『春よ、君を守りたし ―中華恋絵巻―』前日譚

文字の大きさ
57 / 62

第五十七章

しおりを挟む
声刻の儀(せいこくのぎ)

天泉の夜は静かだった。

空は深い藍に沈み、蘭樹のある石室には、淡い光の玉がいくつも浮かんでいた。
それは過去の声の記録――声珠(せいしゅ)たちが、記録者を見守るかのように漂っている。

「これが“声刻の儀”の場だ」

音主が手を掲げると、蘭樹の根元に円形の文様が浮かび上がった。
中心には一対の小さな石座。片方に座るのは杜若。もう一方に座ったのは――来靖だった。

「え……来靖?」

杜若が驚くと、音主は微笑んで言った。

「“声”はひとりで記すものではありません。
聞く者がいて、初めて祈りとなる。
来靖殿には、記録者の“証人”となっていただきます」

来靖はうなずき、杜若の隣に静かに座った。

「いつも、お前の声を聞いてきた。だから、今度も――聞かせてくれ」

杜若は、目を閉じる。

深く、深く、息を吸い――

彼女の唇から、物語が紡がれ始めた。

「わたしは、杜若。
名もなき村の娘として生まれ、
声を聞く術を持ち、書に記す者として旅に出ました」

語りは、彼女自身の記録だった。

「多くの声を拾い、悲しみや怒り、愛や祈りを知った。
そして、わたしは“声”が人を繋ぐものだと気づいたのです」

彼女の語りに、蘭樹の葉が震え始める。
枝から光の粒が落ち、石室全体に音が響く。

「蘭媛様の想い、仲間たちの願い、
そして……来靖、あなたの言葉が、
わたしをここまで導いてくれた」

来靖が、そっと目を細める。

杜若の声は澄み、静かに力強く、石座に満ちていく。

「わたしは、これからも声を記す者であり続けたい。
争いを招くためではなく――
愛しき者を、想いを、失わせないために」

その瞬間。

蘭樹の幹が深く鳴動し、中心の文様が黄金に輝いた。
地に刻まれた“刻紋”に、杜若の声がひとすじの光となって染み込んでいく。

声が、記録された。

それは、過去と未来を結ぶ新たな“祈りの声”。

音主が静かに、深く頭を下げた。

「……杜若殿、貴女の声は確かに蘭樹に刻まれました。
それは蘭媛の遺志を受け継ぐ、初めての“後継の声”です」

杜若は言葉を失い、ただ目に涙を浮かべた。
来靖がそっと肩に手を置く。

「……お前の声は、ずっと俺が覚えている。たとえ誰が忘れても、俺が記録になる」

「……ありがとう、来靖」

ふたりの手が重なった。

そのとき、蘭樹の上空に、無数の光の粒が舞い上がる。
かつて記録されたすべての声が――ふたりの未来を祝福するように、天に昇っていく。

そして、音主は静かに告げた。

「だが、この声を妬む者が、外に潜んでいます。
風槐の末裔が、“声の力”を求めてこの地に迫っています――」

(第五十七章 了)
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あなたの片想いを聞いてしまった夜

柴田はつみ
恋愛
「『好きな人がいる』——その一言で、私の世界は音を失った。」 公爵令嬢リリアーヌの初恋は、隣家の若き公爵アレクシスだった。 政務や領地行事で顔を合わせるたび、言葉少なな彼の沈黙さえ、彼女には優しさに聞こえた。——毎日会える。それだけで十分幸せだと信じていた。 しかしある日、回廊の陰で聞いてしまう。 「好きな人がいる。……片想いなんだ」 名前は出ない。だから、リリアーヌの胸は残酷に結論を作る。自分ではないのだ、と。

悪魔な義理弟《ボディーガード》~ヤンキー校最凶犬男子の独占欲が強過ぎる~

Kore
恋愛
「余計なこと考えさせないくらい愛せば、男として見てくれる?」そう囁く義弟の愛は重くて、危険で、究極に甘い。 ———勉強が大の苦手であり、巷で有名なヤンキー高校しか入れなかった宇佐美莉子。そんな義理姉のボディーガードになるため、後追いで入学してきた偏差値70以上の義理弟、宇佐美櫂理。しかし、ボディーガードどころか、櫂理があまりにも最強過ぎて、誰も莉子に近寄ることが出来ず。まるで極妻的存在で扱われる中、今日も義理弟の重い愛が炸裂する。———

#秒恋9 初めてのキスは、甘い別れと、確かな希望

ReN
恋愛
春休みが明け、それぞれに、新しい生活に足を踏み入れた悠里と剛士。 学校に向かう悠里の目の前に、1つ年下の幼なじみ アキラが現れる。 小学校時代に引っ越した彼だったが、高校受験をし、近隣の北高校に入学したのだ。 戻ってきたアキラの目的はもちろん、悠里と再会することだった。 悠里とアキラが再会し、仲良く話している とき、運悪く、剛士と拓真が鉢合わせ。 「俺には関係ない」 緊張感漂う空気の中、剛士の言い放った冷たい言葉。 絶望感に包まれる悠里に対し、拓真は剛士に激怒。 拗れていく友情をよそに、アキラは剛士をライバルと認識し、暴走していく―― 悠里から離れていく、剛士の本心は? アキラから猛烈なアピールを受ける悠里は、何を思う? いまは、傍にいられない。 でも本当は、気持ちは、変わらない。 いつか――迎えに来てくれる? 約束は、お互いを縛りつけてしまうから、口にはできない。 それでも、好きでいたい。 いつか、を信じて。

ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました

大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――

通りすがりのエルフに求婚された貧乏男爵令嬢です〜初対面なのに激重感情を向けられています〜

東雲暁
恋愛
時はヴィトリア朝時代後期のイングランド。幻想が消え、文明と科学が世界を塗り替えようとしていた時代。 エヴェリーナ・エイヴェリーはコッツウォルズ地方の小さな領地で慎ましく暮らす、17歳の貧乏男爵令嬢。ある日父親が嘘の投資話に騙されて、払えないほどの借金を背負うはめに。 借金返済と引き換えに舞い込んできたのは、実業家との婚約。彼はただ高貴な血筋が欲しいだけ。 「本当は、お父様とお母様みたいに愛し合って結婚したいのに……」 その婚約式に乱入してきたのはエルフを名乗る貴公子、アルサリオン。 「この婚約は無効です。なぜなら彼女は私のものですから。私……?通りすがりのエルフです」 ......いや、ロンドンのど真ん中にエルフって通り過ぎるものですか!?っていうか貴方誰!? エルフの常識はイングランドの非常識!私は普通に穏やかに領地で暮らしたいだけなのに。 貴方のことなんか、絶対に好きにならないわ! ティーカップの底に沈む、愛と執着と少しの狂気。甘いお菓子と一緒に飲み干して。 これは、貧乏男爵令嬢と通りすがりのエルフの、互いの人生を掛けた365日の物語。

サリシャの光 〜憧れの先へ〜

ねるねわかば
恋愛
大商会の娘サーシャ。 子どもの頃から家業に関わる彼女は、従妹のメリンダと共に商会の看板娘として注目を集めていた。 華々しい活躍の裏で、着実に努力を重ねて夢へと向かうサーシャ。しかし愛らしいメリンダと比べられ、時には心ないことを言う者もいた。 そんな彼女が初めて抱いた淡い恋。 けれどその想いは、メリンダの涙と少年の軽率な一言であっさり踏みにじられてしまう。 サーシャはメリンダたちとは距離をおき、商会の仕事からも離れる。 新たな場所で任される仕事、そして新たな出会い。どこにあっても、サーシャが夢を諦めることはない。 一方、初恋を忘れられない少年は後悔と執着を募らせていき── 夢を諦めない少女が、もがきながら憧れへの道を選び取るまでのお話。 ※前作「ルースの祈り」と同じ世界観で登場人物も一部かぶりますが、単体でお読みいただけます。更新の合間にでもよろしければそちらも是非。 ※作中の仕事や制作物、小物の知識などは全てフィクションです。史実や事実に基づいていないことをご理解ください。

〜仕事も恋愛もハードモード!?〜 ON/OFF♡オフィスワーカー

i.q
恋愛
切り替えギャップ鬼上司に翻弄されちゃうオフィスラブ☆ 最悪な失恋をした主人公とONとOFFの切り替えが激しい鬼上司のオフィスラブストーリー♡ バリバリのキャリアウーマン街道一直線の爽やか属性女子【川瀬 陸】。そんな陸は突然彼氏から呼び出される。出向いた先には……彼氏と見知らぬ女が!? 酷い失恋をした陸。しかし、同じ職場の鬼課長の【榊】は失恋なんてお構いなし。傷が乾かぬうちに仕事はスーパーハードモード。その上、この鬼課長は————。 数年前に執筆して他サイトに投稿してあったお話(別タイトル。本文軽い修正あり)

推しと清く正しい逢瀬(デート)生活 ーこっそり、隣人推しちゃいますー

田古みゆう
恋愛
推し活女子と爽やかすぎる隣人――秘密の逢瀬は、推し活か、それとも…? 引っ越し先のお隣さんは、ちょっと優しすぎる爽やか青年。 今どき、あんなに気さくで礼儀正しい人、実在するの!? 私がガチのアイドルオタクだと知っても、引かずに一緒に盛り上がってくれるなんて、もはや神では? でもそんな彼には、ちょっと不思議なところもある。昼間にぶらぶらしてたり、深夜に帰宅したり、不在の日も多かったり……普通の会社員じゃないよね? 一体何者? それに顔。出会ったばかりのはずなのに、なぜか既視感。彼を見るたび、私の脳が勝手にざわついている。 彼を見るたび、初めて推しを見つけた時みたいに、ソワソワが止まらない。隣人が神すぎて、オタク脳がバグったか? これは、アイドルオタクの私が、謎すぎる隣人に“沼ってしまった”話。 清く正しく、でもちょっと切なくなる予感しかしない──。 「隣人を、推しにするのはアリですか?」 誰にも言えないけど、でも誰か教えて〜。 ※「エブリスタ」ほか投稿サイトでも、同タイトルを公開中です。 ※表紙画像及び挿絵は、フリー素材及びAI生成画像を加工使用しています。 ※本作品は、プロットやアイディア出し等に、補助的にAIを使用しています。

処理中です...