁いだ魔女こそ彼女の母親である。
「まだ魔女がいる遠い異国なんてのは、アタシらの国にとってはなかなかに魅力的ですからね」
 と旅商人のパレチアは言っていた。
 かの国ではもう魔女は絶えてしまっているそうだ。
 もっとも、こちらで絶えてしまっている精霊はあちらには少し残っているというので世界というのは不思議なものである。
 どこかにはまだ幻獣が残っている国もあるかもしれないと思わせてくれる。

 父である国王が亡くなって三か月が過ぎていた。
 百日を待って姉のイレア姫が王を継ぐまであと少し。
 とはいえ、この国では代々の王が短命なこともあり、主に四人の大臣がほとんどの国政を担っていて、王は比較的お飾りに近い。
 それでも姉、イレア姫は昔から王に相応しくあろうと努力をしてきた。
 勉学のみならず、体を鍛え、民の声を聞き、外の国がどうなっているのか情報を欲した。
 すべて異国の言葉で書かれている数冊の本はイレアのために大陸から取り寄せたものである。

 イレア姫の金の目はこの国以外の言葉も読める。
 立場に相応しい魔女の力を持つ姉をアリルはうらやましく思っていた。
 二人の母である王妃は人の姿を変えたり、運命の糸を見ることもできる。

 この国の魔女は青い髪に金の目。
 のはずが、イレアは金の髪に金の目、アリルは青い髪に青い目と少し様子が違っていた。
 そして、アリルは何の力も使えない。
 昔から体が弱く、三か月前の王が亡くなる頃などはアリルもずっと臥せっていたのだった。

 建国の魔女の時代から長い長い時が経ち、魔女の力はどんどん弱くなり、今は王妃やイレアほどの力を使える魔女もそう多くない。
 魔術師曰く、血が薄まっているからだろうとのことである。
 薄まった魔女の血に、王家の呪われた血が入ったことで、体は弱く魔女の力も持たないのだというのが魔術師たちのアリルに対する見立てである。

 ドリンの持つ本から流れて揺れるリボンを見ながらアリルは思った。
(『鍵の乙女の物語』の続きが届いて良かったわ。たまには姉様も息抜きしなくちゃ)
 王が亡くなってからというもの、連日大臣たちと話し合っていたりと忙しそうな姉に、大陸で令嬢に人気の恋物語は癒しになるだろうと。

 この本はリボンで綴じてある特徴的な装丁で、背の一番上にある結び目に布で作った花をあしらってある。
 イレアは初めてこの本を手にしたときに、
「大陸ではこのような娯楽小説まで印刷製本されているのね」
 と、いたく感激していた。
「娯楽小説こそ、その国の生活や表に見えない色々がわかるものなのよ!」
 と、その本のあらすじをアリルに力説し、続きを強く要求してきたあたりを見るに、純粋に年頃の乙女としてこの恋物語が気に入ったのだろうなとアリルは思っている。

 部屋の前まで来ると、イレアの声が響いていた。
 強く非難する口調にアリルとドリン大臣は顔を見合わせた。
「それで、どうして父様が亡くなって大変なこの今!今になってなんで母様が家出してしまうのよ!あなた母様のお目付け役なのに何してたのよ!」
 どうも詰められているのは魔術師のモジュのようだ。
「王妃はこのところまともに口も聞いてくださらなかったのですよ」
 モジュは、王妃がまだ魔女の森で暮らしていたころからのお目付け役であり、現在も王妃付きで城にいる。

「姉様どうなされたの?」
 戸を叩いてアリルが部屋に入るとモジュが項垂れていた。
「ああアリル、母様がね、一人で城を抜け出してしまったの」
「母様が?いったいどこへ?」
 王妃は夫を亡くしたこの三か月をほとんど自室にこもってふさぎ込んでいた。
 出かける元気が出たならばそれは良いことかと思ったが、イレアの様子を伺うにあまりよろしくない何かがあるようである。

「これが置手紙よ」
 おそらくイレアが強く握りしめたせいでシワの入った手紙を受け取った。
「『やるべきことをやります』とだけ?何かしら?」
「王妃は……そもそも王妃がこの城に来たときのお役目を再びなさろうとしているのでしょう」
 モジュの言葉を聞いて、イレアがため息をついた。

「ははぁ、王妃は娘たちに味方をつけようと考えたようだの」
 傍らの机に本を置きながらドリン大臣が言った。
「そうだと思います。王を廃してしまおうと考える大臣も以前いましたからね」
 モジュが口を添えた。
「そのうえ女の王は初めてのことじゃからの」

「女であっても私が継ぐと以前から決まっていたではないの!そもそもこの国を作ったのは魔女よ!女だわ!」
 苛立つイレアにドリンが言う。
「それを反故にしようという動きも確かにある」
「王が亡くなったらあとは女だけだからってあのクソ大臣……」
 魔術師の物言いがくだけると、
「モジュ、言葉に気をつけなさい」
 人の振り見て正気を取り戻したイレアが静かに諭す様子を見て、アリルは吹き出しそうになった。
「この部屋におる者が振る舞いに気を付けた方がいいのは確かなことじゃ。ワシらを蹴落とそうと画策する輩がどこにおるかわからんよって」
 ドリンの忠告に二人の姫と魔術師は頷いた。

「でも城に来たときのお役目ってどういうこと?この城に来たときの母様は父様に嫁ぎに来たわけでしょ?」
 問うアリルに、イレアは机の上の小さな絵本を取った。
「あなたこのなれそめをそのまま信じているのでしょう?本当は少し違うのよ」
 イレアの金の目は語られないこともよく見えるものだった。
「母様ね、私たちの運命の相手を探しに出かけたの」
 イレアが眉間にしわを作って言う。
「なんですって!私たち母様が連れてきた人と結婚するの?」
 アリルは突然のことに困惑した。




「母様はそもそも王妃になるつもりで城に来たわけではないはずよ。そうでしょ?」
 イレアに問われたドリン大臣はひげを撫でながら目を閉じる。
「そうさの」
 隣にいる魔術師モジュは遠い目をしている。
 これまで絵本の話しか知らず、別れのその時まで仲睦まじかった父母を恋物語の主人公たちのようだと思っていたアリルにとっては初めて聞く話である。

 その後、ドリン大臣の話した内容はこうだ。
 魔女の力を借りようと言った魔術師は、そもそもその血を王家に混ぜようなどとは思っていなかった。
 なぜなら自らがその魔女に恋をしていたから。
 その娘が王の役に立つことで、森に閉じ込められている彼女やほかの魔女たちの境遇を少しでも良くして、あわよくば、王にも魔女にも恩を売りつつその娘と生きていくことができればという期待を抱いていた。
 娘にはいくつかの力があったが、中でも尊ばれていたのは縁をたどる力だった。
 そう、人の縁、運命をつなぐ糸が見えるというのである。
 初めは魔女の森でだけ知られていた力が、王都に戻った魔術師などから話が広がり、いつしか王都や他の村から魔女の森に二人の仲を確認しようとする恋人たちが訪れるようにまでなっていた。

 そうして、その力をぜひ王にもと魔女は森から出されたのだった。
 山ほどの妃候補の待ち受ける部屋に通された魔女の驚きと困惑は想像に難くない。
 まっすぐに自分から王座へ伸びる糸。
 しかしそこには「我こそが」と信じるきらびやかな宝石たちの期待がみすぼらしい娘を責め立てるように取り囲んでいたのである。
 言えるわけがない。
 送り出されるとき言われた言葉はおとぎ話の通りである。
「城へ連れて行かれたらその先何をされるかわからない。王も魔女を憎んでいるはずだから。かわいそうに。条件の合う娘はお前しかいないのだからどうかこらえておくれ」
 本当のことは言えないが、さりとて嘘もつけない。
 震える娘に浴びせられたのは、
「魔女だなんて言っても本当は大した力などないのでしょう?」
 という嘲りの言葉だった。
「本物の魔女じゃないのでは?」
 という誰かの言葉を端に、目深にかぶったフードをはぎ取られた娘はそこでようやく王の姿を目にしたのだ。

 王が恋に落ちたのは本当。
「ひと目見てあなたに心を奪われました」
 と差し伸べた王の手に娘ははじめから応えたわけではない。
 当然その場にいる誰もが大反対したのだった。
 ある大臣は王家の血に汚れた魔女の血を混ぜるのかとまで言った。
 ただ別の大臣は賛成の声を上げた。
 魔女の血が入ることで王家の呪いが消える可能性はあるのではないかと。

 誰より困惑したのは魔術師である。
 自分が娶るつもりの魔女を王妃にするだなんて、そんな事があっていいわけがない。
 娘に駆け寄り糸の行方を正直に話すように促したのである。
 誰とも繋がっていない、あるいはここに居ないものに伸びているのだろうと。
 それがとどめだった。

 知り合いの魔術師の顔を見て安心した娘は本当のことを口にしたのだった。
「王様の糸が私につながっているの!私どうしたらいいの?」
 と。
 魔術師はもう何も答えられなかった。
 そして王は破顔し、彼女の手を引いた。
 賛成した大臣が、
「ではひとまず娘を私の養女にして妃教育を施しましょう」
 と名乗り出て、王もそれを喜んだ。
 我こそは我が娘こそはと集まった者たちがその光景をどう見たか。
 つまりはきらびやかな娘たちを蹴った王と、王を誑かした魔女を快く思っていないものもこの国には多くいる。
 そして。

