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1巻
1-3
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「ま、待ってくれ! カーティア!」
振り返ると、ミルセア公爵が走ってきた。
「なんでしょうか?」
「ど……どうか許してほしい。今からでも遅くない。この国や陛下のために……行かないでくれ」
「ミルセア公爵」
「っ」
「一つ、言っておきましょう。もう私は……貴方のためにも、あのくだらない王のためにも生きることはありません。自分のためだけに生きていきます。それでは」
「そ、そんな……お、お前がこの国からいなくなったら……私たちはどうなるのだ!」
「さぁ? 少しはご自分でお考えください」
「ま、待ってくれ! カーティア! どうすれば」
ミルセア公爵の言葉を無視し、ジェラルド様の馬車に乗り込む。
そこで、ふと思い出した言葉を……いまだに叫ぶミルセア公爵に微笑みと共に言ってあげた。
「私におっしゃったように、血反吐を吐いてでも頑張ってみては? それでは!」
「あ……あぁぁ! ま、待て! 父を許して――」
「出せ」
ジェラルド様の指示で、馬車が走り出した。
外は既に真っ暗だ。私たちの馬車を沢山の護衛が囲み、彼らが操る馬の蹄が土を鳴らす。
……初めてアイゼン帝国へ向かうが、緊張はない。
邪魔なしがらみは全て捨てて向かう新天地、自由を謳歌する日々を考えると、むしろ明るい気持ちになる。
まずは……畑でも作ろうかしら。
アドルフのことなど頭の片隅にも残らない程、今後への期待が膨らんでいた。
悲願の花・一 アドルフside
カーティアを廃妃とした後、俺は自室にこもった。
そうでもしないと、周りに当たり散らしそうだったからだ。廃妃にすると言ったのに、喜んでいたあいつの顔が頭から離れない。
会うたびに愛を望むように俺を見つめ、恋焦がれた声で呼ぶあいつに、優越感を抱いていた。
だから別れを告げれば、泣いて許しを乞うと思っていたのに。
「忌々しい……しかし、あいつがいない今、ヒルダを正妃にできる。喜ばしいはずだろ」
自分に言い聞かせても、苛立ちは抑えられない。
あいつは俺を愛していたはずなのに、なにがあいつの心を変えたのか。
心に穴が空いたような感覚が、俺を苛む。
「アドルフ、どうしたのですか?」
声をかけてきたのは、ヒルダだった。
心配で部屋まで来てくれたのだろう。その心遣いにふわりと心が和らぐ。
「すまない、あの女のことを考えていた」
「アドルフ、冷遇されたカーティアのことなど忘れましょう? 私が王妃になれるのよ?」
「そうだな。確かに……さっさと忘れてしまおう」
俺はヒルダを王妃にしたかった。カーティアがいなくなることを望んでいたはずだ。
なのに、俺のことを歯牙にもかけないカーティアを思い出すと、苛立ちと寂しさが募ってしまう。
「ねぇ、アドルフ……こっちを見て、私を見て」
ヒルダとそっと唇が重なる。
柔らかい唇が離れると、頬を朱に染めた、麗しい彼女が笑っていた。
その魅惑的な笑みに、苛立っていた心が恋情に捕らわれていく。
「これからは私が王妃。きっと皆が羨む程幸せなはずよ」
「ヒルダ……そうだな。その通りだ」
「カーティアが消えてくれて、清々したわよね?」
「あぁ……」
彼女が付けている香油の匂いを嗅ぐと、心が安らぎ、考えがうつろになる。
それだけ彼女と過ごす時間は気持ちがよく、身体に熱がこもるのだ。
なにも考えたくないと思える程に、俺は彼女を愛している。決して離したくない。
そうだ。ヒルダさえ傍にいれば、それでいいではないか。
カーティアを気にするのは止めよう。あいつは王宮から去ったのだ。
国民には、ヒルダを正妃に迎えたことを報告すればいい。
その準備は大変だが……全てはヒルダのために。
『駄目だ』
「? なにか言ったか……ヒルダ」
「……いいえ?」
考え過ぎたのだろうか。
幻聴を振り払うために、俺はヒルダを寝台に押し倒した。
◇◇◇
カーティアがいなくとも、問題はないはずだった。
なのに、僅か数日で俺の考えは揺らいだ。
「これは……一体どうなっている!」
「申し訳ございません。陛下」
山のように積もった書類、政務の数々に、怒りが沸き起こる。
たった数日目を離した隙に、抱えきれない量の仕事がたまるなど聞いていない。
「これらはなんだ。いきなりこれだけの政務をこなせると思うのか⁉」
