『春よ、君を守りたし ―中華恋絵巻―』前日譚

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第四十三章

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風の帳

「……そして、少女は筆を置き、声で真実を語るようになりました」

杜若の語りは、まだ拙く、たどたどしい。
けれど、その言葉には熱があり、震えがあり、想いがあった。

声が止むと、子どもたちは一斉に拍手を送った。

「また聞きたい!」
「明日は、続きを話して!」
「声で話すお姉ちゃんの物語、ぜったい忘れないよ!」

杜若は驚き、思わず涙ぐんだ。
帳に記された物語しか知らなかった彼女にとって、誰かの心に“声で届いた”という実感は、それだけで胸を震わせる奇跡だった。

その夜、老婆がふたりの元に静かに現れた。

「……この谷には帳はないが、“風の帳”があるのじゃ」

「風の帳……?」

「人が語った声は、この谷を吹き抜ける風に乗り、東へ、西へと運ばれてゆく。
帳の筆録とは違う、“耳で聴く帳”じゃ。忘れたくない声ほど、風が覚えてくれる」

「じゃあ、わたしが語った物語も……?」

「もう、風に乗っておる。きっと――届いておるよ、どこか遠くへ」

そのときだった。

谷の外れから、一羽の鳥が飛来した。

その足には、小さな巻物が結ばれていた。
文字は古く、筆跡も不安定だが――杜若は見覚えがあった。

「これは……」

景融が顔を曇らせる。

「魏燕の筆跡だ」

杜若の背中に緊張が走った。
声の帳が、敵の耳にも届いたということだ。

彼は、まだ――生きていた。

巻物には、たったひと言だけが書かれていた。

『声は、記されずとも、焔を呼ぶ』

それは警告か、それとも挑発か。
杜若は胸の内に冷たいものを感じながらも、竹管を強く握りしめた。

「……なら、伝える。もっと多くの声を、もっと遠くへ」

帳なき地に身を置いても、彼女は“記すこと”をやめはしない。
声で、心で、命で――記録し、守るのだ。
語るたびに、“誰かの心”という帳がひとつ、またひとつ、増えていく。

そして、それはやがて中原へと、大きな風を起こしていくことになる。

(第四十三章 了)
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