「姉様、ま……まさかドリンおじい様がその大臣で、モジュがその魔術師なの?」
 青い顔で問うアリルに眉間にしわを寄せたイレアが頷く。
 気の毒な魔術師モジュはもはや地に伏していた。
「うむ。ちなみに、その絵本を作ったのもモジュだ」
「え……それは知らなかったわ。あなた色んな意味ですごいわね」
 イレアが絵本とモジュを並べて見ながら驚く。
 目論見はずれて恋する娘を王に取られてしまったものの、呪いの魔女以降続いていた魔女に対する偏見をなくすよう尽くし、森に閉じ込められていた魔女たちを解放したのは間違いなくモジュの手柄であった。
「あの、モジュ?絵本の……母様をとてもかわいく描いてくれてありがとう」
「……絵を描いたのは私ではありません……監修はしましたけども」
 アリルの心遣いは空振りし、イレアとドリンは首を振った。

「それにしても母様ったら本当に困ったもんだわ」
「あれはお前のように城で生まれ育ったわけではないからの」
 あらためて憤るイレア姫をなだめるようにドリン大臣は言った。
 小さくため息をつくとイレアは絵本をアリルに渡した。
「アリル、これはあなたが持っているといいわ」
「ええ、ありがとう姉様」
「本を届けてくれてありがとう。しばらく一人にしてちょうだい」
 ドリン大臣とアリル姫は頷いて、ようやく顔を上げた魔術師を引いて部屋を出た。



 一人になった部屋でイレアは頭を抱えていた。
(甘え、これは甘えよ)
 我が王家の犠牲になり続けている男に八つ当たりすることがいかに幼稚であるか自分でも痛いほどわかっている。

 モジュを頼りにしすぎている自覚はある。
 自分が王になると知ったとき、父様も母様もとても頼りなく見えた。
 アリルのように父様を絵本の通りの人物だと思えればよかったのだけど……。
 近くで一番頼れる人は誰かと考えたとき、それは母の後ろにいつもいる魔術師に他ならなかった。
 モジュは賢く、沢山の知識を持っている。
 それだけじゃなく、常に先を見ている。
 それは私が王になるために必要なことだと思った。
 だからたびたび押しかけては勉強を教わっていた。
 邪険にされることはなかったけれど、壁はぶ厚かった。
 昔も今も、何を言おうと何をしようとあの人は静かに許してくれる。
 けれど決して心を開いてくれない。

 それはそうよ、父様も母様も私も、あの優しい魔術師に酷いことしかしてないのだから。
 それなのにも関わらず、モジュが今でもずっと母様を静かに想い続けているのは明らかなのだ。
 わからないのは母様よ。
 父様が亡くなってから、私ともモジュともほとんど会おうとせず引きこもって、やっと部屋から出たと思ったら勝手なことを。

 確かに味方は多い方が良いけれど。
 代々男の王が続いていたこの国で女が王になることに反対している者もいる。
 私は女で、そのうえ魔女だ。
 母が王妃になって以降、魔女が解放されたことを喜んだ者たちもいるがそうでない者ももちろん多い。
 そもそもこの国を作ったのは魔女だ!といってもそれを見たものなど誰もいない。

 けれど、プリエラの人々の生活はおとぎ話の昔とそこまで大きく変わってはいないのだろうと思う。
 多くの人の一生が村ひとつだけでほぼ完結する。
 男が農作や大工などの力仕事、女が炊事や繕い物など家仕事をするのがほとんどだ。
 そして、その生活に疑問を持つものも少ない。
 そうでない生活があることを知るものが少ないから。
 大きな国になると道具が色々発達して、非力でも力仕事ができたりするのだという。
 服屋や道具屋や食堂や、それぞれ専門の店が同じ町にいくつも並び、遠い町とも人や商品が行き交っているのだと。

 王家や貴族の生活なども大国とプリエラでは違う。
 この城では王家の人間も一人で行動するし、身の回りのことも自分でするけれど、大国の王家の人間などは何人もの従者に身の回りの細々としたこともさせるのだという。
 女性は一人では脱ぎ着も、走れもしないような煌びやかなドレスで身体を縛っているのだというから意味が分からない。
 そのような暮らしが馴染まず、体調を崩す姫もいるということは、従者の数が多くて贅沢ならば幸せだというものでもないのだろう。

 何十年も魔女が隔離されていたことによって直接本当の魔女を知らない者も増えた。
 知らないものは理解できないし、時に恐ろしいものでもある。
 機嫌を損ねればすぐ動物にされてしまうとか、呪われてしまうとか、そう思われていることも多い。
 特別な力があるとはいえ、こちらも何でも好きなようにできるわけでもない。

 まあ実際母様などは気に入らない者を動物に変えることもできてしまうのだけれど、力を使うことはそれなりに心身を消耗させる。
 それに力の代償、運命の縛りのようなものもある。

 私は王にならざるを得ない。
 周囲からは自ら進んでその道を選んでいるように見えるだろう。
 けれどそうではない。
 子どものころから、それが自分の運命だと知っている。
 逃げられない運命だからこそ、どうにか立ち向かえるように準備を続けてきただけのこと。
 この先は四人の大臣と協力して、国を治めねばならない。
 ドリン大臣はもちろん味方だがこの先何十年もというわけにはいかないし、極端な偏りを作ってもいけない。

 かつて大臣の一人が王を出し抜こうと画策したこともあった。
 幸い他国を引き込む前に大臣の急病で企みは潰えたけれど、たかだか一人の娘と見て侮られればまた同じようなことが起きるかもしれない。
 結婚でもしていればまだ、というのはああいう人たちには確かにあるのだろう。
 そもそもこの国で今後も王政を続けるのなら自分が子を産まねばならない。
 自分もとうに適齢期を迎えてはいる。
 避けられない問題だと自分だって思っていた。
 だからこそ、相談したかったのに。
 話をする前に一人で勝手に城を出てしまうなんて。

「あーもう!」
 ベッドに転がると机の上に積んだ本の中に花が見えた。
 イレアは慌てて起き上がり、リボンのついた本を手に取る。
「続き!」
 15年くらい前まで大陸で実際にあったという聖女制度をモチーフに描かれた恋物語『鍵の乙女の物語』のあらすじはこうだ。
 四年に一度、選ばれる四人の貴族令嬢。
 城に集められた娘たちは鍵を渡され、それぞれの役割を果たすことになる。
 一の乙女は光の聖女、光の加護により人や土地を癒し、四年の後に一つ願いを叶えられる。
 二の乙女は夜明けの聖女、三の乙女は夕暮れの聖女、二人は光の聖女の補佐役。
 そして、四の乙女に残されたのは闇。
 闇の聖女は夜の塔に閉じ込められ、その多くが四年を待たず命を失ってしまうという。
 四の鍵を手にしてしまった主人公が精霊や他の聖女に助けられ、過酷な運命に抗う物語。
 そして、恋物語らしく主人公の助けにはもう一人、幼い頃に出会って結婚の約束をした王子が……。

「くぅ」
 ベッドに伏せて本を読んでいたイレアは足をジタバタさせた。
 物語はクライマックスに差し掛かり、四の乙女はついに幼なじみの王子にあらためて求婚されたのである。
「幼い頃の約束を覚えていますか……」
 セリフの一つを音読し、仰向けになってしばらく天井を見ていたイレアはリボンを本に挟んで起き上がった。
 その端がいつもよりだいぶ長く伸びているのを見てふと思いつき、立ち上がる。
 小さな宝石箱の片隅から柔らかく光る貝のボタンを取り出すとリボンの先に結びつけた。
「いつか、一緒に海に」
 行くことがあるかしら。
 見たことのない水平線というものを、あなたと見ることがあるのかしら。
 でも。
「きっと覚えてなんていないわ」
 王妃が探しに行くまでもなく、イレアは自分の糸の先を知っていた。
 よほど繋がりが強いもの以外はいつも見えるわけではないけれど、よく見ようと集中すれば糸は見える。

 ただ、自分の見える糸は母が見えるような運命の相手というわけではないらしい。
 兄妹だったり、すでに結婚している者から二つ目の糸が別の相手と繋がって見えたりもする。
 けれど、自分の糸がほかに繋がっているのを見たことはない。
 だからきっと、彼なのだと思っている。
 ずっと、ずっと昔、とても小さい頃にこの国に来た大国の王子。
「帰ってきたんだわ」
 この数年王子は大陸へ渡っていて、糸も南東へ向いていたけれど、今は北西に向いている。
 けれど。
 本当かどうか確かめるのは恐ろしい。

 確かめたところで、大国の王子が小さい頃一度行っただけの小国の姫と結婚などするわけがないじゃない。
 自分だけがずっと糸を意識して何度も何度も思い返しているのが嫌になる。
 母様、私はそんなこともあなたに相談したかったのよ。




 城の書庫の木窓を開けてアリル姫は外を眺めた。
 風に吹かれた青い髪を左に寄せて撫でつける。
 書庫に訪れる者はあまりなく、今ではアリルの部屋のようなものである。

 お父様はよく一緒に書庫で過ごしてくださった。
 二人だけの内緒の話もしてくれた。
 このところは天気も良いし体の調子も良い。
 お父様が亡くなるとき、私は立ち上がれなくて最期に立ち会うこともできなかったのに。
 今になって元気になってももうお父様はいないのに。
 イレア姉様は取り寄せた本の中に絵本を見つけると私に譲ってくれる。
 妹も外の国の言葉を少しでもわかるようになりたいと思っていることを知っているから。
 魔女の力が使えない分、それでも何か出来ることはないかと書物を読んだり人に話を聞いたりしてきた。