「そ……その」
言いよどむ文官たちに苛立ちが募る。
「理由を説明しろ! これだけの政務を俺に回す理由を!」
「お、恐れながら申し上げます。これらは全て……今までカーティア様が行っていたものです」
「は……嘘を言うな。これだけの量……」
「わ、我々もあの方がいなくなってから知りました。これらに加えて……王都近郊の税収管理、農地管理、その他にも多くのことをされて」
「……もういい。いない者の話はするな」
「その、大変申し上げにくいのですが。カーティア様に帰ってきていただくようにお願いできないでしょうか。我々の仕事についても、あの方に投げていた部分が多く……」
「言ったはずだ。いない者の話はするな……この政務はお前たちがやれ。いいな」
あの女はもういない、俺が廃妃としたから。
しかし、文官たちはあの女が戻って来ることを熱望していた。
「どうか、どうかカーティア様にお戻りの提案を……我々が間違っておりました」
「黙れ! 俺の決定に異議があれば、二度とこの王宮で仕事ができぬようにしてもいいのだぞ!」
「……」
「わかったなら全てをこなせ。あの女程度にできたのだから、お前たちにもできるだろう」
返事はなかった。
その反応が腹立たしく、舌打ちをした時、戸惑いの声が聞こえた。
「な、なにがあったのですか?」
振り返ると、我が国の大臣――レブナンが立っていた。
他国の視察から帰ってきた彼に事情を全て明かすと、驚愕の表情を見せた。
「ほ、本当でしょうか。アドルフ陛下……そ、それは」
「あぁ、カーティアは廃妃とした」
わなわなと身体を震わせる様は、思った反応と違う。諸手を挙げて喜ぶと思ったが。
「どうした? 不都合でもあったか?」
「そ……そのヒルダ様が王妃となることに問題はないでしょうか? 側妃になる前から彼女は社交界に姿を出していないため、貴族間の繋がりも薄いでしょう」
「王妃の素質には関係ない」
「で……ですが……彼女の出自に疑問を抱く者もおり……」
ヒルダが王妃となることを嫌がるレブナンに、俺は激昂した。
「黙れ! 関係ないと言っている! 俺がヒルダを王妃に望んだのだ! 問題があるか!?」
叫べば萎縮するだろうと思ったが、レブナンは意を決したように本音を告げた。
「お、恐れながら本心を申します。今すぐにカーティア様の廃妃を取り止めていただきたいのです」
「なにを言っている⁉ 不可能だ、既に廃妃の件は公表した」
「い、いつですか⁉」
「カーティアが離宮した翌日にだ」
レブナンは大臣という立場にもかかわらず、みっともなく膝を落とす。
あまりの落胆ぶりに、その場にいた全員が目を丸くした。
「おい、レブナン。俺の前ということも忘れたか、立て」
俺がそう命じても反応はなく、なにやらブツブツと呟いている。
なぜか……その姿に見覚えがあり、背筋が冷えた。
「今すぐにでもカーティア様に頭を下げて、王妃に戻ってもらってください!」
「ふざけるな、そのようなみっともない姿を王が見せられるか! 理由を言え、レブナン!」
「カーティア様が陛下の代わりに諸外国との外交を務めていたのはご存知ですね?」
ヒルダとの時間を増やすため、確かに外交はカーティアに任せていた。
だが、それがなんだというのだ。
「あ、あぁ。……俺の代わりに任せていただけだ。それがどうした」
「申し上げにくいのですが。顔を見せぬ陛下よりも、諸外国はカーティア様を女王とみなしております」
な? こいつは、虚言を吐いているのか?
「なにを言っている、この国の王は俺だ!」
「諸外国はそう見ておりません。カーティア様は各国から絶大な信頼を得ております。外交の柱がいなくなれば、我が国はどうなるか……」
「なぜそれを俺に報告しなかった! レブナン!」
「申し訳ございません……現状維持こそが得策だと思っておりました。陛下にお知らせして状況が変わることを恐れて……とにかく、今はすぐにでもカーティア様へ謝罪の文を!」
「馬鹿が! 王が一度下した決定を変えるなどできるか!」
「陛下が気に入らなくとも、カーティア様は貴方の愛を望んでおります……きっと戻ってまいります!」
「くだらん! 外交なぞ俺でも務まる! もう黙れ! あの女は必要ない!」
『駄目だ、今すぐカーティアを――』
「くどいぞ! 誰に向かって……」
「へ、陛下?」
レブナンはなにも喋っていない。……その場にいた誰もが、俺に話しかけた様子はない。
また幻聴か。俺は疲れているのか?
