智慧の魔女の放浪譚〜活字らぶな黒髪少女は異世界でのんびり旅をする。精霊黒猫を添えて〜

嘉神かろ

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二の浪 アインスの街②

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 少しワクワクしながら大きな観音開きの扉を開く。思ったよりも重いけれど、開けるのに苦労するほどではない。

「ん、何だこの匂い?」

 開けた瞬間に隙間から漂ってきた香りに、思わず手を止め目を見開いた。アストは嗅いだことが無いようで首をかしげているが、これは私求めていたモノの一つに間違いない。

「お酒よ」

 自然と上がる口角。これは、果実酒だろうか。甘酸っぱい香りが混じっている。美味しいお酒に巡り合える予感だ。

「ああ、前に言ってたやつ?」
「そうそう」

 美味しいものだと聞かせていたからか、アストもすっかり顔を出して中を覗き込もうとしている。世界各地の美味しいお酒、これが世界を見て回りたい理由の一つだ。あとは物語の本とチョコレート。いい加減、物語も読みたいしチョコも食べたい。切実に。非常に。とっても。チョコレートがこの世界にあるかは分からないけれど、あのカノカミの作った世界だ。あるに違いない。いや、絶対ある。

 と、思考が逸れてしまった。半端に扉を開けた状態で固まる少女、傍から見ると不審者だ。
 何でもなかった風を装って、扉を開けきる。中は予想通り、酒場の併設されているタイプだった。
 入ってすぐの所から受付の人がいるカウンターまでは結構広くて、大きな得物を運ぶにも苦労し無さそう。全体的に黒ずんだ木製。右手の方が酒場になっているみたい。

「よう嬢ちゃん、その扉、重かったろ」

 顔を紅潮させた三十くらいの人族の男性が話しかけてきた。酔っている事を考慮しても魔力の揺らぎが大きいし、あんまり強くなさそう。悪意は感じないから昔のウェブ小説でよくあったような絡まれテンプレでは無いみたい。

「依頼なら左手の方の受付だぜー」
「ありがとう、でも今日は登録に来たの」
「登録? 嬢ちゃんが? 嬢ちゃんくらい可愛けりゃ他にも仕事はあるだろ? 冒険者は危険だぞ?」

 本気で心配してくれてるみたい。この街は、親切な人が多いのかもしれない。いずれはどこかに定住するつもりだし、候補にいれようかしら?

「心配すんなって、あの嬢ちゃん、たぶん俺より強いぞ」
「レイダよりか? 人は見た目に寄らねぇもんだな……。悪かったよ、嬢ちゃん、でいいかは分からねぇけど。登録なら正面の受付に行きな」
「気にしないで、幼く見えるのは分かっているから。ありがとう」

 敵を作る趣味は無いし、微笑んで気にしていない事をアピールしておく。二人目の金髪男性も一人目と同じくらいの年齢に見えるけれど、魔力の揺らぎが少なくて隙も私には分からない。同じくらいの強化の純粋な近接戦闘じゃ確実に私より強いし、ライカンスロープくらいなら難なくあしらいそうね。
 ちなみに、今魔力を視認している力はアストと家族になった事で手に入れたものだ。精霊や亜精霊と契約を結べば誰でも得られる〈魔力視〉と言う力で、珍しくは無い。

「すみません、冒険者への登録をお願いします」
「はい、ではこちらに記入をお願いします」

 年齢に関しては下限の規定があったはずだが、受付のお姉さんも先ほどのやり取りを聞いていたのだろう。とやかく言われることは無かった。
 さて、ここで問題発生。すっかり忘れていた。

「ソフィア、どうかした?」 
「まあ、ちょっとね」

 文字の勉強を忘れていたのだ。話す聞く読むは『智慧ちえの館』の検索機能が自動的に翻訳してくれているようで、不自由はしていない。初めて命のやり取りを見た時、男性の言葉が分かったのも気のせいではなかったという事だけれど、それはいい。問題は、書く時。
 とりあえず、ここにある内容は『智慧の館』の検索内容からどうにか探そう。

「ふぅ……」

 我ながら不格好な文字だ。大方を埋めるのに時間もかかってしまった。暇をしたアストが帽子の中から出てくるくらいには掛かった。突然机の上に乗った彼にお姉さんは驚いていたけれど、特に何も言われなかった。
 あとは……。

「この従魔と使い魔ファミリアの欄が分かれているのはどうして? それと、信仰の欄も書かないといけない?」
「その二つが分かれているのは、主に信仰の関係ですね。特に亜精霊などの場合、宗派によって扱いが変わるので……」

 なるほど、従魔と使い魔だと後者の方がより対等な関係を意味して使われるらしい事を考えたら、必要かもしれない。例えば獣人族は聖獣と信仰する亜精霊を従魔と言うには抵抗があるだろう。そうでなくても個人の思想で家族扱いをしている仲間を従魔と呼ぶ事を嫌がる人がいても不思議では無い。

