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仮初めの灯火
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戦は、火のようなものだ。
燃え盛ればすべてを焼き、静まれば灰を残す。
その灰の上で、人はまた新たな命を営もうとする。
杜若の軍は、一度目の大勝を収めた。
敵軍を森の渓谷に追い込み、ほぼ壊滅状態にしたと報告された。
だが、その勝利の代償は小さくなかった。
特に、杜若の副官・賀清(がせい)が深手を負ったと知ったとき――黎花は、初めて声を荒げた。
⸻
「将軍、なぜ副官の退避をお命じにならなかったのですか!」
「奴は自ら志願した」
「志願したからといって、死なせていいのですか!」
杜若の眉がぴくりと動いた。
「……それが戦だ。誰かが行かねばならぬ。ならば、もっとも信じる者に頼る」
「信じることと、犠牲にすることは違います!」
ふたりの言葉が、冬の刃のようにぶつかる。
だがその夜、黎花は副官・賀清の寝所を訪れた。
彼はまだ眠らず、天井を見つめていた。
「黎花殿……生きている。信じられん」
「まだ、戦は終わっていません。ご自分の命の重さを、どうか……」
賀清はふと、笑う。
「杜若将軍は、情に薄いようでいて、実は誰より情に縛られている男です。
私のような老兵を、“必要な駒”と呼ぶ人間ではない」
「……将軍が」
「ええ。だからこそ、自分を責めているでしょう。今頃はきっと、夜も眠れずに」
黎花はその言葉に、何も返せなかった。
⸻
夜が更けた。
黎花が帳へ戻ると、灯がついていた。
「……将軍?」
「副官の容態は?」
「安定しています。ですが……」
「私の判断は間違っていたか?」
「……あなたがそう思うのなら、間違いなのでしょう」
「黎花、そなたは、私に怒っているか」
「はい。怒っています。誰かが苦しんでいるのに、無表情を装うあなたに」
静寂が落ちる。
杜若は、ふと机上の燭台を見つめた。
細い火がゆらめいている。
「これは、賀清がくれた。戦の前夜、よく眠れぬ私に“せめて明かりだけでも”と」
「……あたたかい方ですね」
「だからこそ、死なせたくなかった」
その声に、黎花は小さく息を呑む。
「将軍」
「黎花。貴女の言葉は、ときに私の鎧を溶かす。
だが、鎧を脱げば、私はただの男だ。剣もなく、盾もなく、守れぬ」
「……私は、そんなあなたを見て、はじめて心が震えます」
沈黙の中、灯火が揺れる。
杜若はゆっくりと、黎花のほうを見た。
「黎花。貴女の記す物語に、私は生きているか」
「はい。将軍は、私の中で――いえ、皆の中で、確かに生きています」
「……ならば、いつか。戦が終わったその時、
私はただの男として、貴女の隣にいても良いか」
黎花は目を見開く。
だがすぐ、微かに頷いた。
「その日が来るなら――私は、あなたの言葉を記す筆を、置きましょう」
⸻
その夜、ふたりは灯のもとで言葉を交わした。
戦火の合間に、確かに灯った小さな温もり。
それは、仮初めのものかもしれない。
けれど――
春は、どこかで確実に近づいていた。
燃え盛ればすべてを焼き、静まれば灰を残す。
その灰の上で、人はまた新たな命を営もうとする。
杜若の軍は、一度目の大勝を収めた。
敵軍を森の渓谷に追い込み、ほぼ壊滅状態にしたと報告された。
だが、その勝利の代償は小さくなかった。
特に、杜若の副官・賀清(がせい)が深手を負ったと知ったとき――黎花は、初めて声を荒げた。
⸻
「将軍、なぜ副官の退避をお命じにならなかったのですか!」
「奴は自ら志願した」
「志願したからといって、死なせていいのですか!」
杜若の眉がぴくりと動いた。
「……それが戦だ。誰かが行かねばならぬ。ならば、もっとも信じる者に頼る」
「信じることと、犠牲にすることは違います!」
ふたりの言葉が、冬の刃のようにぶつかる。
だがその夜、黎花は副官・賀清の寝所を訪れた。
彼はまだ眠らず、天井を見つめていた。
「黎花殿……生きている。信じられん」
「まだ、戦は終わっていません。ご自分の命の重さを、どうか……」
賀清はふと、笑う。
「杜若将軍は、情に薄いようでいて、実は誰より情に縛られている男です。
私のような老兵を、“必要な駒”と呼ぶ人間ではない」
「……将軍が」
「ええ。だからこそ、自分を責めているでしょう。今頃はきっと、夜も眠れずに」
黎花はその言葉に、何も返せなかった。
⸻
夜が更けた。
黎花が帳へ戻ると、灯がついていた。
「……将軍?」
「副官の容態は?」
「安定しています。ですが……」
「私の判断は間違っていたか?」
「……あなたがそう思うのなら、間違いなのでしょう」
「黎花、そなたは、私に怒っているか」
「はい。怒っています。誰かが苦しんでいるのに、無表情を装うあなたに」
静寂が落ちる。
杜若は、ふと机上の燭台を見つめた。
細い火がゆらめいている。
「これは、賀清がくれた。戦の前夜、よく眠れぬ私に“せめて明かりだけでも”と」
「……あたたかい方ですね」
「だからこそ、死なせたくなかった」
その声に、黎花は小さく息を呑む。
「将軍」
「黎花。貴女の言葉は、ときに私の鎧を溶かす。
だが、鎧を脱げば、私はただの男だ。剣もなく、盾もなく、守れぬ」
「……私は、そんなあなたを見て、はじめて心が震えます」
沈黙の中、灯火が揺れる。
杜若はゆっくりと、黎花のほうを見た。
「黎花。貴女の記す物語に、私は生きているか」
「はい。将軍は、私の中で――いえ、皆の中で、確かに生きています」
「……ならば、いつか。戦が終わったその時、
私はただの男として、貴女の隣にいても良いか」
黎花は目を見開く。
だがすぐ、微かに頷いた。
「その日が来るなら――私は、あなたの言葉を記す筆を、置きましょう」
⸻
その夜、ふたりは灯のもとで言葉を交わした。
戦火の合間に、確かに灯った小さな温もり。
それは、仮初めのものかもしれない。
けれど――
春は、どこかで確実に近づいていた。
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