『カーティア……』
うるさい。なんだ……これは。
『同じだ……前と』
なぜか、あいつが消えた日から幻聴が止まらない。そして、なによりも気味の悪いことが他にあった。
俺には、先の文官との会話も……レブナンが言ったあの女の功績も……
全て……どこかで見聞きしたような記憶があるのだ。
幻聴と見知らぬ記憶に混乱していると、レブナンは片膝をついて頭を下げた。
「どうか、カーティア様を連れ戻す許可を! 手遅れになる前にどうか!」
「……」
「冷遇したことを詫びましょう。気に入らなくとも、再び陛下の側妃とすればいいのです」
「王の決定だ。覆らぬ」
「どうか、どうか……陛下!」
否を突きつけようとした。しかし、聞こえた幻聴と現状の不安から真逆の言葉が漏れ出た。
「……わかった。お前がそこまで言うのなら……連れ戻せ」
「っ‼ 感謝いたします……陛下!」
気に入らない。しかしカーティアが戻れば、俺とヒルダは変わらず蜜月を過ごせる。
そうだ、それが最善だ。あいつはいまだに俺を愛しているはず、きっと帰ってくる。
そうして、今まで通り利用すればいい……と、思っていたが。
翌日にレブナンから受けた報告は、信じられないものだった。
「カ、カーティアが既にグラナートにいないだと⁉」
廃妃になった数日後には国外へ発ったというのだ。
更に、各国から異常な数の書簡が届き、その内容はカーティアの冷遇を非難するものだった。
あいつが……ばらしたのか? この短期間で? どうやって……
「へ、陛下……今すぐに対策を講じてください! このままでは、我が国の権威と信頼が……」
レブナンが青ざめて叫ぶが、対策など、ある訳がない。
カーティアは、廃妃にされた時は威勢を張っていただけだと思っていた。
本心ではまだ俺に気持ちを残していて、意地を張って俺の謝罪を待っているのだと……
だが、カーティアはあっさりとこの国を捨てていた。
「レブナン、あの女はどこへ向かったのだ⁉」
「それが……ミルセア公爵の報告では、アイゼン帝国の皇后になるために発ったと……」
帝国の皇后だと……?
驚きと共に不安が押し寄せる。
カーティアは手が届かないところに行ってしまった。このままでは、外交も政務も、全てが混乱したままだ。
『連れ戻せ』
再び幻聴が聞こえ、頭痛までし始めた。
痛みに思わず目を閉じた瞬間……なぜか、脳裏に見知らぬ光景が浮かんだ。
◆◆◆
玉座の間は燃え盛る炎に包まれ、周囲からは悲鳴と逃げ惑う声が聞こえる。
足元に転がる無数の死体が焦げた匂いを充満させていく。
豪炎が迫っているのに逃げ出せない……痛みで前に動けない。
自身の腹部を見れば剣が突き刺さり、刀身からは鮮血が滴る。
こんな事態に陥ったのは、俺のたった一度の過ちのせい……
後悔、絶望、懺悔、不安、恐怖、罪悪感。
ぐちゃぐちゃに混ざった感情の中、自然と口から漏れるのは、彼女の名前だった。
『すまない……カーティア……』
俺は……君を。
◆◆◆
「陛下? どうされました? 陛下!」
「っ‼ っ?」
目を開くと、いつも通りの平穏が広がっていた。
燃え盛る炎も、腹を突き刺す剣もない。心が押し潰されそうな激情も消えている。
夢か? いや、あれは……まるで本当にその場にいるかのような現実感があった。
「体調が悪いのでしたらお休みを。今後の対策は後程話し合いましょう」
言われた通り休もうとしたが、先程の光景から生じた不安が口をついて出た。
「レブナン……カーティアを連れ戻せるか?」
「へ? 陛下?」
「お前の言う通り、あいつは外交の手段として手元に残しておく必要がある」
なぜか、カーティアを呼び戻さねば……あの夢が現実になるような気がする。
だが、レブナンは目を伏せて首を横に振った。
「残念ながら、帝国とそのような交渉ができる人材はおりませぬ。カーティア様は皇后となるのです。そう簡単には……」
「まだ、時間はそう経っていない。今ならどうにかなるはずだ」
「しかし……」
「陛下、私にお任せください」
会話を遮ったのは、近衛騎士団の団長――ギルクだった。
彼もカーティアを冷遇していた一人だ。王妃に護衛を付けず、責務を怠っていた過去がある。
しかし俺は、彼を咎めはしなかった。
彼はこの国で最も力のある騎士で、カーティアごときを理由に手放せる人材ではない。だから変わらず俺の護衛として傍に控えさせていた。
「ギルク……任せるとは、どのように?」
「停戦してから百年経ち、いまや帝国の牙は抜け落ちました。恐れる必要はございません。対等に話し合えばいいのです」
「話し合うだと?」
「カーティア様を引き渡す対価に、我が国と帝国で軍事協定を結ぶことを提案いたしましょう。帝国にとって、中立国である我が国を陣営に引き入れるのは大きな益のはずです」
レブナンはギルクの言葉に難色を示した。
「しかし……皇后を差し出せとの提案は流石に……」
「我ら騎士団の技術提供もいたしましょう。それに……カーティア様も意地を張っているだけでしょう。あれだけ陛下を愛されていたのですから、きっと陛下の下へ帰ってきます。最悪、無理やりにでも連れ戻しますよ」
物騒な提案に、レブナンは慌てて口を挟む。
「ギルク……帝国の軍事力は我が国よりも――」
「わかった。行け、ギルク」
