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リュカと顔を合わせられない間、マシレは書斎や書庫の文献を当たり、オメガの習性について調べた。これ以上リュカを苦しめるのはごめんだったから、書庫をひっくり返すように本を探して、必死で文字を追いかけた。
香りについて書かれているものは皆無だったが、咄嗟にマシレ自身に掛けた魔法は正解だったことが分かった。オメガのヒートは生理反応であり、呼吸や食事と一緒なので、無理に止めると体内のあらゆるバランスを崩し、最悪死に至るらしい。そんな危うい生き物だと思っていなかったので、背筋が寒くなった。
(リュカを早く何とかしてやらねばな)
そういう冷静な思考もあるが、あの美しい生き物が別のアルファに狙われて、また身体を奪われるなどという目に遭うのが嫌でたまらないのだ。誰の目にも付かない所に置いて、隠しておきたいような。そんな気持ちになった。
この城ならそれができると気が付いて、勝手な想いにうそ寒くなる。
(何を馬鹿なことを)
そう考えを打ち消して、書物に没頭する。今、マシレの感覚器は半分壊れているので、それしかできないのだ。もどかしい気持ちのまま疲れ果て、文献に突っ伏して寝落ちると、リュカの夢を見た。
あの芳しい香りを纏い、マシレの寝室で眠っているリュカの衣服を剥ぎ、白い身体を組み敷く。
驚いた瞳が憎しみを映すのに、自己嫌悪が募る。
だが止まらない身体は彼を貫いて、善がる彼を目に焼き付けるのが愉悦だった。
そうして目が覚めて、死にたくなったマシレだ。リュカの夢で夢精してしまうなど、自分は狂ってしまったのではないかと思った。それに、この失態がもしフレバリーにでも露見したなら、何と言って笑うことか。
頭が痛くなったので、着替えて風呂場で汚れた下着を洗っていたら、ちょうど朝飯を作るのに街から戻ってきたフレバリーに見つかった。事態を察されて爆笑されたが、
「まあ、リュカは魅力的だからな、気持ちは分かるぜ。俺も独身ならどうなってたか」
そんな戯れ言を言う幼馴染みが憎い。冗談でも、リュカをそんな風に言って欲しくなかった。
リュカのヒートが終わり、麻痺魔法の効果も切れたところで寝室を見に行った。まだぐったりしているリュカを、ホホラが冗談を言って笑わせている。
ドアの開く音にこちらを見たリュカの目線は、もう潤んではいなかった。やけにほっとした。
*
研究を再開したが、順調、とはいかなかった。
自ら再現したあの香りを嗅ぐと、ヒート中のリュカに感じた衝動を思い出し、どうしようもなくなるようになったのだ。研究の手は止まるし、思考が全く働かない。
(何なのだ、これは!)
今までこんな事態になったことはなかった。
マシレ・グラースはいつも頭脳明晰で、祖母との修行時代でさえも特異な才能を示し、すぐに調香師の中で名前が知れ渡るようになった、天才なのに。
同居している男を想起するだけで仕事ができなくなるなんて、何たることだ。
自分が情けなさ過ぎて、リュカに顔を合わせる時間を最小限にした。実験室にこもりきりになり、思いつく限り、あの香りの打ち消しの魔法を考えて、試す。食事はフレバリーに頼んで実験室に運んでもらったし、寝室に戻るのもリュカがマシレを待ちきれずに先に眠った後だ。
疲労困憊でベッドに落ちる振動で、リュカは必ず目を覚ます。慌てて密閉魔法を使おうとするが、
「もう、そんなものは不要です。ゆっくり休んでください、マシレ様」
そうしてまたすうっと眠ってしまうリュカの隣で眠りに就くのが、どんどん難しくなる。スイートマジョラムの香水が効きにくくなっているのか、それとも、魔法で誤魔化せないほど神経が昂ぶっているかだ。
幼い寝顔のリュカを横目に見て、溜息を吐く。出会ったときに、無邪気に共寝を提案した自分は馬鹿だったと思う。こんな悶々とした気持ちになるなら、フレバリーの家にでも泊まらせればよかった。
上手くいかない試行を繰り返していたときだ。リュカが実験室にやってきたのは。
「あの……マシレ様」
集中していたため驚いて振り返れば、あの美しい紫の瞳が上目遣いでマシレを見ていた。ぞくりとする。
