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~神聖ザカルデウィス帝国 旅禍篇~

~神聖ザカルデウィス帝国後編~ 予兆

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 ソーン・ロックハンス…世界最大の暗殺者集団エクスキューショナーのトップであるオーナー。強者揃いと言われるロックハンスの一族のなかでも身体能力は最強を誇り、実体のない得物を用いて、あらゆる者を殺してきた暗殺界の女帝。つまり、最強の暗殺者であり、このコル・カロリの世界では殺すという手段においては頂点に君臨する者。これがソーン・ロックハンスの情報である。下手に背後を取ろうとすると、例えゼイフォゾンでもただでは済まないかも知れない。アルティスは人間だから、もっと危険である。どこまで自分たちの探索が上手くいくかは、ソーン・ロックハンスが握っているのかも知れない。まずは人通りの多い場所を選ぶ事から始まった。光都エリュシオンの街並みは見事だった。時代が数万年先をいく技術を惜しみなく使ったその景色は、ゼイフォゾンやアルティスを圧倒した。こんな街づくりができるのは、神聖ザカルデウィス帝国でしか成し得なかった偉業であろう。忘れてはならないのが、この光都エリュシオンの影には重税で苦しむ人々の上で成り立っている生活なのだという事。クセルクセスの砂漠の悲劇がまた繰り返されないようにするにはどうしたらいいか、それを考える必要があった。ソーン・ロックハンスと接触するのは、この考えを示す事にある。ゲンドラシルとカオウスは、元帥ギルバートの監視をするために、自分たちの私兵を動かすとの事で、それは心配はいらなかった。問題はアイゼンが解放される時間である。動かれると厄介な人間である。元帥ギルバートの力を崇拝しているアイゼンが、何をするのか一番分からない将軍である。元帥ギルバートに唾する者は徹底的に排除しにかかるであろう。そうなったらソーン・ロックハンスどころではない。殺戮が光都エリュシオンに広がってしまうかも知れない。それだけは四人にとって最も避けたかった。ゲンドラシルとカオウスは、元帥ギルバートに隠れて政治家たちにも働きかけを行う予定でもあった。ゼイフォゾンとアルティスはとにかく、味方を増やす仕事を任されたのだった。二人は土地勘はないが、空間把握能力は頭抜けていたので、どうなっているのかぐらいは掴めた。道が大きく一本あり、その横に路地裏が枝分かれしているのはどこの国も同じなのだと感じていた。後は、道に迷うのとはぐれない事を考えるだけである。しかし、目立つ二人である。こんな時、この神聖ザカルデウィス帝国に染まった格好になれば良かったのだが、どうすればいいのか分からない。服屋に入ろうにも、こういう真新しい店は二人にとって慣れなかった。

 二人は手間を省きたかったが、そうも言っていられなかった。神術で変装する事もできたが、それはできない。街中でそれをしたらただの不審者であった。だから、思い切り足の付く方法を選ぶ事にした。路地裏で神術を使ってボロの格好にして、それから服屋に入っていって、そこで着替えて堂々と歩けばいい。なので、路地裏に入ろうとした。そこにいたのはスレンダーな肢体を見せつけるような服を着た女と、その女に詰め寄る男たちであった。男たちはその女を犯そうとしているようであった。女は笑っていた。その様子を見ていた二人は、その路地裏を抜けて、別の路地裏に入ろうとしたが、目の前で起こった事が信じられない様子を呈していた。女はそこにいたはずなのに、いつの間にか男たちの首を全て跳ねていた。それも背後に回っていた。二人は女を見つめていた。そして、アルティスはその女に声をかけた。


「お前がソーン・ロックハンスだな?」

「あら……私を知っているのね。あぁ、この男たちは暴漢だから気にしないで。将軍を犯そうとした罪は万死に値するわ」

「時間が許すなら話をしないか、ソーン・ロックハンス。私は皇国レミアムからの旅禍だ、それに……この格好で動くのはどうにも浮いて仕方がない。できればこの神聖ザカルデウィス帝国の店で服を着替えたいのだが」

