黒豚辺境伯令息の婚約者

ツノゼミ

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黒豚令息と訳あり令嬢の学園生活〜怒涛の進学編〜

ナイトメア

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エリックが急いで鍵を取りに行き、書斎を開けると中はもぬけの殻。
脱ぎ捨てられた服と開け放たれた窓。
そしてデスクの上に走り書きの短い手紙が1枚。

『行ってきます。また、しばらく帰りません。D.D』

エリックに箱を開けさせている隙に色々仕込んでいたのだろう。
自分が持てる唯一の魔道具に思いつく物をありったけ詰め込んで、デイビッドは邸を抜け出した。

駆けつけたカトレア夫人は、その場でへたり込んでしまい、侍女達が慌てて支えていた。

「申し訳ありません!私が目を離してしまったばかりに…」
「仕方がありません…どうせ出し抜かれたのでしょう?歳の近い貴方になら少しは懐くかと思って何もしなかった私達の落ち度です…それにしても、まさか自分の誕生日に出て行くなんて…」

肩を落とすカトレアは、後を使用人達に任せて自室に閉じこもってしまった。

この時、年下のクソガキに一杯食わされ、主人の期待に応えるどころか悲しませる結果になってしまったエリックのプライドはズタズタに引き裂かれ、表には出さないが心の内は荒れに荒れていた。
最後に見せたあの笑った顔を思い出すだけで腸が煮えくり返る。
ほとんど初めて味わった失敗と挫折、そして敗北感。
学生時代は憎悪の対象としてひたすら恨み続けた。

しかし成長と共にその感情は恥と後悔に変わっていった。
(ちなみに、この4年後再会した際に、デイビッドがこの時のことを欠片も覚えていなかった事にも重ねてショックを受けた)

今でも思い出す度に気が滅入る。
所謂「黒歴史」だ。

夢の中、いつもはこの辺りで目が覚めるはずが、エリックの意識は更に深く沈んで行ってしまった。


朝になってもエリックは目を覚まさず、呼吸が荒くなりついに高熱が出た。
流石のデイビッドも心配していると、そこへシェルリアーナが駆け込んで来た。

「大変よ!!ナイトメアが盗まれたわ!」
「ナイトメア?!」
「魔法棟で厳重に管理されていたはずなのに、今朝鍵が壊されていたそうよ。知らせを受けて気配を追ってたらここまで来たの!2人共無事?」

ナイトメアとは人に悪夢を見せる現象の総称だ。
種類はざっくり分けて2つ。
魔族や魔物が人の生命力や魔力を吸収するため、何らかの方法で精神を操作している場合と、偶然人の精神にそう作用してしまう性質を持った魔性の動植物の影響を受けてしまった場合。

「一足遅かったな…エリックがヤバい。」
「熱まで出ているの?まずいわね…今回盗まれたのは“闇夜の蝶”よ…」
「………?」
「知らないなら知らないって言いなさいよ!!首傾げてないで!!」

“闇夜の蝶”は異称で、何種類かの夜行性の蝶を指す。
共通する特徴は、美しい光沢のある黒い翅に、黄色と青の模様と長い尾状突起が目立ち、雄は特に妖艶な姿をしていること。
鱗粉に含まれる成分が人の精神に強く作用し、悪夢や幻覚を見せるので取り扱いが難しく、第一級指定魔性生物として扱われている。

「ドライアドの花といい、今回の蝶といい、大丈夫なのか、魔法学棟…?」
「うっさいわね!!既に教員が4人(ベルダ含む)も処分受けてるわよ!!」

盗まれた蝶はヒュプノスと呼ばれる種類で、催眠作用が強く、眠ったまま体が衰弱していくものだという。

「でも部屋に蝶なんて居なかったぞ?」
「闇魔法よ…影と体を繋げて感覚を共有させる魔法があるの。もちろん毒も効くわ。抽出した有毒成分を影に仕込んで部屋に送り込んだのよ。」
「影から毒が染みてくるのか…なんかヤダな…」
「影からじゃなくてもイヤよ!?」


シェルリアーナの眼には、エリックの中に入り込んだヒュプノスの魔力が見えているそうだ。

「なんでエリックが狙われたんだろうな?」
「いいえ、恐らく狙いはアンタよ。でも遠隔操作の影魔法では中の人間が誰かまでは分からなかったのでしょうね…」
「俺もいたのに…?」
「アンタ自分が寝ると一瞬で置物以下の存在になるって自覚無いの?!」

犯人も、まさか侍従であるはずのエリックが、研究室でごろ寝しているデイビッドと同じカウチにいるとは思わなかっただろう。
人の気配を辿って入り込んだまでは良かったが、標的を誤ったようだ。