「そういう事なら、使い魔ファミリアね」

 ファミリアの欄に私がつけたアストの名と種族名、精霊猫を出来るだけ丁寧な、けど不格好な文字で書き込む。

「宗教の方はそれによって回せる仕事回せない仕事が出てくるので、極力書いてほしい欄です。特に強いこだわりが無いのであれば、グラシア教か三女神と書いておいていただければ」

 まあ、この世界の最高神である女神を始めとした三女神と、それに連なる神々や精霊を大雑把に信仰するのがグラシア教だ。戒律も緩く、とりあえずで書いても許されるので従っておこう。実際、一番真実に近い宗派であるし。

「いやー、楽ですよね、グラシア教。ちなみに私の推しは三女神が次女、『黒の女神』様です」
「そ、そう……」

 推しって……。いくらなんでも緩すぎないかしら? お姉さん、少し涎垂らしているし。
 なんだかお姉さんが語りだしそうだったので、申込用紙を押し付けて手続きをお願いする。よく考えたら代筆もお願いできたのだろうけれど、まあいいか。
 最後に書き込んだ情報と個人差のあるらしい魔力の波長、魔力紋をギルドカードに登録したら完了だ。
 少し時間がかかるらしいので、お姉さんが語りだす前に酒場エリアの方へ移動する。今からお酒を飲む気は無いけれど、何か摘まみたい程度にはお腹が空いていた。

 すぐに出せると言われた中からいくつか頼んで、近くの席に移動する。聞いたことの無いような料理ばかりだったけれど、『智慧の館』のお陰でどういった物かは分かった。頼んだのは芋類の揚げ物と果実の盛り合わせ、それから薬草茶だ。この辺りだと植物油が豊富に採れるようで、揚げ物は値段も手頃な上にアッサリしていて私好みだった。果実は森の暮らしでもよく食べていたモノ。お茶はルイボスティーに近かった。

「ふぅ、なかなか美味しかったね、ソフィア」
「うん。そういえばあなた、タマネギは平気なのね」
「タマネギってこれ? どうして?」
「猫には毒よ、これ」
「いや、僕は精霊猫で猫じゃないし」

 そういう感じなんだ。まあ、大丈夫ならいいのだけれど。

 さて、そろそろ呼ばれるだろうか?
 そう思って受付の方を見ようとしたら、入口の扉の開く気配がした。顔を向けると、入ってきたのは四人の子どもたち。日本人ならもうすぐ高校を卒業するくらいだろうけれど、ここの基準だともう少し下かな? 犬の獣人族、犬人族の男の子一人と狐人族の女の子が一人、それから人族の男女だ。

「お、来たな、ガキども」
「レイダさん、俺たち十六歳になったぜ!」
「知ってるよ、おめでとさん」
「あー! もうお酒飲んでる! 私たちとの約束忘れてないよね!?」

 先ほど声をかけてきた二人はあの子たちを待っていたみたい。彼らもこれから冒険者に登録するのね。その後二人に付き添ってもらって装備を揃えに行くみたい。それはあの男の人も怒られる。

「賑やかだね、街って」
「どこもこうじゃないわ。いい街よ、ここは」

 まだこのアインス以外実際に見たことは無いけれど、ざっくり見る事のできたこの世界の歴史を考えるとね。

「ソフィエンティアさーん、出来ましたよー!」

 あ、呼ばれた。子どもたちはまだおじさん二人の所でわちゃわちゃとしている。微笑ましいから見ていても良いのだけれど、宿も決めたいし、受け取ったらさっさと出よう。

「どうぞ、こちらがソフィエンティアさんのギルドカードです。それから、規約書ですね」
「ありがとう」

 この規約も、文字の読めない人相手には口頭で伝えるらしいのだけれど、私としてはこちらが嬉しい。文字だから。実はもう『智慧の館』で読んだのだけれど、それはそれ、これはこれ。アストから少し呆れた様な視線を感じるけれど、きっと気のせい。うん、そうに違いない。

「それで、ソフィエンティアさんは認定試験の事はご存じですか?」
「はい、受験を希望します」

 認定試験は、いわば飛び級試験だ。本来なら下のランクから地道に上げていかなければいけない所を、実力に合わせてスキップできる。とは言え、国家レベルの信用がある組織だから、上限はある。一定ランクより上は実績が必要、つまり依頼などをこなしてギルドの信用を得なければいけない。まあ、認定試験で他の、例えば戦闘力なんかの条件を満たした扱いにする事は出来るのだけれど。

「分かりました。次の試験は一週間後になりますが、そちらでよろしいですか?」

 一週間。その間に文字を覚えなければいけないけれど……まあ大丈夫か。幸いこの世界の共通文字は漢字のような表意文字ではなく、平仮名やアルファベットのような表音文字だ。単語は『智慧の館』があるし、文字と簡単な文法だけ覚えるなら余裕だろう。