 いつか、人のために、このプリエラのために、何か私ができることがあればよいのにと思う。
 そういう夢をほのかに抱き続けている。
 けれど体調悪く寝込む日も多い私には人の役に立つようなことが何もない。
 人の手を煩わせるばかり。
 母様が運命の相手を探してきて結婚したとしても、こんな私に子なんて産めないかもしれない。
 いっそ、見つからなければいいと思ってしまう。

 イレア姉様の目は何でも瞬時に読んでしまうけれど、私にはわからない。
 母様は人を繋ぐ糸を見たり、自分や人の姿を変えたりできるけれど、私にはできない。
 青い髪はあれど、金の目はない。
「魔女の力は目に遺伝するのだろう」
 ということになって誰も私のことは魔女と呼ばない。
 魔女の力はイレア姫に、王家の呪われた血はアリル姫に継がれたのだろうと皆言っている。
 けれど。
 もしかしたら、私は呪いの力を持った魔女なのかもしれない。
 小さい頃、母様の部屋から抜け出して城の廊下で大臣の一人が父様を馬鹿にしているのを聞いてしまったことがあった。
 (許さない!)
 と思った瞬間、大臣は苦しみの声を上げた。
 追いかけてきた母様に声をかけられなければ、殺してしまったのかもしれない、と思うと今でも恐ろしい。
 怖くなって必死に助かりますようにと祈ったけれど、私自身も熱を出してしばらく寝込んでしまって、大臣は一命を取り留めたとは聞いたけれど、その後は城で姿を見ることもなかった。

 それからは人を憎んだりすることのないよう、負の感情を強く持たないよう、いろんな本を読んだり笑顔を絶やさないようにして心を落ち着けることをずっと意識してきた。
 あの時のあれが、もし本当に魔女の力だったなら、私こそが呪いの魔女ではなかろうか。
 私が心を乱し誰かに負の感情を持つととんでもないことを起こしてしまうのではないか。
 そう思うととても怖い。
 もっとも、本当に私は魔女の力を欠片も受け継いでいない可能性もある、あるのだ。
 姉さまと母様の二人の魔女のやりとりを羨ましく思うこともあるけれど、そうならそれでいい。
 呪いの魔女であるよりも、呪われた血を持つ役立たずの娘である方がよい。

 そもそも呪われた血というけれど、呪いの魔女は本当に王を呪ったりしたのかしら。
 本を読んだりパレチアに外の国の話をたくさん聞いているうちに絵本の話の順序を疑うようになってしまった。
 プリエラ王家の系図を見ると、ある時代に集中して親族での婚姻を繰り返しているところがあった。
 それが100年より少し前のことだ。
 もしかすると呪いの魔女が来るよりも前に、王家はすでに体の弱い者が多かったのではないかしら。
 大陸なんかでも王家の気高い血統を守るためとか、王家の財産を散逸させないためとかの理由で親族同士の婚姻を勧めるような国もあったというし。
 魔女のような力を受け継ぐわけでなくても血を重視する人々もいるのだ。
 けれど、親族婚を繰り返すことで体の弱い部分が強く受け継がれて、虚弱な王から次の代に繋ぐことができず王制を終えた国すらあるということだった。

 そして系図には百年ほど前、黒く塗りつぶされている部分がある。
 名前を消された王妃に何があったのか。
 その頃に日照りや大雨で不作に見舞われたのはこの国だけではない。
 だからこそ、西の国で戦があった。
 西から来たという呪いの魔女は戦から逃れてきた者だったのではないか。
 王が呪われたというその時に一体何があったのか。

 このあたりの記録を見ると、大臣たちも次々と入れ替わっている。
 よほど混乱していたのだろう。
 物事の記録がない空白の時代。
 きちんと残そうとしなければ本当のことは後世に伝わらないのだ。
 百年前のことすら、はっきりわからないのに。
 建国の話など本当のところは誰にもわかるわけがない。

 アリルは墨摺りの絵本と色つきの絵本を並べてページをめくっていた。
 墨摺りの本の最後のページに封をしたままの一通の手紙が挟んである。
「この絵のお父様はとてもよく似ていて昔から好きだけど、色がつくとなおさらね」
 優しくて、大好きだったお父様。
 少しさみしそうな目で母様を見ることがあった。
 もともと母様はモジュのことが好きだったのかしら。
 それなのにお父様と糸がつながって。
 そしてお父様もそれを知っていたのかしら……。

 手紙を色つきの絵本に挟みなおしアリルはため息をついた。




「アリル、あまり根を詰めて本を読むと体に障るぞ」
 アリル姫が書庫にいると、ドリン大臣は時々様子を伺いにやってくる。
「おじい様。最近は大丈夫みたいなのよ。一日中起きていられるの」
「くれぐれも無理はしてくれるなよ」
 遠くで鳥が鳴き、日が傾きはじめていた。

「……母様が帰ってきたら私本当に結婚しなくちゃいけないのかしら。結婚したら子を産むのでしょう?私なんかにそんなこと本当にできるのかしら」
 不安そうなアリルの様子に、ドリンはかつての娘の姿を重ねた。
「アリル、ワシがなぜ王妃の親代わりに手を挙げたと思う?」
「大臣の地位を確固たるものにしたかったのでしょう?」
「んまぁそれもある。だが、それだけではないよ。これまでお前に話したことはなかったがな。ワシには娘がおったんじゃよ。だからこそ王もワシに王妃を預けてくれたんじゃ」
 アリルたちが会ったことのないドリン大臣の娘。
「亡くなったの?」
 ドリンは頷いた。
「王妃が城へ来る少し前のことじゃった。年も同じくらいでの。好いたものと結婚して、子を授かったがお産が上手くいかんかった。娘も赤子も助からなんだ」
 アリルが息をのんだ。
「じゃからワシは不安があるなら子を産む必要は無いと思うとる。いくら糸が繋がっとろうが結婚だって無理にする必要はない。ワシはそう思うよ」
 ドリンはアリルの肩に手を触れ、アリルは頷いた。
「娘を亡くした時それはそれは辛くての。だから王妃を預かることで、ワシら夫婦がどんなに救われたか。イレアやアリルが産まれた時どんなに嬉しかったか」
 ドリンはアリルに微笑んだ。
「だからアリル、お前は何も心配せんでええ。お前が幸せであることが何よりも最優先じゃからの。王妃が連れてきた男が気に入れば一緒になってもええが、気に入らなければワシが追い出してやろう」
「ふふ、連れてこられたのに追い出されたらその人可哀想ね」

 書庫の窓を閉めて、笑顔に戻ったアリルを部屋まで送り届けたのち、ドリンはイレアの部屋の戸を叩いた。
「わかっているのよ、おじい様」
 昼間の威勢はどこへやら、そこにはすっかり力の抜けた娘がいた。
「幸いほかの者には知られずに済んでいるようじゃ。どのみち変身できる王妃をむやみに追っても捕まるまいて。なにそのうち帰ってくるよ」
「わかっているの。王国を維持するには、私が子を産まなきゃいけないんだもの」

「イレア……お前は前から縁談を断っておったが、誰か心に決めたものでもおるのではないか?」
「……心に決めたというわけではないのだけど」
 イレアは少し考えた後、眉間にしわを寄せて言った。
「大国の王子をこの国にくださいって言って相手にされると思う?」
「大国?ロルギニスかね?それとも大陸の?」
「ロルギニスの王子と姫が昔ここへ来たでしょう?その時に見たのよ繋がってる糸を」
「お前にも糸が見えていたのか?今まで何も……」
「でも母様が見ている運命の糸とは少し違うみたいだったの。だから確信もなくて……でも今も見えている糸はたぶんロルギニスの第三王子に繋がってるのだと思うの。しばらく大陸に渡っているって聞いてたけど、糸の向きが変わったから、パレチアと同じ船で戻って来たんだと思う」
「そうだったのか……明日でもロルギニスに詳しいものに話を聞いておこう」
 イレアはうつむいて言う。
「他の国のことも色々勉強したりはしてるの。王のいなくなった国もたくさんあるのを知ってる。でもどういう国のあり方が正解なのか私にはまだわからない」
 城に来た時の王妃と同じ年頃のはずだがこの娘はまるきり違う。

「王が支配する国もあるし、宗教が国の根幹をなしている国もあるし。皆が平等な国があると聞いて心躍ったけれど、よく聞けば独裁者が富を独り占めしていて後のものは皆平等に貧しいなんて国もあった。民が自分たちで協力して作り上げている国だってあるにはあるみたい。けれどどういう形でも、力に傾きができると対立が起きる。表向き整っている国でも完璧なことなんてない。何の問題もない国なんてないのよ」
 イレアは考え続けているのだ。
「この国は今は四人の大臣と王でバランスをとっているでしょう?物事を維持をするためにはただ同じようにしていたのではダメなの。ずっと同じつもりでいては、いつか傾いてしまうみたいなのよ」
 この子はずっと王になってからのことを考えてこの年まできている。
「私は王になるの。なるからには善き王でありたいの」
 まっすぐに見つめる金の目は力強い。

