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もう一人の人生④
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『川崎って、なんも出来ないよなぁ』
『……』
学生時代、嫌という程に聞かされた言葉。
運動も、勉学も……誰よりも劣っていた俺を周囲は見下した。
奴らは、友達の振りをして……俺を下に見る。
自分よりも下の人間を見て安心した素振りを見せる奴らが、心底嫌いだった。
『川崎、お前じゃできねーよ』
『諦めろって川崎』
そんな言葉を吐く、友達もどきを見返したくて。
俺は勉学に励んだおかげで、なんとか大企業へと就職する事が出来た。
奴らを見返したくて、悔しがる姿を見るために努力したのに。
青春を勉学に注ぎ切った俺の周りには……もう、友達もどきでさえ居なかった。
『川崎、お前……普通の奴なら、もう少し出来るぞ?』
呆れた口ぶりの上司が、ため息を吐く。
身の丈に合わぬ企業へと就職した俺に待っていたのは、出来る奴らの中で見下されるポジションだ。
上司の嫌味を受け、周りが嘲笑してくる職場。
それでも、生きるために企業にしがみついた俺は……いつしか、一つの部署を任されていた。
とはいえ売上は最下位、上司からの嫌味が降り注ぐ。追い出すための部署だったのだろう。
そんな時だった。
『はじめまして、本郷美鈴と申します。よろしくお願いします』
その女は、凛とした姿勢を崩さずに名を述べた。
整った顔立ちに張り付いた、自信に溢れた奴の表情は印象に残る。
本郷美鈴、俺よりも十歳下の女性社員。
言動や態度から分かる、自信満々な様子に……こいつは俺とは別の人間で、どうせ他の奴のように見下してくると思ったのに。
『川崎さん! この仕事についてですが。私の方で……』
『こちらなら直ぐに終わりますし、作業手順を改善しましょう!』
奴は、誰にも分け隔てなく平等だった。
仕事は出来るのに、決して見下してくる事も無い彼女を……俺はいつしか視線で追っていた。
彼女が来てから、部署の売上は大幅に向上し、上司からの嫌味も消えた。
全て、本郷のおかげだった。
『本郷、飯に行かないか?』
『昼飯ならお付き合いします!』
器量がよくて、俺にも笑って接っしてくれる彼女にいつしか希望を抱いてしまった。
上司と部下……その隔たりを、超えたいと思ってしまったのだ。
ー好きです。付き合えないだろうか?ー
ーごめんなさい、川崎さんとは上司と部下として、これからもいたいですー
直球で想いをメールで送った、初めての告白。
僅か五分で受信された返事に……胸を満たすのは、羞恥と後悔だった。
どうして想いを伝えてしまったのだろう。冷静に考えれば……俺などでは手が届かぬ女性なのに。
望んでしまった事が恥ずかしくて、自身の思い上がりが情けなくてたまらなかった。
『川崎さん、昼飯にいきましょう? おごりますよ』
『いや……いい』
翌日、本郷はいつも通り接してくれるからこそ、余計に惨めに思えた。
思い上がった自己肯定感が崩され、卑屈な気持ちが……本郷を見る目を変える。
笑った顔は、俺を馬鹿にしている。
話しかける言葉は、俺を見下している。
同僚と話しているのは、俺の悪口だ。
思い込めば、止まらなかった。
いつしか本郷への恨みが募り。自身の立場を悪用してしまった。
辛い姿を見せる奴を見れば、俺の自信が戻るのだ。お前に馬鹿にされるような人間ではないのだと思えるのだ。
分かっていた。自身の行動は最低で下劣だと。
だが……情けなくも俺は、奴を恨む事でしか自尊心を保てなかった。
◇◇◇
嫌な事を思い出す。
前世の、情けなくて惨めな思い出だ。
忘れたくとも、こびりついた下劣な記憶。
「……ちっ」
朝から不機嫌な気持ちになり、寝室を出る。
「おい!」
使用人達を呼べば、一人がやって来る。
朝の支度を用意させようと思ったが、いつもと違う様子に言葉に詰まる。
「他の者はどうした」
「デミトロ様にお伝えしたい事があります。来て下さいますか?」
「は?」
「こちらへ」
使用人に言われるがまま、付いて行けば。
邸の広間に使用人や衛兵、コックにいたるまでが揃っていた。
「なにをしている。貴様らの職務は集まって談笑する事ではない」
「デミトロ様、お話があります」
「貴様らに構っていられるか! 直ぐに朝食の用意と、出かけるための衣服を用意せよ!」
「本日で、私達は邸仕えを辞職させていただきます」
「…………はぁ?」
メイドたちはカチューシャを取り、衛兵達は剣を置く。
言葉通り、一斉に彼らは職を辞するというのか?
