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彼女が居ない生活④ ヴィクターside
しおりを挟む帰ってこないナターリアの捜索を始めたが、足取りは未だ掴めない。
捜索費により徐々に減っていく資産を見ると、気分が陰鬱だ。
領主業も思うようにいかず、領民から不安の声が高まっている。
王国文官からは連日、書類関係の遅れや税務処理の間違いを指摘された。
彼女に任せていた執務が、これほど苦労するものだったとは……
「母さん……相談がしたいんだけど」
「ヴィクター、どうしたの。今から社交界に行くのだから、身だしなみを整えなさい。あの女が離婚調停中に逃げた事を広めないとね」
「執務が忙しいんだ。母さんも……手を貸してくれないか?」
こんな時でも、母さんは社交界に僕を連れ出そうとする。
とてもじゃないがそんな暇はない。
その思いを吐露すれば、母さんは微笑んだ。
「分かりました。貴方が困っているのなら……今日の社交界は欠席と伝えるわ」
「ありがとう……母さん」
「いいのよ。そうね……今度シャイラさんに執務をしてと私が提案するわ。あの女のように、妻として夫を支えるのは当然だもの」
流石は母さんだ。
シャイラの考えは掴みにくいが、妻になるのだから執務を行うのは当然だった。
やはり母さんはいつだって僕を、正しい道へ導いてくれる。
ナターリアだって、直に帰ってくるはずだ。
母さんが言う事に間違いなんて今までなかったから。
だから、まだナターリアが帰ってきていなくても……きっと大丈夫だ。
不安を拭うように、僕は心に言い聞かせた。
◇◇◇
翌日……第二王子殿下の護衛のため。
殿下の授業中、廊下に立つ。
執務の疲れのせいか、眠気が酷い。
「では、本日は我が国の初代王家。歴史について学びましょう」
眠気覚ましに殿下が受けている授業の話に耳を傾ける。
これは僕も受けたことがある、初代王家の歴史だ。
「かつてこの国は荒れ果てた大地でしたが。それを初代王家が魔法により……山や川を作り、溢れる木々を生み出したと言われています」
馬鹿馬鹿しい、歴史という名のおとぎ話だ。
そんな魔法が存在するはずない。
この国は創立して五百年は経つ。
その五百年で初代王家の逸話は盛られて……こんなあり得ぬ話になっているのだ。
「我が国に魔法を使える者が多いのは、初代王家がもたらした土壌のおかげとも言われており……」
こんな事を学ぶ事に、意味など一切感じない。
歴史など幾らでも書き変えられるし、真実など分からない。
無駄な学習だろう。
「しかし初代王家は子が出来ず。我が国は何度か王家が入れ替わり––」
だめだ、興味がなくて眠気の方が強くなってきた。
ウトウトとしていた時、肩を叩かれる。
ハッと顔を上げれば王宮騎士団の同僚が、諌める目つきを向けていた。
「団長が呼んでる。護衛は俺が代わるから行ってこい。どうせ寝てるだけだろ」
「……すまない」
「殿下の護衛中だぞ。気を抜くなよ」
注意の言葉に頭を垂れながら、情けなさを感じつつも学園を出る。
王宮騎士団の駐屯地に着けば……同僚騎士が駆け寄る。
「団長が訓練所で待ってるぞ。久々に剣術試合がしたいだとさ」
「なんでまた急に……」
護衛になってからは、訓練と離れる日々が続いている。
だから模造剣で実戦形式に戦う剣術試合など久々だ。
「……」
準備のため、俺は騎士団倉庫に置いていた荷物から手袋を出す。
剣を握りやすくするための革手袋。
久々に出したが、もうすっかりボロボロだな……
これは結婚当初の……ナターリアからの贈り物だ。
『ヴィクター、貴方の手が少しでも楽になるように作ったの』
恥ずかしそうにはにかんでいたナターリアの表情が思い浮かぶ。
あの頃は……学園を中退した妻などと知らなかったから、素直に嬉しかった。
しかし今、思い返せば……
「俺に取り入るため、ナターリアも必死だったのだろうな」
自らが学園を中退という醜聞を知られる前に、必死にアピールしていたのだ。
その惨めにも思える行為に、同情と共に情けなさも感じてしまう。
「やはり君は、貴族家の妻として……母の言う通りに惨めだ」
ナターリアがまだ帰って来ない理由など、大方の想像がいく。
クロエル伯爵家の家財を売却して、引っ込みがつかないのだ。
今頃は、貧しい生活を送っているだろうに……俺達の怒りを恐れて帰って来れないのだろう。