「マシレ様、提案があるのですが」
そう切り出した彼は、思ってもみないことを言った。
「僕の番になってくださいませんか」
「リュカ、そなた何を言っている」
「マシレ様の番になれば、僕のフェロモンはマシレ様にしか効かなくなります。そしたらもう、他のひとに怯えなくて済む」
言われてみればその通りだ。番を得たオメガは、番のアルファだけのものになる。
「だから……次のヒートのとき、マシレ様の番にしてください」
そう一生懸命説明するリュカに心を打たれなかった訳ではない。
リュカと番になるのはひどく魅力的だ。
リュカとて馬鹿ではない、いつかマシレが彼に手を出すのを見越してそう言ってくれたのだろう。それほどまでに心を許されたのは嬉しかった。
だけれど、着手した研究を放り出し、リュカの肉体を貪ることで万々歳だなんて、マシレにはどうしても思えなかった。リュカに信頼されたのを、きちんと形で返したかったのだ。だから。
「私を信じていないのか。世界一の調香師だぞ」
そう胸を張ってみせた。もはやカルダモンの種のように小さくなっている自信が、巨大であるかのように見せかけて。
それなのにリュカは微かに沈んだ顔を見せる。彼はもう、危ない目に遭いたくないのだろう。
それならまず、この目の前に居る危険思想の男の存在に気が付いて欲しかった。
番になれば、オメガの側から解除はできない。それにかこつけて、マシレがリュカをいいように扱うかもしれないのに。そうならない自信は、マシレにはもうない。
「マシレ様、あの……」
「もうすぐ実験は上手くいく。だから、安心して待つがよい」
そうして無理矢理リュカを実験室から追い出した。
ぽっかり胸に穴が開いたようだが、これで良かったのだと信じるしかない。
リュカがそれほど切羽詰まっているのだと、気を改めて、実験を続けた。
香りについて書かれているものは皆無だったが、咄嗟にマシレ自身に掛けた魔法は正解だったことが分かった。オメガのヒートは生理反応であり、呼吸や食事と一緒なので、無理に止めると体内のあらゆるバランスを崩し、最悪死に至るらしい。そんな危うい生き物だと思っていなかったので、背筋が寒くなった。
(リュカを早く何とかしてやらねばな)
そういう冷静な思考もあるが、あの美しい生き物が別のアルファに狙われて、また身体を奪われるなどという目に遭うのが嫌でたまらないのだ。誰の目にも付かない所に置いて、隠しておきたいような。そんな気持ちになった。
この城ならそれができると気が付いて、勝手な想いにうそ寒くなる。
(何を馬鹿なことを)
そう考えを打ち消して、書物に没頭する。今、マシレの感覚器は半分壊れているので、それしかできないのだ。もどかしい気持ちのまま疲れ果て、文献に突っ伏して寝落ちると、リュカの夢を見た。
あの芳しい香りを纏い、マシレの寝室で眠っているリュカの衣服を剥ぎ、白い身体を組み敷く。
驚いた瞳が憎しみを映すのに、自己嫌悪が募る。
だが止まらない身体は彼を貫いて、善がる彼を目に焼き付けるのが愉悦だった。
そうして目が覚めて、死にたくなったマシレだ。リュカの夢で夢精してしまうなど、自分は狂ってしまったのではないかと思った。それに、この失態がもしフレバリーにでも露見したなら、何と言って笑うことか。
頭が痛くなったので、着替えて風呂場で汚れた下着を洗っていたら、ちょうど朝飯を作るのに街から戻ってきたフレバリーに見つかった。事態を察されて爆笑されたが、
「まあ、リュカは魅力的だからな、気持ちは分かるぜ。俺も独身ならどうなってたか」
そんな戯れ言を言う幼馴染みが憎い。冗談でも、リュカをそんな風に言って欲しくなかった。
リュカのヒートが終わり、麻痺魔法の効果も切れたところで寝室を見に行った。まだぐったりしているリュカを、ホホラが冗談を言って笑わせている。
ドアの開く音にこちらを見たリュカの目線は、もう潤んではいなかった。やけにほっとした。
*
研究を再開したが、順調、とはいかなかった。
自ら再現したあの香りを嗅ぐと、ヒート中のリュカに感じた衝動を思い出し、どうしようもなくなるようになったのだ。研究の手は止まるし、思考が全く働かない。
(何なのだ、これは!)