「待てよ?夜の間のことなら、目撃者がもう一人いるかも知れねぇ。」

デイビッドは部屋のカーテンを閉め切り、廊下の窓からの光も遮ると、デスクの辺りを見回した。

「何してるの…?」
「どっかにいると思うんだよなぁ…昼間はやっぱ見えねぇのかな…」

するとごく微かに鈴の音のような音が聞こえた。
よくよく耳を澄ますと、すすり泣きのようにも聞こえる。

「クスン…クスン…」
「ルーチェ…?どこだ…?」

囁くような声で呼びかけると、デスクの影に弱々しい光が見えた。

「こんなとこにいたのか…」
「クスン…エリク わるいものに つかまっちゃった…」
「やっぱり見てたんだな?」
「くろいヘビがきて たすけようとしたけど いたくて さわれなかった」
「助けようとしてくれたのか…ルーチェこそ怪我は?」
「おててがいたいよ でも エリクのほうが もっとくるしいよ エリクしんじゃうの?」
「死なないよ、大丈夫。」
「おっきいの エリク たすけてくれる?」
「助けるよ。だからルーチェもちゃんと怪我を治して来なきゃな?」
「わかった…せいれいさまのところに いってくるね」

ルーチェはデイビッドの言葉に素直に従うと、窓から外へ出て行った。

「シェルの予想通りだな。でもほぼ最強に近い妖精が怪我する様な魔法って……え?なに…?めっちゃ怖ぇ…目ぇ光ってる…?」

カーテンを開けようとしたデイビッドが振り向くと、瞳を燃えるような青に光らせたシェルリアーナと目が合った。

「魔女の能力って怖ぇな!?」
「白昼堂々妖精とお喋りしてんじゃないわよ!心臓がひっくり返るかと思ったわ!!」
「やっぱりシェルにも見えるのか。」
「なんとなく存在が掴める程度よ!霊質な魔力は持ってないの!!」

部屋を明るくすると、デイビッドは足元の箱を開けてガサゴソと何かを探し出した。

「ねぇ…早く先生とか呼んで来ないとじゃないの…?」
「その前に薬作ろうかと…」
「薬?!」
「前見せた本の中に“夢見鳥の誘う眠りの解き方”ってのがあってな。手描きだが今聞いた蝶の特徴が挿絵と似てるから、たぶんこの症例であってるはずなんだ。」
「待ってよ…アンタが作るの?薬を?」
「生まれつき世の大半の薬が効かない体質なもんでな。自分の薬は自分で作るのが当たり前だった。資格は無いが遍歴の薬師に付いて教わったこともある。作り方さえ分かればある程度は…」
「ヒュプノスの解毒薬なら、魔法棟で作れるはずよ?」
「手作業で作っても効果があるか見てからでもいいか?」
「実験する気!?そういうとこ上司の真似しなくても良くない?!」

話をしながら取り出したのは、ヒュプノスと正反対の真っ白な蝶の翅と、何かの種と数種類の薬草を漬け込んだ精油の瓶。
そこへ手持ちのハーブと他の生薬を足してすり鉢で練っていく。

「じゃあ私は先生達に知らせて来るわね!」
「ああ、頼んだ。」
「……」
「……早く行けよ…」
「もうちょっと見てから…」

早く報告しに行かなければならないが、シェルリアーナはデイビッドの手元が気になってしかたない。

別のすり鉢で丁寧に粉にした蝶の翅を、練り合わせた薬草とハーブの中へ加え、満遍なく混ぜ合わせていく。
よく馴染んだら団子状にして小さな炉の上に置き、下から蝋燭の火で炙ると、薬草独特の苦味を含んだ重みのある香りが部屋中に満ちた。

「これでいいはずなんだよなぁ…」
「香薬だったの!てっきり飲ませるのかと思ったわ…」
「蝶の翅にニガヨモギとカモマイルを主成分にしてある。解毒っつうより意識をこっちに寄せて目が覚めるのを待つやり方だから、時間かかるぞ?」
「ところで、夢見鳥って何?」
「蝶の古称だ。夢虫なんて呼び方もあるから、夢や眠りと関連が深いモノとされてたんだろうな…向こうに知らせに行かなくていいのか?」

シェルリアーナは報告そっちのけで、立ち上る香りと銀色の粉の散り混じった薬草の塊を見ていた。

「さっき使ってた蝶は何ていうの?」
「南の方に生息してる蝶でティターニアというらしい。以前群れに出くわした時に翅を拾っておいて役に立った。」
「すごい…蝶の眠りを別の蝶で呼び覚ますなんて…ちょっとロマンチック…」

香りがだんだん強くなって来ると、うなされていたエリックの呼吸が少しずつ落ち着いて、手足や瞼が動くようになってきた。
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