レブナンの否定を遮り、俺はギルクへ命令を下した。
「承知いたしました。遠征準備に一月程いただきます。成功した暁には、相応の報酬を」
「あぁ。多少脅しても構わぬ。準備を万全に整え、必ずカーティアを連れ戻せ」
「はっ! 必ずや」
凄惨な白昼夢が頭から離れず、不安が押し寄せる。
カーティアがいればああはならないと、なぜか思うのだ。
まだあいつの心に俺への気持ちが残っていれば、必ず帰ってくるはずだ。
そんな、藁にも縋るような想いでギルクに託したのだった。
第二章 溶けていく氷
数日をかけて、ようやくアイゼン帝国にたどり着いた。
周辺国の中でも群を抜いた大国の一つ。その発展ぶりは私の想像を超えていた。
帝都は先の見えない程に広く、行き交う人の数に目眩がしそう。
活気のある街と賑わう人々の笑顔に、栄えた国なのだとよくわかる。
なによりも、帝都の中央にそびえ立つ城に目を奪われた。
本当に人の手で作ったのかと思う程高く大きく、まるで山のようだ。
そんな城へ入った直後、私は大勢の侍女に囲まれ……皇帝への挨拶の支度をされていた。
式などは挙げないが、形式的に夫となる皇帝シルウィオ様にさすがに一度は会う必要があるようだ。
面倒だけど、一度会うだけで自由をくれると言うのなら、喜んでお会いすべきだ。
「普段着姿もお美しかったですが、やはり着飾った姿は特段に麗しいですね。カーティア皇后」
「ありがとうございます。ジェラルド様、しかしどうか私のことは気軽にカーティアと呼んでください」
「ではお言葉に甘えて、カーティア様とお呼びいたします。それでは陛下にご挨拶を」
アイゼン帝国皇帝、シルウィオ・アイゼン。
私が彼について知っているのは恐ろしい話ばかりだ。
皇位継承権者を追放したり、逆らった者へ罰を与えたりなどと、よくない噂が広がっている。
逆に、たった一代で帝国貴族の内乱を治めた偉業もあり、彼がどんな人かはよくわからない。
まぁ……どのような方でも、私は自由に生きていければいいのだけど。
自由が保証されているからか、思った以上に気楽で、足取りは軽い。
隣のジェラルド様は緊張しているようだ。私がスキップして歩く姿に驚いている。
「その……緊張はなさらないのですか?」
「いえ、全く」
「な、なんと……しかし陛下は気難しい方ですので、ご挨拶は許可が出てからお願いします」
「はい! わかりました!」
そんな会話を挟み、大きな扉を開いて玉座の間へ進む。
煌びやかな装飾が施された静かな空間に足を踏み入れると、大勢の帝国騎士が片膝をついた。
一糸乱れず、全ての騎士が揃って跪く様相には圧倒される。
「では、参りましょうか」
「は、はい」
ジェラルド様にエスコートされながら、玉座までの長い道のりを歩む。
騎士たちは一切視線を上げない。静寂の中、私たちの足音だけが響いた。
たどり着いた先、玉座で待っていたのは、見目麗しい男性だった。
絹糸のように輝く銀色の髪、眩しい程の端整な顔立ちは、今までに出会った誰よりも美しい。
だけど……その表情は酷く虚ろで、なにも感じていないかのようだ。
宝石のような深紅の瞳は、つまらなそうに空を見つめている。
彼がアイゼン帝国皇帝――シルウィオ様。
「ジェラルド、その女は誰だ」
「発言のお許しを。この方は此度の婚姻を引き受けてくださった女性です。名を……」
「もういい」
「は……?」
「下がれ、もう顔合わせは済んだ」
シルウィオ様はそれだけ言うと、再び視線を外した。
ジェラルド様がそっと私の背中を押して退室を誘導する。
言われた通りにこのまま立ち去る? いや、これでいい訳がない。
私はジェラルド様の手を振り切って、シルウィオ様の前に進む。
周囲からざわめきと射貫くような視線を感じたけれど気にしない。
シルウィオ様は睨むように私を見た。
しかし、私は怯まない。むしろそれが望みだった。
「ようやく、私を見てくれましたね」
視線を向けたシルウィオ様に、背筋を伸ばして頭を下げる。
王妃教育で習った所作通りに、優雅な動きを意識して。
「初めましてシルウィオ様。カーティアと申します。以後、お見知りおきください」
「……」
よし、顔を完全に見てもらえた。これで後から私の存在を知らないとは言わせない。
自由の憂いは消えた訳だ。
満足する私の手を、ジェラルド様が血相を変えて引く。
周囲の騎士たちもどよめいているが、なにか悪いことをしただろうか。
シルウィオ様は表情一つ変えていない。むしろ……私の顔を見つめてくださったのに。
「カ、カーティア様、行きましょう」
「はい」
今度こそ、退室のために歩き出す。
振り返ると、シルウィオ様の視線は私に向けられたままだった。
玉座の間を離れると、ジェラルド様は汗を拭きながら大きく息を吐いた。
「やはり、カーティア様は大胆な方ですね。陛下の前に立つなど、私には恐ろしくてできませんよ」
「いや、私はただ挨拶をしようと……」
「あの威圧感を前に、肝が据わっていらっしゃる」
私が鈍感なのだろうか。全く怖くなどなかったが、他の人はそうではないようだ。
「なんにせよ、顔合わせも済みました……約束通り、望む土地をお渡しします」
「っ……はい! はい! やった! やったー‼」
ようやく待ち望んでいた瞬間が来た!