「意地を張らず……早く帰ってくればいいものを」
誰に伝える訳でもなく、呟いた言葉。
社交界で話にも出せぬ妻など、みっともないという気持ちは変わらない。
第二王子殿下の護衛騎士の妻には、彼女は見合わない。
ただ領主としての仕事を知り、ナターリアの苦労を知った今なら……家財が売却されたぐらいは許して、側室としての席は設ける気はある。
「ヴィクター、団長が待ってるぞ。早く来い」
「っ……分かった」
「ん? その手袋、訓練時はずっと着けてたよな。贈り物か?」
同僚から聞かれた疑問。
すっかりボロになってしまった手袋を指さされる。
「これは……」
「なんだよ、女からか? そんなに大事にして」
「違う。もう使うつもりはない」
手袋は、要らないだろう。
ナターリアの苦労は分かっても。
やはり、学園を中退した情けない妻がいると知られる訳にいかない。
母の言う通りに、この事実は隠そう。
だからボロになった手袋は目立つから……もう使えない。
手袋を倉庫にしまい込み、訓練所へ向かった。
◇◇◇
「はぁ……はぁ……」
瞳を開けば、訓練所の天井が見える。
どうして……こうなった。
久々の模擬試合だが、模造剣を持つ手が……痺れて動かない。
「ここまで落ちたか……ヴィクタ―」
騎士団長の冷たい声が響く。
模造剣に打たれ、痛む頭を上げる。
「団長……」
「惨敗だな。まさか、ここまで体たらくだとは」
久々の模擬試合は、かつて第二王子殿下の護衛騎士を争い合った騎士との試合だった。
以前は労せず勝利の味を得られた相手。
故に警戒などなかったのに……結果は五戦全敗だ。
「以前のお前の剣技に、俺も惚れ込んでいたが。見込み違いだったか」
「だ、団長。もう一本お願いします。まだ……」
「殿下の護衛という任に、もう一本などない。敗北は殿下の死に繋がるのだから」
「っ!!」
「これほど腕が落ちているとは予想外だ。お前の護衛騎士という任、審議せねばな」
「ま、待ってください!」
護衛騎士になった時、母さんはあれだけ喜んでくれたんだ。
ようやく、誇りある任に就けたのに。
母さんを失望させたくない。
「どうか、どうか……もう少しだけ……僕に機会を」
「本来であれば、その気だった」
「え……?」
「しかしお前は、妻がいる身でありながら。学園の生徒……シャイラ嬢と親密だと聞いたが?」
ど、どうしてそれを?
妻がいる事は普段は話さず、シャイラについても隠していたはずなのに。
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「デ、デイトナ殿下が?」
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い、いや……それよりも今は弁明するしかない。
「ち、違います。妻はいますが……離婚調停の途中で、彼女は屋敷を出て行きました」
「……」
「そしてシャイラ嬢は、妻の妹で……隠し立てするような事はしてません」
シャイラの妊娠は明かしては駄目だ。
今はナターリアが不在である事を……強調して、僕への同情を集めて。
「弁明は必要ない」
「え……」
「俺は騎士団長として、厳正な調査をするだけだ。シャイラ嬢について調べは始めている」
言い返せない。
それに団長は何を言っても、命令を変えない人だ。
「お前の妻の父であるフォンド子爵も……現在行方不明でデイトナ様が捜索をしているが、彼の所在を知っているか?」
「フォンド子爵が? それにどうしてデイトナ殿下が?」
「知らぬなら、お前が気にする必要はない」
騎士団長が剣を抜いて俺の首元へと当てる。
その瞳は鋭く……怒りが込められていた。
「お前が職務中に不貞行為をしていたなら。推薦した第一王子殿下だけでなく、名誉ある王宮騎士団へ泥を塗ったも同義だ」
「あ……ちが」
「故にシャイラ嬢の調査次第では、まずはお前の爵位剝奪というのが……デイトナ様のお考えだ」
「そんな、俺は」
必死に弁明の言葉を吐こうとしても、出てこない。
シャイラの妊娠は、いずれ広まってしまうのは分かり切っている。
そうなれば……俺は……
何も言えなくて。
他の同僚たちの冷たい目線の中、黙って俯くしかできなかった。
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