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14話
「待て! 待つんだ、アイラ!」
聞こえる声を放置して応接間を出て行く。
もう振り返る事は無く、使用人の手を借りて部屋に戻った。
あれだけの貴族達の衆目の前だ、離婚しない選択をとればいよいよ伯爵家は落ちぶれる。
彼に残された道は、せめて元妻の言う事に従う事のみ。
「アイラ奥様、レイクス様が離婚申請書にサインを書かれました。お渡しいたします」
思った通りに、部屋に戻ってから暫くしてシルヴァがやってくる。
渡された書類の裏に手を触れれば、確かに紙の盛り上がりからレイクスの名が記載されたのが分かる。
「ありがとう、シルヴァ」
「いえ、滅相もありません」
「数日中に私の生家である子爵家に帰還いたします。荷物などをまとめる手伝いを頼んでも良いかしら
「もちろんです」
離婚を果たしたため、ひとまず形式的に今後の予定を話し合う。
両親への手紙や、諸々の手続きなどは残っているが、ひとまずは離婚は確定したのは喜ばしい事だ。
さてと……
「それではシルヴァ、事の真相を話してもらおうかしら。どうして昼夜を逆転させるような嘘をついていたの?」
「もちろんご説明いたします。ですがそれにはリオン様が同席なさってもよろしいでしょうか」
「……えぇ、もちろんよ」
シルヴァが出て行き、暫くして二人分の足音が近づく。
目が見えないけど足音で直ぐに分かった、あの指先で導いてくれた彼だと。
「はじめまして、と言っていいのかしら? リオンさん」
手を差し出して言葉を吐く。
彼の指先が手のひらを滑った。
『はじめまして、そしてずっと嘘をついて、隠していてごめんなさい』
「やっと、貴方がこうして指先で文字だけでやり取りをする理由が分かったわ。喋る事ができないから、こうして意思疎通してくれたのね」
『はい。アイラさんをレイクスがどのように扱ったかを聞いて、どうしても救いたくて』
私のために動いてくれていたのだろう。
リオンは幽閉されていたというのに、そこまで行動してくれたのだ。
「事情について、私の方からご説明をさせてください」
シルヴァはそう言って、事の詳細を説明してくれた。
リオンはレイクスの両親が住んでいる屋敷にて幽閉されていた。
シルヴァはそれを知っており、連絡を取り合ってもいた。
告発も考えていたが、リオン自身が幽閉されている状況のままを望んだらしい。
「リオン様は、先ほどのレイクス様の独白のように……喋れぬ事でご家族や兄君に迷惑をかけると悩んでいたからこそ。幽閉されている状況を受け入れておられました」
しかし転機が訪れたのは、私が目が見えぬようになってレイクスの態度が豹変してからだ。
シルヴァから事情を聞いたリオンは、屋敷を抜け出して私の元へ来たらしい。
「リオン様が来られた時は私も非常に動揺いたしました。レイクス様に見つかれば連れ戻されますし、動揺しているアイラ奥様に会いたいと言われても説明は難しい」
「……」
「そのため、心苦しいのですがリオン様が会いに来られる時間を偽らせて頂きました。実際は昼間に会っている時間を夜だと偽ったのです」
「そうすれば、私が夜に会いに来た人物を聞いても、レイクスは自分だと答えるから?」
「綱渡りのような苦渋の策でした。レイクス様がアイラ奥様とお話する気もなかったおかげで、ここまで隠し通せました」
リオンは私と会いつつ、この屋敷に隠れ住んでいたらしい。
そしてレイクスが診断書を偽装していた証拠を見つけ出した。
全ては私が望む離婚を成就させるため……
「しかし最後に、レイクス様に見つかって全てを知られてしまいました。本来は診断書偽装の証拠を手に入れた昨日には事情をお話すべきでしたが」
