凍った時計が溶けるまで

麻田夏与/Kayo Asada

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 恵の家の仏壇で、毎日、恵と並んで線香を上げる。そうして二人揃って家を出る。
「親父、行ってくるな」
 そう言う恵の顔がまだ何処か晴れないのをどうにかしてやりたい気持ちもあったが、でもきっと、由樹も同じ顔をしている。
 由樹はまだ、青羽家に居候している。あのひとの名前を呼んでいいのは、もはや、恵の前だけだったからだ。それに実家に帰ると、親に由樹の悩みを目の前にさらけ出されて、形を取ってしまいそうで怖かった。
 そんな由樹に恵は、何でもないように接してくれる。
「親父の名前、呼んでいいから」
 苦しげに言いながら由樹を抱きしめて、そうして二人、優一郎のベッドで淫蕩な行為に耽るのだ。
 恵と身を寄せ合うのは、案外悪くなかった。彼は目の回りそうなほど優しく由樹を抱くから。由樹はその腕に揺すられるときだけ、何もかも忘れられた。優一郎が亡くなっていることも。セックスの相手が恵であることも。
(まずいよな、これって)
 これではまるで恵を利用しているみたいだ。それに、心の傷を肉体の快楽で誤魔化すなんて、不道徳だと思う。なのに、今日もまた、恵の腕の中でまた目覚めてしまった。由樹を大切そうに抱きしめている腕がどういう意味を持つか、あまり考えたくはなかった。
 由樹が家賃代わりに作っている食事。朝食を美味い美味いと食べながら、恵が言ったことには。
「由樹兄、今日、デートしない?」
「は?」
「由樹兄の行きたいとこ、連れてってやるよ。親父の車の助手席、乗りたいだろ」
 今日は休店日だ。だからと迫る恵に、由樹は目を逸らす。恵は、本職の休日をアンタンポレルに合わせて調節したと言っていた。その貴重な休みの日を、空費させる訳にはいかない。
「……函館」
 半ば断るつもりでそう告げた。札幌からだと片道四時間以上かかる道のりだから。
「はあ!? 函館なんて中学の修学旅行で行っただろ?」
「五稜郭が見たいんだよ。優一郎さんに本貸して貰うまで、新撰組とか興味なかったからさ」
「……くそ。連れてくよ。男に二言はない!」
 そうして、あっという間に四駆の軽自動車に乗せられて、高速道路のインターチェンジに来ていた。そこではたと気が付く。車を出してもらった上、ガソリン代や高速代まで出費させる訳にはいかない。
「恵、代金は全部俺が出すから」
「いいよ。俺だってかっこつけたいときくらいある」
「駄目だ。それなら俺、帰るからな」
「強情者!」
 そうしてしばらく言い合って、結局由樹が払うことで決着が付いた。子供の頃にも、こうやってくだらない喧嘩をしていたのを思い出す。あの頃から成長していないような気分になって、少し可笑しかった。
「あ、由樹兄、やっと笑ったな。今日はそのままで居てくれよ」
「……別に、店でも笑ってるだろ」
「由樹兄、気付いてないの? 由樹兄の愛想笑い、結構丸分かり」
 恵の指摘に、心が沈む。あれほど好きだった店で、ちゃんと笑えていないなんて。
 湿っぽい顔をしてしまったから、恵が気を遣ってくれたのだろう。
「笑ってなくても由樹兄は可愛いけどね」
 そうおどけて見せてくれた。年下に心配させるなんて、泣けてくるほど情けない。
 長い距離なのに、案外話題は尽きなかった。恵が社会人になってからというもの、あんなことがあるまで彼とはほとんど顔を合わせていなかったから、その間に恵がどんな風に過ごしていたか、面白可笑しく話してくれた。
 金銭的な負担を掛けないようにと名門国立大の経営学科に入ったのは知っている。卒業後は急伸中の地元ベンチャー企業でブラックな働き方をしているそうだ。
「東京の大企業に進めば良かったしょや」
「好きなひとがこっちにいたからさ。ここから離れたくなかったんだ」
 はにかんだ恵の横顔に、由樹はばつが悪くなって、目を外の雪景色に向けた。
 函館に着くと真っ先に、遅い昼ご飯をいただいた。五稜郭近くの当地の回転寿司チェーンのカウンター席。甘いホタテや上品な脂の八角に舌鼓を打ち、鱈の白子──たちの天ぷらを二人で分けて食べた。毛ガニの味噌汁も忘れない。
「男二人で白子食うの、何か微妙」
 恵が複雑そうな顔をしたので、由樹も同意する。
「分かる。何かちょっと、きゅっとするよな」
「まあ、由樹兄のはこんなに美味くないけど」
「……そういう話、昼間っからするな」
 雪に埋まる五稜郭はきれいだった。来るのを渋ったくせに、恵は五角形の石垣に感心しきりだった。由樹もなんだか胸が弾む。タワーに昇り、上から星形を眺める。
「由樹兄」
 呼ばれて恵の方を見ると、かしゃりとシャッター音。撮られるなんて不覚だ。
