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麻田麻尋

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0章

1夜 王都マリアークに棲まう怪物達

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アルストレンジ歴四百九十五年。五百年まで、あと三日。
 今日から七日間は、国の垣根を越えてアルストレンジの創立を祝うことになっている。
 それも五百年と言う大きな節目なので、どの国も催事には力を入れているのだ。
 アルストレンジ三大国ーーゼノクロノス王国も例に漏れず、王都には沢山の出店が並んでいる。
数多の匂いが混じり合い、料理本来の独特の風味を打ち消している。
 今日からみんな日常の嫌なことを忘れて、新天地アルストレンジの誕生日を祝うのだ。
 王都マリアークの中央広場から、パレードの輪舞曲が聴こえて来た。
 気品のある厳かな音楽や、めでたい日に相応しい快晴とは裏腹に、キース レイバンの表情は暗い。
 同級生は、皆して創立祭に浮き足立っているというのに……。
 キースは、ぼんやりと薄暗い窓から外を眺めた。
 窓の外から見る中央通りの貴族達は、美しさを武器に輝いている。
 加害欲と金銭欲と支配欲に塗れた、醜悪な顔を綺麗に化粧で隠しているのだ。
 年頃の娘達はまるで虫すらも、殺したことがありません。と言わんばかりの、可憐な外用の笑顔で舞って踊る。くるり、くるりと。
 巻き上げた髪に、真っ赤なルージュに、腰をびっちりと引き締めたコルセット、瑞々しい肌を見せびらかすかのように胸元が大きく空いたクリノンスタイルのイブニングドレス。
 みんな同じような髪型にセットアップし、同じような化粧をして、同じようなドレスで着飾っているのだ。
 キース レイバンが知らないだけで、貴族の娘達の間には絶対に犯してはならない法律ドレスコードがあるのか? 法律を破れば、死罪にでもなるのか? と疑いたくなるほどには、みんなして同じ格好をしているのだ。
 対する窓硝子に映っているキース レイバンという青年の姿は、酷くみすぼらしい。
 窓硝子と同化しかけている、銀の髪。子供の頃は輝きを放っていた気がするのだが、今は錆びた金属のように思う。
 世間を憂う気持ちから沸いた殺意の所為か、瞳だけは爛々と妖しい光を放っている。
 そんなキースの思考を掻き消すように、トントントンと梯子を登る音が近付く。
 こんな薄暗く暑苦しい、独房のような場所に近付く物好きなど一人しか居ない。
「やぁ、ソフィ」
 メイドを警戒させないようにーーキースは鮮血の如く赫い瞳を細めて、朗らかに笑いかけた。