「おおかた、レイクスが貴方達を監視していたのでしょう?」
「はい……ですが奥様は自分自身にて答えを導いて、レイクス様の噓を暴いてくださいましたね」
事の真相は明らかとなった。
リオンはこの屋敷に私を救うためにやってきて、身を隠してレイクスの弱みを捜していた。
それを知られる訳にはいかないから、私にも正体を告げなかったのだろう。
動揺してレイクスに知られるのを避けるため……
「リオン、どうしてそこまで私のために?」
尋ねた言葉に馴染みのある指先が手のひらに乗る。
指先がいつものように、文字を書き始めてくれた。
『君に恩返しがしたかった』
「恩返し?」
『君は忘れたかもしれないけど、僕が最初に伝えた言葉は君がくれたものなんだよ』
「え?」
『幼い日、ある社交界で僕らは出会っているんだ』
その文字を書かれた瞬間。
記憶の底に閉ざされていた、忘れていたはずの記憶が引き出される。
◇◇◇
そうだ、あの日––––
爽やかな風が頬を撫でてきて、散っていく花弁が視界を彩る。
広間では大人達が社交にいそしむ中で、幼い私は暇つぶしに庭園を歩いていた。
綺麗な庭園に目を奪われていると、木陰で小さな子供が泣いていた。
『だれ?』
私と同年代だろうか、黒髪の男の子。
涙で瞳を潤ませている姿が印象的で、その子の綺麗な瞳が私を見つめる。
『どうしたの?』
尋ねても答えはなくて、ずっと泣いている男の子。
私はなにが悲しいのかを問いかけても答えはなくて、どうしようかと困っていた時。
その子は私の手を取って、指先で文字を描いた。
『ぼくはしゃべれないから、みんながバカにするの。みんなにめいわくをかけちゃうの』
当時の私は幼くて、この子の抱えている悩みの少しも理解できていなかった。
だけど悲しむ彼を元気づけるために、頭に浮かんだ言葉をかけたのを覚えている。
『しゃべれなくても、あなたがこれから生きる価値は変わらないわよ』
その子は顔を上げて、その綺麗な瞳を真っ直ぐに向けてくる。
その涙を止めるために告げたのだ、あの言葉を……
『誰かの評価に怯えずに、自分の価値を信じて』
涙を止めたその子は、指先で『ありがとう』と告げた。
ほんの些細な、忘れかけていた時間。
◇◇◇
「あの時の子が、リオンだったのね」
『そう、君の言葉に僕は確かに勇気をもらった。救われたんだ』
教えてくれる指先。
あの時の何気ない一言が、彼にそこまで勇気を与えていたなんて。
いや、私もそうだ。
彼には勇気と希望をもらった。
絶望した時に救いになった言葉はずっと覚えているものだ。
『自分の価値のために勉学をずっと続けていた。閉じこめられて悩んだけれど、君も結婚して幸せだと聞いたから、それを邪魔したくはなくて耐えられた』
「リオン……私のために、耐えていたの?」
『違う。僕には勇気がなくて閉じこめられたままでいいと思っていただけだ。でもシルヴァから君の事を聞いて、もう悩むのはやめた』
指先が勢いよく文字を書いていく。
それはリオンの気持ちを表すようで、指先にこもった熱が手のひらから伝わる。
『子供の頃に救ってもらった。だから今度は僕が君を救いたかった』
「……ありがとう、貴方に救われたよ。貴方の言葉に勇気を貰えたの」
『また、会いに行ってもいいだろうか。君とまた話したい』
「もちろん。私も貴方をまた見たいわ」
互いにそう言って、互いに笑ったと思う。
助けてくれたリオンに感謝しつつ、私は離婚の準備を進めて屋敷を出て行く。
手に入れた新たな人生、希望をくれた指先に背中を押してもらって––––
私は新しい幸せを手に入れるために、前に進んでいく。
見えなくなって関係ない。
私のために動いてくれた人がいる。
