『春よ、君を守りたし ―中華恋絵巻―』の番外編

文字の大きさ
6 / 11

静夜の誓い

しおりを挟む
戦は避けられた。
杜若の策と黎花の文が、敵将を退かせ、砦に平穏が戻った。
だが、その静けさは長くは続かなかった。

「都からの勅命です。黎花殿を、今すぐ宮廷へ戻すようにとのこと」

突然の報に、砦は騒然となった。

「なぜ今……」

杜若が呟く。
彼の瞳には、明らかな怒りが宿っていた。

黎花が筆で勝った。
それが都に伝わったのだろう。
だがそれは同時に、黎花という“才”が、王の下で使われるべき存在だと評価された証でもあった。

「黎花を、宮廷に戻す気はない」

「将軍、それは……逆らえば反逆の疑いも」

「かまわん。ここで彼女を失えば、この地は再び戦に沈む」

杜若は静かに言い放った。



その夜、黎花は一人、部屋の窓から空を見上げていた。

月は満ち、砦を照らしていた。
その光の下で、彼女の心も揺れていた。

「都へ戻れば、筆を以て国を支えることができる」
「けれど――杜若様と離れることになる」

まるで胸に二本の筆を突き立てるような思いだった。

ふと、戸がそっと開いた。
振り向けば、杜若が立っていた。

「……眠れぬのか」

「はい。月が……まぶしくて」

「それは嘘だな。心が揺れている顔をしている」

彼は静かに彼女の隣に座った。

「都へ戻るべきか、それともここに残るべきか」

「……将軍の元にいたい。けれど、それが王命に背くことなら」

「私が守る。貴女がどの道を選ぼうと」

杜若の声は、夜の風よりも柔らかく、確かだった。

「黎花。お前をここに引き止めたい。だが、選ぶのはお前自身だ」

「……わかっています」

「都は、筆を求める。だが、私はお前の“心”が欲しい。筆ではない。言葉ではない。……貴女そのものを」

黎花は瞳を見開いた。
杜若が、こんなにも真っ直ぐに想いを告げたのは初めてだった。

「杜若様……私も、あなたと共にありたい。筆を持つより、あなたの隣で、生きたい」

「……ならば」

杜若は、そっと懐から一枚の小さな札を取り出した。

「これは、都で働く筆の者に与えられる“身分証”だ。実は、王から先日私に届けられた」

「なぜ将軍に?」

「“もし彼女を返さぬなら、代わりにそなたが都で筆を振るえ”と、な」

黎花はくすっと笑った。

「将軍が筆を?」

「それも悪くはないかもな。お前の真似をしてみるのも」

ふたりの笑い声が、月夜の静寂を和らげていく。



その夜、黎花は決意した。

「私は、ここに残ります。王命に背くことになっても――私は、あなたを選びます」

「……その言葉を聞けて、嬉しい」

「けれど、いつかまた勅命が来たら?」

「そのときは、ふたりで都へ行こう。王に直訴する。筆だけではない、魂で訴える。それが叶わぬなら――都など捨てればいい」

黎花の瞳に涙が光った。
そしてふたりは、そっと寄り添い、指を絡める。

「静夜の誓いです。――私は、あなたと生きます」

「この命が尽きるその時まで、私は君を守り抜く」

月がふたりを照らし、風が花の香を運んでいく。

どんな未来が待とうとも、今夜の誓いだけは、永遠に変わらぬものとして――
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました

らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。 そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。 しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような… 完結決定済み

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス! ※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。 【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】

貴方の側にずっと

麻実
恋愛
夫の不倫をきっかけに、妻は自分の気持ちと向き合うことになる。 本当に好きな人に逢えた時・・・

もう一度貴方と

麻実
恋愛
大学時代に付き合った男と別れて結婚した舞子。だけども結婚生活は味気なかった。そして・・。

捨てられた妻は悪魔と旅立ちます。

豆狸
恋愛
いっそ……いっそこんな風に私を想う言葉を口にしないでくれたなら、はっきりとペルブラン様のほうを選んでくれたなら捨て去ることが出来るのに、全身に絡みついた鎖のような私の恋心を。

婚約破棄ブームに乗ってみた結果、婚約者様が本性を現しました

ラム猫
恋愛
『最新のトレンドは、婚約破棄!  フィアンセに婚約破棄を提示して、相手の反応で本心を知ってみましょう。これにより、仲が深まったと答えたカップルは大勢います!  ※結果がどうなろうと、我々は責任を負いません』  ……という特設ページを親友から見せられたエレアノールは、なかなか距離の縮まらない婚約者が自分のことをどう思っているのかを知るためにも、この流行に乗ってみることにした。  彼が他の女性と仲良くしているところを目撃した今、彼と婚約破棄して身を引くのが正しいのかもしれないと、そう思いながら。  しかし実際に婚約破棄を提示してみると、彼は豹変して……!? ※『小説家になろう』様、『カクヨム』様にも投稿しています

暴君幼なじみは逃がしてくれない~囚われ愛は深く濃く

なかな悠桃
恋愛
暴君な溺愛幼なじみに振り回される女の子のお話。 ※誤字脱字はご了承くださいm(__)m

行き場を失った恋の終わらせ方

当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」  自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。  避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。    しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……  恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。 ※他のサイトにも重複投稿しています。

処理中です...