婚活に疲れたアラサーOLの私、癒やし的存在の弟分(高校生)に「もう待てない」と外堀を埋められています ~10年分の執着は、甘すぎて重すぎる~

ダルい

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第六話

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西園寺さんとのデートから数日が経った。
 私は相変わらず、会社と家の往復を繰り返している。
 ただ、少しだけ変わったことがある。
 それは、私の「避難所」である隣人の様子だ。
「……湊、また勉強してるの?」
 二十一時過ぎ。
 いつものように503号室(湊の家)で夕食を食べ終えた後、私はダイニングテーブルに向かう彼の背中に声をかけた。
「うん。来週、模試があるから」
 湊は振り返らず、シャープペンシルを走らせ続けている。
 広げられているのは、高校一年生が使うには難解すぎる数学の参考書と、分厚い英単語帳だ。
 これまでの湊は、私が部屋に来ている間は、ずっと私に構ってくれていた。
 今日あった出来事を聞いてくれたり、テレビを見ながら他愛のない話をしたり、マッサージをしてくれたり。
 けれど、ここ数日は様子が違う。
 夕食やお風呂の準備といった「私のお世話」は完璧にしてくれるのだが、それが終わるとすぐに机に向かってしまうのだ。
(……受験生でもないのに、偉いなぁ)
 私は淹(い)れてもらったハーブティーを啜(すす)りながら、彼の背中を見つめた。
 広い肩幅。骨張った背骨のライン。
 Tシャツから伸びる腕には、部活で培った程よい筋肉がついている。
 黙って座っていると、なんだか彼が遠い存在のように感じてしまう。
 西園寺さんとのデートの夜、あんなに熱っぽく足を触ってきた彼とは別人のようだ。
 シャープペンシルが紙を擦る音だけが、部屋に響く。
「……あんまり無理しちゃダメだよ? まだ一年生なんだから」
 静寂に耐えきれず、私はつい母親みたいな小言を言ってしまった。
 すると、湊の手がピタリと止まる。
 彼はゆっくりと椅子を回転させ、私の方に向き直った。
 目の下に、少しだけ隈(くま)ができている気がする。
「無理しないと、追いつけないから」
「え?」
「結衣姉の周りにいる『大人』たちと対等に話すには、普通にやってちゃダメなんだよ」
 その瞳は、真剣そのものだった。
 ドキリとする。
 彼の言う「大人」の中に、西園寺さんの姿が含まれている気がした。
「……どういうこと?」
「俺はまだ高校生だ。結衣姉においしいご飯をご馳走する金もないし、何かあった時に守れるような社会的信用もない」
 湊は悔しそうに拳を握りしめた。
 その言葉は、彼自身の無力感への苛立ちに聞こえた。
「だから、最短ルートを行く。一流大学を出て、誰からも文句を言われないキャリアを作る。……そうしないと、いつまで経っても子供扱いでしょ?」
 淡々と、けれど熱のこもった口調。
 それは私への愛の告白というよりは、彼自身のプライドをかけた「自分への宣戦布告」のようだった。
「子供扱いなんて……湊はもう、立派な男の子だよ。私なんかよりずっとしっかりしてるし」
「そういう慰めはいらない」
 湊が立ち上がり、私の前のソファに座り込んだ。
 テーブルに置かれた私の手に、自分の手を重ねる。
 彼の手は、私よりもずっと大きくて、熱い。
「十三歳の差は埋まらない。でも、中身や経済力なら、努力次第で埋められるかもしれない」
「みなと……」
「だから、もし俺が大人になって、一人前の男になれたら……その時は」
 湊はそこで言葉を切った。
 何かを言いかけて、飲み込んだように見えた。
 長い睫毛(まつげ)が震えている。
「……ううん、なんでもない。とにかく、俺はもっと頼れるようになりたいんだ。結衣姉が困った時に、一番に相談してくれる相手でいたいから」
 ズキン、と胸が痛んだ。
 なんて健気なんだろう。
 私は西園寺さんという「完成された大人」に揺らいでいたのに、湊は「これから完成させる未来」を、私のために捧げようとしてくれている。
 告白されたわけじゃない。
 「好きだ」と言われたわけでもない。
 でも、この「一番になりたい」という言葉は、どんな口説き文句よりも、私の心の柔らかい部分に深く突き刺さった。
「……わかった。応援するよ」
 私は精一杯の笑顔を作って、彼の頭を撫でた。
「湊が立派な大人になるの、楽しみにしてる。……だから、体だけは壊さないでね」
「うん。……ありがとう、結衣姉」
 湊は目を細めて、私の掌(てのひら)に頬を擦り寄せた。
 いつもの「甘えん坊の弟」の顔に戻っている。
 でも、さっき見せた野心的な眼差しを、私はもう忘れられそうになかった。
「あと十分休憩したら、また勉強に戻るよ。……だから、それまでは充電させて」
 そう言って、湊は私の肩に頭を預けてきた。
 重みと、体温。
 柔軟剤の優しい匂い。
 