「ま、まて、まて……な、何を言っている!?」
「言った通りです。本日からベクスア家を出て行きます」
「馬鹿を言うな! お前達が一斉に辞めれば……俺の世話は誰がする!?」
「それと。レティシア様から、伝言も預かっております」
「は……レティシアが?」
「はい。後悔するのは、貴方です……と」
告げられた言葉と同時に、使用人達は用意していた荷物を持って邸から出て行き始めた。
皆、俺に侮蔑の視線を向けながら。
「まて! 急に出て行くなど……許すはずがない!」
「レティシア様には、私達の契約書へ即時辞職する事を許す一文を加えてくれておりました。なので契約違反にもなりませんよ」
「な……待ってくれ! お前達が仕えるべきは俺だ! 給金を払ってやった恩を……」
「……レティシア様を追い詰めた貴方に、私達は心底……嫌気がさしたのです」
吐き捨てられた言葉に、俺への気遣いなど無く。
懇願した想いは全て無視され、邸からは人が居なくなる。
「……どうすれば、使用人達を新たに雇うにも……資金がっ……」
レティシアを探すためにも資金を大量に使っているのだ。
使用人達を新たに再雇用など……時間と資金がかかり、公爵家の財政へと響く。
「くそっ! くそっ!! また、あの女のせいで……」
悔しさの中、邸に入ってきたのは……家令のセドクであった。
驚いた顔で周囲を見渡し、俺へと視線を向ける。
「旦那様、使用人達は……」
「出ていった……職を辞めるとぬかしてな!」
「な……なんと」
絶望の表情を浮かべたセドクに、思わず問いかける。
「そんな時に……お前は、どこに行っていたのだ!」
「あ、貴方のお父上と、今後について話し合ってまいりました」
「ち、父はなんと……?」
「……」
どこか言いよどむセドクは、暫しの沈黙の後に呟いた。
「デミトロ様……お父上は貴方に失望しておられました」
「は……?」
「お父上からの伝言です。なにも出来ぬ役立たずは、大人しくしていろと……」
『なにも出来ない』
前世と変わらない評価に、惨めだった記憶が胸を締め付ける。
苦しくて、情けなくて。
まただ、また……俺はあの女のせいで。
そうやって自分ではなく、奴のせいにする事でしか、気持ちを落ち着かせられなかった。
自分の責任だと認めれば、どうしようもなく惨めに思えてしまうから。
◇◇◇ ◇◇◇
数刻前。
ベクスア家、別邸。
デミトロの父、公爵家前当主のドルモアは、家令セドクの報告に深いため息を吐いた。
その息には失望と、諦めが混ざる。
「……デミトロは、やはり使えんか」
「申し訳ありませんドルモア様、私が付いていながら」
「セドク、レティシアの居場所はすでに分かっている。うちの者が探し出した」
「っ!?!!」
「こちらで手配した者達と、レティシアの元へ向かえ。良いな?」
セドクは深いお辞儀をしながら、目の前のドルモアへ尊敬の視線を向ける。
ベクスア公爵家を、僅か一代で急成長させた前当主。
変わらぬ手腕に、自身が主従を誓った決意を思い出す。
「もう行け」
「デミトロ様はいかがいたしますか?」
「倅に、伝えておけ。なにも出来ん役立たずは大人しくしていろと」
「……」
「良いな?」
「は、はい!」
出て行こうとしたセドクは、ふと抱いた疑問をドルモアへと投げかけた。
「し、失礼ですが……ドルモア様はどうして、レティシア様を当初から消す命令をなさったのですか?」
「……くだらん事を聞くな、行け」
「は、はい!」
苛立った返答に、セドクは失言だと慌てて去る。
ドルモアはその背を見送り、ため息を吐いた。
「大人しくデミトロの元に居れば良いものを……我が手から離れたなら、両親のように消してやろう。レティシア、貴様の血は邪魔なのだ」
憎しみのこもった呟きを、沈黙の中で響かせた。
『……』
学生時代、嫌という程に聞かされた言葉。
運動も、勉学も……誰よりも劣っていた俺を周囲は見下した。
奴らは、友達の振りをして……俺を下に見る。
自分よりも下の人間を見て安心した素振りを見せる奴らが、心底嫌いだった。