 メイドのソフィは膝下丈のスカートを翻し、屋根裏部屋に足を踏み入れた。
 他所のメイドの制服はスカート丈が長いイメージが強いが、ミッズガルズのメイドは広い屋敷を歩き回れる為に脚を上げやすい丈となっているのだ。
 メイドは、マネキンのように整った顔立ちをしている。
 滝のように真っ直ぐに流れる、艶めかしい漆のような黒髪。黒髪の下から覗く、グレースケールの瞳。
 ソフィの瞳は、彼女が見詰める物を映し出す投影器のようだ。
 神様は彼女を創造する際、色彩をつけ忘れたらしい。
 色彩を持たないからこそ、余計に作り物めいて見える。
「キース様、こんにちは。おやつを置いたら、失礼しますわね」
 ペコリと音が聞こえて来そうな、丁寧なお辞儀をするソフィ。
「大丈夫だよ。屋敷の人間は、マリアーク城の舞踏会に出払ってるから」
 父親のシャンテルに至っては、リトルピット共和国に旅行に出かける始末だ。
 余程舞踏会が嫌なのだろう。嫁の反対を押し切り、一人で行ってしまった。
 自由奔放な男だ。
 ソフィは、まだ屋根裏部屋に足を踏み入れようとしないので
「今は俺と使用人くらいしか、居ないよ? 使用人は、俺の世話なんてしないし」
 キースは、そう補足する。
 彼女の顔が、少しだけ華やいだ。
 ソフィはパチンと、優美に指を鳴らす。
 階下から透明なコリンズグラスに入ったレモンウォーターと、花柄のケーキプレートにちょこんと乗っかったマドレーヌがふわふわとやって来た。
 春先の蝶のように宙を舞っており、レモンウォーターとマドレーヌが生きているかのよう。
 まるで、童話の中の魔法使いみたいである。
 キースは、この名前のないソフィの魔術を見るのが大好きだ。
「折角だから、一緒に食べようか」
 そう言って、木箱に隠しておいたクッキーの入った袋を取り出すキース。
 何の変哲もない王国内のお菓子屋さんなら、絶対に置いている商品だ。
 ソフィは静かに、首を横に振る。
「いけません。いくらなんでも、主人の私物に口をつけるなんて出来ませんわ」
 このゼノクロノス王国では、絶対的な掟がいくつかある。
 その一つが、階級制度だ。
 階級は大きく上級ノービリス中級メディウム下級デースペルの三つに分けられている。
 上級ノービリスは王室と貴族が独占し、割合としては一割未満。
 中級メディウムは全体の四割程。王族や貴族の血を引かない庶民の最高クラスであり、有名会社の社長や実業家がこのランクに値する。
 下級デースペルは、五割強を占めるとされている。上級ノービリス中級ノービリス階級の人間に、奉仕する為の人間達。
 一部の貴族達は、下級デースペル達の人間のことを道具として接している。
 自分達貴族は選ばれた人間であり、そうでない存在は選ばれた存在が使う為に生きていると。
 王国の政治や経済の核となる、王都マリアークの貴族達は国内でもトップクラスに入る富裕層中の富裕層だ。
 どうやら血統と同様に、凝り固まった残忍な思想も受け継がれるらしい。
 この屋敷に棲まう宮廷魔術師のお貴族「ミッズガルズ」は、その最たる例である。
 キースの父親であるシャンテル ミッズガルズは、ミッズガルズの婿養子だ。
 キースもシャンテルも、宮廷魔術師の血は一切引いていない。
 王国お得意の道徳ざれごとで、貴族は、富と権力で一般市民に奉仕をする責務がある。
 平たく言えば、その富で寝食住に困って居る者を助けてあげなさい。という意味合いだ。
 貴族がみんな心からそう思い、行動をしているならばそれは「道徳心のある、国民の規範となる行為」と言えるだろう。
 しかし、実際はそうではない。だから、戯言止まりなのだ。
 キースを迎えた理由は、どこの馬の骨か分からないストリートチルドレンよりは、婿養子の妾の子を迎える方が幾分かマシ。
 そうミッズガルズ様が、判断したからに過ぎない。
 家に迎えられたからと言って、家族になれた訳ではない。
 ミッズガルズは、その苗字も階級も愛情もキースには与えなかった。
 階級が与えられなかったからこそ、ソフィとこうして話せている。
 彼女とのこの一時が、キースにとって何よりも幸せなのだ。
「ソフィ、何回でも言うけど。俺はただの居候だし、階級は下級デースペルだよ。ソフィと、なんら変わりはないんだ」
 他の使用人達は、同じ階級だからこそキースの世話をしない。
 ミッズガルズに歓迎されていない、妾の子の面倒を見ても百害あって一利なしだ。
 使用人達は、何も間違えていない。
 だからこそ、こうして話してくれるソフィには数え切れない感謝をしている。
「……ですが」
「隙あり」
 小さく空いたソフィの口に、キースはクッキーを入れた。
 ソフィは驚きの余り、パチクリと数回瞬きを繰り返した。
「あはは。ソフィのそういう反応、初めて見たかも。どんぐりを落とした、栗鼠みたいで可愛いね」
「キース様。女たらしと、言われませんか?」
「えっ? なんのこと?」
 ソフィが涼しい笑顔で、続ける。
「流石、旦那様のお子様ですわ」
 そう言った彼女の瞳は、キースの経験では感情が読み解けなかった。
 一言で言うなれば、背筋に寒気が走る恐ろしさがあったのは確かである。