幸せを願ってくれる人や、今までの人生を評価してくれる人が多数いる。
その希望は、こんなにも明るいのだから。
聞こえる声を放置して応接間を出て行く。
もう振り返る事は無く、使用人の手を借りて部屋に戻った。
あれだけの貴族達の衆目の前だ、離婚しない選択をとればいよいよ伯爵家は落ちぶれる。
彼に残された道は、せめて元妻の言う事に従う事のみ。
「アイラ奥様、レイクス様が離婚申請書にサインを書かれました。お渡しいたします」
思った通りに、部屋に戻ってから暫くしてシルヴァがやってくる。
渡された書類の裏に手を触れれば、確かに紙の盛り上がりからレイクスの名が記載されたのが分かる。
「ありがとう、シルヴァ」
「いえ、滅相もありません」
「数日中に私の生家である子爵家に帰還いたします。荷物などをまとめる手伝いを頼んでも良いかしら
「もちろんです」
離婚を果たしたため、ひとまず形式的に今後の予定を話し合う。
両親への手紙や、諸々の手続きなどは残っているが、ひとまずは離婚は確定したのは喜ばしい事だ。
さてと……
「それではシルヴァ、事の真相を話してもらおうかしら。どうして昼夜を逆転させるような嘘をついていたの?」
「もちろんご説明いたします。ですがそれにはリオン様が同席なさってもよろしいでしょうか」
「……えぇ、もちろんよ」
シルヴァが出て行き、暫くして二人分の足音が近づく。
目が見えないけど足音で直ぐに分かった、あの指先で導いてくれた彼だと。
「はじめまして、と言っていいのかしら? リオンさん」
手を差し出して言葉を吐く。
彼の指先が手のひらを滑った。
『はじめまして、そしてずっと嘘をついて、隠していてごめんなさい』
「やっと、貴方がこうして指先で文字だけでやり取りをする理由が分かったわ。喋る事ができないから、こうして意思疎通してくれたのね」
『はい。アイラさんをレイクスがどのように扱ったかを聞いて、どうしても救いたくて』
私のために動いてくれていたのだろう。
リオンは幽閉されていたというのに、そこまで行動してくれたのだ。
「事情について、私の方からご説明をさせてください」
シルヴァはそう言って、事の詳細を説明してくれた。
リオンはレイクスの両親が住んでいる屋敷にて幽閉されていた。
シルヴァはそれを知っており、連絡を取り合ってもいた。
告発も考えていたが、リオン自身が幽閉されている状況のままを望んだらしい。
「リオン様は、先ほどのレイクス様の独白のように……喋れぬ事でご家族や兄君に迷惑をかけると悩んでいたからこそ。幽閉されている状況を受け入れておられました」
しかし転機が訪れたのは、私が目が見えぬようになってレイクスの態度が豹変してからだ。
シルヴァから事情を聞いたリオンは、屋敷を抜け出して私の元へ来たらしい。
「リオン様が来られた時は私も非常に動揺いたしました。レイクス様に見つかれば連れ戻されますし、動揺しているアイラ奥様に会いたいと言われても説明は難しい」
「……」
「そのため、心苦しいのですがリオン様が会いに来られる時間を偽らせて頂きました。実際は昼間に会っている時間を夜だと偽ったのです」
「そうすれば、私が夜に会いに来た人物を聞いても、レイクスは自分だと答えるから?」
「綱渡りのような苦渋の策でした。レイクス様がアイラ奥様とお話する気もなかったおかげで、ここまで隠し通せました」
リオンは私と会いつつ、この屋敷に隠れ住んでいたらしい。
そしてレイクスが診断書を偽装していた証拠を見つけ出した。
全ては私が望む離婚を成就させるため……
「しかし最後に、レイクス様に見つかって全てを知られてしまいました。本来は診断書偽装の証拠を手に入れた昨日には事情をお話すべきでしたが」