『川崎、お前じゃできねーよ』
『諦めろって川崎』
そんな言葉を吐く、友達もどきを見返したくて。
俺は勉学に励んだおかげで、なんとか大企業へと就職する事が出来た。
奴らを見返したくて、悔しがる姿を見るために努力したのに。
青春を勉学に注ぎ切った俺の周りには……もう、友達もどきでさえ居なかった。
『川崎、お前……普通の奴なら、もう少し出来るぞ?』
呆れた口ぶりの上司が、ため息を吐く。
身の丈に合わぬ企業へと就職した俺に待っていたのは、出来る奴らの中で見下されるポジションだ。
上司の嫌味を受け、周りが嘲笑してくる職場。
それでも、生きるために企業にしがみついた俺は……いつしか、一つの部署を任されていた。
とはいえ売上は最下位、上司からの嫌味が降り注ぐ。追い出すための部署だったのだろう。
そんな時だった。
『はじめまして、本郷美鈴と申します。よろしくお願いします』
その女は、凛とした姿勢を崩さずに名を述べた。
整った顔立ちに張り付いた、自信に溢れた奴の表情は印象に残る。
本郷美鈴、俺よりも十歳下の女性社員。
言動や態度から分かる、自信満々な様子に……こいつは俺とは別の人間で、どうせ他の奴のように見下してくると思ったのに。
『川崎さん! この仕事についてですが。私の方で……』
『こちらなら直ぐに終わりますし、作業手順を改善しましょう!』
奴は、誰にも分け隔てなく平等だった。
仕事は出来るのに、決して見下してくる事も無い彼女を……俺はいつしか視線で追っていた。
彼女が来てから、部署の売上は大幅に向上し、上司からの嫌味も消えた。
全て、本郷のおかげだった。
『本郷、飯に行かないか?』
『昼飯ならお付き合いします!』
器量がよくて、俺にも笑って接っしてくれる彼女にいつしか希望を抱いてしまった。
上司と部下……その隔たりを、超えたいと思ってしまったのだ。
ー好きです。付き合えないだろうか?ー
ーごめんなさい、川崎さんとは上司と部下として、これからもいたいですー
直球で想いをメールで送った、初めての告白。
僅か五分で受信された返事に……胸を満たすのは、羞恥と後悔だった。
どうして想いを伝えてしまったのだろう。冷静に考えれば……俺などでは手が届かぬ女性なのに。
望んでしまった事が恥ずかしくて、自身の思い上がりが情けなくてたまらなかった。
『川崎さん、昼飯にいきましょう? おごりますよ』
『いや……いい』
翌日、本郷はいつも通り接してくれるからこそ、余計に惨めに思えた。
思い上がった自己肯定感が崩され、卑屈な気持ちが……本郷を見る目を変える。
笑った顔は、俺を馬鹿にしている。
話しかける言葉は、俺を見下している。
同僚と話しているのは、俺の悪口だ。
思い込めば、止まらなかった。
いつしか本郷への恨みが募り。自身の立場を悪用してしまった。
辛い姿を見せる奴を見れば、俺の自信が戻るのだ。お前に馬鹿にされるような人間ではないのだと思えるのだ。
分かっていた。自身の行動は最低で下劣だと。
だが……情けなくも俺は、奴を恨む事でしか自尊心を保てなかった。
◇◇◇
嫌な事を思い出す。
前世の、情けなくて惨めな思い出だ。
忘れたくとも、こびりついた下劣な記憶。
「……ちっ」
朝から不機嫌な気持ちになり、寝室を出る。
「おい!」
使用人達を呼べば、一人がやって来る。
朝の支度を用意させようと思ったが、いつもと違う様子に言葉に詰まる。
「他の者はどうした」
「デミトロ様にお伝えしたい事があります。来て下さいますか?」
「は?」
「こちらへ」
使用人に言われるがまま、付いて行けば。
邸の広間に使用人や衛兵、コックにいたるまでが揃っていた。
「なにをしている。貴様らの職務は集まって談笑する事ではない」
「デミトロ様、お話があります」
「貴様らに構っていられるか! 直ぐに朝食の用意と、出かけるための衣服を用意せよ!」
「本日で、私達は邸仕えを辞職させていただきます」
「…………はぁ?」
メイドたちはカチューシャを取り、衛兵達は剣を置く。
言葉通り、一斉に彼らは職を辞するというのか?