  キースはソフィに持たされたバスケットを片手に、中央区画のアカシア通りを歩いている。
 アカシア通りは、中央区画と東区画の境目となる通りだ。
 普段は中央通りに比べたら、店もないので寂れているのに……とんでもない人混みだ。
 中央区画ではあるが、地価も安くほぼほぼ平民が住まう東区画なところがあるので、貴族は寄り付かないのだ。
 パッと見渡すだけでも悪妙高い議員のドラ息子や、法には触れないが癪に障る宝石商の夫人や、肌の色が違う独特な訛りをした商人まで多種多様の人種でごった返している。
 流石の創立祭だ。
 ソフィに頼まれたキースの職場の人間への差し入れを届けに、外に出たのが完全に見誤った。
 キースの仕事は、勇者ギルドの受付である。
 子供の仕事と言えば、工場勤めか煙突掃除か親の農作業の手伝いが大半である。
 それか女の子ならば、娼館か貴族の夜伽役。
 それが勇者ギルドの受付をさせて貰えるのは、間違いなくミッズガルズのおかげだ。
 通わせて貰っている学校は王国内屈指の名門校であり、まず学がある。
 働きに出ている子供は、学校にも通えない子が数多居る。
文字の読み書きどころかーー大人に話しかけられた言葉の意味が理解出来ず、返事すら出来ない子も多い。
身につけさせられたマナーが買われて、雇って貰えた。
 今年で働き始めて、三年目になる。
 仕事にも大分慣れて、お客様にも顔を覚えて貰え満足もしている。
 だけどーー
(あんだけ毛嫌いしている、ミッズガルズの権力を利用してるんだよな。このままで、良いのかな? 俺)
 そんなことを考えているうちに、職場である「天裂の槍カエルム ハスタ」に到着した。
 煉瓦造りの、何世代も前の建造物だ。壁には蔦が生い茂っており、空き家に見えかえない古臭い家である。
 創立祭に相応しくない、下品な笑い声が外まで聞こえて来る。
 いつものことなので、キースは溜息も小言もグッと堪えることにした。







 キースは、目の前の光景に空いた口が塞がらかった。
 ソフィがバスケット一杯につめてくれたサンドイッチが、ものの数分でギルドメンバー達の胃の中に消えたのである。
 味わって、食べろ! 俺の分を残して! と文句の一つを言いたい気分だが、キースは黙って後片付けを始める。
 そうだ。ここは勇者ギルドの皮を被った、猛獣達の檻の中であった。
 猛獣に、人間の常識が通じる訳がない。
 お客様を通す応接間に酒瓶が転がっているのも、食べた後の菓子袋が床に落ちているのも、食べ終わった皿すら下げられないのは仕方がないのだ。
「キース、後片付けよろしく~」
 悪びれる様子もなく、そう言ってトランプを再開する勇者達。
 こんな猛獣達に、立ち向かう勇気はキースにはない。
 そうやって、三年間ずっと受付という名の清掃員をしていたのだから。
 我慢の限界なのも、事実である。いつも、次同じことがあったら言おうと思っていたのだ。
 次を繰り返して、三年。次とは、いつだ?
 キースは、飲み残してあるイチジクのリキュールボトルをちらりと横目に見る。
 賭け事に溺れ、女にはフラれ、靴下は穴だらけの勇者の言葉を思い返す。
「酒の力を借りてやれる事は、やらなくて良い事だぜ。酒が入って言う本音は、嘘っぱちさ」
 この台詞を聞い時、なんて格好いいのだろう! と、感動したのをはっきりと覚えている。
 勇者の次の言葉を、聞くまでは。
「そんな訳で、お金貸して。絶対に返すからさ」
 素面で真顔で年下にたかったのだ、奴は。
 頭の輪郭に沿った濡れ羽色の髪に、蒼玉のような瞳。
 顔立ちは特段整っている訳ではなく、何処の国でも居そうな顔。人に不快も幸福も与えない、普通の顔だ。
 見た目と言葉の釣り合いがとれていない、不思議な存在。
 名前も「ヴェノム」と言う、怨みや毒という意味合いのある世間一般的には良くないイメージの物だ。
 この野蛮人の集まりのギルドで、唯一の知性品性理性を兼ね備えた普通の人間。
 誰にも不快を与えない、一定水準のコミュニケーションがとれる風格。
 名は体を表すと言うが、余りにも彼には不釣り合いな名前だ。
 まるで悪の秘密結社か何かでつけさせられたような、想像が働いてしまう。
 キースは、すーっと息を大きく吸った。
 今まで散々、空気を読んで来た。今度は、吸って吐き出す番である。
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