愛のない結婚、顔合わせのみで自由がもらえるなんて……なんといい待遇だろう。
これで、好きに生きることができる。
振り返ると、ミルセア公爵が走ってきた。
「なんでしょうか?」
「ど……どうか許してほしい。今からでも遅くない。この国や陛下のために……行かないでくれ」
「ミルセア公爵」
「っ」
「一つ、言っておきましょう。もう私は……貴方のためにも、あのくだらない王のためにも生きることはありません。自分のためだけに生きていきます。それでは」
「そ、そんな……お、お前がこの国からいなくなったら……私たちはどうなるのだ!」
「さぁ? 少しはご自分でお考えください」
「ま、待ってくれ! カーティア! どうすれば」
ミルセア公爵の言葉を無視し、ジェラルド様の馬車に乗り込む。
そこで、ふと思い出した言葉を……いまだに叫ぶミルセア公爵に微笑みと共に言ってあげた。
「私におっしゃったように、血反吐を吐いてでも頑張ってみては? それでは!」
「あ……あぁぁ! ま、待て! 父を許して――」
「出せ」
ジェラルド様の指示で、馬車が走り出した。
外は既に真っ暗だ。私たちの馬車を沢山の護衛が囲み、彼らが操る馬の蹄が土を鳴らす。
……初めてアイゼン帝国へ向かうが、緊張はない。
邪魔なしがらみは全て捨てて向かう新天地、自由を謳歌する日々を考えると、むしろ明るい気持ちになる。
まずは……畑でも作ろうかしら。
アドルフのことなど頭の片隅にも残らない程、今後への期待が膨らんでいた。
悲願の花・一 アドルフside
カーティアを廃妃とした後、俺は自室にこもった。
そうでもしないと、周りに当たり散らしそうだったからだ。廃妃にすると言ったのに、喜んでいたあいつの顔が頭から離れない。
会うたびに愛を望むように俺を見つめ、恋焦がれた声で呼ぶあいつに、優越感を抱いていた。
だから別れを告げれば、泣いて許しを乞うと思っていたのに。
「忌々しい……しかし、あいつがいない今、ヒルダを正妃にできる。喜ばしいはずだろ」
自分に言い聞かせても、苛立ちは抑えられない。
あいつは俺を愛していたはずなのに、なにがあいつの心を変えたのか。
心に穴が空いたような感覚が、俺を苛む。
「アドルフ、どうしたのですか?」
声をかけてきたのは、ヒルダだった。
心配で部屋まで来てくれたのだろう。その心遣いにふわりと心が和らぐ。
「すまない、あの女のことを考えていた」
「アドルフ、冷遇されたカーティアのことなど忘れましょう? 私が王妃になれるのよ?」
「そうだな。確かに……さっさと忘れてしまおう」
俺はヒルダを王妃にしたかった。カーティアがいなくなることを望んでいたはずだ。
なのに、俺のことを歯牙にもかけないカーティアを思い出すと、苛立ちと寂しさが募ってしまう。
「ねぇ、アドルフ……こっちを見て、私を見て」
ヒルダとそっと唇が重なる。
柔らかい唇が離れると、頬を朱に染めた、麗しい彼女が笑っていた。
その魅惑的な笑みに、苛立っていた心が恋情に捕らわれていく。
「これからは私が王妃。きっと皆が羨む程幸せなはずよ」
「ヒルダ……そうだな。その通りだ」
「カーティアが消えてくれて、清々したわよね?」
「あぁ……」
彼女が付けている香油の匂いを嗅ぐと、心が安らぎ、考えがうつろになる。
それだけ彼女と過ごす時間は気持ちがよく、身体に熱がこもるのだ。
なにも考えたくないと思える程に、俺は彼女を愛している。決して離したくない。
そうだ。ヒルダさえ傍にいれば、それでいいではないか。
カーティアを気にするのは止めよう。あいつは王宮から去ったのだ。
国民には、ヒルダを正妃に迎えたことを報告すればいい。
その準備は大変だが……全てはヒルダのために。
『駄目だ』
「? なにか言ったか……ヒルダ」
「……いいえ?」
考え過ぎたのだろうか。
幻聴を振り払うために、俺はヒルダを寝台に押し倒した。
◇◇◇
カーティアがいなくとも、問題はないはずだった。
なのに、僅か数日で俺の考えは揺らいだ。
「これは……一体どうなっている!」
「申し訳ございません。陛下」
山のように積もった書類、政務の数々に、怒りが沸き起こる。
たった数日目を離した隙に、抱えきれない量の仕事がたまるなど聞いていない。
「これらはなんだ。いきなりこれだけの政務をこなせると思うのか⁉」
「そ……その」
言いよどむ文官たちに苛立ちが募る。
