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エピローグ
しおりを挟む敵国との話合いの場が設けられたとはいえ、長く続いた戦争のわだかまりはそう簡単には消えない。
怨嗟が籠り、遺恨しかない戦場では小競り合いは常だった。
俺は徴兵義務として、そういった場を治めるために駆り出された。
拒否権は無く、死線の真ん中に投入された。
死と隣り合わせの日々を過ごす中で、かつてどれだけナディアに支えられていたか分かる。
彼女の支援……あれらが下らないと唾棄していた自分を悔い改める。
この戦地ではあの支援こそが俺を生かす命の手綱であったのだ。
苦しく、長く続く血みどろの争いには、ほんの僅かな幸せこそが重要であった。
乾いた喉を潤す水も、空になった腹を満たす食事も……全てナディアからの支援で不足する事がなかったのを、何もない今こそ痛感する。
「なにも……報いる事は出来ていないな、俺は」
なにも返せていない、それだけ支えられながら恩を仇で返したのだ。
ならば、ならばせめて。
この剣を振るい続ける日々に国の平穏があるならば、決して倒れず……醜く生き抜いてみせよう。
生きて、生きて、戦い続けて彼女が平穏に暮らす日々を守れるなら。
それが受けた恩に、俺がせめて返せるものだ。
覚悟を決め、今日も俺は敵軍迫る先……死線へと駆けた。
––––十八年後
「ルーベル、お前に客だ」
留置所内で呼ばれた声に、顔を上げる。
戦場以外で過ごしている独房に、客が来るなんて初めてだった。
俺はすっかり皺が増え、傷だらけとなった身体を起こす。
度重なる戦、もはや記憶にもない程に剣を振るい続けた日々で髪は白髪に染まり、身体の傷は一生消えない。
片腕も失っている俺は、残った手で顔を洗って牢を出る。
「……」
俺を戦地に送り続けた看守も、もう数度も顔ぶれが変わったな。
それだけ月日が経ったのを痛感する。
しかし、最近は戦と呼べるものも少ない……流石にこんな年寄りは役立たずか?
用済みとなった俺に待つのは……この罪を裁く、死罪だろうか。
「どうぞ」
なんて考えていると、応接室へ入るように促される。
この留置所に応接室があったのは驚きだが、看守の丁寧な言葉遣いにも戸惑う。
そんな俺に、部屋で待つ人物が声をかけた。
「はじめましてだな。ルーベル殿」
「……誰だ」
座っていたのは若い男性だ。
赤く長い髪を後ろに結わえて、碧色の瞳で俺を見つめる。
その面影にどこか懐かしさを感じるは、なぜだろうか。
「俺の名はリダスだ。知っているか?」
「っ!!」
驚いた、リダスとは最近頭角を現したという騎士だ。
小競り合いが続いていた戦争にて、まさに一騎当千が如き活躍をしていると聞いた。
牢にいる俺が知る程に名誉ある騎士が、どうしてここに?
「まずは報告だ。隣国……ストレア帝国とテルム公国にて正式に停戦協定が結ばれた」
「な……」
「一世紀も続いた戦争は、終戦となった」
「……」
「喜ばないのか?」
喜びか……あるはずもない。
俺にとって戦こそ贖罪を果たす場であった。
それが終わるとなれば、俺はどうやって贖罪を果たせばいい。
「戦場以外に、俺の行き場はない」
「そんな事はないと……俺は伝えるために来たんだ」
「なにを言っている。なぜ俺に会いに来た」
しわがれた声で、思わずリダスに問いかける。
彼は頭をかきながら呟いた。
「俺は生まれつき身体が強かったが、幼少期は貧しくて死にかけててな。ある人に出会って世話になり、役に立ちたくて騎士にもなった。そして最近の戦争で戦果をあげて……軍部から恩賞を得るまでになった」
俺となんの関係がある。
彼はいったい、なにを……
「だから俺は要求した。顔も知らぬ両親を知りたいと、なぜ俺は幼少期を一人で生きていたのか知るために」
「っ!?」
その言葉を聞いた瞬間、ようやく分かった。
真っ赤な髪はまさに……リナリアと同じ、碧色の瞳は俺と同様のもの。
まさか、彼は。
「………………すまない」
「……母さんと言えばいいか分からないが、リナリアって人にも会ってきた」
「彼女は?」
「亡くなった。ちょうど一か月前……俺が訪れた三日後にな」
リナリアの死に、久しく感じていなかった悲しみがこみ上げる。
人が死ぬには十分な月日が流れたのだと実感した。
「あの人は謝っていたよ。あんた達に」
「……そうか」
「一つ言えば、あんた達を恨んではいない。俺は英雄として名を馳せたが、この国が終戦という歴史に残る日まで持ちこたえたのは……紛れもなくあんたのおかげだと思っているからだ」
なにを言っている、罪人である俺がそんな訳が……
そう考えたのに、リダスは立ち上がって敬礼を行った。
「あんたは父ではない。そんな思い出もないからな。でも共に剣を握り、戦地に立った者として……十年以上も戦って国の平穏を守ったあんたには、敬意を抱いている」
「……」
「過去の罪は拭えない。あんたの名は歴史には残らないだろう。でも……俺だけは覚えているよ。俺の父だった人こそ、終戦まで国を護った英雄だと」
『英雄』
失った肩書きを、息子となるはずだったリダスが告げる。
彼はまっすぐな瞳で俺に告げた。
「誰がなんと言おうと、あんたは罪を償う戦果をあげた」
「……」
「軍部も同様の考えを抱いている。その功績に恩赦として刑期を短縮し……今日から晴れて、自由の身だ」
「な……なにを言っている。俺はまだ……俺はまだナディアになんの償いも」
「そのナディアさんが、その減刑を認可している」
「っ!!」
俺は……許されたのか?