「ま、まて、まて……な、何を言っている!?」
「言った通りです。本日からベクスア家を出て行きます」
「馬鹿を言うな! お前達が一斉に辞めれば……俺の世話は誰がする!?」
「それと。レティシア様から、伝言も預かっております」
「は……レティシアが?」
「はい。後悔するのは、貴方です……と」
告げられた言葉と同時に、使用人達は用意していた荷物を持って邸から出て行き始めた。
皆、俺に侮蔑の視線を向けながら。
「まて! 急に出て行くなど……許すはずがない!」
「レティシア様には、私達の契約書へ即時辞職する事を許す一文を加えてくれておりました。なので契約違反にもなりませんよ」
「な……待ってくれ! お前達が仕えるべきは俺だ! 給金を払ってやった恩を……」
「……レティシア様を追い詰めた貴方に、私達は心底……嫌気がさしたのです」
吐き捨てられた言葉に、俺への気遣いなど無く。
懇願した想いは全て無視され、邸からは人が居なくなる。
「……どうすれば、使用人達を新たに雇うにも……資金がっ……」
レティシアを探すためにも資金を大量に使っているのだ。
使用人達を新たに再雇用など……時間と資金がかかり、公爵家の財政へと響く。
「くそっ! くそっ!! また、あの女のせいで……」
悔しさの中、邸に入ってきたのは……家令のセドクであった。
驚いた顔で周囲を見渡し、俺へと視線を向ける。
「旦那様、使用人達は……」
「出ていった……職を辞めるとぬかしてな!」
「な……なんと」
絶望の表情を浮かべたセドクに、思わず問いかける。
「そんな時に……お前は、どこに行っていたのだ!」
「あ、貴方のお父上と、今後について話し合ってまいりました」
「ち、父はなんと……?」
「……」
どこか言いよどむセドクは、暫しの沈黙の後に呟いた。
「デミトロ様……お父上は貴方に失望しておられました」
「は……?」
「お父上からの伝言です。なにも出来ぬ役立たずは、大人しくしていろと……」
『なにも出来ない』
前世と変わらない評価に、惨めだった記憶が胸を締め付ける。
苦しくて、情けなくて。
まただ、また……俺はあの女のせいで。
そうやって自分ではなく、奴のせいにする事でしか、気持ちを落ち着かせられなかった。
自分の責任だと認めれば、どうしようもなく惨めに思えてしまうから。
◇◇◇ ◇◇◇
数刻前。
ベクスア家、別邸。
デミトロの父、公爵家前当主のドルモアは、家令セドクの報告に深いため息を吐いた。
その息には失望と、諦めが混ざる。
「……デミトロは、やはり使えんか」
「申し訳ありませんドルモア様、私が付いていながら」
「セドク、レティシアの居場所はすでに分かっている。うちの者が探し出した」
「っ!?!!」
「こちらで手配した者達と、レティシアの元へ向かえ。良いな?」
セドクは深いお辞儀をしながら、目の前のドルモアへ尊敬の視線を向ける。
ベクスア公爵家を、僅か一代で急成長させた前当主。
変わらぬ手腕に、自身が主従を誓った決意を思い出す。
「もう行け」
「デミトロ様はいかがいたしますか?」
「倅に、伝えておけ。なにも出来ん役立たずは大人しくしていろと」
「……」
「良いな?」
「は、はい!」
出て行こうとしたセドクは、ふと抱いた疑問をドルモアへと投げかけた。
「し、失礼ですが……ドルモア様はどうして、レティシア様を当初から消す命令をなさったのですか?」
「……くだらん事を聞くな、行け」
「は、はい!」
苛立った返答に、セドクは失言だと慌てて去る。
ドルモアはその背を見送り、ため息を吐いた。
「大人しくデミトロの元に居れば良いものを……我が手から離れたなら、両親のように消してやろう。レティシア、貴様の血は邪魔なのだ」
憎しみのこもった呟きを、沈黙の中で響かせた。
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