『春よ、君を守りたし ―中華恋絵巻―』前日譚

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第五十八章

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闇の継承者

春の風が止み、空が不意に翳る。

杜若が“声刻の儀”を終えて間もなく、天泉の外れにある山門に、黒い影が現れた。

その姿は、まるで夜そのもののように静かで――
だが、その背に負った漆黒の杖から放たれる力は、周囲の空気すらも震わせていた。

「ようやく、この地にたどり着いたか……」

その男――名を**風連(ふうれん)**という。

彼は、かつて蘭媛と袂を分かち、「声の術」を危険視し、それを制するために記録を封印した**風槐(ふうかい)**の末裔だった。

彼の目的はただ一つ。

「声の記録」――そのすべてを掌握すること。

風連は、低く呟いた。

「蘭媛の“最後の声”が記されたと聞いた。ならば、それを奪いに来たまでだ」

その背後には、無数の黒衣の者たち。
声を操る術ではなく、声を封じ、ねじ曲げる力を持つ者たち――“黙徒(もくと)”。

彼らは、蘭樹を“封じる”ために動き出していた。



その頃、杜若たちはまだ石室にいた。
来靖は外の気配に眉をひそめる。

「……何者かが近づいている」

音主もすぐに異変に気づき、手元の石鏡を浮かび上がらせた。

その鏡に映ったのは、まさしく山門を越えて侵入する風連と黙徒たちの姿。

「やはり来たか……“封印派”の継承者たちが……!」

音主の顔が険しくなる。

「彼らは、“記録された声”を封じ、消し去ろうとしているのです。
“声の自由”を脅威と捉え、自らが管理しようと――」

杜若は唇を強く噛みしめた。

「だったら、守らなきゃ。わたしが……この声を、蘭媛様の願いを」

来靖が静かに立ち上がる。

「俺も行く。お前の声は、俺が守る。何があろうとも」

音主が制するように手を挙げた。

「風連は、ただの術者ではない。
“封音(ふうおん)”――声を聞く者の心を乱す力を持つ。
杜若殿、あなたが直接対峙するのは危険です」

だが、杜若は首を振る。

「いいえ。
わたしは“声を記す者”。
だからこそ、逃げるわけにはいかない」

その瞳には、確かな決意が宿っていた。

音主は黙し――やがて、静かに頷いた。

「……ならば、“語護の鈴(ごごのすず)”を持って行きなさい。
それは記録者を守る唯一の術具。蘭媛様が最後に遺されたものです」

渡された鈴は、銀に輝き、小さな清らかな音をたてて鳴った。

杜若がそれを手にすると、不思議なことに、心が澄み渡るような感覚が広がっていく。

「行こう、来靖」

「……ああ。
お前の声は、俺の剣が守る」

ふたりは、蘭樹のもとを後にし、
迫り来る闇の継承者たちとの戦いへと向かっていった――

(第五十八章 了)
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