「理由を説明しろ! これだけの政務を俺に回す理由を!」
「お、恐れながら申し上げます。これらは全て……今までカーティア様が行っていたものです」
「は……嘘を言うな。これだけの量……」
「わ、我々もあの方がいなくなってから知りました。これらに加えて……王都近郊の税収管理、農地管理、その他にも多くのことをされて」
「……もういい。いない者の話はするな」
「その、大変申し上げにくいのですが。カーティア様に帰ってきていただくようにお願いできないでしょうか。我々の仕事についても、あの方に投げていた部分が多く……」
「言ったはずだ。いない者の話はするな……この政務はお前たちがやれ。いいな」
あの女はもういない、俺が廃妃としたから。
しかし、文官たちはあの女が戻って来ることを熱望していた。
「どうか、どうかカーティア様にお戻りの提案を……我々が間違っておりました」
「黙れ! 俺の決定に異議があれば、二度とこの王宮で仕事ができぬようにしてもいいのだぞ!」
「……」
「わかったなら全てをこなせ。あの女程度にできたのだから、お前たちにもできるだろう」
返事はなかった。
その反応が腹立たしく、舌打ちをした時、戸惑いの声が聞こえた。
「な、なにがあったのですか?」
振り返ると、我が国の大臣――レブナンが立っていた。
他国の視察から帰ってきた彼に事情を全て明かすと、驚愕の表情を見せた。
「ほ、本当でしょうか。アドルフ陛下……そ、それは」
「あぁ、カーティアは廃妃とした」
わなわなと身体を震わせる様は、思った反応と違う。諸手を挙げて喜ぶと思ったが。
「どうした? 不都合でもあったか?」
「そ……そのヒルダ様が王妃となることに問題はないでしょうか? 側妃になる前から彼女は社交界に姿を出していないため、貴族間の繋がりも薄いでしょう」
「王妃の素質には関係ない」
「で……ですが……彼女の出自に疑問を抱く者もおり……」
ヒルダが王妃となることを嫌がるレブナンに、俺は激昂した。
「黙れ! 関係ないと言っている! 俺がヒルダを王妃に望んだのだ! 問題があるか!?」
叫べば萎縮するだろうと思ったが、レブナンは意を決したように本音を告げた。
「お、恐れながら本心を申します。今すぐにカーティア様の廃妃を取り止めていただきたいのです」
「なにを言っている⁉ 不可能だ、既に廃妃の件は公表した」
「い、いつですか⁉」
「カーティアが離宮した翌日にだ」
レブナンは大臣という立場にもかかわらず、みっともなく膝を落とす。
あまりの落胆ぶりに、その場にいた全員が目を丸くした。
「おい、レブナン。俺の前ということも忘れたか、立て」
俺がそう命じても反応はなく、なにやらブツブツと呟いている。
なぜか……その姿に見覚えがあり、背筋が冷えた。
「今すぐにでもカーティア様に頭を下げて、王妃に戻ってもらってください!」
「ふざけるな、そのようなみっともない姿を王が見せられるか! 理由を言え、レブナン!」
「カーティア様が陛下の代わりに諸外国との外交を務めていたのはご存知ですね?」
ヒルダとの時間を増やすため、確かに外交はカーティアに任せていた。
だが、それがなんだというのだ。
「あ、あぁ。……俺の代わりに任せていただけだ。それがどうした」
「申し上げにくいのですが。顔を見せぬ陛下よりも、諸外国はカーティア様を女王とみなしております」
な? こいつは、虚言を吐いているのか?
「なにを言っている、この国の王は俺だ!」
「諸外国はそう見ておりません。カーティア様は各国から絶大な信頼を得ております。外交の柱がいなくなれば、我が国はどうなるか……」
「なぜそれを俺に報告しなかった! レブナン!」
「申し訳ございません……現状維持こそが得策だと思っておりました。陛下にお知らせして状況が変わることを恐れて……とにかく、今はすぐにでもカーティア様へ謝罪の文を!」
「馬鹿が! 王が一度下した決定を変えるなどできるか!」
「陛下が気に入らなくとも、カーティア様は貴方の愛を望んでおります……きっと戻ってまいります!」
「くだらん! 外交なぞ俺でも務まる! もう黙れ! あの女は必要ない!」
『駄目だ、今すぐカーティアを――』
「くどいぞ! 誰に向かって……」
「へ、陛下?」
レブナンはなにも喋っていない。……その場にいた誰もが、俺に話しかけた様子はない。
また幻聴か。俺は疲れているのか?
