『春よ、君を守りたし ―中華恋絵巻―』前日譚

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第二十章

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筆、真を記す

初夏の朝、文政庁前に集まる人の波が絶えなかった。
「公開筆録会議」。
貴族や豪商、他省庁の官吏だけでなく、選ばれた民の代表もその場に立ち会うという異例の形式である。

そして、その筆を任されたのが――杜若だった。

(私は今日、筆録官として試される。景融さまが守ってくれたこの“場”に、筆で応えるしかない)

墨を摺る指先が震えている。けれど、その瞳は、かつてよりはるかに強かった。

壇上には、李元台をはじめとする老官、景融、そして各省代表たちが居並ぶ。

議題は、近年問題視されている“官位売買”の実態と、筆録制度による監視強化――つまり、景融の提案の中枢をなす議論だ。

会議が始まり、口を開いたのは経理省の統監・盧雲玄。

「筆録官の記録が制度に入り込むことは、我らの意思を縛る恐れがある。記録とは、統治の道具ではなく、補助のみに過ぎぬ」

「統治こそ記録の鏡を必要とする」と、景融が切り返す。

「権威の下で記された言葉は、いつしか民から乖離する。真に“筆録”を恐れるのは、やましい行動をとる者のみではないのか?」

「それは理想論だ!」

論戦が続く中、誰もが一人の若い筆録官の筆先を見ていた。

杜若の筆は、実に静かだった。
だが、その書きぶりは明瞭で、言葉に曖昧さがなかった。

「……第一提案者、景融殿。記録に残された『官は民に見られる存在であるべし』という発言、確認いたしましたか?」

「確認する」

「経理省・盧統監。『筆録の統治介入を認めれば、制度自体が筆に支配される』との発言も、記録として相違ありませんね?」

「……ああ。間違いはない」

そのやりとりの積み重ねが、会議に「緊張」ではなく「信頼」をもたらしていった。

会議が終わる頃には――

「筆録官の記述に異論は?」

「……ない」

「私も、この筆録を“公文”として認める」

賛意が次々と上がった。

筆録は完了した。



夕刻。文政庁裏の中庭。

景融は、木陰に座る杜若を見つけてそっと近づいた。

「お疲れさま」

「……無事、終えました。筆を持つ手は、まだ震えていますが」

「それでいい」

彼は、そっとその手に触れた。

「君が記した言葉が、今日、官を動かした。私は――そんな筆に、惚れたんだと、あらためて思ったよ」

杜若は、頬を染めながら笑う。

「……私は、あなたの言葉に支えられて筆を取った。ですから、これでやっと“対等”です」

「そうだな。では、これからは“共に筆を取る者”として――」

ふたりは、言葉少なに空を仰いだ。

その空は高く、真昼よりも深く澄んでいた。

(第二十章 了)
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