「なるほどね。分かったわ、なら私の紹介する店に行って。着替えたらここに来て。喫茶店よ……私の休憩所なの。いいわね?」

「分かった。そうしよう……金は……」

「換金所ならそこよ。皇国レミアムでもエギュレイェル公国の紙幣でもなんでも取り扱っていて、ザカルデウィスの紙幣に変えてくれるから」

「ありがとうソーン・ロックハンス。いい動きだった、女に思えないほどの素早さ……見れて良かった」

「感想なら後にして。じゃ、私は先に行くわね」


 ソーンは目の前から消えた。いいや、彼女なりの移動だった。アルティスにもその速度は捉える事も出来ず、移動した後の気配は感じ取る事は不可能であった。アルティスにも感じ取る事も困難なレベルで移動する身体能力はまさに驚異的でしかなく、確かにこのソーンを敵に回すと厄介である事は間違いなかった。二人は換金所に行き、皇国レミアムの金を神聖ザカルデウィス帝国の金に換えてもらった。その金額は相当なもので、一瞬にして大金を手にした。ゼイフォゾンがソード・オブ・オーダーとして活躍する前から、貯金は豆にしていた。アルティスは皇国レミアムの将軍である。金に困る事はほとんどなかった。ミカエラに金庫もあるので足りなくなったらそこで補充すれば良かった。大金を手にした二人は、ソーンの指定する服屋に行く事になった。神聖ザカルデウィス帝国の服屋はどれもが先進的で、着る者が着れば様になりそうな服ばかり並んでいた。ソーンの指定する服屋に辿り着いたのはいいが、その服屋は周りの店よりも遥かに高級な品々が揃えられており、二人はこの大金が簡単に消えていく予感を覚えた。まさかこんな場所で散財するとは思わなかった。確かに着ればいいのかも知れないが、逆に目立たないか。金額を見てみると、この大金が消える事はないが少し減るくらいである。二人は路地裏に入り、ボロを身に纏った冒険者風の格好に変化させた。ゼイフォゾンは肉体と鎧が一体化しているが、神術で鎧を排除して肉体を露出させる事ができた。あまり汚い格好だと門前払いを受けそうなので、ボロはボロでも小綺麗なものに変え、中の服装も皇国レミアム風の庶民が着る服装にした。そして、二人は店に入った。その店の中も見事な造りで、数々の高級な服が並んでいた。レイアウトも他の店とは一線を画すものがあり、隅々まで店員の気遣いが行き届いている。まさに高級店である。

 とにかく二人はその店に入り、店員の歓迎を受けた。


「いらっしゃいませ。冒険者のお二方、話は将軍ソーン・ロックハンス様から承っております。どうぞお入り下さいませ」

「私の名はゼイフォゾン、こっちはアルティスだ」

「ではゼイフォゾン様は私が担当致しましょう。アルティス様はこちらの女性の店員が」

「分かった。似合う服装を期待しよう」

「あんたが俺の服を選んでくれるのかい。ありがとうな」

「いいえアルティス様、貴方に似合う服ならいくらでもありますわ。いい身体つきですもの、こんなに恵まれた身体を見るのは初めてです……」

「ゼイフォゾン様はまさか彫刻と見間違えるほどの肉体をお持ちのようで。これなら良い服が見つかります」


 ゼイフォゾンの服を見てくれる店員は女性、そしてアルティスの服を見てくれる店員も女性であった。二人ともかなりの美女で、制服はそのスタイルの良さを強調していた。このような場所で働くのだ。才色兼備でないと務まらないだろう。それはいいとして、ゼイフォゾンは自分に合う服装を店員に見てもらっていた。あまり堅苦しい服装ではなく、フォーマルながらも洒落のきいた綺麗な服である。アルティスは逆に堅苦しいようでどこかユーモアのある服装が似合うようで、早速仕立ててもらっていた。二人は店員の選択を信じて、その通りに着てみた。鏡に写った自分たちが信じられないようであった。その恰好はまさしく神聖ザカルデウィス帝国の上流階級に属していた。二人とも男にしてみれば理想的な肉体を誇るので、初めてなのに着こなしていた。様になっていたというわけである。金を払って、街へと出てみた。その姿に街中の人間が振り向いた。ゼイフォゾンは綺麗で、アルティスは男らしい。その良さを最大限まで引き上げる事ができた、あの女性店員の腕は確かなようである。ゼイフォゾンとアルティスは皇国レミアムではかなり目立ったが、いい意味で目立っていた。神聖ザカルデウィス帝国では悪目立ちしていた。将軍格でもないのに、派手だった。ゼイフォゾンに至っては神々し過ぎていた。それから一転、服装を変えただけでいい意味で目を引く存在となれた。これについてはソーンに感謝しなければいけない。気の回し方は女性独特なのだろうか。それについて議論する時間はなかったが、とにかくこの恰好でソーンが紹介してくれた喫茶店に向かう必要がある。喫茶店までは時間がかかる場所にはなかった。誰でも入れそうな喫茶店なのだが、中に入ってみると、そこは高級なリストランテといった場所で、暗い色で統一されていながらも日当たりのいい素晴らしい店であった。その奥の席にソーンは座っていた。ソーンは本を読みながら、コーヒーを飲んでいた。優雅な女だと二人は思ったが、この店のこの席が彼女にとって大切な場所なのである。それは理解できた。二人は店の中を進もうとすると、店員がそれを止めた。どうやら一見はお断り、誰かの紹介がなければ入れない喫茶店だったようである。服装が良くてもそれは理由にはならなかった。決まりは決まりで、店員は頑なだった。その店員の後ろにいつの間にかいたソーンが、自分の紹介だと説明してくれたおかげで、二人は入店を許された。将軍の紹介という事で、喫茶店の店員たち、店長、料理人、料理長までもがいったいソーンにとってどんな男たちなのかを気にし始めたが、ソーンにとってそんな事はどうでも良かったらしく、話を始めようとした。