「国の中だけ見ていてもダメなの。外の世界も変わっているから。私、本人が嫌がらなければ、モジュをこの先母様付きから外して大臣に取り立てたいと思っているわ。だから先に言っておくのだけど、もし、偏りすぎるようなら、私は大臣からあなたを外すこともあると思うの」
 ドリンはただただ感心していた。
(そこまで考えているとは)
「イレア、きっとお前の時代はワシが生きてきた時代よりも複雑になっていくのだろうと思うよ。けれどワシは、そんな時代にこの国の先頭に立つのがお前であることが嬉しい」
 かつての王も、王妃も、今のイレアに比べればずっとずっと子どもだった。
 それでも何とかなっていたのは今思えば幸せだったのかもしれない。
 これからはこの若き女王に見合うように大臣たちも、もっと賢くならねばなるまい。
 国内のことも、国外のことも、考えなければならないことはいくらでもある。しかし。
(確かに、ワシのような年寄りがあと何年イレアの役に立つものか)

 夕暮れを眺めながら寂しさを覚えたドリンは帰り際に魔術師の部屋の戸を叩いた。
 娘らしい年頃になるまで、この部屋にイレアはよく来ていた。
 王になるために学びたいというイレアの望みでモジュが教師代わりを務めていたのだった。
 この男は昔から優秀なのだ。
「ああ、ドリン大臣。何用で……」
 王妃付きのこの男も以前我が家で共に暮らしたことがあるというのに、まったくいつまでたっても壁を作りよそよそしいままである。

 あの時、魔女の娘が王の前に現れた時。
 魔女の娘が魔術師にすがる目を王は確かに見ていた。
 そして、あの二人を見て王が気付かないわけがなかった。
 けれど、暇乞いをした魔術師を王は許さなかった。
 共に家に預かったワシも、あまりに二人が不憫に見えて魔術師を魔女の森へ返すよう勧めたこともあるが王は頑なだった
 一度や二度でなく、職を辞そうとするこの男を王は決して許さず、縛り付けるように王妃の監視を続けさせた。
 だからモジュはあの日からも王妃のそばにずっといた。
 決してその手が触れない距離に。
「お前はよく耐えたよ」
「なんですか突然?」
 心底嫌そうな顔をする。目の下のクマがいよいよ暗い。
 どうせまたまともに食べても寝てもいないのだろう。
 何もかも捨てて逃げたっておかしくなかった。
 それでもこの男は仕事を全うした。
 王が亡くなるまで。
 そして今でも。

 聡明な王だった。
 けれどそれは王妃と結ばれイレアやアリルが生まれてからのこと。
 もともと若い頃の王は両親を早くに失い、長く生きられないことに絶望したゆえか我儘放題、美しい容姿以外はとても褒められたものではなかった。
 この魔術師に対する仕打ちもそれだ。
 けれど。
「お前の功績だとワシは思う」
「だから何の話なんですか?」
 はじめは困惑していた王妃が、王との時間を幸せだと言えるようになるまでに、この男がどれほどの労力を費やしたか、知るものは少ない。
 そして、王を亡くした後ふさぎ込んでしまった王妃。
 ようやくかとも思ったが魔術師の手を取るでもなく出て行ってしまうとは。
「モジュ、お前今夜は家に来て一杯飲んでいけ」
「はぁ」
「さみしい老夫婦の食卓に参加してやってくれ」
 まるで力のない返事を返す魔術師の背をドリンは叩く。

 空には一番星が輝きはじめていた。





 城を出た王妃は川に沿って歩き、北西側の湖のほとりにたどり着いていた。
(魔女の力とは一体何なんだろう)
 印をつけた2本の光る糸をたどりながら王妃は考える。

 私の力は繋がりを見ることと、姿を変えることくらいなものだ。
 人の命をどうこうするような力はない。
 王妃になってから、なんとか王の呪いを解くことはできないかと森の魔女にも聞いて回ったけれど、誰も呪いの力など知りはしなかった。
 そして王の呪いを解くことはついにできなかったのだ。
 それでも、前の王よりはずっとずっと長生きしたよとあの人は言ってくれた。
 娘二人に恵まれたけれど、魔女の力はイレアにだけあるようだし、体の弱いアリルはやはり呪いを受け継いでしまったのだろうか。
 糸はこの先二手に別れている。
 アリルの糸はおそらくこの湖の先のノヴェスト村に。
 イレアの方は随分遠そうである。

 金の目を持つイレアは真実を見るという点においては私よりも強いのではないかと思っている。
 だからこそ我が娘ながら時々少し恐ろしい。
 アリルは魔女の髪を持つけれど、力を受け継ぎはしなかったらしい。
 王と同じように体は弱いけれど、いつも優しく微笑んでいる。
 いつだったか、腹痛に苦しみ大声をあげる大臣を見て、必死に祈っている姿を目にしたことがあった。
 力がないのが悔しかったのか声をかけると大泣きしてしまった。
 そうそう、私とイレアが秘密の手紙をやりとりするのに嫉妬したこともあったっけ。
 力は使えないけれど優しい子だ。

「お姉ちゃんからと思っていたけれど、少しでも早く仲間を送りたいわね」
 どうかこの糸の先があの子の幸せに繋がりますように。
「さて、おばあさんくらいがいいかしらね」
 村に入るにあたり王妃は自分の容姿を老婆に変えた。
 いくら糸で繋がっていても、その先の青年が老婆に優しくも出来ないような人間ならいっそ糸を切ってしまった方がいいかもしれない。
 と、思っていたのがまるきり無用の心配だったことはすぐにわかった。
 糸の先の青年……というには幼く、細い腕など見るにまだ少年と呼ぶ方が良さそうな彼は、王妃がかつて見たことのないほどの、善性の塊とでも言えそうな人物だった。
 むしろ良い子すぎて見ていて心配になってきた。

 とぼとぼ歩く老婆を一目見るや、一休みしていってはどうかと声をかけ、この先も旅をするなら今日はもう次の村までは行けないだろうからうちに泊まるようにとすすめ、そんな会話をしている最中にもたびたび村人に声をかけられ力仕事を手伝い、泣く子をあやし、どうも一日中ほかの村人に尽くすのがノトラと呼ばれているこの少年の生活のようだった。
 だがそれは、一方的に尽くさせているように見えた。
 村人は彼に仕事を押し付けているように見える、それでいて特に感謝の一言もなく、むしろ妙に高圧的なのだった。
 彼が見知らぬ老婆と笑顔で話していても、その会話を中断させることに躊躇がない。
 いくらなんでも失礼なのではと思ったが、
「俺はこの村に置いてもらっている身だから、村のために出来ることなら何でもしなきゃ」
 とのことでますますおかしい。
 そしておよそ村人が食べるのを諦めた残り物のような粗末な食料だけを受け取って小さな小屋へ帰るのである。

 小川にかかる橋を越え、坂道で当たり前のように老婆を背負いながら少年は言う。
「もうすぐだよ。この坂を上って下った先に家があるんだ」
 と、坂道を登り切ったところで、もう一度村人に呼びつけられた少年は謝りながら坂を下りていってしまった。
  「やれやれ」 
 ちょうどよい石積みの上に腰掛けた。
 ここは村が見渡せる。
 中心部には広場と大きな建物、中心から離れるにしたがって建物は小さくなっていく。
 風が夕餉の匂いを運び、家々の向こうに湖のきらめきが見えた。
  少年の戻るのを待っていると、後ろから声をかけられた。

「あんたルトラの親戚かなんかかい?」
 特に愛想のない頑固そうな爺さんである。
「いいや違うよ」
 老婆らしく返事をする。
「ここに住むんか?」
「いいや、旅の途中じゃよ」
「旅をしているなら、あんたあの子を連れて行ってくれんか!」
 デントというこの爺さんの話すところによると、村人にノトラと呼ばれている少年は10年ほど前にこの村に流れ着いたのだという。
 小さな子どもとヨボヨボの婆さん二人、歩くのもおぼつかないような二人きりで一体どうやってここまで来たのか。
「ワシも同じ頃にこの村に来たんだ。だから多分、二人も同じように東の戦から逃れて来たんだと思うとる」
 かつて東にあったオステオラ王国は今はもう地図に無く、大国に取り込まれてしまっている。
「婆さんと、まだ幼かったルトラだけだもんで村人も手を焼いてな」
 この老人は少年のことをルトラと呼んでいる。
 他の村人はノトラと呼ぶのに。
「この村の平地に住んでいるのは昔からここに住んでいる者たちだ。この丘からこっちに住んでいるのが後から入ってきた者たちよ」
 湖に近い平地からだいぶ離れて、どうもこの丘から先にある家々は小屋といえる程度の簡素なものばかりだ。
「後から来た者には土地も仕事もまともなものはありゃせん。あの子は小さい頃からずっとああやって働いて婆さんの世話をしてきたけど、婆さんが死んだ後も平地の奴らは恩を返せだなんだとまともに金も払わずルトラを働かせとる。だからルトラはこんな村から出た方がええ」
 村人の態度はそういうことだったのか。
「そうかい、考えとくよ」

 虫の声を聞きながら日が暮れて、ようやく戻ってきたルトラは小さな小屋を自分の家だと案内した。
 なけなしの夕餉を旅の老婆に分け与え、当たり前のように自分のベッドも譲って床に転がる。
「ばーちゃんのベッドが残ってたら良かったんだけど。あなたがいると懐かしい感じがして嬉しいよ」
「ありがとうよ。あんたの名前はルトラというのかい?」
「デント爺さんに会ったの?ばーちゃんはそう呼んでたんだ。でも村のみんなはノトラって呼ぶよ」
 ルトラは王家の人間が使うような名前だ。
 そして、彼にはなぜか不思議な力が宿っている気配がある。
 呪いの逆、守護の力とでも言うのだろうか。
 プリエラの魔女の使う守りとはまた違う。
 そして、そんな魔法も、これまで聞いたことがなかった。