今までこんな事態になったことはなかった。
マシレ・グラースはいつも頭脳明晰で、祖母との修行時代でさえも特異な才能を示し、すぐに調香師の中で名前が知れ渡るようになった、天才なのに。
同居している男を想起するだけで仕事ができなくなるなんて、何たることだ。
自分が情けなさ過ぎて、リュカに顔を合わせる時間を最小限にした。実験室にこもりきりになり、思いつく限り、あの香りの打ち消しの魔法を考えて、試す。食事はフレバリーに頼んで実験室に運んでもらったし、寝室に戻るのもリュカがマシレを待ちきれずに先に眠った後だ。
疲労困憊でベッドに落ちる振動で、リュカは必ず目を覚ます。慌てて密閉魔法を使おうとするが、
「もう、そんなものは不要です。ゆっくり休んでください、マシレ様」
そうしてまたすうっと眠ってしまうリュカの隣で眠りに就くのが、どんどん難しくなる。スイートマジョラムの香水が効きにくくなっているのか、それとも、魔法で誤魔化せないほど神経が昂ぶっているかだ。
幼い寝顔のリュカを横目に見て、溜息を吐く。出会ったときに、無邪気に共寝を提案した自分は馬鹿だったと思う。こんな悶々とした気持ちになるなら、フレバリーの家にでも泊まらせればよかった。
上手くいかない試行を繰り返していたときだ。リュカが実験室にやってきたのは。
「あの……マシレ様」
集中していたため驚いて振り返れば、あの美しい紫の瞳が上目遣いでマシレを見ていた。ぞくりとする。
「マシレ様、提案があるのですが」
そう切り出した彼は、思ってもみないことを言った。
「僕の番になってくださいませんか」
「リュカ、そなた何を言っている」
「マシレ様の番になれば、僕のフェロモンはマシレ様にしか効かなくなります。そしたらもう、他のひとに怯えなくて済む」
言われてみればその通りだ。番を得たオメガは、番のアルファだけのものになる。
「だから……次のヒートのとき、マシレ様の番にしてください」
そう一生懸命説明するリュカに心を打たれなかった訳ではない。
リュカと番になるのはひどく魅力的だ。
リュカとて馬鹿ではない、いつかマシレが彼に手を出すのを見越してそう言ってくれたのだろう。それほどまでに心を許されたのは嬉しかった。
だけれど、着手した研究を放り出し、リュカの肉体を貪ることで万々歳だなんて、マシレにはどうしても思えなかった。リュカに信頼されたのを、きちんと形で返したかったのだ。だから。
「私を信じていないのか。世界一の調香師だぞ」
そう胸を張ってみせた。もはやカルダモンの種のように小さくなっている自信が、巨大であるかのように見せかけて。
それなのにリュカは微かに沈んだ顔を見せる。彼はもう、危ない目に遭いたくないのだろう。
それならまず、この目の前に居る危険思想の男の存在に気が付いて欲しかった。
番になれば、オメガの側から解除はできない。それにかこつけて、マシレがリュカをいいように扱うかもしれないのに。そうならない自信は、マシレにはもうない。
「マシレ様、あの……」
「もうすぐ実験は上手くいく。だから、安心して待つがよい」
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