ナディア、俺は……俺はまだなにも返せていないというのに。
「父だった貴方に最後に会えて良かった。敬意と共に……これからの日々に幸がある事を祈っている」
リダスが告げて、部屋を出て行く。
その背中に思わず手を伸ばしてしまう、失った年月、父として過ごせなかった日々を焦がれるように。
しかし。
「終わったかい、リダス」
「レヴさん、終わりました。待っていてくれて嬉しいです」
「停戦まで導いた英雄さんを待つのは当然だからね」
「何言ってるんですか。停戦協定を結ぶまで尽力したのは、文官のレヴさんの功績じゃないですか」
部屋の外では、リダスを待つ別の男性がいた。
薄桃色の髪がふわりとくせ毛となっていて、黒い瞳に笑みが宿る男性だ。
「レヴさん、飯いきましょ。いっしょに食べたいです」
「今日は母さんが食事を作ってくれてるから、リダスも来る? 母さんも呼んでるよ」
「……はい。行かせてください。レヴさん」
幸せそうな光景に、伸ばした手を下ろす。
あの子の人生に俺が関わろうなど、浅はかだった。
罪人である父など、子の人生に関わるべきじゃない。
そう考えていると、留置所の看守が袋を持って来る。
「ルーベル殿、これは軍部からの恩賞金です。長いお勤め、貴方の活躍には私からも感謝いたします」
「……」
「どうか、後は好きに生きてください」
恩賞金の入った袋には、大量の金貨がある。
これだけあれば、きっと余生は何もせず暮らしていけるだろう。
だが、それでいいのか?
俺の贖罪はこの金を受け取って終わりでいいのか……
「違うだろ。俺がすべきは……せめて」
「どうされました?」
恩賞金の袋を看守へと押し戻し、俺は首を横に振る。
「これは、王都のパン屋を営む……彼女に渡してほしい」
「え……」
「せめて返せるのは、俺にはこれだけだ」
きっと彼女は俺の金など必要ないだろう。
それでもいい、それでも形で示せたのならそれでいいんだ。
俺は最悪な男だった、間違いを犯して……支えてきてくれた彼女を裏切った。
罪を償ったとは思わない、今でも罪悪感が胸を裂く。
後悔しかない人生だった。
ただ……それでも。
俺の傍にはもう居ない彼女へ……最後にせめて報いる事が出来ただろうか。
ナディア……すまなかった。
この後悔と共に、俺は生きていくよ。
◇◇彼らのその後◇◇
・ナディア
日常を取り戻した彼女は、三年後に晴れてセトアと結婚。
子宝に恵まれて、多くの子供と過ごした。
長男となったレヴにも分け隔てない愛を注ぎ、営むパン屋は王都でも人気店となっている。
またテルム公国の聖女となったが、顔を隠して活動しているため知っている者は少ない。
必要になった有事の際に現れ、名も名乗らぬ彼女はテルム公国の女神として歴史に記載されている。
・セトア
ナディアと結婚し、活躍を認められて騎士団長に就任。
長い年月、テルム公国の治安維持に尽力した。
彼が就任してから国内の野盗が一層される程であり、その功績から民の支持は高い。
勇退を迎えた後は、妻と長い余生を過ごしたという。
・レヴ
ナディアの養子となった彼は、王都にて適切な教育を受けた。
優秀な成績をおさめて文官に就任し、人当たりのよく、裏表のない性格から交渉事では気に入られる事も多く。
終戦に導いた立役者として、その名を歴史に残している。
・グラスラン
ナディアのパン屋の常連となり、毎日通っていた。
たまに軍部に呼ばれては戦術指南や、剣術稽古などテルム公国の兵力を底上げする功績を残す。
レヴが文官に就任した年に、多くの人々に看取られながら死去。
亡き妻と娘と同じ墓にて埋葬された。
・ルーベル
その名は歴史に記されてはいない。
だが口伝では罪人である騎士が、誰よりも戦果をあげていたと今も伝えられている。
彼の功績はテルム公国の軍部のみが記録しているが、刑期を終えた彼の消息は不明。
しかし終戦より五十年後、他国の農村で野盗から村人を救った英雄として、古い墓標に彼の名が記されていた事が判明した。
・リナリア
軍に管理されていた彼女は、ナディア程の力は発揮できなかった。
しかしながら裂傷程度の傷を癒す事が出来るために、王国の指示で各地で治療行為に励んだ。
長い時間を過ぎ、彼女にもルーベルより二年早く恩赦が与えられた。
しかしその二年後に死去、最後はリダスに看取られながら……多くの名を呼び謝罪と共に目を閉じた。
聖女にはなれなかった彼女だが、死後墓に訪れた参列者は彼女に救ってもらった礼と共に花を手向けた。
・リダス
両親が居ないために荒れた幼少期を過ごしたが、レヴと出会った事で変わった。
人当たりの良いレヴはリダスへと献身的に接した事で、リダスは彼を慕い、役に立つために自ら騎士を目指した。
類まれなる筋力、人並みはずれた治癒力を持った彼は戦場にて大きな戦果をあげる。
それは両親から譲り受けた才能であると軍部は推測している。
ナディア達を最後まで見届けてくださった皆様へ。
本作を読んでくださり
ありがとうございました!!
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