『春よ、君を守りたし ―中華恋絵巻―』前日譚

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第三十一章

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記されしは、未来か虚構か

帳の綴じ目に手をかけた瞬間、指先に微かな熱が走った。

「……これは……」

赤い封印文様が、彼女の指先の体温を感知するかのようにゆっくりと溶け、淡い金色の光を放ってほどけていく。

“未来帳術・第六式”――記録と現実の融合法。

扉を開くように、杜若は最初の頁を読んだ。

『未来帳術とは、観察・記録の積層から導き出した“予測の軌跡”を帳に刻み、
それを現実に定着させる筆法なり。記録の筆先は未来へと至る。』

ページの途中には、墨で描かれた不思議な筆の運び図が描かれていた。
まるで軌道計算のように、繊細な角度と圧力の調整が記されている。

杜若は喉を鳴らし、筆を取った。

「……この通りに、書いてみるしかない」

目を閉じ、呼吸を整え、筆を紙面にすべらせる――

「明日、文政庁の北門前にて、黒衣の男と遭遇す。
言葉を交わさず、文を一通受け取るべし――」

筆が導くままに、彼女は書いた。

そして、その瞬間だった。

ズリリ――と、筆先が紙を裂く音がした。
驚いて見れば、墨は紙に吸い込まれるのではなく、紙の奥へと沈んでいった。

「これは……墨が、紙の“未来”に落ちている……?」

その感覚はまるで、書いた内容が“まだ起きていないこと”であるという違和感を、帳自身が認識しているようだった。



翌日、夜明けとともに杜若は文政庁の北門に向かった。

霧が低く垂れこめ、人気のない石畳が広がる。

(まさか、昨日書いた通りに――)

その時、背後から足音。

振り向けば、黒衣の男が立っていた。

黙って、白封の文を差し出してくる。

(本当に……書いた通りだ)

震える手で文を受け取る。
男は何も言わず、霧の中に消えていった。

「……これが、“第六式”……」

記した未来が、現実になった。

けれどその瞬間、心の奥底にぞっとする寒気が走る。

(……本当に“私が望んだ未来”だったのか?)

文を開いた。

そこに書かれていたのは、たった一言――

「君は、書きすぎた。」



夜、景融にすべてを話すと、彼は黙ってうなずいた。

「予測の力は危うい。
記録官が“未来を記すこと”に慣れてしまえば、やがて“未来を選ばなくなる”」

杜若は、封筒を握りしめた。

「……私は、まだ書き始めたばかり。
けれど、これはただの技法じゃない。
“記録”という名の、自分自身の試練だと思うの」

景融は静かに頷く。

「筆を握る覚悟があるなら、俺は見届けよう。君がどんな未来を記していくのかを」

杜若は、心の奥で静かに誓った。

(私は、操作のために筆を取らない。
記録とは、本来、誰かの真実を守るためのものだから――)

(第三十一章 了)
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