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草木も眠りに入るほどまで待った。王宮の者はもうほとんど寝静まっているだろう。
それでも、ダイセル王子は待っていた。吉報とリュカを期待して。だが、現れた衛兵長からの報告は最悪な内容だった。リュカにまんまと逃げられた上、それを手助けしたのがあのマシレ・グラースだという。
「どういうことだ! 何故あの男がリュカを……」
「恐れながら、我が君。あの魔術師の目的は不明です。リュカ様を見初めた可能性もあるかと」
躊躇いがちなその言葉に、はらわたが煮えた。
「ふざけるな! リュカはこの俺のものだ」
何としても取り返してみせる。ダイセルはそう誓った。
思い出すだに溜息の漏れそうな、濡れたような素晴らしい黒髪。憂愁を帯びた紫の目。細い体躯に、ジャスミンの花のごとくに白い肌。リュカを構成するものは全て光り輝くようだった。
あんなに美しいものは初めて見たのだ。ダイセルはあれが運命でよかったと心から思った。あれとの子供はどれほど愛おしいことだろう。早くあの花を手中に収めたい。
これまで、欲しいと言ったものは全て手に入れた。第一王子とはそういうものだとダイセルは思っている。
だからリュカも、逃げるなんて許さない。確実に手に入れて、あの美しさを自分だけのものにするのだ。
*
悪い夢を見た気がして、目が覚めた。
父の裏切り、番となるべきひとからの虐待。悲しい思い出がリュカを襲う。
目を開けたいのに、開かない。瞼がくっついたようだ。だがそこに、ひとの温もりが通っていって、涙を拭われたのを知る。
「リュカ、何故泣いている」
「……マシレ様」
この城に来たのも夢かと思ったのに、そうではなかったようだ。そっと目を開けると、戸惑った顔のマシレがこちらをのぞき込んでいた。密閉魔法の効果が切れるほど、眠り込んでいたらしい。
「悪い夢でも見たか」
「そのようです。みっともないところをお見せしました」
「構わん。リュカ、こちらに」
「……はい」
そっと近寄ると、マシレが頭を撫でてくれた。頬が上気したのが自分で分かる。子供のような扱いを受けたのに、何故か嫌じゃなかった。今して欲しかったのは、これだった気がした。
「顔色が戻った。良いことだ。──そうだ、これを渡しておこう」
マシレが手を中空にかざすと、何もない空間から香水瓶が降ってきた。それが、リュカに手渡される。きれいなアラベスクの装飾のされた丸い底に薄青の液が入っていた。棒状のガラスが付いた蓋を取り、棒の部分に鼻を近づけると、心が清涼になっていくのがありありと分かる。
「これを身に纏うがよい。気分が落ち着き疲れが取れる。そなたが泣いていたので急ぎ作ったから、効果は弱いかもしれないが」
「え? 僕の……ために、作ってくださったのですか」
「そうだが、何か問題でもあるのか」
「……ありがとう、ございます」
香水を手首に付けたリュカから、フェロモンに混ざってふんわり香りが立ち上る。憑き物が落ちたように、気が緩んでいくのが分かる。
眠りの香水といい、これといい、『香りの魔術』は並々ならぬ効力を持っているのを体感させられる。それに、このマシレという男が、意外と気遣いが上手なのも。
何だか、心が疼く。小さな花が咲くのを見つけたときみたいだ。
「そなたの印象に合いそうな芳香にしたが、正解だったな」
「え?」
「上品で優美だ。そなたがより洗練されて見える」
頬に血が上るのが、自分で分かるほどに熱い。上品だなんて、言われたことがない。男好きのオメガとしてしか見てこられなかったリュカを、そんな風に言ってくれるひとは初めてだ。胸が、トクトクと騒ぎ出す。
「い、いいんですか、こんな貴重なものをいただいてしまって」
「よい。……お祖母様から、泣いている者には優しくせよと言われている」
「お祖母様?」
懐かしむかのようにマシレは目を細めた。その様子さえも目の醒めるように麗しくて、リュカはもう彼を直視するのが辛い。あの蜜色の肌にふれたい。
「調香師だった。もう亡くなったがな」
そう強い瞳がきらめくのが、何だか遠くの星のようだった。この男は、知るたびどんどん魅力的になる。
「……マシレ様は、もう十分お優しいと思います」
リュカの悪夢を忘れさせてくれるくらいに、とても。
そう思ったのは、言わなかったけれど。