「待ってくれソーン、この店で聞き耳を立てられたらどうする……」

「ここはエクスキューショナーの基地になっているの。ここの従業員は全員暗殺者、接客のスキルと料理の腕は超が付くほど一流だから気にしなくていいわ。聞き耳なんか立てたら私に殺される事が分かっているもの。それでも興味はあるんじゃない?」

「なるほど。では単刀直入に訊こう、我々の行動を手伝ってもらいたい。私たちは皇国レミアムの者だ、帝王ゴーデリウス一世の勅諚はこの世を平たくする事、我々は世界を救うという信念を以て動いている。それに賛同してくれている者もいる。ソーンよ、考えてはくれまいか」

「そうね、それもいいかも知れないわね。でも兄さんは?ラーディアウス兄さんはいないの?」

「皇国レミアムの重要な任務を任されている将軍となった。我々は唯一自由に動ける立場でな、いや、これも任務なのかも知れん。ともあれ、私を含め、このアルティス、ゲンドラシルとカオウスは共に動いている。この神聖ザカルデウィス帝国の格差と執政を正すべく動いている。ソーン、手を貸してくれ。元帥ギルバートそのものを変えたいのだ」

「乗ってあげたいけど、確かに私は元帥ギルバートの執政を正したいけど、私はエアラルテの謀略に乗っているの。彼はクーデターを起こす気よ。それも急進的でね、この神聖ザカルデウィス帝国を良くしたいと考えているわ。私もそれに賛同しているの。彼は一番若いけど、この国の未来を誰よりも憂いている将軍よ。分かって欲しいのは、それには大義があるという事。あなた達に大義はあるかしら?」

「その大義はそれほどまでに重要か……主義者になるという事はどれだけ危険な事か、ソーン、お前も分かっていよう」

「ならあなたはこのザカルデウィスをどうしたいわけ?エアラルテの反逆はもうすぐそこまで来てる。もしかしたらエアラルテはこの国を背負って立つ男かも知れない。あなたもエアラルテの謀略に手を貸さないの?そうしたら、そこのアルティスも、ゲンドラシルもカオウスも乗ってくれるんでしょう?どうかしら……このクーデターに乗らない?」

「いいや、ソーン。お前の決意は分かった、それを否定する気はない。だが少しだけ教えて欲しい事がある。アイゼンが解放されるまであとどれくらいになるか?」

「あと数時間よ。訊いてどうするの?」

「それだけ知れれば充分さ、ありがとうソーン・ロックハンス。ラーディアウスの妹よ」


 ソーンの協力は得られなかった。そしてあと数時間でアイゼンが解放されるという最悪の情報まで手に入れた。まずは、この神聖ザカルデウィス帝国についての情報を一つにまとめる必要がある。なので、ミカエラに戻る事にした。その前に、ゲンドラシルとカオウスにも接触しないといけない。これからどうなるのか、それは天のみが知るものであった。帝王ゴーデリウス一世の予見もない、準備しようにも準備ができない。二人は光都エリュシオンの格納庫に向かったが、その途中でゲンドラシルとカオウスに合流する事ができた。まず四人はミカエラに向かい、艦内に入っていった。そこで得られた情報は、とても貴重なものであった。ゼイフォゾンの部屋に入っていった四人は、とにかく思い思いの場所に座り、情報交換をした。まず、ゲンドラシルとカオウスが手にした情報は、このザカルデウィスの元帥であるギルバートはアイゼンと合流した後、クーデターを企む反乱分子の粛清に乗り出すという事。そして別動隊には税の取り立てを指示し、港と空を完全に閉じるという。戦艦を今までより多く巡回させているのはそのためである。自分たちという旅禍がこのザカルデウィスの執政を変えようとしているのは知っていて、それを阻止するべく独自に行動しているのは確かで、こちら側の行動にも気が付いていて泳がしている節があるようである。そしてエアラルテの動向であるが、彼は自分の麾下の部隊と独自に組織した強化部隊を動かして準備を進めているといった具合である。その最大の協力者が、エクスキューショナーである。ソーンは今、元帥ギルバート側のスパイで、情報は筒抜けになっていると言っていた。ゼイフォゾンとアルティスは驚かなかった。むしろそれは自然な事ではないかと考えた。かくして、三つ巴となったこの状況、このままでは混戦どころか泥沼になりかねない。そうなったら、神聖ザカルデウィス帝国は破滅に向かうであろう。光都エリュシオンは崩壊に向かうかも知れない。空と海を封鎖されたら、戦場はインペリウス大陸になる。戦時中になれば、このインペリウス大陸全土の村や町は巻き込まれる可能性が高い。元帥ギルバートはそれを分かっているのかどうか、それが分からない。エアラルテの計略もどうなるのか分からない。国民を巻き込むような真似をするのであれば場合によっては戦わなくてはいけない。だが、三つ巴でそうなるのはゼイフォゾンにとって最も望まない形になる。