 ばーちゃんは変な人で、自分のことを「高貴な血筋」だなんて言うことがあった。
 だから俺に対しても、
「ほら背筋を伸ばして、気品を忘れちゃいけないよ。このお守りは肌身はなさず持っているんだ。そして高貴なものの務めとして人には善き接し方をしなきゃ」
 なんて。

 物心ついた時にはそんなばーちゃんと二人、ノヴェスト村で暮らして、村人たちにはホラ吹き婆のとこの子と言われていた。
 みすぼらしい子どもなど、歳の近い連中には当然のように石を投げてもいい存在として扱われていたけれど、それでもばーちゃんのホラに乗っかって品を保とうなんて思えていたのは俺の身体がえらく丈夫にできてたからかもしれないなと思う。
 村のほかの子みたいに学校には行けなかったけど、隣に住んでるデント爺さんが文字を教えてくれた。
 それでも、ばーちゃんが大切にしまい込んでいた本に書かれている言葉が俺にはわからない。
 ばーちゃんは時々日記を書いていたけれど、それもさっぱり読めない。
 そんなばーちゃんもどんどんまともに話せなくなって、時々うわ言のように何か言ってたけど、それをわかってあげることもできなかった。
 去年ばーちゃんが死んでしまって、それでもこの村にいるのはタダ働きでもこき使われようとも、少しでも誰かが必要としてくれるなら……という気持ちがあるのだと思う。
 実際、働けもしない老人と子どもが生きてこれたのはこの村の人たちの助けがあったからなのは間違いないのだし。
 受けた恩は返さなきゃいけない。
 それでも、旅人を見ると声をかけてしまうのは、ばーちゃんのホラ話を少しだけ信じたい気持ちを捨てられないからだろう。

 今回の旅人は少しいつもと違う感じがした。
 遠目にばーちゃんの面影と重なって懐かしく思えたけど、見た目のわりには枯れた気配のない老女だった。
 旅人ならだいたいこの辺の有益な情報なんかを聞きたがるか、自分の村の話をするか、自慢話か不幸話か、とにかく自分のための話をしたがるものだけど、村人には良くしてもらってるかとか、ちゃんと食べてるかとか、ここから出ていく気はないかとか、俺について聞きたがった。
 今までこんな風に俺のことを気にしてくれたのは、ばーちゃんとデント爺さんくらいだ。
 久しぶりの感覚にくすぐったいような少し甘えた気持ちになった。
 床は冷たいけれど今夜は気持ちがとても温かい。
 よく寝れそうだ。
 そうだ、死ぬ前のばーちゃんも言ってたんだ。
「わしが死んだら村を出ろ」
 って。
 デント爺さんもばーちゃんが死んでから会うたびに
「早く村を出ていけ!」
 って怒鳴るし。
 それでも、俺はこの村しか知らないんだ。
 こんなにみすぼらしい人間をこの村以外の人が受け入れてくれるはずないよ。

 その晩、不思議な夢を見た。
 旅の老女は青い髪に金の目の美しい魔女に姿を変え、俺を指差してなにか光のようなものに包んでこう言った。
「さあ、あなたはこの村を出て、この光る糸をたどってお城に向かうのよ。そしてお城の青い髪の姫に会いなさい。大丈夫、なにも悪いようにはしないから安心して。ああ、この家も守ってあげるわね。じゃあ私は先を急ぐから!」

 目覚めたときの衝撃と言ったらない。
 なにせ部屋はずいぶん大きくなって、自分の体は毛むくじゃらだったのだから。
 わけもわからず言われた通り光る糸をたどって外に出た。
 坂道の途中でデント爺さんの姿が見えたので駆け寄ったら、爺さんは見たことない笑顔で顔を撫でてくれた。
 でも首にかかってたお守りに気付いて怖い顔をした。
「こりゃルトラのもんじゃ返せ!」
 慌ててすり抜けて、少し離れてから頭を下げたけど、なんだか少し悲しそうな不思議な顔でこっちを見てた。
 湖まで来て水面を見たら、どうやらこの姿は猫のようだった。
 なんで魔女は俺を猫にしたんだろう。
 この光る糸の先の姫は俺に何を言うんだろう。

 昔、まだ歩けていた頃のばーちゃんと手を繋いで歩いたことがある湖沿いの道。
 プリエラの花がたくさん咲いていて、あたりが光り輝いている。
 やわらかい、優しい香りの花。
 そうだ、あの時、この花きれいだねって摘み取って帰って、家に飾ったんだ。
 この光る糸がいっそ、ばーちゃんに繋がってたらいいのに。
 ずっと忙しくしていて考えないようにしていたけれど、俺はもう一人ぼっちなんだ。
 ばーちゃんが死んだときも流していなかった涙が、あふれてあふれて止まらない。
 いじめられて泣きながら帰るたび、ばーちゃんが口ずさんでくれた子守歌を思い出す。
 少しさみしいメロディーに、なんて言ってるのか全然わからなかった子守歌。
 もう、他のだれも知らない子守歌。

 こうして俺は初めてこの村を出たんだ。




「なんかデント爺さんはノトラが村を出たって言ってたらしいけど」
「爺さん以外は誰も見てないんだろ?そのうえノトラの小屋が忽然と消えちまったっていうんだからなぁ」
(俺のこと話してる……)
 とぼとぼ城に向かっていた猫はノヴェスト村から城下に向かう馬車の荷台に乗り込んでいた。
「まぁでも村長達もノトラには酷かったからなぁ。村を出た方があの子には良かったんだろうさ」
「でもノトラがいなくなったら今度は俺たちをあれこれこき使うんじゃ……」
「それだよなぁ……今まではノトラが何人分も働いてたからなぁ。しかも駄賃もナシでだぞ」
「逆らったら今の仕事も取り上げられちまいそうだし」
「うわーこえぇなぁ。帰ってきてくれないかなノトラ」
(ごめんなさい。ごめんなさいお城に行ったらまた戻ります)
 二人からは見えない荷台の端で猫は小さく伏せていた。
「でも、ばーさんはノトラのことルトラって言ってたんだろ?この村じゃデント爺さんしかそう呼ばなかったけど、本当にどっかの王族だったんじゃ……」
「だったとしても大国にやられたどこかだろ?戻るところはないんじゃねぇかなぁ」
(戻るところはない……)
 その一言がやけに重く心に響いた。

 日が傾き始めたころ、猫は小山のようにそびえる城を見た。
 はじめて来た城下町にはたくさんの人がいて、建物がひしめいていてにぎやかだ。
 馬車から降り、キョロキョロあたりを見回しながら歩いていたら子どもに追いかけられ、逃げるつもりがうっかり川に落ちてしまった。
「あははどんくさい猫ー!」
 他の子たちもわいわい集まってきて、伸ばされた木の枝に引っ掛かってようやく水から這い出た。
 不意に誰かを呼ぶ声がした。
「そろそろ帰るぞー」
 はーいと声を上げて子どもたちは駆けていく。
 後ろ姿に一礼して猫は反対に向き橋を渡った。
 小山のような城に踏み込む。
(山登りみたいだ)
 長く続く階段の横を水が流れており、所々で水車が回っていた。
 今日見る何もかもが新鮮だった。
 ようやく建物の入り口に着いた時、上の方の窓に青いものがちらりと見えた。

(青い髪の……)
 何やら下にいる者たちと話していたらしい青い髪の娘は手を振ると窓の中に消えた。
 近づくと何やら城働きの女たちの話し声が聞こえてきた。
「姫さま最近は体調も良さそうだよね」
「本当に。いつも臥せっていて気の毒だもんね」
「元気なときはあたしらのとこまで来て労ってくれてさぁ」
「本当に優しい姫さまだよ」
「あんな良い姫さまもやっぱり王様と同じなのかねぇ……」
(青い髪の姫、身体の弱い、優しい姫さま)
 魔女に会うよう言われた姫は皆から慕われているようだった。
 人のいるところを避けながら、猫は光る糸を追って建物に入る。
 建物の中の階段をさらに上り、静かな廊下の先の部屋の中。
 糸の先、静かな窓辺に青い髪の少女がいた。

 とても美しいものを見ていると思った。
 青い髪は日に柔らかく照らされて、少女は花咲く湖よりもずっと光り輝いて見えた。
(あの……)
 呼びかけた鳴き声に気づいて少女がこちらを見た。
「あら、猫が来るなんてはじめてだわ。ここにあるのは大切な本だから、いたずらしちゃダメよ」
 立ち上がりそばまで来てかがみ込む。
 その瞳は夕暮れが終わって夜が始まる前の空を思い出す深い深い青だった。
 見惚れていると、思わず体が震えた。
「あら、あなた濡れてるのね。ますますここにいちゃダメだわ」
 立ち上がり窓を閉めると少女は服が濡れるのも厭わず猫を抱え上げた。
 瞬間、パチリと何か光った気がした。

「あら?何かしら今の。まぁいいわ、早く乾かさなきゃ」
 少女に別の部屋に連れていかれた猫は柔らかい布で丁寧に体を拭かれた。
 逃げようと思ったけど、美しい白い手に傷をつけるのが怖くて動けず、猫は固まってされるがままにしていた。
「なにかしら」
 猫の首にかかっているメダルの紐の後ろには紙が結んであった。
「これ、何か手紙のようだけど、インクがにじんでしまっていて読めないわね。姉様に見てもらおうかしら」
 体を拭かれ終え少女の手から離された猫はカチコチになった体を振る。
 少女はすぐに戻ってきてまた猫を抱えると部屋を出た。