それでも、ダイセル王子は待っていた。吉報とリュカを期待して。だが、現れた衛兵長からの報告は最悪な内容だった。リュカにまんまと逃げられた上、それを手助けしたのがあのマシレ・グラースだという。
「どういうことだ! 何故あの男がリュカを……」
「恐れながら、我が君。あの魔術師の目的は不明です。リュカ様を見初めた可能性もあるかと」
躊躇いがちなその言葉に、はらわたが煮えた。
「ふざけるな! リュカはこの俺のものだ」
何としても取り返してみせる。ダイセルはそう誓った。
思い出すだに溜息の漏れそうな、濡れたような素晴らしい黒髪。憂愁を帯びた紫の目。細い体躯に、ジャスミンの花のごとくに白い肌。リュカを構成するものは全て光り輝くようだった。
あんなに美しいものは初めて見たのだ。ダイセルはあれが運命でよかったと心から思った。あれとの子供はどれほど愛おしいことだろう。早くあの花を手中に収めたい。
これまで、欲しいと言ったものは全て手に入れた。第一王子とはそういうものだとダイセルは思っている。
だからリュカも、逃げるなんて許さない。確実に手に入れて、あの美しさを自分だけのものにするのだ。
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悪い夢を見た気がして、目が覚めた。
父の裏切り、番となるべきひとからの虐待。悲しい思い出がリュカを襲う。
目を開けたいのに、開かない。瞼がくっついたようだ。だがそこに、ひとの温もりが通っていって、涙を拭われたのを知る。
「リュカ、何故泣いている」
「……マシレ様」
この城に来たのも夢かと思ったのに、そうではなかったようだ。そっと目を開けると、戸惑った顔のマシレがこちらをのぞき込んでいた。密閉魔法の効果が切れるほど、眠り込んでいたらしい。
「悪い夢でも見たか」
「そのようです。みっともないところをお見せしました」
「構わん。リュカ、こちらに」
「……はい」
そっと近寄ると、マシレが頭を撫でてくれた。頬が上気したのが自分で分かる。子供のような扱いを受けたのに、何故か嫌じゃなかった。今して欲しかったのは、これだった気がした。
「顔色が戻った。良いことだ。──そうだ、これを渡しておこう」
マシレが手を中空にかざすと、何もない空間から香水瓶が降ってきた。それが、リュカに手渡される。きれいなアラベスクの装飾のされた丸い底に薄青の液が入っていた。棒状のガラスが付いた蓋を取り、棒の部分に鼻を近づけると、心が清涼になっていくのがありありと分かる。
「これを身に纏うがよい。気分が落ち着き疲れが取れる。そなたが泣いていたので急ぎ作ったから、効果は弱いかもしれないが」
「え? 僕の……ために、作ってくださったのですか」
「そうだが、何か問題でもあるのか」
「……ありがとう、ございます」
香水を手首に付けたリュカから、フェロモンに混ざってふんわり香りが立ち上る。憑き物が落ちたように、気が緩んでいくのが分かる。
眠りの香水といい、これといい、『香りの魔術』は並々ならぬ効力を持っているのを体感させられる。それに、このマシレという男が、意外と気遣いが上手なのも。
何だか、心が疼く。小さな花が咲くのを見つけたときみたいだ。
「そなたの印象に合いそうな芳香にしたが、正解だったな」
「え?」
「上品で優美だ。そなたがより洗練されて見える」
頬に血が上るのが、自分で分かるほどに熱い。上品だなんて、言われたことがない。男好きのオメガとしてしか見てこられなかったリュカを、そんな風に言ってくれるひとは初めてだ。胸が、トクトクと騒ぎ出す。
「い、いいんですか、こんな貴重なものをいただいてしまって」
「よい。……お祖母様から、泣いている者には優しくせよと言われている」
「お祖母様?」
懐かしむかのようにマシレは目を細めた。その様子さえも目の醒めるように麗しくて、リュカはもう彼を直視するのが辛い。あの蜜色の肌にふれたい。
「調香師だった。もう亡くなったがな」
そう強い瞳がきらめくのが、何だか遠くの星のようだった。この男は、知るたびどんどん魅力的になる。
「……マシレ様は、もう十分お優しいと思います」
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そう思ったのは、言わなかったけれど。
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