「戦争になったら国民の被害は甚大なものになるだろう。そうなったら、勝ったとしても戦争犯罪人として当然我々は裁かれる。救国の英雄ではない、乱世を引き起こした大罪人だ。いいや、ゲンドラシルとカオウスは大逆者としてザカルデウィス皇帝に断罪されるかも知れない。私はそれを黙って見過ごせるほど愚かではない。決して諦めないと誓おう、この国を良くするのは戦争ではない。話し合いのテーブルにつくことだ。そうして諦めなかった国が、これからも続いていくのだ。武力には武力という話は、もう過去のものであろう」

「それは俺も同意見だぜ、ゼイフォゾンにとって戦争は大切な人間を亡くす行為だって事くらい、俺も理解しているつもりだ。俺も過去の大戦で大切な国を失った。亡国となったその国は、武力で栄えたが、俺はその事の顛末を見届ける事ができなかった。それは悲しいだろ?俺はこの神聖ザカルデウィス帝国は失くしちゃいけない国だって事は分かってんだ。お前たちはどうだ」

「クセルクセスの砂漠の悲劇を繰り返すわけにはいかない。僕はこんな事、本当だったら話したくないんだ。こんな会議も開きたくないくらいには、この国の平穏を願っている。とにかく……」

「カオウス、もういい。俺も同じ気持ちだ。家族を持った人間は皆そう考えている。この情報戦もこのインペリウス大陸の、神聖ザカルデウィス帝国の国民には一切関係ないものだ。関係があるわけがない、ただ生活している人間には俺たちのこの話は一切な。だからこそ話し合いのテーブルが必要だとゼイフォゾンが言ったのだ。俺もその通りだと思う、しかし現実はそう甘くいくわけがない。エアラルテが台頭しているなら尚更な……奴の軍略や謀略は神聖ザカルデウィス帝国の頭脳と言われるほどで、戦争になれば万里を見通す目と先の先を読む才能に恵まれている。簡単にエアラルテの包囲網をかいくぐる事はできない。それにソーンが協力するのなら、尚更危険だ。ギルバートとアイゼンも充分危険だが」

「我々はそこまで危険視されていないのは引っ掛かるな。アルティス、お前は元帥ギルバートに会った事があるのだろう?」

「そして一度戦った。腕の立つ武人だよ、でもそれだけだ。あまり今後の事を考えて動くようなタイプだとは思えなかった。でも本当にこの国の事を憂いているのなら、こんな執政はしないはず……どういう事なんだ……違和感を覚えるな」


 ゲンドラシルとカオウスはミカエラを本拠地としようと提案した。ゼイフォゾンはそれを承諾し、この会議は終わった。もうそろそろアイゼンが解放される時間である。これからどのような死の連鎖が待ち受けているのか。エアラルテという男の謀略が勝るのか、元帥ギルバートの権力が勝るのか、それともゼイフォゾンが全てを正すのか。それはこの神聖ザカルデウィス帝国の将来が、未来が掛かっている問題であった。それは戦争か、それとも和平のテーブルなのか。これからがこの四人の手腕が試されるものになっていた。誰が欠けてもいけない、ひとりひとりが必要不可欠なこの時代に、将軍たちは分裂している。悲劇は悲劇を呼ぶだけであろう。だが希望は希望を呼ぶのも、また真理である。この神聖ザカルデウィス帝国に未来を、明るい未来を示すのはただ一人、ゼイフォゾン・ディア・ミレニア…一振りの剣である。彼の進む艱難辛苦の道は覚悟が必要だ。それを支えるのはアルティス、ゲンドラシル、カオウスである。全てはこのコル・カロリの世界の平和のために。その信念を曲げられる者はいなかった。ガトランの死を乗り越えるには、この神聖ザカルデウィス帝国を救う事でしか成し得ない。それは想像を絶する大仕事である。大仰な事である。それでも諦めない心を持ち併せるゼイフォゾンの理想は、この会議では貫かれた。他の三人は安堵していた。その理想は実現できると本気で思っていた。しかし、現実は魔物である。宿命が、刻々と迫っていた。どうにもならない宿命が。
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