『春よ、君を守りたし ―中華恋絵巻―』の番外編

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影を裂く風、都に忍ぶ夜

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夜の闇が、王都をすっぽりと包んでいた。

その闇のなか、ふたりの影が静かに城下へと忍び込んでいた。
ひとりは、かつて王の右腕と称えられた将軍・杜若。
もうひとりは、王族に連なる花の令嬢・黎花。

「門をくぐれば、すべてが変わる」

低くつぶやいた杜若の瞳には、燃えるような意志が宿っていた。

「あなたが望むのなら、私はどこまでも着いていきます」

黎花は、身を隠す黒衣の裾を握りしめながら答えた。

都は、変わり果てていた。

杜若が軍を率いていた頃の威厳ある町並みは、戦備に怯え、民の表情から笑顔が消えていた。

「私が、恐怖を生んだというのか……」

「あなたではありません。――この都に巣くう、偽りです」

黎花の声は静かに、だが確かな決意を持っていた。



その夜、ふたりは旧知の文官・范凌(はん・りょう)の屋敷を訪れた。

かつて杜若の親友だった男は、都に残り、内政に携わっていた。

「お前が来るとは思っていたよ、杜若」

彼はそう言って笑ったが、目の奥には憂いが宿っていた。

「王は、完全に宦官・嘉仁(か・じん)に取り込まれている。今の王宮は、毒されている」

「嘉仁か……」

杜若の拳が、机をわずかに叩いた。

「嘉仁は、王に『お前が謀反を企てた』と告げた。そして、黎花様とともに姿を消したことを“拉致”だとした」

黎花は息を呑む。

「王は……私を……」

「だが、民は信じていない者も多い。今こそ、真実を伝える時だ」

范凌は、手紙の束を取り出した。

「これは、かつてお前が都を守った功績の証と、民からの請願書だ」

杜若は、それを黙って受け取った。震える指が、静かに紙に触れる。

「まだ、終わってはいない。……黎花、覚悟はあるか」

「ええ。王に、私自身の言葉で問いただす時です」



数日後、都の広場に、ひとりの女が立った。

面紗で顔を隠し、白衣をまとい、凛とした姿のその女は――黎花だった。

「王に問いたい。この国を動かすのは、真実か、それとも虚偽か!」

集まった群衆がざわめいた。

「これは……皇女様では?」

「噂は……本当だったのか……!」

衛兵が動き出すよりも早く、杜若が人垣から現れた。

「私、杜若。王命により追われた将軍にして、真実を語る者!」

剣も持たず、彼は叫ぶ。

「我らは王に刃を向けたことはない! 民を思い、忠義を尽くしてきた。だが、今――この都は、偽りの者によって支配されている!」

その言葉に、民衆は騒然とした。

王宮からも、ついに動きがあった。

嘉仁が送り出した禁軍が、広場に迫ってくる。

「杜若将軍、拘束せよ!」

「来たか……!」

だが、杜若の元に駆け寄ったのは、かつて彼の指揮下にいた兵たちだった。

「将軍! 命に従えません。我らは、あなたに命を救われた!」

「我らは……あなたを信じている!」

民衆のなかにも声が上がる。

「杜若将軍を返せ!」

「黎花様の話を聞かせろ!」

騒乱は一気に拡がり、やがて禁軍の隊列は崩れた。

黎花は、広場の壇上に立ち、はっきりと顔を見せた。

「私は黎花。王の姪にして、真実の目を持つ者。私は、杜若様とともにある。偽りの命に従ってはならない!」

その声は、王宮まで届くような響きを持っていた。



その夜――

「……やはり、都はまだ終わっていない」

杜若は、屋敷の屋根の上で星を見つめながら呟いた。

「あなたが戻るべき場所は、ここです」

「そして、貴女が笑う場所も、ここであってほしい」

ふたりは、手を重ねた。

戦いはこれからだ。

だが、その始まりに立つ彼らは、もう一人ではなかった。
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