「イレア姉様。ちょっと見てもらいたいものがあるの」
「アリルあなたその猫!」
「あのね、これ濡れてしまっていて読めないのだけど、何かこの猫の飼い主のことがわかるかと思って……」
「アリル貸してちょうだい」
 ふやけた紙を手に取るとイレアはそれをじっと見ていた。
 顔がみるみる険しくなり、それを見ていた猫はおののいた。
「アリル、あなたその猫触ったとき何か変なことなかった?」
「え?ええ、何か一瞬光ったような感じがしたけれど……」
「これを書いたのは母様よ」
「え?母様?」
 イレアは紙から目を離すとアリルの顔をじっと見た。
 そして、次に猫をじっと見て、最後に外を見やってから言った。
「アリル、あなたの部屋に夕食を持って行かせるからすぐに食べて。猫の分は後で持っていくからとりあえずあなただけ急いで食べて。いいわね?」
「え、ええ。でもどうしたの姉様?」
 訝しむ妹をよそにじっと猫を見ながら言う。
「日が暮れたら二人とも部屋を出ずに待っていて。いいわね」
 猫はそっと頷いた。

「いったい何なのかしらね?」
 一人夕食をとりながらアリルは猫に話しかけた。
「あなた母様に会ったの?母様ね、私と姉様の結婚相手を探しに行ったんですって」
 猫はドキリとした。
「あなたの飼い主がそのどちらかの人なのかしら?でも私、運命の相手なんか見つからなければいいなと思ってるの。それに気に入らなければ追い出してくれるっておじい様も言ってたし……あら?どうしたの?ねむい?」
 いよいよ日が暮れようとしたころ、猫が打ちのめされていたのは言うまでもない。




 アリル姫の疑問は、日が暮れればすぐに分かるものだった。
 ニャーニャー鳴く青い猫を抱えて途方に暮れている少年のもとに、イレア姫と魔術師のモジュ、腰に手をあてたドリン大臣が揃ってやってきた。
「あ、あの……ひ、日が暮れたら……」
 うろたえる少年に対し顎ひげをさすりながらドリン大臣が品定めの目を向けている。
「ほう、この少年が」
「ああ、確かに王妃の魔法ですね」
 魔術師は魔法石を薄く切り出した片眼鏡越しに少年と猫を見ると目を細めた。
「なんでも『早く長く一緒に居させてあげたいけれどちょっと二人は若いから』ですってよ」
 シワシワの紙を片手に眉間にシワをよせつつイレアが言う。
「ごめんなさいね。あなたどこまで聞いてここに来たか教えてくださる?お名前は?」
 突然城に入り込んでいる若い男をつまみ出すでもなく、姿を消したアリル姫を探すでもない小綺麗な人間たちを前に少年は困惑していた。
「え、あの……ノヴェスト村ではノトラと呼ばれています」

 老女と出会っての一部始終と、彼女にも話した自身の境遇を一通り話し終えて、少年は出された食事にありついていた。
 これまで目にしたこともないような豪華で温かい食事を、
「簡単なものでごめんなさいね」
 と言う姫。
 見るからにみすぼらしい自分にあまりにも似つかわしくない場所に少年はひたすら恐縮しつつ、かつて味わったことのない美味しい食事に感動していた。
 青い髪の姫が姿を変えた猫は、幸せそうに食べる少年をじっと見ながらしっぽをゆったりふっている。
「それでノトラ、あなた昼間に猫になるのは母様の魔法だけど、それだけじゃないわね?」
「え、ほかの魔法もかかってるんですか俺?」
「何かかなり強い護りの力のようですが。こんなのは見たことがない……」
 魔術師も唸っている。
「まもり……お守りならずっと身につけてます」
「ちょっと失礼」
 少年が首から外したお守りに手を伸ばし、魔術師が表裏をじっくり観察する。
 金属のメダルには紋章のような図柄が描かれており、不思議な色の石が嵌っていた。
「これはこの国のものではありませんね。確かにこれも護りの魔法石のようですが」
「その印どこかで見たような」
 大臣も言う。 
 メダルの星と鳥と麦の紋章を見た後イレアはその裏にかすれた文字を見つけた。
 この国の言葉ではないそれを読み上げる。
「『愛し子アミラを護り給え』と書かれているわ」
「アミラ?ばーちゃんの名前です!」
 これまでお守りに書かれている言葉など知りもしなかった少年は驚いた。

「それであの、説明無しにこんな目に合わせてしまって申し訳ないとは思うのだけど、昼間猫になるあなたの魔法は王妃が戻らないと解くことはできないの。
 衣食住は整えさせていただくからどうかしばらくここにいてくださらないかしら」
「まさかこんな食事を毎日……」
 ごくりと唾を飲み込む。
「もちろん明日からの夕食はもっときちんとしたものを用意させていただくわ。日中は……猫向きの食事の方が良いのかしら?どう思うモジュ?」
「ああありがとうございます!あの、俺も何か出来ることはやりますので仕事があれば与えてください!出来るの夜だけですけど」
「ではこの子のお世話をよろしく頼むわ」
 微笑むイレア姫に撫でられた青い猫は小さく鳴いて少年の膝に乗った。

 ひんやりと夜が深くなるころ、少年は寝間着を渡されそれに着替えた。
 すこし大きく袖もだぶついているものの、これまで触れたこともないような、なめらかで柔らかい布地は着心地が良かった。
 猫と二人きりになった部屋で、少年は静かに語り始めた。
「さっき自分の名前ノトラって言ったけど、ばーちゃんは俺のことをルトラって呼んでたんだ。村の人はそんな王家の名前みたいなのはダメだって、それでノトラって呼ばれてたんだけど」
 少年は恐る恐る猫を撫でた。
「こんなにもてなされたのは初めてだよ。今日はずっと夢でも見てるみたいだ」
 猫は嫌がらず頭を寄せた。
(お父様の匂い…)
 少年に頭を撫でられながら青い猫はまどろんでいた。

 嫌な人が来たらすぐおじい様に追い返してもらおうかと思っていたけれど、彼はそうね、嫌ではないわね。
 見上げると手を止め微笑みかけてくれる。
 彼の緑の瞳は優しい。
 私に見えはしないけれど、私の糸が、この温かい手と繋がっているならそれはとても素敵だと思う。
 食事をとても美味しそうに食べて、つらい境遇を語るときも穏やかで、私をとても丁寧に扱ってくれる。
 この人からは優しい匂いがする。
 どうかしら?
 あなたは私を気に入ってくれるかしら?

 夢に入る前。
 アリルの耳に少年の鼻歌が聞こえた。
 どこか悲しく優しいメロディーが。




 朝、目覚めると少年の前には美しい少女の顔があった。
 自分の手を見ると、どうにもこれはやはり猫である。
 老女に会ってからの出来事は、どうやら夢ではないようだった。

 昨夜はひんやり肌寒かったし、猫だと思ってうっかり一緒に布団に入ってしまったけれど。
 もしかしてこれはすごく怒られるやつだろうか。
 ああ、そうだ、そもそもこのお姫さまにとって俺は招かれざる客だった。
 猫のままつまみ出されてもう二度と戻れなかったらどうしよう……。

 そんな少年の心配をよそに、青い髪のお姫さまは目覚めるなりこう言った。
「私のことはアリルって呼んでねルトラ。アリルよ、よろしくね」
 そして一日中猫に語りかけながら繕い物をしていたし、早めの夕食を取り終わると繕い終わった服をルトラのものだと言った。
「ルトラはお父様よりは小さそうだから少し丈を詰めたのよ。ぴったりとはいかないでしょうけど。母様が帰ってくるまでには昼間の服も用意するわね!とりあえずあなたが夕食を取るとき用と、寝間着ね。今日も一緒に寝ましょうね!」
 と言って微笑むものだから、
 (いっそもうずっとこのまま猫の方が幸せかもしれない……)
 ルトラは息が止まりそうになるのだった。

「今夜は雨が降りそうね」
 外を見ながら不安げな顔でアリルが言う。
「私むかしから長雨の時なんか体調を崩しがちだったの。でも雨は嫌いじゃないのよ。だって土地を潤す雨は天からの恵みでもあるものね」
 少し湿り気の多くなった日暮れ前、ドリン大臣が腰をさすりながらアリルの部屋にやってきた。
「様子はどうかの?」
「大丈夫よおじい様!」
 ドリンの近くまで寄って小声で付け加える。
「追い出したりしなくて大丈夫」
「はっは。そりゃあ良かった、アタタ」
「あら、おじい様、腰を痛めたの?」
「そうなんじゃよ。いや、歳を取るとあちこちガタがきてイカンの」
 近づいてきた猫を抱え上げながらアリルは言う。
「早く治りますように」
 アリルの腕の中で、ルトラはふわりと澄んだ花のような香りを嗅いだ。

 しとしと雨が降りはじめた頃、猫になったアリルは少し苦しそうにしていた。
「アリル……どこか痛いの?大丈夫?」
 ルトラが声をかけると猫は彼の腕の中に入ってきた。
(雨のせいかな……ばーちゃんも弱ってしまってからは天気が悪いとき辛そうにしてた)
 ルトラはここへ来たときの城の女たちの会話を思い出していた。
(アリルは身体が弱いんだ)
 猫を抱いて撫でながら、ルトラは子守歌を歌った。
 もっとも、歌詞がわからないので鼻歌ではあったけれど。