「おおかた、レイクスが貴方達を監視していたのでしょう?」
「はい……ですが奥様は自分自身にて答えを導いて、レイクス様の噓を暴いてくださいましたね」
事の真相は明らかとなった。
リオンはこの屋敷に私を救うためにやってきて、身を隠してレイクスの弱みを捜していた。
それを知られる訳にはいかないから、私にも正体を告げなかったのだろう。
動揺してレイクスに知られるのを避けるため……
「リオン、どうしてそこまで私のために?」
尋ねた言葉に馴染みのある指先が手のひらに乗る。
指先がいつものように、文字を書き始めてくれた。
『君に恩返しがしたかった』
「恩返し?」
『君は忘れたかもしれないけど、僕が最初に伝えた言葉は君がくれたものなんだよ』
「え?」
『幼い日、ある社交界で僕らは出会っているんだ』
その文字を書かれた瞬間。
記憶の底に閉ざされていた、忘れていたはずの記憶が引き出される。
◇◇◇
そうだ、あの日––––
爽やかな風が頬を撫でてきて、散っていく花弁が視界を彩る。
広間では大人達が社交にいそしむ中で、幼い私は暇つぶしに庭園を歩いていた。
綺麗な庭園に目を奪われていると、木陰で小さな子供が泣いていた。
『だれ?』
私と同年代だろうか、黒髪の男の子。
涙で瞳を潤ませている姿が印象的で、その子の綺麗な瞳が私を見つめる。
『どうしたの?』
尋ねても答えはなくて、ずっと泣いている男の子。
私はなにが悲しいのかを問いかけても答えはなくて、どうしようかと困っていた時。
その子は私の手を取って、指先で文字を描いた。
『ぼくはしゃべれないから、みんながバカにするの。みんなにめいわくをかけちゃうの』
当時の私は幼くて、この子の抱えている悩みの少しも理解できていなかった。
だけど悲しむ彼を元気づけるために、頭に浮かんだ言葉をかけたのを覚えている。
『しゃべれなくても、あなたがこれから生きる価値は変わらないわよ』
その子は顔を上げて、その綺麗な瞳を真っ直ぐに向けてくる。
その涙を止めるために告げたのだ、あの言葉を……
『誰かの評価に怯えずに、自分の価値を信じて』
涙を止めたその子は、指先で『ありがとう』と告げた。
ほんの些細な、忘れかけていた時間。
◇◇◇
「あの時の子が、リオンだったのね」
『そう、君の言葉に僕は確かに勇気をもらった。救われたんだ』
教えてくれる指先。
あの時の何気ない一言が、彼にそこまで勇気を与えていたなんて。
いや、私もそうだ。
彼には勇気と希望をもらった。
絶望した時に救いになった言葉はずっと覚えているものだ。
『自分の価値のために勉学をずっと続けていた。閉じこめられて悩んだけれど、君も結婚して幸せだと聞いたから、それを邪魔したくはなくて耐えられた』
「リオン……私のために、耐えていたの?」
『違う。僕には勇気がなくて閉じこめられたままでいいと思っていただけだ。でもシルヴァから君の事を聞いて、もう悩むのはやめた』
指先が勢いよく文字を書いていく。
それはリオンの気持ちを表すようで、指先にこもった熱が手のひらから伝わる。
『子供の頃に救ってもらった。だから今度は僕が君を救いたかった』
「……ありがとう、貴方に救われたよ。貴方の言葉に勇気を貰えたの」
『また、会いに行ってもいいだろうか。君とまた話したい』
「もちろん。私も貴方をまた見たいわ」
互いにそう言って、互いに笑ったと思う。
助けてくれたリオンに感謝しつつ、私は離婚の準備を進めて屋敷を出て行く。
手に入れた新たな人生、希望をくれた指先に背中を押してもらって––––
私は新しい幸せを手に入れるために、前に進んでいく。
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