『春よ、君を守りたし ―中華恋絵巻―』前日譚

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第十九章

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公と私のはざまで

文政庁・大議会室。

その日、景融は筆録監督職から異動して以来、初めて“上申”という形で庁全体に訴えを起こした。

「筆録補官・杜若に対する暫定職務停止は、明確な証拠なく私情を理由に下された。これをもって、筆録制度の私物化と見なされかねない。再審査を求める」

どよめく議場。
その中央で、景融は堂々と立っていた。

老筆官たちは顔を見合わせ、やがて李元台が席を立つ。

「筆録官たるもの、私情を含まず、ただ事実を記す存在であるべき――それは、そなた自身が最も理解していたはずだ」

「理解している。だが、それと“誰が筆を取るにふさわしいか”という議論は別です」

景融の言葉に、父・元台の目が鋭くなる。

「そなたの“改革”は、今や人事にまで及んでいる。杜若ひとりのために動いていると、誰が見ても思うだろう」

「私は、彼女のためだけでは動いていません。彼女の筆が“官を映す鏡”としてふさわしいと信じているから、こうして声を上げているのです」

議場が再びざわめく。
景融は静かに一枚の帳面を掲げた。

「これが、杜若補官が最後に記した官会議録です。そこに記された内容は、一字一句、私の記憶と一致する。――筆に私情はない。それが、証です」

帳面の文字は整っており、私情や過剰な感情表現は一切なかった。

議員の一人が問うた。

「景融殿、その証言は個人の記憶に依拠する。証拠としては薄い。だが――なぜ、そこまでしてその女官を守る?」

しばしの沈黙。

そして景融は、言った。

「……私は、杜若を筆録官としても、一人の人としても尊敬している。
私情ではなく、敬意と信念だ。
その筆を、理不尽に折らせはしない」

その言葉に、場が静まった。

しばらくして元台が口を開く。

「――よかろう。再審査は認めよう。ただし、“筆の矜持”を見せてもらおうではないか」



その夜、杜若は景融の私邸を訪れた。

「……聞きました。景融さまが、議場で私の筆を“守る”と」

「違う。――“信じる”と言ったんだ」

彼は、机の上に杜若の帳面を置いた。

「この筆は、君だけのものじゃない。官も民も、すでに君の記す言葉に目を向けている」

杜若は帳面を開き、震える指で一文字ずつ読み返した。

(私の筆は……試されている)

「ならば、証明します。私は、誰にも負けない“筆”を持っていると」

景融はうなずいた。

「それができると、私は知っている」

雨は上がり、都にわずかな風が吹いていた。

そして杜若の心にもまた、ひとすじの風が――新たな覚悟となって吹き込んでいた。

(第十九章 了)
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