 ケガをして帰ったときも、熱を出したときも、ばーちゃんが歌ってくれた子守歌。
 いつもこの歌を聴くと不思議と痛みが引くような気がしていた。
 ばーちゃんが夜中うなされていたときも、そばで歌ってあげるとまた穏やかに眠れていた。
 この歌はきっとお守りなんだ。

 歌い終わる頃、アリルは小さな寝息をたてていた。
(良かった。おやすみアリル)
 ルトラはアリルをそっと腕から下ろして横になった。
 鼻の先の青い猫からは花の香りがしていた。




 朝、魔術師のモジュが猫を撫でに来た。
「モジュは猫好きなのね」
 と言いつつ、アリルにはそれが違うとわかっている。
 たとえ金の目がなくても。
(猫になったってこの人私には一切触れないのよね)
 ずっと近くにいたけれど、モジュは王家の人間に壁を作っている。
 私たち姉妹にも、もちろんお母様にも、決して自分から手を触れることはなかった。
(そういうことだったのよね)
「アリル姫、王妃のこと、あらためて申し訳ありません。ご心配でしょう」
 姿勢を正し、魔術師は深々と頭を下げる。
「いいえモジュ、あなたのせいではないもの。姉様このところお疲れ気味だからあなたを責めるようなこと言ってたけど……」
「ええ、わかっておりますよ」
(むしろこんな仕打ちをされてまだ微笑んでいるモジュの方が心配だわ)
 アリルは思った。

 猫を連れたアリルは書庫へやってきていつものように木窓を開けた。
「父様はよくここに座って本を読んでいたの。書物が傷まないようにこの部屋は薄暗いけど、ここの窓辺は明るいでしょう?」
 穏やかな風をひげに受けながら猫は目を細めた。
 アリルはたくさんの手紙が入った箱を抱えて窓辺に座る。
「イレア姉様の目は何でも読めてしまうの。だから母様は時々姉様に秘密の手紙を書いていてね」
 二人だけの秘密のやりとりの方法を知ったときアリルはそれはそれはイレアを羨ましく思ったものだ。
「私が羨ましがっていたら父様が私だけに手紙を書いてくださるようになったの」
 手紙を順に取り出して確認する。
「時々本当の秘密の手紙もあったの。魔法石を使った手紙はね、本当に読まれたい相手にだけ封が開くの。読んだら消えちゃうからここには残っていないのだけど……」

 昨日、イレアは自分の糸をたどって母を探すことにするとアリルに告げた。
「イレア姉様も糸が見えるの?」
「見えると言っても母様のとは少し違うみたいなのよ。あなたたちの糸はしっかり太く繋がって見えるけど、家族みたいな人が繋がってるようなのが見える時もあるし」
「それはたとえば……」

「ほら、母様は父様と繋がってる糸が見えたわけでしょ?私が見た母様の糸は父様に繋がってるのもあればモジュに繋がってるのもあるみたいなことよ」
「母様はモジュのことが好きだったのかしら」
「ああ、大丈夫よアリル心配しないで。母様は間違いなく父様を愛していたわよ」
 イレアは、誰より父を好きだったアリルを抱きしめた。
 母様が父様を愛していたのは、確かにアリルから見ても疑いようはなかったけれど。
「どうして今まで内緒にしてたの?」
 イレアは口ごもる。
「……初めて糸が見えた頃に、言ったら笑われたのよ。ずっと小さい頃よ?恥ずかしくてそれからは人に言ったことはないと思うわ」
「笑ったのは誰?父様?」
「ああ、いいえ、違うのよほら、あなたロルギニスの姫と手紙のやりとりをしているでしょう?昔そのエフィカ様とお兄様のリュゼス様が運命の相手だって言っちゃって従者の方に笑われてしまったのよ。本当にもう恥ずかしいから思い出させないでちょうだい」
 イレアは苦々しく笑う。
「姉様それは……」
 アリルはその先を言えない。
「どうしたのアリル怖い顔して」
「父様に、母様とモジュが繋がってるって言ったことある?」
「はっきり覚えてはいないけれど、どうかしらね……でも言ったとしても本気にはしてないはずよ」
「そう、そうなのね」

 王の手紙を読み終えたアリルはため息をついた。
「やっぱりそうなのよ」
 猫は不思議そうにアリルを見つめている。
 箱の中の手紙はロルギニス王国のエフィカ姫からのものも多い。
「私が文字を書く練習をしていた頃にね、エフィカ様がお体を悪くしているって聞いて、お手紙を書いたの。お会いした時は私は小さすぎて記憶がないのだけど、私も昔からよく寝込んでいたから、遠くからお見舞いの手紙が来たら嬉しいかもしれないって思って。それからエフィカ様もお返事をくださって」
 手紙の中にひとつ、銀色のものがきらりと光った。
「エフィカ様はとてもお優しくてね、頭痛の時に痛みを和らげるお茶とか色々教えてくださるの。わたし時々秘密の手紙も送ったわ」
 体の弱い自分の葛藤を近くにいる人間に話したらきっと悲しい顔をすると分かっていた。
 だから誰かに言いたくても言えなかった色々なこと。
 遠くにいて、顔も覚えていない優しい年上の姫君が、ただこの辛さを知っていてくれると思うだけでアリルはずいぶん救われたのだった。
「誰にも内緒よ。エフィカ様もね、秘密を打ち明けてくださったことがあるの。お兄様のリュゼス様のことをずっと想っているのだって。だからやっぱり、お姉様に見えているのは家族とかそういうのじゃない、運命の糸だと思うわ」
 猫はにゃあんと鳴いた。
「あなたと私もそういう繋がりだと思うの。私はそう思いたいわルトラ。あなたはどうかしらね」
 猫は身動きせずおとなしく頭を撫でられている。
「ふふ、いいのよ。いつかそう思ってもらえたらうれしいな」
 猫は体を震わせた。

 手紙の箱をしまって、アリルは小さな絵本を手に取った。
 ルトラにも見覚えのある絵には色がついていて、書かれている文字は読めなかった。
「父様が亡くなる前にね、手紙を預かったの。母様を愛し、母様からも愛されている男に渡してくれって。私そんなの父様だけよって言ったんだけど……」
(あの時の父様、悲しそうな笑顔だったわ)
「お父様ははじめからきっと母様とモジュの関係が分かっていたんだわ。わかっていて、逆らえないのを知っていて母様と結婚して。でもずっとお父様自身も傷ついていたんじゃないかしら」
 大好きだった、優しいお父様。
 読むと消えてしまった王の手紙の内容をアリルは覚えていた。
「秘密の手紙に書いてあったもの。お母様にはひどいことをしたんだって。どうやってもモジュには勝てないって」
 父様が母様にひどいことなんてするはずないし、父様がモジュに勝てないなんて思っているのが不思議だったけど、なぜそんなことを書いたのか今はわかる。
 モジュと母様に対しては聡明さが足りなかったのではないかしら父様は。
「父様は完璧な人だってずっと思っていたの。この絵本の通りにね。でも人間らしい父様も私嫌いではないわ」
 アリルは微笑んだ。

 西日が射す頃、書庫にやってきた魔術師はアリルにこう言った。
「ルトラのお守りはセルヴェル王国のもののようです」
 言いながら、モジュの視線は猫を探していた。
「ただあの国の記録はどうにも数が少なくて。ここにも何かないかと思ったのですが……やあルトラ」
 猫はモジュの足元にやってきて頭を撫でられている。
「セルヴェル……『沈んだ国』ね。ありがとう、じゃあここは私が探してみるわ」
「そうですか、アリル姫はここの書物にお詳しいですからそうしていただけると助かります。明日からは私も王妃を探しに出ますので」
「そう。お母様をよろしくね」
 アリルは魔術師に微笑んだ。
 モジュが母様を愛しているのは間違いないと思うわ。
 でも愛されてるかどうか、私にはまだわからない。
 帰ってきた母様を見て、そうだと確信できれば……手紙を渡す、その時がくるのかもしれない。




(この国は小さいのよ)
 金の目の姫は壁に貼られた三枚の地図を見ていた。
 一番はじめにこの部屋に貼られた地図はプリエラ王国だけが描かれたものだった。
 中央の城、取り囲む湖から×字に川が伸びてその先の湖のほとりにそれぞれ村がある。
 そして周囲は山に囲まれている。
 かつて、城から出たことがなかった私にはこの国はとても大きく見えた。
 次に貼られた地図は、周辺国も描かれたものだった。
 北側半分はロルギニス王国の領土で、ここに来た王子と姫がそこへ帰っていったのだと知った。
 プリエラ王国は小さくなって島の中心近くにおさまっていた。
 そして陸地のまわりに海が広がっていることを知った。
 南の海の先には大陸の先端が小さく描かれていた。

 その後に貼られたもう一枚の地図を見たときはショックだった。
 大陸が描かれた地図では、この国どころかロルギニスすら小さく見えたからだ。
 大陸はこの国がある島の三つ分よりまだ大きいだろうか。
 世界は広く、私はまだ何も知らないのだという事実に震えた。
 それから、何度か三枚の地図は貼りかえられた。
 大陸の国々も広がったり、分割されたり、いくつかの動きがあった。
 そして、この島の地図を替えるたびに北の国は広がっていったのだ。
 辺境の小国を飲み込んで。
 今では北側だけでなく、西も東も大部分がロルギニス王国になっている。

