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第五十九章
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声を封ずる者
天泉の谷に、不穏な風が吹き荒れていた。
黒衣の集団“黙徒”が、蘭樹へと至る聖域に足を踏み入れたとき、空はどす黒い雲に覆われ、木々の葉すらざわめきを止めた。
その中心に立つ風連の目は、深い憎悪と確信に満ちていた。
「“声”とは、混乱を招く毒だ。
それを残すからこそ、人は過去に囚われ、争いを繰り返す。
――我らは、その鎖を断つ」
彼の足元には、過去に記録された声珠の欠片が、無残にも砕かれていた。
それは、蘭樹の周囲に代々蓄積された“祈りの証”。
封音の術によって破壊されれば、記憶された声は二度と戻らない。
◆
そのとき――
「それ以上、触れないで」
杜若の声が、風を切って響いた。
山門の先に現れた杜若と来靖は、風連の前に真っ直ぐ立ちはだかった。
「声を奪うなんて、間違ってる。
誰かの想いを記したものを、勝手に消し去るなんて――それは、命を奪うのと同じ」
風連の目が細められる。
「……お前が“記録の巫女”か。
愚かな女だ。声などに意味はない。
想いも言葉も、人の心を乱す因子にすぎぬ。
だから我々は、それを“封ずる”」
「じゃあ聞かせて、あなた自身の“声”を。
あなたはなぜそれを選んだの?」
一瞬、風連が言葉に詰まった。
だが次の瞬間、彼の杖が地を打つ。
「……問答は不要。お前の声ごと、沈めてやろう」
黒い衝撃波が走り、杜若たちへと押し寄せる。
来靖が咄嗟に杜若をかばい、剣を抜く。
風の刃がぶつかり合い、地面が裂ける。
「来靖!」
「大丈夫だ……下がってろ、杜若!」
来靖が風連に剣を振るうも、封音の力が空間を歪め、攻撃が届かない。
風連の術は、音の“道筋”を捻じ曲げ、力を封じる。
術だけでなく、言葉すら――発せられぬようにするのが“封音”の真骨頂だった。
◆
そのとき、杜若は手にした語護の鈴を強く握った。
――“音を正しく導くもの”――
それが、この鈴に込められた力。
杜若は目を閉じ、深く息を吸う。
「……風連。あなたの中にある“本当の声”を、わたしに聞かせて」
その声はまっすぐだった。
風連の術が襲いかかる刹那、鈴が澄んだ音を鳴らした。
――チリン――
その一音が、空気を変えた。
風連の術が鈴の音に乱され、空間の歪みが収まっていく。
「……なに……?!」
杜若が静かに前に出る。
「あなたは、何かを封じたいんじゃない。
――自分の声に、耳を塞いでいるだけじゃないの?」
その言葉に、風連の目が揺れた。
「黙れ……黙れ……っ!」
彼は怒りと共に、過去の傷を想起する。
◆
かつて彼の母は“記録の声”によって、民衆の怒りの的となった。
真実を記録したがゆえに、誤解され、亡くなった。
「声など……真実など、意味はない……っ! 誰も、理解などしないのだから!」
その慟哭に、杜若はそっと手を伸ばした。
「それでも、わたしは記す。
あなたの声も――消さずに、記録する」
彼女の掌から、温かい光が生まれる。
それは“祈りの記録”。
争いすらも忘れず、傷をも記して、未来へ渡すための力。
風連は――その光を前に、崩れるように杖を落とした。
「……なぜ……そんな目で、俺を……」
「だって、あなたの声を、聞いたから」
杜若の言葉に、風連は初めて――涙をこぼした。
(第五十九章 了)
天泉の谷に、不穏な風が吹き荒れていた。
黒衣の集団“黙徒”が、蘭樹へと至る聖域に足を踏み入れたとき、空はどす黒い雲に覆われ、木々の葉すらざわめきを止めた。
その中心に立つ風連の目は、深い憎悪と確信に満ちていた。
「“声”とは、混乱を招く毒だ。
それを残すからこそ、人は過去に囚われ、争いを繰り返す。
――我らは、その鎖を断つ」
彼の足元には、過去に記録された声珠の欠片が、無残にも砕かれていた。
それは、蘭樹の周囲に代々蓄積された“祈りの証”。
封音の術によって破壊されれば、記憶された声は二度と戻らない。
◆
そのとき――
「それ以上、触れないで」
杜若の声が、風を切って響いた。
山門の先に現れた杜若と来靖は、風連の前に真っ直ぐ立ちはだかった。
「声を奪うなんて、間違ってる。
誰かの想いを記したものを、勝手に消し去るなんて――それは、命を奪うのと同じ」
風連の目が細められる。
「……お前が“記録の巫女”か。
愚かな女だ。声などに意味はない。
想いも言葉も、人の心を乱す因子にすぎぬ。
だから我々は、それを“封ずる”」
「じゃあ聞かせて、あなた自身の“声”を。
あなたはなぜそれを選んだの?」
一瞬、風連が言葉に詰まった。
だが次の瞬間、彼の杖が地を打つ。
「……問答は不要。お前の声ごと、沈めてやろう」
黒い衝撃波が走り、杜若たちへと押し寄せる。
来靖が咄嗟に杜若をかばい、剣を抜く。
風の刃がぶつかり合い、地面が裂ける。
「来靖!」
「大丈夫だ……下がってろ、杜若!」
来靖が風連に剣を振るうも、封音の力が空間を歪め、攻撃が届かない。
風連の術は、音の“道筋”を捻じ曲げ、力を封じる。
術だけでなく、言葉すら――発せられぬようにするのが“封音”の真骨頂だった。
◆
そのとき、杜若は手にした語護の鈴を強く握った。
――“音を正しく導くもの”――
それが、この鈴に込められた力。
杜若は目を閉じ、深く息を吸う。
「……風連。あなたの中にある“本当の声”を、わたしに聞かせて」
その声はまっすぐだった。
風連の術が襲いかかる刹那、鈴が澄んだ音を鳴らした。
――チリン――
その一音が、空気を変えた。
風連の術が鈴の音に乱され、空間の歪みが収まっていく。
「……なに……?!」
杜若が静かに前に出る。
「あなたは、何かを封じたいんじゃない。
――自分の声に、耳を塞いでいるだけじゃないの?」
その言葉に、風連の目が揺れた。
「黙れ……黙れ……っ!」
彼は怒りと共に、過去の傷を想起する。
◆
かつて彼の母は“記録の声”によって、民衆の怒りの的となった。
真実を記録したがゆえに、誤解され、亡くなった。
「声など……真実など、意味はない……っ! 誰も、理解などしないのだから!」
その慟哭に、杜若はそっと手を伸ばした。
「それでも、わたしは記す。
あなたの声も――消さずに、記録する」
彼女の掌から、温かい光が生まれる。
それは“祈りの記録”。
争いすらも忘れず、傷をも記して、未来へ渡すための力。
風連は――その光を前に、崩れるように杖を落とした。
「……なぜ……そんな目で、俺を……」
「だって、あなたの声を、聞いたから」
杜若の言葉に、風連は初めて――涙をこぼした。
(第五十九章 了)
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