「はい、大丈夫です」
「では受付しておきますね」
 
  お姉さんにお礼を言って、踵を返す。後ろで子どもたちの並ぶ気配を感じたし、あまり長居しては可哀そうだ。実際、すれ違ったときに見た子どもたちの瞳は待ちきれないといった様子できらきらと輝いていたし。
 ちなみにだけれど、ランクは神聖文字を使った表記でGから順にAときて、最高がSランクとなっているらしい。ランク表記にだけ使われる神聖文字だけれど、どう見てもアルファベットだ。案外、三女神も地球からの転生者なのかもしれない。カノカミが干渉しただけだとしても疑わないけれど。

 宿はギルドの近く、森側の門に向う道にあった所にした。今の手持ちで丁度一週間分の料金だ。ギルドで聞くのを忘れていなかったらもっと良い宿を聞けたかもしれないけれど、仕方がない。
 本やチョコレートがあれば買いたいし、後で手持ちの薬草でも売る事にする。調薬も多少は学んだけれど、相場を体感できるまでは売らない。何かあったら面倒だし。
 さて、明日からは街の散策をしつつ、物語の本とチョコレートを探そう。それと、お酒の美味しいお店。

 翌朝、チクチクする感覚で目が覚めた。少しの気怠さを感じながら、体を起こす。

「ん、おはようソフィア。このベッド、ちょっと痛かった」
「そうね。今晩はロングコートを敷いて寝よ。それかいい感じの布を買う」
「それがいいよ。くぁ……」

 起きてしまえばこの体はすっと目が覚める。血圧の低かった前世とは大違いの目覚めだ。正直とてもありがたい。
 軽く伸びをしてから、衣類に[浄化]の魔術をかけてコートを羽織り、部屋を出た。
 魔導の内の、人間種族が体系化した魔術という枠組み。その中にはけっこう便利魔術もあって、[浄化]もその一つだ。[氷槍]みたいな魔術は魔導で我流にしても問題ないというか、私くらいの魔力と魔力操作力になるとその方が効果が高くなるんだけれど、便利な生活魔術の類は体系化された魔術の方が効率的で面倒が少ない。

 アストはまだ半分寝惚けているけれど、帽子の中で眠ったりしないかしら? 流石に落としてしまいそうなので、しっかり起きて欲しい。
 そんな事を思いながら、ギルドへ向かって薬草類を換金する。量は無かったけれど、適切に処理した珍しいものだ。それなりに高く売れた。
 本は高そうだし、お金はいくらあってもいい。
 
 そうだ、買い物に行くなら、ついでに精霊のいたずら鞄を作りたい。いわゆる魔法の鞄で、精霊鞄って略される事が多い。実際には精霊は関係ないんだけれどね。だから可愛い鞄さえ見つかれば、私の手で作ることが出来る。

 そんな感じで意気揚々と街に繰り出したんだけれど……。

「本だけ、見つからない……」
「この街には無いんじゃない? そんな事よりさ、このココアってやつ、お代わり頼んでいい?」
「……ええ、どうぞ。私も貰おうかしら?」
「やりぃ!」

 お昼過ぎ、私たちはギルド近くのお食事処で遅い昼食をとった後、そのまま一服させてもらっていた。
 うん、何時間か歩き回って、チョコレートは見つけたの。いい感じの肩掛け鞄も。猫をイメージしたデザインの可愛いやつ。
 でも、本だけ見つからない。あんなに探し回ったのに、私は悲しい……。

「暗いなぁ。無いものは仕方ないでしょ」
「そうだけれどね? はぁ」

 なんか釈然としないのだけれど、アストの言う事も間違っていない。まあ、あんまり興味ないだけだと思うのだけれど。
 それにしても、なんだか微妙な時間ね。そういえばギルドに訓練場があるみたいだし、この子の訓練でもしようかしら? 精霊猫は本来家族から魔力の扱いと魔導を教わるのだけれど、幼いうちに家族から離れてしまったこの子には私が教える必要があるのよね。
 私自身の訓練は、今こうしている間も続けている。
 資料室もある筈だから、そこで文字の練習をしても良いのだけれど……。

 アストに聞いてみたら、訓練をしたいと言うので訓練場にやってきた。バスケットコートを三面は余裕で取れそうな広さで、今は五、六人が利用しているみたい。端っこの方を使わせてもらおう。
 アストの訓練は、基本的には見守るだけ。理屈は一通り教えてあるから。必要があれば都度修正はするけれど。
 ただ見ているだけでは暇なので、彼の横で杖術の基本動作を繰り返す。強化は行わず、ゆっくり動きを確かめる様にだ。
 ながらでの指導にはなるけれど、彼の怪我が回復してからもう一年近くずっとやっている事だし、私自身の魔力察知の訓練にもなる。

 そんな感じで十分くらい経った頃だろうか。覚えのある気配が訓練場に入ってきた。まあ、わざわざ挨拶するような間柄でもないから、このまま訓練を続けるけれ……うん? こっちに向ってきてる。私、何かしたかしら?

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