 この国は小さいのだ。
 5日もあれば国を一周出来るだろう。
 町と呼べるのもこの城のまわりくらいで、あとは点在する村と広い森と国を囲む山。
 何と言うほどの資源もないと思っていた。
 だからこそ今日まで独立してこられたのだと思っていた。
 けれど。
 この国の山では宝石が採掘されている。
 他の国にはない独特の輝きを持つプリエラだけの宝石。
 そして、大陸では今、宝石ではなく黒い石が動力源として価値を持つのだという。
 これまで邪魔になっていた黒い石が大陸で求められるその石と同じなのかを今確認しているところだ。
 森の木だって、湖だって、人だってすべて資源と考えれば、この国にも相当の価値があるのかもしれない。
 価値のある国は大国に飲み込まれてきた。
 これまではたいして価値もない国だと思われていたプリエラだって、これからはそうではないかもしれない。

 そして、この国にはもう一つ別の価値がある。
 魔女だ。
 大陸にはもう魔女はいないという。
 魔女の力をもっと活用できないか。
 大きな国と渡り合う事が出来るほどに。
 糸の件でなくてもそろそろお伺いせねばならないのかもしれない。
 このプリエラ王国が地図に存在し続けるために。
「こんなことならあの時すぐ母様に言っておけば良かったんだわ」
 けれど言えなかった。
 光る糸の先を見つけて無邪気に喜んだ幼い私に、大人たちの嘲笑は言葉を失わせた。
 けれど。
 あの人はあの時「またね」と微笑んで手を振ってくれた。
 いつかは行かなくてはと思っていたけれど。
 そう、いま母様を迎えに行かなければならないんだわ。

 王が亡くなった時、まだ独立を保っている南側のいくつかの国からもお悔やみとともに色々な情報がもたらされた事がありがたかった。
 港を拡大して大陸との交易に力を入れている国もある。
 領主たちだけでなく同行してきた従者や馬番などからも色々な情報が得られる。
 旅商人のパレチアは元々大陸の王家の人間で、各国の情勢などもよく掴んでいる。
 そういうところの情報はアリルがよく教えてくれる。
 アリルは愛想よく人と話したり、それを要約するのが上手い。
 今はとにかく猫と楽しそうにしていて正直うらやましい。
 あの少年ならきっと大丈夫ね。
 たった数年生まれるのが先か後かで背負うものがこうも違うかと感じる事がある。
 もっとも、アリルは身体の不調を背負ってしまっているので羨ましがられても心外だろう。
 それに、少女時代を城でないところで過ごした母様に比べればアリルの方が随分しっかりしていると思う。

 海の先の国では王や領主が国を治めるのでないところもあるとはじめに教えてくれたのはアリルだった。
 この国が王国でなくなる時、どのような方法がとれるのか。
 たびたび考えてきた。
 けれど、私は王にならなければいけない。
 そういう運命なのだから逃げられない。
 けれど。
 女の王に反感を持つ大臣もいる。
 かつての大臣のようにこの国を大国に売ろうと考えることだってあるかもしれない。
 そして。
 王政を続けるのなら、私が子を産まねばならない。

 大国はたくさんの小国を飲み込んだけれど。
 この島の地図の左側には黒く塗られた箇所がある。
 かつて小さな国があった場所、今は誰も立ち入れない場所。
 最悪の場合このプリエラが黒く塗りつぶされる可能性だってあるかもしれない。
 私の糸の先が大国の王子であるなら、この小さなプリエラの未来には何が待つのか。
 私はよくよく考えて行動しなくてはならないのだ。

 イレアは読み終わった恋物語のリボンの先のボタンに触れた。
「物語のようにはいかないわよねぇ」
 ため息をひとつ。
「はじめからもう一度読み直したい……」
 けれどもう、現実逃避をしている場合ではないのだった。




 やわらかな木漏れ日と揺れるプリエラの花。
 王妃の部屋の窓から聞こえる小さなアリルの泣き声。
「エフィカ姉さまはリュゼス兄さまとつながってるのよ!」
「ふふ。イレアったら。私と兄様は兄妹なのよ」
 赤い髪の少女がイレアを抱きしめながら笑う。
「イレアの糸は誰に繋がっているのかしら?」
「わたしの糸はねぇ!ラフィ兄さまに繋がってるの!」
「あら!じゃあ私とイレアはいつか本当に姉妹になれるわね!」
 黒髪の少年が小さな弟を肩に乗せてやって来る。
「兄様!ラフィ!イレアの運命の糸はラフィに繋がってるんですって!」
「そうなのか!良かったなラフィ」
「運命の糸ってなあに?」
 肩から降ろされながら問う弟に少女は微笑んだ。
「いつかイレアがあなたと結婚してお妃様になるのよ」
「あ、こらラフィ危ない」

 兄の肩から降りそこなってべしゃりと転げた弟はそれでも笑顔だった。
「ほんとう?イレアぼくとけっこんしてくれるの?」
「うん!」
「もうラフィったら。ボタン取れちゃってるじゃない」
 赤い髪の少女は弟の服についた土を払った。
「きれいねぇ」
 落ちたボタンを拾い上げ、しげしげと眺めるイレアに黒髪の少年が言う。
「ああそうか、この国には海がないから貝のボタンはめずらしいかもしれないね」
「うみ?うみにはこんなきれいなものがいっぱいなの?」
「貝もきれいだけど海もキラキラしてきれいなんだよ。イレアにそのボタンあげる。いつか一緒に海に行こう!」
「ほんとう?約束ね!じゃあ……あなたには私のお守りをあげるわ!」

 出立の日の朝、イレアは子どもの頃の夢を見た。
 幸せな目覚めだった。
 けれど。
「ああ、思い出したら憂鬱になってきたわ……」
 イレアは顔を覆った。
 あの後、彼らの従者たちがやってきた。
 そして、やたらと大きな男たちは嘲笑いながらイレアに言った。
『お前のような小国の田舎者がうちの王子に嫁げるわけないだろう!』
 あの時あの兄妹や他の従者は怒ってくれたけれど 、馬鹿にされ笑われたことは何年経とうが鮮明だ。
 かなり小さな頃のことだし、記憶なんて不確かなのではないかしらと時々思いながら、何度も、何度も思い返してしまい、そのたびに胸を痛めている。
 もともと私は魔女なのに青い髪も持っていないし、糸を見る力だって中途半場なのだろうと、王になるため強く保とうとする自信すらすり減ってしまう。
 あの糸が本当に運命の糸であったとしても実際大国の王子をこの国にくださいとは簡単に言えない。
 私はプリエラの王になる運命なのだから。

 大国、ロルギニス王国はプリエラにとっては恐ろしい存在だ。
 この十年だけでも小さな王国が次々とロルギニス王国に飲まれた。
 国境は広がり、プリエラにどんどん近づいている。
 イレアは傍らの机の紙束を手に取った。
 ドリン大臣がまとめてくれたロルギニス王国の資料である。
 これまでの思惑が甘すぎるものであることをイレアは痛感していた。

 ロルギニス王国の王子と姫はプリエラに来た三人だけではない。
 一番目の妃と姫はずいぶん前に事故で亡くなられてしまったそうだ。
 おととし亡くなられた二番目の王妃は大陸から嫁いで来た人で子が二人。
 二番目の姫は大陸の大きな国の公爵夫人になったとか。
 第一王子は島国の姫を妃に迎え、その国名は今は地図から消え、ロルギニス王国の侯爵領になっている。
 三番目の妃は第二王子を産んだ時に亡くなっている。
 その王子がかつてプリエラに来たリュゼス兄様。
 従軍されて数年前に大怪我をなされたとか。
 そして、四番目の妃の子が、三番目の姫エフィカ姉様と、この数年大陸に渡られていたラフィ第三王子。
 その後にも五番目の妃には姫がいて、六番目の妃が昨年第四王子を出産と……。

「この新しいお妃様は私と歳が変わらないじゃないの!」
 イレアは慄いた。
「それにしても、うちと違って王国維持は安泰そうだわね」
 イレアの眉間のシワが深くなる。
 プリエラの王と王妃は別れの時まで仲睦まじく、愛し愛されるものは幸せなのだとイレアは思っていた。
 だからこそ、モジュと王妃の間に光る糸が見えていても、それがそういう意味の糸だとは到底思えなかった。
 王国を維持しようと思えばこそなのだろうが、ロルギニスのようなやり方で、王はともかく妃たちの人生は果たして幸せなものなのだろうか。
 大国はなにもかもこの小さな国とは規模も質も違う。
 そのうえ王は大の魔女嫌いとある。

「大国まで行って王に会ってしまったら、魔女嫌いならそれだけでもうどんな目に会うかわからないじゃない」
 魔女と知られれば殺されるかも知れない。
 とはいえ、うっかりただの若い姫として見初められでもしたらそれはそれでお終いだ。
「とにかく王には会いたくないけど……母様はどこまで行く気かしら。城まで乗り込んでないといいけど」
 国境近くまで行って、王妃に会えなければ旅商人パレチアの戻りを待てば直接第三王子と会える方法を教えてもらえるのでは。
 いや、だから、第三王子に会ったところでこの小さな国に来てくださいって言える?
 言えないでしょう?
「ああ……考えれば考えるほど気が重いわ。母様がまだ国内にいますように」
 イレアはため息をつきながら立ち上がり、一呼吸ののち大きく背伸びをした。



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