『カーティア……』
うるさい。なんだ……これは。
『同じだ……前と』
なぜか、あいつが消えた日から幻聴が止まらない。そして、なによりも気味の悪いことが他にあった。
俺には、先の文官との会話も……レブナンが言ったあの女の功績も……
全て……どこかで見聞きしたような記憶があるのだ。
幻聴と見知らぬ記憶に混乱していると、レブナンは片膝をついて頭を下げた。
「どうか、カーティア様を連れ戻す許可を! 手遅れになる前にどうか!」
「……」
「冷遇したことを詫びましょう。気に入らなくとも、再び陛下の側妃とすればいいのです」
「王の決定だ。覆らぬ」
「どうか、どうか……陛下!」
否を突きつけようとした。しかし、聞こえた幻聴と現状の不安から真逆の言葉が漏れ出た。
「……わかった。お前がそこまで言うのなら……連れ戻せ」
「っ‼ 感謝いたします……陛下!」
気に入らない。しかしカーティアが戻れば、俺とヒルダは変わらず蜜月を過ごせる。
そうだ、それが最善だ。あいつはいまだに俺を愛しているはず、きっと帰ってくる。
そうして、今まで通り利用すればいい……と、思っていたが。
翌日にレブナンから受けた報告は、信じられないものだった。
「カ、カーティアが既にグラナートにいないだと⁉」
廃妃になった数日後には国外へ発ったというのだ。
更に、各国から異常な数の書簡が届き、その内容はカーティアの冷遇を非難するものだった。
あいつが……ばらしたのか? この短期間で? どうやって……
「へ、陛下……今すぐに対策を講じてください! このままでは、我が国の権威と信頼が……」
レブナンが青ざめて叫ぶが、対策など、ある訳がない。
カーティアは、廃妃にされた時は威勢を張っていただけだと思っていた。
本心ではまだ俺に気持ちを残していて、意地を張って俺の謝罪を待っているのだと……
だが、カーティアはあっさりとこの国を捨てていた。
「レブナン、あの女はどこへ向かったのだ⁉」
「それが……ミルセア公爵の報告では、アイゼン帝国の皇后になるために発ったと……」
帝国の皇后だと……?
驚きと共に不安が押し寄せる。
カーティアは手が届かないところに行ってしまった。このままでは、外交も政務も、全てが混乱したままだ。
『連れ戻せ』
再び幻聴が聞こえ、頭痛までし始めた。
痛みに思わず目を閉じた瞬間……なぜか、脳裏に見知らぬ光景が浮かんだ。
◆◆◆
玉座の間は燃え盛る炎に包まれ、周囲からは悲鳴と逃げ惑う声が聞こえる。
足元に転がる無数の死体が焦げた匂いを充満させていく。
豪炎が迫っているのに逃げ出せない……痛みで前に動けない。
自身の腹部を見れば剣が突き刺さり、刀身からは鮮血が滴る。
こんな事態に陥ったのは、俺のたった一度の過ちのせい……
後悔、絶望、懺悔、不安、恐怖、罪悪感。
ぐちゃぐちゃに混ざった感情の中、自然と口から漏れるのは、彼女の名前だった。
『すまない……カーティア……』
俺は……君を。
◆◆◆
「陛下? どうされました? 陛下!」
「っ‼ っ?」
目を開くと、いつも通りの平穏が広がっていた。
燃え盛る炎も、腹を突き刺す剣もない。心が押し潰されそうな激情も消えている。
夢か? いや、あれは……まるで本当にその場にいるかのような現実感があった。
「体調が悪いのでしたらお休みを。今後の対策は後程話し合いましょう」
言われた通り休もうとしたが、先程の光景から生じた不安が口をついて出た。
「レブナン……カーティアを連れ戻せるか?」
「へ? 陛下?」
「お前の言う通り、あいつは外交の手段として手元に残しておく必要がある」
なぜか、カーティアを呼び戻さねば……あの夢が現実になるような気がする。
だが、レブナンは目を伏せて首を横に振った。
「残念ながら、帝国とそのような交渉ができる人材はおりませぬ。カーティア様は皇后となるのです。そう簡単には……」
「まだ、時間はそう経っていない。今ならどうにかなるはずだ」
「しかし……」
「陛下、私にお任せください」
会話を遮ったのは、近衛騎士団の団長――ギルクだった。
彼もカーティアを冷遇していた一人だ。王妃に護衛を付けず、責務を怠っていた過去がある。
しかし俺は、彼を咎めはしなかった。
彼はこの国で最も力のある騎士で、カーティアごときを理由に手放せる人材ではない。だから変わらず俺の護衛として傍に控えさせていた。
「ギルク……任せるとは、どのように?」
「停戦してから百年経ち、いまや帝国の牙は抜け落ちました。恐れる必要はございません。対等に話し合えばいいのです」
「話し合うだと?」
「カーティア様を引き渡す対価に、我が国と帝国で軍事協定を結ぶことを提案いたしましょう。帝国にとって、中立国である我が国を陣営に引き入れるのは大きな益のはずです」
レブナンはギルクの言葉に難色を示した。
「しかし……皇后を差し出せとの提案は流石に……」
「我ら騎士団の技術提供もいたしましょう。それに……カーティア様も意地を張っているだけでしょう。あれだけ陛下を愛されていたのですから、きっと陛下の下へ帰ってきます。最悪、無理やりにでも連れ戻しますよ」
物騒な提案に、レブナンは慌てて口を挟む。
「ギルク……帝国の軍事力は我が国よりも――」
「わかった。行け、ギルク」
レブナンの否定を遮り、俺はギルクへ命令を下した。
「承知いたしました。遠征準備に一月程いただきます。成功した暁には、相応の報酬を」