「消せよ! 不意打ち卑怯だぞ」
「消さない。これ、ホーム画面にしよ」
 そうして顔中をくしゃくしゃにして笑う彼に、罪悪感を覚えた。恵から向けられる厚意が、何に起因しているか、由樹はもう気付きかけている。だけれど、決定的になるまでは、そっとしておきたかった。
 恵と一緒に居るのは悪くない。むしろ、楽しいかもしれない。しかし優一郎が居なくなったからとその息子に身を預けるのは、何か違う気がする。
「由樹兄、またぼうっとしてる。デート中に他の男のこと考えちゃ、駄目だよ」
 揶揄うようなその声が、何処か棘を持っていて、喉が詰まる。その隙に、入り口で貰ったパンフレットで顔を隠して、キスをされた。取りあえず、同じものを丸めて頭をぱこっと殴った。
 誤魔化すように「折角だから」と土方歳三のブロマイドを買ったら、恵が複雑そうな顔をする。
「そんなに新撰組好きなの? 俺より土方?」
「いや、優一郎さんが好きだっただろ。だから結構読んだけど、俺はそこまで」
「……そのブロマイド、親父の遺影代わりにでもするの?」
「そういうつもりじゃ」
 ふと見遣った恵の笑顔が、暗いものを感じさせる理由に、気付いたけど気付かなかったふりをする。だが、気まずい空気を恵がすぐに打ち消してくれた。
「絶対俺の方がいい男なのにな。保証するよ」
 冗談だというのが分かるように恵が言ってくれたから、由樹は安心して笑うことができた。
 ベイエリアで店への土産を買い、函館山の曲がりくねる道を登るともう夕暮れだった。雪の白に埋まった函館の街が、オレンジ色の灯りをともしていくのはとても美しくて、由樹は何もかも忘れて見入ってしまった。しばらく二人でその景色を見詰めた。日没。それと共に観光客も減ってくる。
「もう、遅くなっちまうな」
「……もうちょっと、一緒に居たい」
 そうして抱き寄せてきた腕が温かくて、心に染みる。でも、すり寄ったりはしない。そんなの、許されない。
帰りの高速道路は照明がなく、反射板が一定間隔で設置されているだけだった。
「ちょっと怖いな、雪道だし」
「大丈夫。ここ、運転したことあるから」
「そっか。彼女とでも来たのか」
「彼女なんていたことないよ。友達と来ただけ」
 何気なく告げられた言葉に、不覚にも恵をじっと見てしまった。恵は女性の目を引くような面立ちをしている。頭脳もずば抜けて優れているし、快活できっと引く手数多だろうに。
 その視線に何か感じ取ったのだろう恵は、照れくさそうにする。
「俺はずっと、好きな人がいるから」
 その相手が誰だか、知らずとも悟っている。だから由樹は黙り込むしかなかった。
 身体の関係に心がついていかない。恵を傷つけるだけかもしれないと知っていて、それでも由樹は、また誰かを好きになるのは怖かった。
 この関係は、傷の舐め合いであってほしい。片や思慕の相手を、片や父親を亡くして傷ついた者同士の。
「由樹兄はまだ、親父が好きなの」
 そう問われ由樹は俯く。恵に申し訳がない。
 恵は、はあっと溜息を吐いたようだ。身を縮める。そんなにちらりと目線をくれてから。
「まあ、いいよ。そのうち。そのうち、ね」
 何がそのうちなのか、分からないまま。何となく会話を続けて、気が付いたら二人の暮らす家に着いていた。
 礼を言ってドアを開けようとした由樹の手を、恵の手が引き留めた。相変わらず大きい。
「由樹兄、これ、あげる」
 手渡されたのは白の包装紙の平べったい箱だ。少しばかり重い。
「開けていいのか」
「うん」
 包装を解くと、懐中時計だった。店の商品でも、とても値の張るものだ。
「時計、なくしたって言ってただろ。代わりに、オーナーからの贈り物。明日から店で使って」
 とても、ばつが悪い。店のカウンターの下で埃にまみれているであろう、優一郎に貰った懐中時計のことばかり考えてしまう。
「恵、俺は……」
「由樹兄の時間はさ、親父が死んだときのまま止まってるみたいだから。もし動き出したらでいいから、使うかどうか考えて。今は取りあえず、持ってて欲しい」
 そうして、震える手で返そうとした由樹の手を、恵の温かい手が包み込んだ。
「来週もデートしようよ。車で行けるとこなら、何処でも連れて行くから」
 軽く笑って車を降りようとした恵に、由樹は俯き、小さな声を上げる。
「……旭川」
 恵のしたいようにさせるのが、由樹にできる精一杯の行動だった。恵は由樹を誠実だと言ったが、そんなの、見込み違いだ。
「何? ペンギンでも見たいの」
「『氷点』の舞台だ」
「ふうん。親父の本棚にあるかな。読んでみようかな」
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