『春よ、君を守りたし ―中華恋絵巻―』前日譚

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第五十六章

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揺らぐ継承

杜若の言葉に呼応するように、**蘭樹(らんじゅ)**は淡く、しかし確かな光を放った。

葉がざわめき、風が石室の中を一巡する。
それはまるで、蘭媛の記憶が、今、彼女の“記録の声”を迎え入れたかのようだった。

だがそのとき。

石室の奥から、重く低い響きが鳴り渡った。

――グゥゥン……ゴゴゴ……。

「この音……!」

来靖が振り返ったとき、石室の壁のひとつがゆっくりと開かれ、
もう一つの間が姿を現した。

音主が険しい表情を浮かべた。

「……“封刻の間”。
本来、後継者しか入ることを許されぬ場所です。
しかし、蘭樹が道を示した以上、いま、見るべきなのかもしれません」

ふたりは音主に導かれ、開いた扉の先へ足を踏み入れた。

そこは、冷たい静寂に包まれた部屋だった。
無数の“声の記録”――小さな玉のようなものが棚に納められ、
その中心には黒い石盤が横たわっていた。

「これは……?」

「“禁声石(きんせいせき)”――
かつて記録された“受け継いではならぬ声”が封じられたものです」

音主の声は震えていた。

「何が……“禁”とされたの?」

杜若が問うと、音主はゆっくりと目を閉じ、そしてこう答えた。

「――蘭媛の、最期の声です」

空気が凍りついたようだった。

「蘭媛は、声を封じた。
しかし、彼女には“継がせてはならぬ真実”があった。
それは、後の世に混乱を招くと判断された“記憶”。
……つまり、“声の術”の裏に潜む、代償」

「代償……?」

音主は黒い石盤に手を翳すと、淡い光が浮かび上がった。
まるで水面に映る幻のように、そこに一つの記憶が再現された。

――そこにいたのは、若き日の蘭媛。
そして、彼女と対峙する、黒い衣の男。

「おまえの声は、世界を揺るがす」
「だから封じねばならぬ。民の安寧のために」

蘭媛は叫ぶ。

「声は武器ではない!祈りだ!
人を癒し、導くもの……どうして、それを……!」

男の名は風槐(ふうかい)。
かつて蘭媛と共に“声の記録”を行っていた同胞――
そして、術の“完成”を恐れた者だった。

「完成すれば、声を操る者が“神”となる。
それは、争いを招く。だから封じるべきだと私は言った……!」

だが蘭媛は首を振り、涙ながらに言い放つ。

「だから私は、声を封じたのです。
けれど、誰かがいつか、正しい形で声を受け継ぐ日を信じて……!」

幻は、そこで消えた。

沈黙が落ちる。

「つまり……“声の術”には、圧倒的な力がある。
だからこそ、“継承”が争いを招く可能性もあると……」

来靖が呟いた。

杜若は、静かに手を握りしめた。

「だけど、それでも――
わたしは信じたい。
声が、祈りになる未来を」

音主は、深く頷いた。

「ならば、杜若。
あなたに試練を与えましょう。
“最後の声”を、蘭樹へ刻めるかどうかの儀式を――」

(第五十六章 了)
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