「あぁ。多少脅しても構わぬ。準備を万全に整え、必ずカーティアを連れ戻せ」
「はっ! 必ずや」
凄惨な白昼夢が頭から離れず、不安が押し寄せる。
カーティアがいればああはならないと、なぜか思うのだ。
まだあいつの心に俺への気持ちが残っていれば、必ず帰ってくるはずだ。
そんな、藁にも縋るような想いでギルクに託したのだった。
第二章 溶けていく氷
数日をかけて、ようやくアイゼン帝国にたどり着いた。
周辺国の中でも群を抜いた大国の一つ。その発展ぶりは私の想像を超えていた。
帝都は先の見えない程に広く、行き交う人の数に目眩がしそう。
活気のある街と賑わう人々の笑顔に、栄えた国なのだとよくわかる。
なによりも、帝都の中央にそびえ立つ城に目を奪われた。
本当に人の手で作ったのかと思う程高く大きく、まるで山のようだ。
そんな城へ入った直後、私は大勢の侍女に囲まれ……皇帝への挨拶の支度をされていた。
式などは挙げないが、形式的に夫となる皇帝シルウィオ様にさすがに一度は会う必要があるようだ。
面倒だけど、一度会うだけで自由をくれると言うのなら、喜んでお会いすべきだ。
「普段着姿もお美しかったですが、やはり着飾った姿は特段に麗しいですね。カーティア皇后」
「ありがとうございます。ジェラルド様、しかしどうか私のことは気軽にカーティアと呼んでください」
「ではお言葉に甘えて、カーティア様とお呼びいたします。それでは陛下にご挨拶を」
アイゼン帝国皇帝、シルウィオ・アイゼン。
私が彼について知っているのは恐ろしい話ばかりだ。
皇位継承権者を追放したり、逆らった者へ罰を与えたりなどと、よくない噂が広がっている。
逆に、たった一代で帝国貴族の内乱を治めた偉業もあり、彼がどんな人かはよくわからない。
まぁ……どのような方でも、私は自由に生きていければいいのだけど。
自由が保証されているからか、思った以上に気楽で、足取りは軽い。
隣のジェラルド様は緊張しているようだ。私がスキップして歩く姿に驚いている。
「その……緊張はなさらないのですか?」
「いえ、全く」
「な、なんと……しかし陛下は気難しい方ですので、ご挨拶は許可が出てからお願いします」
「はい! わかりました!」
そんな会話を挟み、大きな扉を開いて玉座の間へ進む。
煌びやかな装飾が施された静かな空間に足を踏み入れると、大勢の帝国騎士が片膝をついた。
一糸乱れず、全ての騎士が揃って跪く様相には圧倒される。
「では、参りましょうか」
「は、はい」
ジェラルド様にエスコートされながら、玉座までの長い道のりを歩む。
騎士たちは一切視線を上げない。静寂の中、私たちの足音だけが響いた。
たどり着いた先、玉座で待っていたのは、見目麗しい男性だった。
絹糸のように輝く銀色の髪、眩しい程の端整な顔立ちは、今までに出会った誰よりも美しい。
だけど……その表情は酷く虚ろで、なにも感じていないかのようだ。
宝石のような深紅の瞳は、つまらなそうに空を見つめている。
彼がアイゼン帝国皇帝――シルウィオ様。
「ジェラルド、その女は誰だ」
「発言のお許しを。この方は此度の婚姻を引き受けてくださった女性です。名を……」
「もういい」
「は……?」
「下がれ、もう顔合わせは済んだ」
シルウィオ様はそれだけ言うと、再び視線を外した。
ジェラルド様がそっと私の背中を押して退室を誘導する。
言われた通りにこのまま立ち去る? いや、これでいい訳がない。
私はジェラルド様の手を振り切って、シルウィオ様の前に進む。
周囲からざわめきと射貫くような視線を感じたけれど気にしない。
シルウィオ様は睨むように私を見た。
しかし、私は怯まない。むしろそれが望みだった。
「ようやく、私を見てくれましたね」
視線を向けたシルウィオ様に、背筋を伸ばして頭を下げる。
王妃教育で習った所作通りに、優雅な動きを意識して。
「初めましてシルウィオ様。カーティアと申します。以後、お見知りおきください」
「……」
よし、顔を完全に見てもらえた。これで後から私の存在を知らないとは言わせない。
自由の憂いは消えた訳だ。
満足する私の手を、ジェラルド様が血相を変えて引く。
周囲の騎士たちもどよめいているが、なにか悪いことをしただろうか。
シルウィオ様は表情一つ変えていない。むしろ……私の顔を見つめてくださったのに。
「カ、カーティア様、行きましょう」
「はい」
今度こそ、退室のために歩き出す。
振り返ると、シルウィオ様の視線は私に向けられたままだった。
玉座の間を離れると、ジェラルド様は汗を拭きながら大きく息を吐いた。
「やはり、カーティア様は大胆な方ですね。陛下の前に立つなど、私には恐ろしくてできませんよ」
「いや、私はただ挨拶をしようと……」
「あの威圧感を前に、肝が据わっていらっしゃる」
私が鈍感なのだろうか。全く怖くなどなかったが、他の人はそうではないようだ。
「なんにせよ、顔合わせも済みました……約束通り、望む土地をお渡しします」
「っ……はい! はい! やった! やったー‼」
ようやく待ち望んでいた瞬間が来た!
愛のない結婚、顔合わせのみで自由がもらえるなんて……なんといい待遇だろう。
これで、好きに生きることができる。
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