 この子が大人になった時、私は一体、どんな顔をして隣にいればいいのだろう。
 「一番になりたい」と言いながら、誰よりも私を縛り付けてくるこの隣人に、私はどうしようもなく惹かれ始めているのかもしれない。
 ***
 翌日。
 会社での昼休み。
 私はスマホの画面を睨んでいた。
 西園寺さんからのメッセージだ。
『先日はありがとう。また食事でもどうかな? 来週、美味しい和食の店を見つけたんだ』
 スマートな誘い。
 昨夜の湊の言葉――「対等になりたい」という悲痛な決意を聞いた後だと、この余裕のある文面が、どこか他人の言葉のように響く。
「……はあ」
 私は返信を打とうとして、指を止める。
 断る理由がない。
 でも、行きたい理由もない。
「どうしたの結衣、死にそうな顔して」
 声をかけてきたのは、同僚であり腐れ縁の親友、真紀(まき)だった。
 既婚者で二児の母。社内事情にも詳しい彼女は、私のスマホを覗き込んでニヤリと笑った。
「おっ、噂の商社マン? いいじゃん、脈ありまくりじゃん」
「……そうなんだけどね」
「何よその反応。贅沢な悩みねぇ。三十路前の婚活なんて、戦場よ? 掴める藁(わら)は金剛石でも掴む勢いでいかなきゃ」
 真紀はカフェラテを啜りながら、現実的なアドバイスをくれる。
 彼女の言う通りだ。西園寺さんは金剛石(ダイヤモンド)だ。
 逃せば、二度とこんなチャンスは巡ってこないかもしれない。
「でもさ……なんか、違う気がして」
「違う? 何が?」
「なんていうか……私が私じゃなくなっちゃうような、そんな感じ」
 うまく言葉にできない。
 湊と一緒にいる時の、あの「だらしない自分」を許されている感覚。あれを知ってしまった今、常に気を張らなければならない関係に飛び込むのが怖いのだ。
「あんたねぇ……。結婚なんて、生活よ? ときめきとか自分らしさとか、そんなの二の次三の次。相手が稼いでくれて、暴力を振るわなくて、浮気しなけりゃ御の字なの」
 真紀の言葉には、結婚生活のリアリティという重みがあった。
 彼女もまた、家庭内で色々と苦労していることを私は知っている。
「……そっか。そうだよね」
「そうよ。……ま、あんたには『可愛い癒やし』がいるから、感覚が麻痺してるのかもね」
 真紀がからかうように言った。
「隣の高校生くん。まだ仲いいんでしょ?」
「っ! う、うん。まあ、弟みたいなもんだから」
「弟ねぇ……。気をつけてよ? 男の子なんて、いつ狼に化けるかわかんないんだから」
 真紀の忠告は、昨夜の湊の真剣な瞳を思い出させ、私の胸をざわつかせた。
 狼。
 そうかもしれない。
 彼はもう、私が守ってあげるべき「羊」の皮を脱ぎ捨てようとして、必死に牙を研いでいるのかもしれない。
 私は西園寺さんへの返信を、とりあえず「スケジュールを確認します」と先延ばしにした。
 今の私には、まだ何も選べそうになかった。
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